名古屋旅行−貧民バス
2004年08月28日(土)未明〜朝




 新宿新南口にП氏・美津濃氏とが時間通りに無事集合した。
 美津濃氏は東南口で待っていたらしいが、間違いに気づいてなんとか時間までにここまでやってきた。




 それにしても、美津濃氏のこの大荷物は・・・。私のリュック+ジュラルミンケースでさえ大げさのような気はしているのだが。
 だが、彼は私やП氏と違って、名古屋に一泊旅行して帰るわけではない。彼は名古屋を後にしたら、次は大学院のフィールドワークの為福井に向かい、そして現地で知人の車に便乗して福岡に帰省するという大旅行を繰り広げることになっているのだ。東芝の2kg以上あるPCからフィールドワークのための各種資料に地図、そして作業服と、彼の荷物は半端ではない。




 そしてわかりにくいJRパス乗り場に突入するも、前のバスがまだ到着しておらず、その影響で我々の乗る名古屋行きも遅れるとのこと。
アナウンス「**行きのバスの入場が遅れております。そのため必然的に、23:50発名古屋行きも遅れることになります」




 2350出発予定が、0時を回ってから搭乗することに。バス会社の問題で車両を直前になってから変更されたので、すわ4列シートかと心配したが、どうやら3列シートだった。さすがに4列で夜を明かすのは窮屈だ。
 名古屋まで新幹線で行けば1万円はくだらないが、バスだと3列シートでも5000円台で行ける。信じがたい格安である(もっとも、4列シートだと3900円というプランもあるらしいが)。新幹線に乗れば2時間で新聞でも読んでいれば到着するのに、たった5000円で6時間の苦行に堪える人間なんぞは、学生を別とすればよほどの貧乏人に違いない。つまりはろくな人間ではなかろう。夜中のくしゃみひとつで殺し合いだ。




 我々は一番前の席を取れた。
 これはいい眺めになりそう。これならば眠れなくても退屈はしなさそうだ。




 と思ったら、運転席との間にカーテンを閉められた。隙間さえありゃしねえ。
 こんなメクラ箱に閉じこめられたら、乗り物にあまり酔わない私でも一気に車酔いになりそう。
 体感速度と目に見える景色の流れの速度が一致しないと、酔いやすい。これはまた、凄絶な旅になりますな。




 準備のよい美津濃氏は、早速100円ショップで用意したクッションを2つ膨らませて、腰の下とクビの下に差し込んで、眠ってしまった。さすがは自腹の調査旅行で、貧民バスに慣れた男だ。腹の据わり方が違うようだ。




 やがて電気も消された。つまり寝ろということか。周りの人間はみんな眠っているのか、寝ようとしているのか、誰もが押し黙って目をつぶっていた。これは話をするわけにもいかない。いっこうに眠くなる気配もない私は、ノートPCをつけてネットなんぞやってみる。が、真っ暗な中でモニターを凝視するのは目に悪い上に、車酔いを促進する。それに、消灯した車内では、液晶のライトはあたりを明るく照らし出す。「寝られない」としてトラブルになりそうなので、ノートは数分で電源を落とした。さて、何をしたものか。




 隣ではП氏が「読書灯」と称するにはあまりにも低い位置にあるライトで、漫画を読もうとしていた。が、暗すぎてすぐに断念した模様。






 談合坂SAにて休憩停車。車内にも便所はあるが、足がここそこに伸びている暗い車内では移動したくない。それにこのメクラ箱から外に出て遠くを見たいし手足を伸ばしたい。ということでSAで降りて小便に。П氏も降りたが、右隣の美津濃氏はすでに眠っていた。




 すぐにバスは発車したが、いくら目をつぶっても眠れそうにない。目を開ければ目の前にカーテン。目を開けている方が酔う。しかし目をつぶってもまったく眠くならない。高尾山口から八王子駅まで歩いて疲れさせて、眠気を得ようとしたがムダだった。次の休憩停車が待ち遠しい。cdmaのez-naviとやらで場所を検索してみるが・・・どこだこりゃ。まったくわからん。道路しか標示されないほど田舎ということか。






 諏訪湖SA。ここではП氏は眠っていたのか寝たふりをしていたのか、リクライニングを最大にして後ろの席の奴を押しつぶしていた。さすがはП氏。自分の睡眠のためならば、何者をも顧みない。眠れない私は、停車の衝撃で起きた美津濃氏とともに降りて、便所へ行く。П氏と美津濃氏の2人は少しは寝たようだが、私は一瞬たりても眠れんよ。






 もう外が明るくなった。3回目の、そして最後のSA。恵那峡。恵那というと「成恵の世界」か(注:これは間違い。多分「ワイダネス」か「よつばと」が正解である)。ここで降りたのは私他若干名だけであった。もちろん美津濃氏もП氏も眠っていたのか、降りてこなかった。私は3停車制覇ですか。いやはや。
 恵那峡を出てから一瞬記憶が途切れたので、名古屋直前の30分ぐらいはようやく眠れたようだ。しかしひどい車酔いと寝不足で気持ちが悪く、目覚めてからは再び眠ることが出来なかった。




 そしてほとんど寝られぬまま名古屋駅へ。左手の階段は「警視庁24時2」で銃撃戦をした階段だ。よく覚えている。




 荷物を下ろし、クッションを畳みつつ屈伸運動をする人。
 ようやく名古屋には着いた。長かった。たかが札幌−釧路程度の距離で6時間(正確に計ったわけではないが、東京−名古屋と札幌−釧路は似たような距離である)。しかも鉄道や飛行機と違って、上下左右にまがりくねって気持ち悪い。羽田−釧路だって1時間半なのに、6時間もかかるとは名古屋は遠かった。私は決して金持ちではないが、次からはぜひ新幹線にしてくれ。頼むから。というわけで、皆疲労困憊で名古屋に降り立った。前日全荷物を抱えて高尾山から八王子まで数時間行軍し、そのままバスに乗って30分程度しか寝ていない私は、かなり消耗していた。だが、これからが本番である。


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