last up date 2003.12.21

01-10
自己防衛

 「否定されること」どころか、「同意されないこと」にさえ慣れていない人にはまいる。
 自分が言った冗談を笑わなかったとか、自分が言ったことに相づちを打って聞いてくれなかったとか、そんなくだらんことでも、同意を示さなかった相手を「異常だ」「人格に問題がある」として攻撃しないと、自分が侮辱された、自分が全面否定されたという気になって、尊厳を保てないんかね。
 「自分は相手の言うことをじっくり聞いて、忌憚ない意見をかわすことのできる人間だ」との自己評価を持っている人でも、「座談会」しかできなかったりもする。座談会とは、ただお互いの意見を特に否定もせずに言い合うだけの「拡散」と「混在」の場であり、闘ってそれなりの結論に「収斂」する議論とは対極に位置するものである。


01-09
相対的に、自分が低く見られた気になるんでしょう

 私が何かを認めたり評価する発言をしたら、必ず疑問を呈すか否定するかしないと気が済まない人がいる。自分のライバルや気に食わない人間を褒め称えたのならばまだしも、自分とはさして関係のない人物や事象に対してもだ。嫌みったらしい口調で、「そんなものは大したことがない」「そんなものは意味がない」のようなことを言わずにはいられないらしい。どうも、自分以外の第三者を高められたら、自分が相対的に否定されたように気になるらしい。それとも、とにかく発言者の言を、内容如何によらず否定することが最大の自己主張だというのだろうか?よくわからん。
 まあ何を言うのも本人の勝手だが、こういう挑発的な言い方をする奴は、自分の声色・表情を恥じないんだろうか。皮肉ならばクールに決めろ。 


01-08
顔に書いてある、とは何か。

 「顔に書いてある」なる言は、相手の表情から自分が解釈したことが絶対的に事実を突いている、という確信の表明にほかならない。それも、相手が言いたくないようなことを見透かした、という思い込みを持って語られる。そのため、こうした人間と相対したときは、「本当に自分が考えていること」と「自分の表情から解釈されたこと」とが違っても否定することは難しい。否定すればするほど「隠している」「照れている」「図星だったから怒っている」としか見なされないからだ。


01-07
詰め込め

 外語習得には詰め込みが必須である。
 言葉の意味、スペル、慣用表現は繰り返し反復して詰め込め。
 そしてアウトプット訓練も繰り返せ。
 暗唱、見ないで書く。これは無意味ではない。
 暗記と訓練が無味乾燥というならば、感覚的に血が通ったインプット・アウトプットをできるまで徹底反復あるのみ。
 読むのは駄目、話すのがよいといった簡単なものではない。
 すべてやれ。苦労しろ。


01-06
ムカツクかどうかってこと

 バカとは、自分の見解・やり方に対して何か言われると、「気に食わない」としか思えない者のことである。自分の見解や他者の発言がどれだけ適正か否かなどどうでもよい。最初から自分が正しく、自分に同意しない他者は間違っているのだ。これは理性ではなく感覚である。
 あとは何か言ってきた相手の立場が、上か下か、強いか弱いか、しか考えない。あがらわない方がいいと思ったら堪えて従う。「堪えることそのもの」が彼女or彼にとっては大仕事で大変なこと。堪える自分はすばらしく、堪えない−つまり自己主張する−奴はクズなのである。そして立場が上の人間や強者の言に対して堪えることこそがうまくいく方策で、立場が同等以下の人間や弱者に対しては高圧的に出ること以外の方策を考えられない。これがバカの発想である。
 ああ簡単な世界。


01-05
我慢しろというのは簡単

 なにか怒りのコトバを口にすると、「そんなことをして何になる」と批判し、たしなめる者がいる。私は敢えて「我慢して何になる」と言いたい。堪えて、我慢して、何もせず、裏で留飲を下げることさえ止めて、どうする。気が狂うか健康を害するか暴発するか。
 精神のバランスを考えるも合理的方策だ。「合理的っぽい選択」を機械的にこなすのが合理的な人間の行動とは限らない。人間の精神というのはやっかいなもので。


01-04
あるかないか。

 私は出来るか出来ないか、ということを重視する。
 いや、自慢するようなことではないんだけど。
 価格対効果や性能は二の次。
 何が言いたいかというと、安物のビデオデッキ持っていたら、これは絵が汚い云々いわれ、何かのPCソフトつかっていたらこれは非効率的云々と講釈垂れてくる奴がいるものだ(注)。
 ビデオデッキがなければテープは見れない。
 ある種類のソフトがなければ、ある処理はできない。
 見れればいい、出来ればいい。それがまず必要なんでしょうに・・・。


 存在するかしないかという問題の前には、使い勝手、効率、価格対効果、耐久性なんかは二の次。優れた製品が手に入ればそれにこしたことはないが、いいものが手に入らない場合に劣った製品を買って悪いということはない。いいものは大概高いし、予算が十全であろうとも、在庫やしがらみによって選択肢が限られている場合もある。よくもないものを高く買うのはアホだと言ったところで、ほかに手に入れる当てがなければ使うしかない。安車でも目的地へは行けるし、粗悪なパソコンでも壊れるまではネットや表計算ができる。


注:こういう講釈たれてくる奴で、その内容に信憑性があったことは滅多にない。何がどう問題なのか聞いてみれば、答えられない。ちょっと詳しい奴の言うことを聞きかじったり、批評記事の結論だけ見た程度の知識を披露したいだけの奴がなんと多いことか。そういう奴には「これはなぜダメか。そして何が、どのような理由でいいのか」と聞き返すべし。

実例
「なぜ**社のパソコンは『ダメ』なのかね」
「**社のパソコンは●●国で生産されているから壊れやすいんスよ」
「●●国の品質管理はそんなにわるいんか」
「そりゃもう、●●国ですからねえ」
「では、▲▲社のマシンも●●国で生産しているし、■■社のハードディスクも●●国製をかなり採用している。××社の(製品名)も中身はすべて●●国の●●社製品のOEMだ。★★社も●●国に現地工場をつくるそうだ。これらはすべてダメなのか。今後の参考までに教えてくれ」
「いや、そういわれると立つ瀬がない」
「お前の立場なんかは関係ない。では、今度はオススメを教えてくれ」
「◎◎社や☆☆社とか、国内の大手がいいんですよ」
「なぜだ」
「いや、大きな会社ですからしっかりしているんですよ。それに国産ですから」
「◎◎社は既存のシェアに溺れて商品開発がつまらなくなり、急激なシェア低迷の結果、品質管理のコストを下げたらしいじゃないか。間違った成果主義の影響で修理もいい加減と評判だぞ。後輩の誰それなんかは修理に出した◎◎製品が壊れたまま戻ってきたしな」
「え、そうなんですか?それでも●●国よりはいいんじゃないですか」
「☆☆社の中身はな、今や大半が●●国製なんだ。ハードディスクなんかはほぼ全部だな。SDRもかなり使っているかもしれん」
「・・・・・・」

 責め立てても、もっともらしいことをでっちあげて講釈のボロを認めなかったのならば、今度は、「お前のお薦めはよくわかった。で、今のオレの持ち物を今すぐこの場で捨てて、今すぐ新規に買い直せと言いたいのか。貴様はオレがそこまで致命的な買い物をしたと言いたいわけだな。それではオレは同じ製品を買ったすべての人に呼びかけお前の分析を根拠にメーカーに訴訟を起こさねばならんな。法律事務所までつきあえ」とまで言ってやりたくなる。


 実際に上記のやりとりほど執拗に責め立てたことは滅多にないが、とにかく「モノが悪い」と聞きかじったものを使っている人間を見つけたら、アホバカ呼ばわりするかのように講釈たれ、自分が「いい」と聞きかじったものを使うことこそが唯一絶対の方策のように講釈たれてくる奴にはうんざりですよ。


01-03


 Aと言ったらBという反応が来る。
 反応が決まり切っている。
 ウケがとれるコトバも決まっている。
 事前に決まっていることを提示し合うだけである。
 そういう型が通じない相手に遭遇するとたいていの人は困惑する。
 私がその型の通用しない人間だ。


01-02
理詰めと反復

 語学なんかは特にそうだが、理詰めで理解した上で、反復や暗唱で慣れる必要がある。
 理と慣れ。
 どちらが優れているかということではない。
 「カンケーダイメーシがどうとかじゃなくて、慣れだ経験だ」などと高説ほざく奴で、コトバが出来る奴に会ったことがない。


01-01
眠くなる

 朝冷水で顔を洗うと、始業時間から少ししたあたりで眠くなる。冷水で顔を洗うと瞬間的には目が覚めるが、萎んだ血管が戻り、血行がよくなるにつれて、眠くなる。これは臨床実験で証明されている。だから、朝はお湯でしか顔を洗わない。お湯がないときは、洗わない(洗顔用ウェットティッシュを使っているので、別に脂ぎった顔で出勤するわけではない)。ドライブのときは、間違ってもSAで顔を洗わない。


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