last up date 2003.12.21

08-10
あのころは、みんな合宿いくの怖がっていた

1998年の夏合宿で、
師範に開口一番に「申し訳ございません」と言ったのは誰だったか。
思い出せない。


08-09
電話とか

相手が興奮すると自分も興奮する。
これはプロではない。
反省すべき。


08-08
社会人だというだけの理由では、学生/学生サークルをバカにはできない

社会人も大学サークルとそうかわらない面がある。
催し物や会議のセッティング、物品の用意、配布の方法とか必要な能力・判断力はけっこう共通する。
そして学生サークルでうまく能動的にやってこれた奴は活躍できるし、社会人でも学生の平部員以下のクズは往々にしている。


08-07
トライリンガルが長々期目標ではあるが

トロイ遺跡のガイドブックより
シュリーマンは18カ国語を操る。
その語学学習方法は。

1 声に出して読むこと
2 訳さないこと
3 毎日勉強すること
4 毎日作文を書くこと
5 暗唱すること

予備校時代の英語学習は2・3・5だった。
ロシア語をやり直すのに当たっては1・2・5。
4は難しい。


08-06
物事を冷徹に見据えているわけではない。ただ楽な現状維持をしたいだけだろう

諦念観念はきわめて重要な発想なれど、最初からそれしか口にしない奴はクズだ。
特に組織に対して文句不満を言い(つまり改善を望み)、変える努力をするどころか、変えるためにはどうすべきか考えることもなく、しかるべき筋に働きかけることもせず、「仕方ない」の下に考えること動くことを拒否。そういう奴は生存そのものを諦めて死ぬべきだ。


08-05ЯБ
「矛盾している」。だからどうした

矛盾というコトバは死ぬほど嫌いである。
「矛盾」しているような気のする出来事は、現実にはよく混在しているものである。「矛盾している」と言ったところで眼前の現象を否定できるわけではあるまい。さらには、ちょっとしたイメージで勝手に物事を捉えて、イメージが+−同時に使われているから「矛盾している」と思う奴も往々にしている。「品行方正な異常者」というコトバを出したら、よく言われた。矛盾しているって。だからどうした。何かいったつもりになるのか、それとも私ないし私の言を否定したつもりになるのか。あと、「日本男児ならば洋モクだ」とか「日本経済のことを思うのならば中共製品を買え」とか、一見すると「矛盾」していそうな文言も実際はそうでもないかもしれない。少なくともここまで撞着を感じさせることを敢えて言うからには、何らかの意図があるはずだ。物事を「ムジュン」と判定すればあとは何も考えなくていいと思っている奴はバカだ。

 あと、「自動車化狙撃兵」というコトバを矛盾していると言われたときはどうしようかと。つまり、「車に乗っている歩兵」という発想を理解できないわけだ。マニアでも専門家でもなくても、兵隊が移動の時車に乗って、戦いの時に車から降りる、という程度のことなんで想像できんかね。


08-04
民法は近代社会の絶対条件

日本で民法意識(というか財産意識)が低いのは家庭(世帯)のせいか?
ガキの小遣いに所有権なし。
都合良く渡したカネを没収されたり、あまつさえ預金を流用されたり。


私がそういう目に遭ったことはないですよ、念のため。


08-03
過大評価も手放しの礼賛も戒めているが、大切ではある

感動にはナンの根拠もない。
だが人間にとってもっとも重要である。
感動は重要である。
だが、都合良くふりかざされやすい。
つまり、自分にとって不都合なこと、不愉快なことを非難するときに感情は掲げられる。
突き詰めればいかような価値判断も感情が根底にあるが、最初から最後まで感情にしか根拠がない主張はゴミである。しかも感情にしか根拠がない主張は、絶対の正統性がある、自分が正しい、相手は考えられないようなクズだ、という発想に結びつきやすい。自己批判の余地がなかったり。


08-02
装備のことか、人のことか

警官と軍人のどっちが強い?
などというアホな質問がしばしばなされる。
そして軍人の方が強いということが当たり前として扱われている
軍隊の方が強力な重火器を用いるが、軍人といっても内勤の経理や総務なんかやるのもいるし、警官といっても自動小銃なんかで高度に訓練したのもいる。比較なんて一概にできない。
ただ、警察官というのは一般論として、武力を行使する際に非常に多くの制約がある。だからこそ銃器や格闘なんかは非常に高度に訓練していたりする。同じような徒手空拳や小火器だけならば、一般歩兵と一般制服警官とでは、警官の方が練度が高いかも。
そして軍人というのは、戦闘従事者だけに限定しても、機械の保守点検にその能力を特化させがちである。つまりエンジニア集団と化しつつある。
あと制度的な違いを言えば、警察官は最低1人で判断して行動するが、軍人は部隊単位で判断し行動する。軍部隊の方が組織的に戦える。


08-01
そんな妄想を一瞬でもしてしまった自分への、自己批判も込められている

組織・集団に於ける、ヒエラルキーによる集団暴力もまた、抑圧移譲である。
何かの組織・集団の新人は、翌年新人が入ったら、今自分がやられている以上にきつく指導してやろうと妄想することがしばしばある。しかもその想像に於いては、自分が今できていることを新人ができないという前提に立って為されている。こうした想像は、自分が何も出来ないこと、何も出来ていないとされていることなどの抑圧に対して、自己の尊厳を保つために為される。
 実際に翌年後輩が入ったときに、よく過度のしごきや些細なことに対して強烈すぎる指導、あるいは単純に暴力的に振る舞うことがあるが、その心理はまさに抑圧移譲そのものである。後輩が劣っている、何も出来ない、間違っている、誤っている・・・後輩をこのように見なし、自己の優越を強く確認するためのその行動は、必ずしも自分が不当な暴力を振るっているとの自覚がなく、適切な指導とさえも思っている場合があるからタチがわるい。 


戻る