P90試射するも・・・
2003年11月23日(日)
大学時代の後輩П氏(仮名)が、P90を落札した。P90とはもちろん、サブマシンガンともアサルトライフルともつかない自動火器のFN・P90のことだ。П氏はそれほど銃に興味があるわけではなかったが、言うまでもなく「Gunslingergirl」のヘンリエッタの影響で銃道楽に手を出したというわけだ。私はその試射に立ち会うために、П氏宅へと御邪魔した。
ちなみに私はAK47をライフルケースに入れて、肩に背負って参上した。かつては新聞紙にくるんだりしていたが、ライフルケースは便利だ。いつぞや新聞紙にライフルをくるんで運んでいると話したところ、聞いた大学時代の先輩Г氏(仮名)の憐憫を買い、プレゼントして頂いた品である。
人の敷居を跨ぐに際して、土産の一つも持ち込んだ試しがない私だが、今回は「暴君ハバネロ」を持参した。凶悪な辛さで有名な代物だ。私も食べたことはない。П氏も「ちょうど試してみたいと思っていたところだ」と喜んでくれた。
食べてみた感想は、痛い。唐辛子の乾物をそのまま食べた経験がある私にとっては、児戯にも等しい辛さ(いや、乾燥唐辛子レベルの辛さだと、業務上過失致傷でメーカーが訴えられるが)。だが、それでも冬に入り、乾燥で傷んでいるノドには浸みる。けれども、別にそれほど不快なレベルではない。食べすぎたら、胃腸を下しそうではあるが。
そしてП氏が私に出してくれたのは、なんとかの有名なメッコール。韓国では未だ生産しているとは聞いていたが、現物を見たのは十数年ぶり。母の友人宅へ連れられて行ったときに、そこで出されたのが最初で最後のメッコール体験であった。そのときは、コップに注がれたメッコールの半分も飲めなかった記憶が。ああ、その母の友人は別に、特定宗教を信仰しているわけではないので、あしからず。当時はまだ簡単に手に入ったらしい。それから十数年。メッコールに関する様々な情報は耳にしていたが、思いがけず実物を出されようとは。
今の舌で飲んだ感想は、別にとりたててわるくはないし、むしろけっこういける。まあ、毎日飲みたいとは思わないが。
ハバネロとメッコールを摂取し終えると、П氏が一冊の本など差し出しおる。こ、これは世も末な英単語帳「もえたん」!買っていたのか。話によると、ゲーマーズには山積みにされており、その筋の人が店員に「『もえたん』はどこにありますか!?」などと聞いている様がここそこで見られたという。
インデックスがない、折り曲げたくない、持ち歩くのに抵抗がある、特定の予備校の寮に持ち込んだら没収されそうと、学参としては機能的にもそれ以外にも問題があるが、内容はなかなか興味深かった。特に例文の数々がcoolだ。ただ、それなりに英語の素養がないと、例文は読みこなせまい。そして受験英語としては、単語のチョイスにいまひとつ不満がある。まあ、高校生・浪人生で、これに受験生活を賭けようなどというアホはいない・・・と思いたいが、いるだろうなあ。これだけ読んで笑って、大して身に付くような利用をしない人って。私が浪人生だったら、このようなものに見向きもしまいて。
早速П氏宅の裏山でP90の試射に入る。まずは私がAK47でショートバーストを3〜4回、ターゲットの段ボール箱にかます。そしてП氏もP90を発射。と思ったら、景気の悪いモーター音とともに、初速の遅い弾丸が数発発射される。そして10発目あたりでタマが出なくなった。はて。
マガジンを外してチェックしてみたが、詰まっているようにはみえない。どういうことだ。
通常分解などしてみたが、我々の知識では異常を発見できなかった。
ニッカドバッテリーが自然放電で力尽きただけか。それとも、故障か。
とりあえずは、再充電しないことには何もわからない。
まあ、銃らしく見えない外見が好きになれないでいたが、手にとってみるとなかなか面白い代物だ。人間工学的設計とやらで、腕や肩や胸に吸い付くように構えられる。ドットサイトが標準装備なのも遊べる。実用性はどれほどのものかは疑問だが。そしてなによりも、ヘンリエッタの銃というのがよい。П氏はバイオリンケースの購入と改造まで考えているとか・・・。
何はともあれ、早く動作するようになって、存分に撃ちたいものである。
それからは、П氏がコーヒーをその場で挽いて淹れなどしてくれた。インスタントコーヒーしか飲まない私にとっては、こういう道具はいつかは持ちたいと思いつつも、きっと買わないだろうなあ。けども、やはりこだわりによって淹れられたコーヒーはよい。
液晶ディスプレイと新筐体の導入によって、随分と片づいたП氏のPC。今まではテレビ出力onlyで、しかもロフトの上にテレビ・PCが設置されていた。それに比べると随分とcoolな部屋になった。いや、ロフト上のテレビPCもそれはそれで興味深かったが。
そして、夕飯は近くの和食屋で定食など食う。普段食パン一斤+チーズとか、麦シャリ+納豆などで安くあげている私としては、何食分に値する食事だったか。たまにはこういうのもよい。
そして2100時に店を出て、П氏と別れて帰途についた。だが私は血迷って、中大近辺まで歩いていたり、それからかつての中大−自宅の通学路を再現してみた。AK47一丁+カメラの三脚などが入って4キロを超えるライフルケースを担ぎ、SDオーディオプレーヤーで露文朗読など聞きながら誰もいない夜道を歩く。
大学時代には、ここのマンションの自転車置き場に段ボールで猫小屋が作られ、マンションの住人にエサなど与えられていたものであった。しかし2年後の今、その痕跡さえ見あたらなかった。猫が死んだか、いなくなったか、あるいはかわいがっていた住人が引っ越したか、それとも管理会社がそれをやめさせたか。それはわからない。ただ、これは残念であった。
そしてかつての最寄り駅だった某駅に着いたときには2251時。約2時間歩いた。
そして自宅にたどり着くと・・・アマゾンからの日通メール便が新聞受けにねじ込まれていた。