自主WRハーフコース6−中大多摩キャンパス
2006年01月19日(木)
2006年1月19日、14:51:24
中央大学へと登る。
大学名を明示することを避けて慎重に大学について話すときは、よく「東京の大学」→「八王子の方」→「山の上の大学だ」と、徐々に絞り込んで中大であることを示すことがある。それなりに有名な東京の大規模私立大学の中では、やっぱり「山の上」の部類なのですよ。
2006年1月19日、14:52:44
野猿街道から左折して入るショートカットコースは、このフェンスの辺りに出る。
2006年1月19日、14:53:30
そのショートカットコースにカメラを向ける。
畑の中を通る狭い道。
これもまた、東京の大学への通学路なのである。
2006年1月19日、14:58:52
そして、我が中大。
在学時代の前半には、正門前に信号なんかなかったし、正門の右にあるトンネルは大学の敷地であって、学生のバイクと大学関係車輌しか右折しなかった。しかしトンネルルートは堰場方面への道路として一般開放されている。世の中変わるものだ。
2006年1月19日、14:59:20
ちょいと右を見てみると、通信教育部の建物が。
なぜかこの建物は正門の手前、つまり柵の外にある。
モノレール開通前まではここに「中央大学内簡易郵便局」が入っており、留学していた友人宛に海外郵便をここから出していたものだった。が、廃止されてしまった。今では簡易郵便局ではなく、「中央大学内郵便局」としてモノレール駅の下に郵便局が設置されている。
2006年1月19日、15:00:04
正門からキャンパス内部へ。
キャンパスさえも坂なのです。
ちなみにこの坂、在学時期の前半は許可を得た車両以外は通行禁止だった。
しかし今は、花箱で歩道と車道の区別が付けられ、交通標識も設置されて、タクシーが自由に進入できるようになった。まあこうしないと、正門前で渋滞するので利便性は高まったが。
2006年1月19日、15:02:32
WRのゴール地点は年によって異なるが、いちおう今回はこの階段を上りきることを目標とした。
2006年1月19日、15:03:12
2001年のWRでは、この階段の下にゴールが設置されていた。ここでチェックポイントでのスタンプを確認されて順位が確定し、踏破したことが証明された。そして階段の上で完歩者は、配られるおにぎりと豚汁を食いながら、後からやって来る部員を待っていたものであった。
ちなみに完歩証は、体育の「空手・ヨーガ」では欠席を2つ分取り消す効果があった。だが、法学部の体育実技の中の1種目で特典を設定されてインセンティブとしては弱く、参加者はそう多くはなかった・・・。しかし「空手・ヨーガ」の先生が中国へ渡られてからは、目に見えて参加者が減ったような気がする。
1998年05月31日 公式WRにて
階段の上では、負傷して参加できなかった部員が皆を待っていたりもしたものだった。
2001年06月03日 公式WRにて
疲れ果てた一団が、飲料を浴びるように飲みつつ疲れを癒すの図。
この年は、メイドやナース、女子高生などの服装が少なからず。
ほぼ全員道着で武装していた1997年からは考えられないような変化である。
もちろんペットボトルなどのゴミは後始末をしたので悪しからず。
2006年1月19日、15:23:56
古巣に戻ったのか「げんしけん」の聖地訪問をしているのか、だんだんわからなくなってきているが、中大多摩キャンパスである。試験期間もすでに後半であり、試験が早い文学部などではもう春休みに入っていよう。あまり人がいなかった。
せっかくここまで来たのだからと生協へ立ち寄り、政治学事典と政治学書を衝動買い。10%引は大きい。ここまで4時間歩き通したことよりも、政治学事典などをカバンに詰め込んで歩いて帰る方がやや堪えたような。
それにしても、中大生協。キャンパスが市街化調整区域に位置する為、学生の需要に応えるべく大規模な店舗が必要だった。しかし私の在学中も卒業後も、安売り第一のスーパーのような無機質なたたずまいだった。それが色彩豊かに改装されていた。そして生協食堂横の便所など、手洗いの水道はセンサー式になり、その感度は抜群。手を出せば即座に水が出て、ひっこめれば水がすぐさま止まる。ここまで反応が早い蛇口は見たことがない。しかも感動したのは、温水だったことだ。冷え切っていた手にはありがたかった。中大も少しずつ変わっているが、生協の彩りと温水は衝撃だった。
なんにせよ、かくしてハーフコースの踏破は完了した。
山と違って、景色が特に面白いわけでも、勾配で鍛えられるわけでもない。
だが、昔懐かしいWRのコースである。
学部時代を過ごした大学近辺を闊歩することも出来る。
その意味では、とても懐かしい気分になれた。
ただ、誰か同時代を過ごした人間を誘えるかと言えば、疑問符がつくが・・・。
山ならば来ても、街ならば来ないかもしれないので。
だけれども、いつかは相模湖から中大までWRのフルコースを再現してみたいものである。