自主WRハーフコース
2006年07月08日(土)


 今年の1月に事前調査と個人的な趣味を兼ねて歩いたが、半年を経て、ついに大学時代の同志とWRハーフコースを歩く日がやってきた。


 ここで言うWRとは、「中央大学ウォーキングラリー」の略で、かつて中央大学において行われていたイベントである。その内容は、相模湖から高尾山を裏から上って高尾山口へ降り、そして浅川に沿って八王子を横断し、最終的に中大多摩キャンパスへと徒歩で至る行事である。相模湖から高尾山口のコースは、単独でも同志とつるんでも何度か再現してきたきが、今回はハーフコース、つまりしんどい山を避けて、高尾山口からスタートするコースを再現したわけである。


 今回集まったのは、大学時代の先輩・Tem氏、魔人氏、同期のF氏(いずれも仮名)である。この手の行事には、後輩の美津濃君(仮名)を交えることもあったのだが、彼は札幌に配属されてしまった。しかしこの3人は当分は東京にいることであろう。何にせよ、東京で何かをする人々も徐々に減ってきたものですわい。



2006年7月8日、10:17:34

 集合地点は京王線の高尾山口駅。本来のハーフコースのスタート地点はここではなくもう少し山よりなのだが、僅かな距離を行って戻るのも不毛なのでここをスタート地点とした。



2006年7月8日、10:26:10

 出発前に一枚。
 電車の本数が少ないこともあってやや集合に時間がかかってしまったが、これから出発である。



2006年7月8日、10:28:18

 早速歩くが、日差しは弱いが蒸します。



2006年7月8日、10:32:36


1997年06月01日 公式WRにて

 圏央道建設反対の看板は、9年前に比べて、色が濃くなっているような。手入れされているらしい。この反対運動は根強いらしいですからね。政治的意見とはまったく関係ないレベルにおいてこの看板のインパクトは、1997年の公式WR以来、毎回話題になっていたものであります。今回も、これの存在を確認して盛り上がったものです。


2006年7月8日、10:43:04


1997年06月01日 公式WRにて

 1997年には、WR前夜にミニ四駆を組み立てて、高尾山で走らせるバカがいたこともあって、ミニ四駆サーキットに過剰反応したものです。が、今回はサーキットを運営していた模型店は確認したものの、サーキットそのものは見落としたのかなくなったのか、確認できなかった。



2006年7月8日、10:56:56

 WRには我が武道部と落語研究会が、部を挙げて参加する二大勢力であった。特に対抗していたわけでも交流があったわけでもないが、共にアホな仮装などをして練り歩いていたものだった。その落語研究会でもっとも印象に残っているのは、海パン一丁で参加していた人物である。ポケットさえないので、WRの冊子も携帯して折らず、チェックポイントのスタンプは脚に押してもらっていたものだった。その人物はここそこ他の参加者の笑いを取りに走っていたのだが、ここではゴミ収集所のカゴに入って「出せー!」などとやっていたような気がする。



2006年7月8日、10:57:10

 そして浅川に出る。ここからはハーフコースの大半を占めると行っても過言ではない、浅川を沿って歩く。



2006年7月8日、11:00:18

 ちなみに、公式WR史上最も出来がよいと思われる、2001年のパンフレットをまた持ってきました。今年一度歩いているので道に迷う心配はないが、話のタネに。



2006年7月8日、11:02:16

 今年下見をしたことによって、自販機の位置と、しばらく自販機がない区間を確認できたので、適切な給水ポイントを見出すことができた。曇天とは言えども暑い中、汗をかいて歩くには、水分の補給は必須です。公式WRにおいては「終わってからのビールがうまくなる」という理由で後輩を巻き込んで「水分断ち」を行っていたアホがいたが、脱水症状になりかけていたという。そういうのは自殺行為であると同時に、後輩を巻き込むことによって暴力にさえなった。そういう無茶なことはしたくないものです。



2006年7月8日、11:33:28

 途中の公園で一服。この公園には親子連れが何組もいたが、1人では決して出来ない、集団だから出来る所業である。1人では公園に足を踏み入れただけで射殺されそうだ。



2006年7月8日、11:47:48

 そして南北の浅川が合流する地点で、我々のコースも大きく右に曲がる。
 だが、なにやら煙が立ちこめている。



2006年7月8日、11:48:42

 何事かと思ったら、河原でゴミが焼かれていた。




 拡大するとこんな感じ。



2006年7月8日、11:49:20

 草が青々と生い茂る初夏である上、民家のひとつもない河原なので、延焼の危険は少ないはずだ。だがTem氏は枯れ草に燃え移ったら拡大しかねないとして、ペットボトルの飲料で消火を図った。



2006年7月8日、11:49:52

 合流して幅が広くなった浅川を沿って歩く。



2006年7月8日、11:58:14


2006年01月19日撮影

 1月に歩いたときは、ゲートボール場の小屋に猫が寝ているのを発見した。が、この小屋は完全に打ち捨てられたものらしく、蔦に覆われていた。これはこれで猫にとってはよい隠れ家になろうて。



2006年7月8日、12:17:36

 このへんが結構長い休憩をとった浅川チェックポイントだっただろうか。
 工事で景色が変わって特定できない。



2006年7月8日、12:18:04

 河原の木の下には、誰が於いたのかイスとテーブルが。
 「悪の秘密結社の基地に違いない」として、イスの種類などから序列について話し合う。



2006年7月8日、12:40:14

 八高線の線路。
 これを越えれば、浅川からはすぐに離れることになる。
 少人数だとやはり行軍が早い。



2006年7月8日、13:10:06

 昼飯は、商店・飲食店の前を通ることが少ないWRコースにおいて、ほぼ唯一のファミレスである「すかいらーく」で。公式WR本番では、大部隊による行軍スピードの遅さ、伸びきった隊列の調整などでいつも部全体が後方グループに位置することになり、ゆっくりメシ屋で一服することなどとても出来なかった。だが、今回はもちろんタイムリミットなどないので、メシ屋で昼食をとることに。



2006年7月8日、13:31:32

 私はカツの卵とじなんぞを。
 普段こんな高カロリー高蛋白なものは食わない。



2006年7月8日、14:15:26


1997年06月01日 公式WRにて

 この小学校の前では昔アホな記念撮影をしたものであったが、さすがに現在は小学校にカメラを向けることはもちろん、校門前で立ち止まることさえ危険だ。素通りする。しかしここに写っている人物の中には、現在中央官庁の役人や法曹もいるわけで、人間わからないものであります。



2006年7月8日、15:29:18

 いっきに距離を飛ぶが、野猿峠を越えて、東中野に至り、これから中大へと上る坂であります。



2006年7月8日、15:30:32


2006年7月8日、15:30:38

 それにしても、いつ見ても、東京の大学に来たという気がしない風景である。



2006年7月8日、15:36:08


2006年7月8日、15:37:44

 そしてゴールの中大へ。




 我が武道部が稽古に稽古を重ねて、すっかりハゲてしまった芝生は、青々と茂っていた。近年は政治力の向上で体育館を多く取れるようになったとも聞くし、また、芝生での稽古を忌避する傾向もあると聞く。だから、最近はあまり使っていないのかも知れない。




 ただ、中央部に行くとダメージが回復していない。
 まだ後輩達がここで稽古しているのか、それとも長年のダメージの結果なのか。




 そしてゴールしたということで一枚。




 ちなみに私のシャツ。
 出発時は上着を着ていたが、さすがに熱いのですぐに脱いだ。




 それにしても、幾何学的な設計が過ぎて、法則性に慣れないと迷うこのキャンパスも、大分親切になってきたものだ。便所の表示があるとは。かつては、構造的に便所がありそうな雰囲気を見抜いて行ってなければ便所にも行けなかった。




 そして真新しいキャンパス案内図まで。




 ただ、学食はあまり変わっていなかった。まあ私の入学当初から卒業までの5年間に何かと手直しされてので、ここはもう手を入れる必要がないのかも知れない。左に写っているのは私の袖。汗をかいたのでシャツを着替えた。




 生協食堂一階の自販機は、1000回は使ったことであろう。




 我が部のスタンダード・ドリンクたるドクターペッパーは健在なり。




 ここまで来たからにはメシを食わねば。
 F氏はざるラーメンを。
 量もさることながら、盛り方の大胆さもすごい。




 私はみそカツ丼を。Tem氏には「昼もカツだったではないか!」と言われたが、まあ普段の食生活を鑑みれば問題ないっす。それにしても、メニューも値段の相場も変わったので、いまひとつ注文の選択に迷うが、やはり生協の味だ。




 食堂にあるサークル用の棚。
 ここに連絡帳や稽古日誌などを置いておくのだが、半分も埋まっていないとは。
 部会も減ったのか、それともサークル棟の新設などによって学食に集まる部会が減ったのか、それとも単純に部会に入ることそのものが廃れてきたのか・・・。




 そしてあちはいつものように我が家で酒である。
 「げんしけん」と「ガンスリ」はTem氏のアメリカ土産の品。
 まさか「げんしけん」のような翻訳の難しく、それなりに日本の二次元文化に精通していないと面白くないであろう代物まで、向こうで出されているとは。




 そしてこの猟奇的な品も、Tem氏の私へのプレゼント。




 組み立てるとこのように。
 あんまり立体造形物は部屋に置かない主義なのだが、これはまた危険な・・・。


 かくして我が家で軽くいっぱいやり、そして終電までには皆帰途についたのであった。
 次は夏である。


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