last up date 2003.12.21

09-10
中身がない待遇に囚われるな。

 新人に対して破格の歓待をしてくれ、しばしば高価な酒やメシに誘ってくれたとしても、そんなことでどうこう思う必要はない。というか、むしろ何も思うな。形はともあれ、心の中では恩に着る必要はない。例え一夜高価なメシや酒をあてがわれても、それがただの後輩や部下をかわいがりたいという温情であれ、出世してから使えるとかバックボーンを利用したいとかいう計算であれ、メシや酒やくだらん付き合いは直接的な利益にならない。役に立たない奴、有害な奴にムダに親近感や恩義を覚えるな。飲んだだけで腹割ったと思うな。むしろ腹は一切割るな。情報を見せるな。
 酒を飲み、相手が親切にし、「本音」とやらを吐露したところで、こちらが腹を割る必要はまったくない。上司や会社への合理的批判であれ罵詈雑言であれ、企画やプロジェクトへの疑問であれ、もっと重要な情報であれ、安易に漏らすと極めて高い蓋然性で不利益を被る。

 また、こういう厚遇はただのごまかしである場合も往々にしてある。多大な仕事の不均衡や功績、自己犠牲に対し、よくやったとして飲ませているなんてのは、ありがたく思うな。結局、組織の理不尽、不自然、破綻点を自分があらゆる犠牲でもって支えている状態をそのまま維持しろ、と言っているのに他ならない。改善しようという意思のカケラもない。さらに言えば、評価してくれているとも限らない。油断するな。気を許すな。満足するな。


09-09
小判≒3万円?

 江戸時代前期に於ける小判一両は現在の価値で約3万円と算定したらどういう反応を受けるだろうか。これは米の値段から算出したもの。小判という古文化財の現代に於ける価値ではなく、当時の人間にとって一両とは、現代の人間にとってのどれぐらいの現金に相当するか、感覚的に示すもの。参考程度に過ぎないが。
 しかし3万円というと、「小判ったらもっと大金だろう」と必ず言われる。繰り返すが古美術品・文化財としての小判の現在の価値ではない。さらに。当時は生産力が貧弱で貧富の差も激しかった。それを考えると3万円(分の米を買えるカネ)は庶民にとっては大金である。しかし何年も遊んで暮らせるほどの大金ではない。現在では赤貧というものを想像しにくいが、文字通りの日銭を稼いでやっとその日糊口をしのいでいる人にとって、3万円というまとまったカネは大金だ。手にすることさえまずなかろう。そういう感じだ。
 さらに言えば、当時は金(Au)の価値は今ほど高くなかった。


09-08
バカのひとつ覚え

 バカは学識経験者なんかを「現実とかけはなれたことをしている」「勉強のしすぎで人格に問題がある」などと当たり前のようにバカ呼ばわりする。だが、自分が一冊本を読んだり、雑誌やテレビで気の利いたことを聞いたら、それを真実と思いこむ。例えば「政府による銀行救済はよくない」と聞いたら、それを信奉しきり、それを支持する政府閣僚や銀行役員を「なんか癒着関係があるんだろう」程度でしか考えない。
 どんな意見を持つのも勝手だが因果関係について考えが及ばない。信仰である。おめでたい世界認識。


09-07
行為そのものが面白いかどうかは問題ではない

 すげー偏見というか、極めて限定された経験からものを言うが、麻雀と釣りの共通項は、それを好む人間が往々にして「強要」することにある。「おもしろさ」をわからせる、という。だから嫌い。

 さらに、マージャンの罪は、排他性と4人という固定枠にある。
 だから部室では決してやらせなかった。
 賭け事だからいけないのではない。


09-06
すべてがダメなわけではない

 道路関係の公団は、いわゆる特殊法人として非難されがちである。
 まあ、非難されるべき点については触れないが、それだけでその仕事を否定してはならない。役人が天下りして、やることもなくて、営業とかしなくてもカネがころがりこんでくる楽な仕事だろ、なーんと思われているのではなかろうか。だが、その現場は、大衆が想像するほど甘い職場ではない。
 例えば、路面の監視業務。高速道路の路面状態を常にチェックし、道路上の異物があれば、現場に駆けつけて、直ちにそれを取り除く仕事だ。その方法は、もちろん人の手による。路肩から一瞬の隙をついて本線に出て、すぐさま異物を拾い、ただちに離脱。命がけである。場所にもよるが、平均100〜120km/hの車が走る中行われる作業は、想像を絶する危険がある。複数人数で絶えず後方警戒を行って、わずかな車の切れ目を見て本線に出るが、スカイラインGT-Rやスープラ、アリストなんかが、突然凄まじい速度で現れるかも知れない。また、大型トラックやバスが通り過ぎると、一瞬気圧が下がり、本線に作業員が吸い寄せられる。そして道路上の異物なるものは、空き缶や弁当殻などかわいいもの。道路上に飛び出した動物の死体、トラック積載の各種資材、ガラス片、タイヤなど、さまざまだ。重量物も、触ることさえ危険なものもある。それでも、一瞬で確実にそれらを保持し、本線から離脱しなければならない。

 いくら危険な職場とは言え、仕事である。過酷さは売り物にはならない。月にどれだけ契約とるかとらないかいうノルマ営業の苦しみはないし、各種の要求を聞きながらコストを抑えて製品開発するような悩みもない。だが、公団の職員の誰もが、9時に出てきてタバコでもやって、簡単な書類整理でもして5時に帰っているわけではない。ときには殉職者が出ることもある仕事である。ま、公団の在り方に批判すべき点があるのならば、批判は大いに結構。だが、こうした実態を見ないで、自分が期待するようなイメージにもとづいて「実態」を決めつけて、自分の妄想を根拠に批判するのはいかがなものか。

 ちなみに、公団のこうした「作業員」には元警察官も多少居るが、それを聞いて「天下りか」などと言うようではバカである。語義というものを踏まて認識すべし。 


09-05
「望郷戦士」で出てきた

「時限地雷を使用するにあたって」
という一文を露訳すべし
昔からしようと思っているが、どういう前置詞と格を使うか難しい。


09-04
ロシア緊急事態省の位置づけと役割を調べるべし

簡単な政治制度や省庁編成についてさえ、書籍が乏しい


09-03
理由があればいいのか。理由があって行動した人間を批判してはならんのか

 何件も殺人事件を起こした某宗教団体を私が批判したときの、高校時代の担任の言。
「不幸な人生で何やってもうまくいかず、スタート地点からして不平等がある人が、この**教ならば救ってくれる、教祖のいうとおりにすれば救われる、自分の人生の意味や目的を見出せるとして盲信したからといってもお前にそれを非難することができるのか」
とのこと。
 非難できます。バカにもできます。
 いかなる不幸な境遇だろうと、どんなすばらしい意味を見出そうと、あたかもそれしか選択肢がないかのように思えても、人に騙されていようと(「騙す」という発想はここでは使いたくないが)、そのために人を殺すような人間は非難してしかるべきである。不幸であり、不幸であるが故に他者に操縦されていた奴に対しては、悪行を犯しても非難してはならぬとでも?
 
 つーか、殺さなければ自分が(第三者に)殺されるような極限状態でも、その結果人を殺せば殺人である。法的にも倫理的にも。情状は酌量されても違法性は阻却されない。倫理というのはいまひとつよくわからんが、少なくとも殺される側、殺される側の肉親友人なんかは極限状態だからといって、自らの意志で「殺されること」ではなく「殺すこと」を選んだ人間を、許しはすまい。


 というか、「お前は、**教のシンパだろう」と言われて、「なんであんな異常者の集団を好まねばならんのですか!」と言い返しただけなんですが。


09-02Б
私はフェミニストではないが、不当な差別・蔑視は快くない

大学時代にクズが言った。
サークル紹介のパンフの文案を出し合っているとき、「女に見せても『あー難しいこと書いてある』でおわるぞ」とか。
バカにしすぎ。
というか、男だろうと女だろうと、「あー、難しいこと書いてある」などと思うようなバカは入れたくない。


09-01
技術と発想とは別物

便宜上all or nothing の二元論は振りかざす。
だが、本気で「かりそめの〜」と「真の〜」という区分が厳然と存在すると思っている奴はアホだ。
「それはニセの友情だ、真の友情たるものは・・・」などと神学論争をぶつのは勝手だが、相手にしたくはない。


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