last up date 2003.12.21

04-10
優越意識の亡者

 誰ぞという偉い学者に会った。誰それという偉い学者に「勝てる」ところだった。・・・と大学時代の先輩は自慢する。だから何。会ったと言っても、たまたま同じ場所にいただけでしょう。あなたのために時間割いて、場所設定して会ってくれたわけではない。会ったことによって某かの影響があったわけでもないでしょう。そして「勝つ」とは何。ただの揚げ足とりで一瞬黙らせたという程度でしょう。それも何でもない場で。そんなことに何の意味がある。


04-09
重工業の話をしたら

 学部5年次の就職活動中のある日のこと。私は学食で同じく職探しをしている学生と重工業の話をしていた。そのとき、大学に入ったばかりの1年生が得意げに口を挟んできた。
「そういうのはダメですよ。これからはITの時代ですよ」


 アホか。ITなんぞ、ただのインフラだろう。例えば電話が発明されて普及しつつある時代には、電話会社だけが儲けて、他の会社は軒並み倒産したとでも言うのか。そのとき話題にしていた重工業某社は、そのITの活用で脱皮しすばらしく変貌しつつあった。ITの時代だからこそ、企業は在庫管理や発注受注に機動力と速度を持たせることができ、その恩恵を最もドラスティックに受けたのが在庫の置き場と在庫の存在そのものにも莫大なコストがかかる重工業だった。


 だいたい、「ITの時代」というコトバそのものが胡散臭い。1990年代後半に於けるITの礼賛は異常者じみていた。「IT」を名乗るベンチャー企業には、業務内容や将来性への大した研究も調査もないまま、投資が集まる時代だった。「.com」を社名につけただけで株価が上がったという逸話さえある。これだけでもアホな話だが、この話が為された2001年当時はすでに、そんなテキトーな「ITバブル」はとっくに崩壊し、新興IT企業の倒産が相次ぐ真っ最中だった。こんな時代に、脳天気に「重工業なんかではなくITに就職しろ」のようなことをよく言えたものだ。


 確かに、ITとやらは商売の在り方や社会の在り方を変える新しいインフラだ。そうした新しいインフラが整備されるに従って、新しい分野の会社がある程度儲かるのも事実。新しく勃興した商売だからこそ人手を必要とし、求職難のこの時代に於いてわりと求人が多かったのも事実。私の大学時代の知人友人の少なからぬ人数が、現在「プログラマー」「SE」「ネットワーク技術者」などの肩書きを得て、あるいはIT企業の営業マンなど、ITに関する仕事でメシを食っている。起業した奴もいる。
 だけれども、だからと言ってIT関連とやら以外の会社が倒産したわけでも、求人をやめたわけでもない。IT関連の求人が多いと言っても、あくまで多々ある求人の中の一部分にすぎない。さらに言えば、学生個々人にとってIT企業とやらに就職するのが幸福なことか、適性に合ったことか、本当にその企業でキャリアを積めるのかどうかは、個々人の問題である。「ITの時代」だか何だか知らないが、人の就職先の選定に軽薄な意見をするな!


 ただの1年生の罪のない言動に対し、そんなに苛立つこともないと言われそうだ。だがムカツクのには理由がある。こいつが底なしの金持ちの家に生まれ、帝王学の一環と称して株なんぞやっているのにもかかわらず、日経やビジネス誌で1年も前から「ITバブル崩壊」とか「重厚長大型工業の脱皮」などと書き立てられていたことも認識せずに、脳天気なことしか言わなかったことだ。
 私は金持ちが好きだ。僻み根性ばかりで前進しない貧乏人よりも、いい環境の下で存分に才能を育ませる金持ちの方が好感が持てる。また、自分もそうありたいとも思っている。金持ちだから腹立たしいわけではない。何が腹立つかと言えば、優れた条件と優れた教育環境らしきものを豪語している奴が、この程度の能力と見識しか持っていないことだ。それとも、私のような凡俗の者がわからぬようなすばらしい含蓄ある一言だったのか。さすがに部でOB扱いの5年生が、1年生の新入部員に強く出るわけにはいかなかったんだが、ちょっと質問攻めにしてもよかったな。


04-08
寛容という非寛容

 「寛容」を自称する人や集団は、「話し合うこと」「腹を割ること」を尊ぶ。
 「話せ」というのはすなわち「許せ」ということである。
 「許す」という選択肢以外を許さないということである。

 こうした「寛容」な集団は、自らを称して「家族的」と呼ぶ。
 「家族的」とは、馴れ合いで物事を片づけるということである。
 そして契約社会や責任、義務といった概念とはほど遠い世界である。

 私が最も憎むもののひとつとして、「寛容」を標榜し、「寛容」たらんとして「非寛容」になる人間集団がある。


04-07
大学での苦労といえば

 大学2年のとき、青二才なのに部のすべてを任された。部を跳梁したクズ問題でも、私が総体の主体者としてクズと向き合うこと、そして主体者として許すことを要求された。要求され続けた。あたかも明治時代の農村のように、私が犠牲になり続け、すべてを支え、先輩幹部をフリーライドさせる構造の固定化が目論まれた。そのコースに従っていたら、私は7年ぐらいまで学部生をやっていたに違いない。


注・・・
 明治期の農村は、都市の景気がよいときに労働者を供給し、不況のときは労働者が帰郷して糊口を凌ぐ受け皿となり、社会の矛盾の終末点として帳尻を合わせる役割を強いられ、そこに固定化された。


04-06
「小悪魔的」と「気遣い」のアンビバレンツな自己認識

 私は**君の望むような反応しない。
 私ははっきりとものを言う。
 私は軟弱者が嫌い。


 まず**君は、自分自身が情緒不安定である。自我が不安定である。
 次に**君は、劣等と優越に強烈にこだわる。私に対してはなお強烈に。
 そして**君は怒りを持っている。何故か。私には信用があるが、**君にはない。実際には私の方がバカなことをして黙っていても、私の方が信用される。これへの怒り。


 だから**君は私を貶めようと必死だった。
 所得も知らんくせに「金持ちのぼっちゃんだ」と決めつけ、「完全主義だ」「空想的理想主義だ」、「机上の空論しか言わない」「何も知らない無知蒙昧な純粋培養された人間だ」「世俗的なことをしない」「そういうこと(世俗の悪徳)に堪えられない」「それゆえ弱い」などと一方的に決めつけられた。**君が言うような面も私には大なり小なりあるだろうが、事実とは異なる妄想を勝手に抱いて、そこを出発点としてさらにステレオタイプを広げられたものであった。あんまり妄想を持たれるのは迷惑。


 しかし**君は私に対して滅多に上記のような批判や非難を言わなった。私が間違っていたら言って欲しいし、問題があるのならば指摘して欲しい。不満も言って貰った方が嬉しい。しかし**君は「気遣い」と称してして何も言わない。言わないことで、「気遣いしている」とうぬぼれ優位性を確保する。
 だけれども、たまに**君はため込んでいるコトバが漏れる。所詮弱者。すぐに他者に唾棄する。せずにはいられない。そうしたときは、所詮底が見えているうすっぺらい内容だが、「私が心を痛めるであろうこと」を選んで口にする。そうしたところを**君は自ら小悪魔的と自称する。思い上がるな。お前ごときに私を動揺させられると思うのか。


 私は**君のこういうところが気にくわない。だけれども、もう相当長い年月腐れ縁を続けている。現在まで付き合っている人間としては、最古の部類に入るかもしれない。今まで**君を殺さず訣別もせずに付き会い続けてよかったということなのか。あるいはこれからまたトラブルがあって殺すか殺されるかするかもしれん。まあ切り捨てるべき人物かどうかの判断が付かないまま、今日に至っている。


04-05
昔から眠れないガキでした

 睡眠リズムを整えるのに長年苦労してきた。しかし大分コツがつかめてはきた
 強い光、運動、入浴、激しい思考といったストレス−負荷を神経にかけ、それを眠る2時間前から一切やめる。
 するとこの2時間の間に神経の緊張がとけてきて、2時間後にちょうど眠くなる。
 コーヒーも日中は浴びるように飲む。寝る2時間前とはいわないが、もっと前、概ね夕食どきを最後に飲まない。
 これも神経に過度の負荷をかけて疲れさせて、眠りやすくなる。


04-04
甘え

 理由があればそれでよい。
 だから問題があったり、何かを達成できなかったときに、その理由を察しろという態度をとる奴ってけっこういる。
 どんな迷惑や不利益があろうと、自己の理由の前には、すべてが許されると言わんばかりに。


04-03
アホにできる唯一の認識方法

 アホは目に見える結果と、目に見える経験でしか考えられない。
 危険なことをしないよう勧告すると、まだ何も起きていないから大丈夫だ、と。
 そういうことをすると危険だとか、もしものときには社会的に損害を受けるという勧告警告をしたとき。その危険行為をやって見せて、何も起きないことを示して「ほら、大丈夫だ。何も起きない」などと示すアホもいる。そんなall or nothingなわけがあるか。
 こういう奴が「危険社会」を作ったのだろう。

 「危険社会」・・・どこにいても見えにくい危険が潜在的に存在しうる社会のこと。例えば食い物の残留農薬や原子力施設の放射能など、危険とされるものに晒されたとしても、今すぐ何か起きるわけではない。具合がわるくなっても病気になっても、因果関係の特定が極めて困難。病気になっても何のせいだかわからないし、目の前の発電所や工場が害悪の原因だと確信はできない。だから人々は、ヤバそうなものがあっても安心して暮らす。けれども、実は数年数十年、あるいは何世代も経て深刻な問題を引き起こすかもしれない。こういう危険に満ちている、どこが安全かわからない、金持ちも貧乏人も、権力者も市民も、どこの誰でも危険に晒されうる。これが危険社会。


04-02
すぐさま会社が潰れでもしないかぎり理解できないのか

 会社の評判が悪くなるから、制服でいるときにダレない。その程度のことも理解できない奴のなんと多いことか。
 どこで誰が見て、あそこはダメだから使わない、道ばたで見た**社のはよさそうだから行ってみよう、という気になるとも知れない。これがまた、バカにはわからない。直接の因果関係が見えないことは理解できないし、可能性さえ考えられない。せいぜい名指しのクレームぐらいでしか「自分の行動がもたらす悪影響」はわからないのか。


04-01
タバコの火

 タバコの火に無頓着なのは我慢ならない。
 私の部屋に来ているとき、床に寝っ転がってタバコを吸うまではかまわんが、もっと火に気をつけろ。フローリングをいつ焦がすかと気が気ではない。合成樹脂のフローリングなんぞは一瞬で焦げる。
 しかし焦げないうちに注意しても、おそらくはうるさい奴だとして気分を害するだろう。しかし焦がしてからだと、心底ワビ入れられようともフローリング張り替え費用を払ってくれるわけではない。
 いつでも、攻撃側が有利。ただの事故の類でも、被害を受ける方が圧倒的に不利だ。そう考えると、タバコの火ひとつでも粗末にする奴は腹が立つ。


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