last up date 2003.12.21

11-10
当然の因果関係なんだが・・・。

 今まさに落ち込んでいる人間は、端から見ればみっともない。例えいかなる不幸がその身に降りかかっていようと、他人の痛みは共有できない。想像にも限界があるし、想像の努力をしようという気にもあまりならない。だからこそ私は、自分が世界で最も不幸だと言わんばかりの奴や、自分の「不幸」の原因が自分を取り巻くすべてと言わんばかりに当たり散らす奴を、軽蔑し、嘲笑してきた。
 だが、みっともなくするかどうかは別問題として、人間たまには落ち込むこともある。そうした様について私は、上記のようにわめき散らす輩以外は、軽蔑はしない。人間はわめき散らさなくても、行動言動に覇気がなくなったり、妙に無理が出たり、あるいは心情を吐露したりすることもしばしばある。身の回りの人間にそういう様子を見出すと、A氏はいつでも笑った。嘲笑し、冗談のネタとし、本人に対しても挑発的なネタを執拗に繰り返した。
 さて、A氏があらゆることに動じず、たとえ落胆することがあっても微塵も他者にその様子を見せることのない強靱な精神の持ち主であったのならば、人から好かれないまでも一定の尊敬をされたかもしれない。だがA氏は、それほど強靱な人間ではない。人並みの耐性の持ち主である。そしてある時、彼は精神的に不安定状態に陥った。


 親兄弟一族郎党が虐殺されたとか、事故で大きな障害を負ったとか、突然巨額の負債が発生したとかいうのではない。日常のよくある問題で、A氏は落胆した。本人にとっては重大問題だが、他人にとってはどうでもいい類のことだ。当人が落胆するのは当人の勝手。本人にしか、ことの重大さはわからない。私はA氏のようにA氏を嘲笑することはしなかった。しかしA氏は、私に激励や弁護、擁護といったものを要求した。私はしなかった。嘲笑はしないが、擁護するべき問題でもなかった。はっきりいってA氏自身の悪徳によってもたらされた問題であり、私自身がA氏の行動によって多大なる迷惑を受けていたためだ。  
 だが、私の態度にA氏は激高した。曰く、当然自分の味方をしてくれるものと思った。激励が欲しかった。今まで自分を持ち上げてきて、いきなりこれか。裏切りだ。利用された。晴天を信じてきた自分はいったい何だったのか、と。
 随分と都合がいい人だ。自分が今まで他者を貶め、嘲笑し、私に対しても挑発的な言動を好んで行い、しかも私が顔をしかめているのに気づいていながらむしろ執拗に攻撃的な言動を行い、それでいて自分に対してだけはやさしくしろと?


 かつて、A氏に「やさしさが足りない」と勧告した人がいたが、それに対してA氏は「ふざけるな、何がやさしさだ」と跳ね返した。私は「『やさしく』する価値がない人間に対して、そうする必要はない」と言った。A氏も同意した。私はA氏に覚悟があると思っていた。つまり、自分が悪辣な言動をして愉悦を得て優越感を満たしているのは、他者からも悪意を受ける覚悟があってやっているのだと。『やさしく』する価値がない人間、善意という利益を返してくることを期待しない人間に対して、悪辣な言を行っているのだと。
 だが、A氏はそんな覚悟のひとつもなかった。当然の帰結として人々から疎まれるようになると、人々を憎んだ。そしてA氏は私に対しても挑発的な言動をするようになったが、私は好意的に、アホだからこういうことを言っている、言うに事欠いてくだらんネタを言っていると解釈した。しかしA氏は、私に対して悪意でもって恣意的に嫌がらせをしていた(本人が明言している)。思い通りに全面的な味方をしてくれない私に対する、報復だったのだ。


 多少なりとも私や他の人間に対して、A氏はそれなりの利益を提供し、そのために犠牲を払っていた。だからこそ、自分に対して周りの人間は『やさしく』してくれるはず。そのことが、A氏が悪辣な言動を他者にしても、自分には善意を返してくれると期待する根拠であった。だが、恩で仇は相殺できない。99の恩よりも、1の仇の方が強いのだ。しかもA氏の場合は、仇が大きすぎる。
 ただ口で無神経な言動をしたり嘲笑するだけの行為は、大したことではないと思うかもしれない。が、その影響は決して小さくはない。今まさに生存を賭けて殺し合っているわけでも、限られたカネや利権を争っているわけでもない日常では、悪辣なコトバや態度は極めて大きな意味を帯びる。誰にどう言われた何をされたという内容そのものはさして重要ではない。愚かなことをされた経験から相手の「人格」を導き出して、その「人格」そのものを憎むようになってはじめて、決定的な憎悪が生まれる。A氏はそれを甘く見ていた。まあ、A氏の方でも、自分だけが傷つき自分だけが裏切られたとして、他の人間達の「人格」を想起して憎んでいることであろう。


 そしてA氏は今日もまた、他者のいちばん弱い姿を選んで、物笑いの種にしている。


11-09
プーチン政権強化

 2003.12.07投票が行われたロシア下院選挙で、与党「統一ロシア」が躍進。選挙前の「統一ロシア」議席数は1/3程度。他の与党と連合を組んでいた。だが、今回の選挙で「統一ロシア」は単独で半数近くに達し、極右勢力(自由民主党)をも取り込んで、与党勢力全体で2/3を超えた。2/3議席とは、憲法改正が可能になる数である。
 プーチンの支持率は70%にも達し、4年の任期の成果は国民によって強く肯定されている。このプーチン人気に自民党を含めた与党勢力は便乗したとも言える。プーチンを支持するという条件に於いて、与党勢力は結集した。


 一方で、貧困層・年金生活者の支持を得ていた共産党は惨敗。これらの人々は共産党を見限り、プーチンに期待をかけはじめたと言える。その一方で、極右自民党が議席数を伸ばしているのは、共産党支持層の票が自民党にシフトしたためと見られている。危険な兆候と言える。まあロシアでジリノフスキーなんぞは冗談のタネでしかないのだが。


 さて、プーチンのここ4年間の任期が評価されたと書いたが、どのような点が評価されたか。
・好調な経済
 石油価格の高騰に支えられている面が強いのだが、それでもGDPはここ4年間で大きく伸びている。ごく一部の富裕層に富が集まっていたが、ここ4年間で中産階層も増えたとされる。
・社会の安定化
 エリツィンは議会とことごとく対立して政策に一貫性がなかったが、プーチンはコンセンサスをとって、一貫性ある政策をとった。 


 一方で、この選挙戦でプーチンの負の部分も見られた。プーチンはcoolでスマートな悪党であることを忘れてはならない(悪党だからどうというつもりはない)。小ブッシュなんぞ問題にならないの一流の悪党だ。で、選挙戦で見られたのは、
・マスコミ支配
 旧社会主義国の選挙を監視しているOSCE(欧州安全保障・協力機構)は、極度に偏向された報道と批判。
・野党弾圧
 石油財閥のホドルコフスキー氏を逮捕。脱税や横領の容疑だが、共産党へ資金援助をし、自身も2004年の大統領選に出馬すると見られていた。これを潰した。


 プーチンは旧エリツィン派と主にKGB出身者からなるペテルブルグ派の2つの基盤からなるが、この選挙戦でペテルブルグ派、なかんずくKGB出身者がマスコミ操作や野党弾悪に暗躍し、内部ではエリツィン派を駆逐する権力闘争を展開していると見られている。


 いずれにせよ、プーチン政権がこの選挙で強化されたことは疑いなく、憲法を改正して大統領3選禁止条項の変更をすることも考えられる。西欧・米国は懸念を表明しているが、ロシア国内では一部のインテリを除いた圧倒的な国民が強い指導者を求め、プーチン体制強化を歓迎しているらしい。

ロシア連邦憲法
第4章 第81条 第3項
 同一の人物が、二期を超えて続けてロシア連邦大統領に就くことはできない。

三省堂 2001年「解説世界憲法集第4版」より


11-08
底辺と比べるな。そして一部を全体と錯誤するな

 一般論として、日本の大学がレベル低い。IMDだろうと国連だろうと、あらゆる機関の調査で、日本の大学教育のレベルは芳しくない結果が出ている。別にアメリカやイギリス、ドイツといった、日本人が憧れ、一目置く国だけではない。多くの日本人が、国名を聞いただけで貧乏で小汚く、文化的に遅れた国だろうと鼻先で笑いそうな国々にも負けているのだ。具体的な国名は出さないが。
 かくいう私も、大学出てもろくにコトバもできず、学部時代の読書量も屁みたいなもので、社会に対してちょっとした気の利いたことのひとつも言えない、分析の技法も習得していない、ディベートの技術もつたない、愚か者の1人だ。私よりも馬鹿な学士もまたいくらでもいるが、そんなことは問題ではない。学士たる資格さえないクズだという程度の自己認識ぐらい持っている。

 でもって、上記の、日本の学生はアホだというようなことを言うと、しばしば言い返される文句がある。
「アメリカ(あるいは別の国)の学生だってアホですよ」
と。どこの国にも落ち零れはいる。どこの国にも秀才天才はいる。そんなことは当たり前だ。そんなことを言っているのではない。ではどのようにアホかと聞いたみたら、アメリカの学生はヤクやって、セックスパーティー開いて、音楽に車に娯楽にうつつを抜かしている、と言う。アホか。それは最底辺の学生だ。日本の大学にだって、麻薬の密売グループがいたり、私も母校で月に100万稼ぐ極道学生や極道の使いっ走りに会ったりもしたけど、それは一部だ。
 まあもちろん私も、「アメリカもアホだ」と言ってくる人も、自分の知っている些細なミクロからマクロを導き出しているに過ぎない。だが私は統計や研究報告を重視する。どうもそうした調査資料を見ていると、垂直軸を質、水平軸を比率で表すと、日本の学生の質は球根みたいな図になる。優れた人間も若干存在するし、最底辺も少ないが、全体としては下部に集まっている。それに対して、アメリカや西欧の学生は、砂時計のような形になる。上位も下位も、多い。底辺はどこまでも酷いし、その数も多い。しかし上層部の数も日本とは比べものにならない厚い層を成している。


 何をもって優秀とするか。具体的にはどんな資料からこの結論を導き出したか。それにはここでは触れないが、少なくとも「どこの国でも学生なんか遊びほうけてアホだから、自分もこれでいいんだ」のような安易な姿勢でいてはいかんということだ。そういう奴は、いずれ労働市場から零れることであろう。


11-07
機会費用という概念を知らんのか

 同じ地球上に生きている限り、誰であろうと1日は24時間。1日の間に出来ることなどたかが知れている。時間が有限であり、もちろん労力やカネといった資本もまた有限である以上、我々は常に何をするのか、しなければならないのか優先順位をつけて選択して行動しなければならない。といってもそれは大したことではなくて、「寝たいから、遊ばないで寝る」とか「深夜番組を観たいから寝ないでテレビをみる」とかその程度のことでも、常に選択がつきまとっている。


 有限な時間と資本をどう配分し、どういう選択をするのかは個々人の問題だ。が、私が辟易するのは他者に巨大な選択を求められることだ。いわく、この本は面白いから「全巻読め」「熟読して研究しろ」、このゲームは面白いから「やり込め」、このアニメは萌えるから「全話通して観ろ」、はてはなんたらというインターネットサイトが秀逸だから「毎日チェックしろ」・・・と。


 不可能ですって。機会費用という概念をしらんのか。そりゃ、読めば面白い、観れば面白いに決まっている。だが、そうそう読む観るプレイするというコストを払っちゃいられませんぜ。時間が湯水のようにあるような錯覚を覚える高校・大学時代ならばまだしも、今はかなり厳格に時間を管理して物事を行っている(睡眠も娯楽も家事雑事も、もっと重要なことも)。私にそれらを崩し、自分に課しているあるいは課されているノルマの達成を不可能にするようなコストを払ってまで、快楽を享受せよというのですかい。


 まあ友人の間でのくだらんやりとりなんかはどうでもいいんだけれども、仕事に於いて上司先輩に、業務にまったく関係のない生活スタイルや娯楽について、機会費用を支払えと事実上強要されるのは腹が立つね。それによって、私の人生のグランドデザインのための作業や日々の掃除洗濯、健康管理といった行動が損なわれるのはもちろん腹が立つし困る。重大な病気で医者に通うといった生存のための行動でさえ、あまりにもくだらん一銭にもならない理由で平然と妨害される。しかし何よりも業務達成のための努力と業務遂行のための学習まで阻害するという逆説を平然と強制するようなドン百姓が、もし日本の他の経済共同体にも跳梁しているのだとしたら、やはり日本経済のますますの凋落は必至であろう。


 同質性を第一義にし、同質性によって団結して業績を伸ばすなどというのはオカルト的思想だ。少なくとも、業務とそれをとりまく社会的環境が高度に複雑化している中では、個々人が常に自己研鑽と業務努力をするのが肝要であり、さらに言えば個々人の生活様式も多様化複雑化しているのを同質化させようなどというのはナンセンス。そこまで機会費用を払えません。というか会社にとってなんにも益にならんでしょ。
 機会費用をすべて他の成員と同じ行為(享楽)に投資して、それで一生食っていけるというのならばともかく、他と同じことをしていたら確実に堕落するのは目に見えている。護送船団で守られていた業界だろうと今や外資が次々と参入し、法的制度的な優遇もなくなりつつある中、ただ昨日安楽にやってこられたから今日もテキトーに仕事してビール飲んでいかがわしい店回ればそれでいい、というわけはない。機会費用をもっと生産的なことに使わず何もしなければ、仕事そのものがなくなるは必至。


 会社の利益のために個人的な機会費用をもっと払えというのは容易に理解できるが、自分(上司や先輩)の同じ生活スタイルと娯楽に余暇の全機会費用を支払えというのは理解できない。しかもそれが、おそらくは悪意ではなく、善意からなるというのはますます不可解。多分彼らにとっては、会社の外で自分と同じではない生活を送るということは、「観るでもなくテレビをザッピングして、寝っ転がっている」というような空虚で哀れな生活としか認識できないのであろう。異質に向き合う唯一の方法論が、自分の楽しみを享受しない奴は不幸に決まっていて、自分と同じように楽しめば幸福である、という同質化至上主義しかないとは。   


11-06
都市では誰も気にしない、空気のような出来事について、敢えて

 今日の帰り電車に乗っていると、ある駅でいきなりただならぬ人物が乗ってきた。大声で「ふざけるなこの野郎!」とか怒鳴りながら電車に乗り込んできたわけなのだが、最初なんかのトラブルかと思った。しかし誰かが絡まれているようにも見えない。声の主の方へ目をやる。尋常じゃない人間とは目を合わせないのが鉄則だが、脅威の確認はする。そういうときは腰から下を見る。どこへ歩いていくのかぐらいはわかる。これだけで十分だ。そしてまあ、今回もただならぬ気配の床当たりに目をやったら、明らかに異常な歩き方をする、小汚い足が見えた。そしてその足はやっと支えていた体重に堪えかねるように座席前に止まり、私の2つ横に座った。はあ、なるほど。
 顔は見ていないが、貧相な四肢の小男だった。しかも明らかに足か中枢神経に問題がある。はっきり言って、大した脅威ではない。殴れば勝てそうな気はするがそういうことではなくて、なんかあったらちょっと走れば回避できそうな危険だ。こんなよくわからん奴を殴り倒してもいいことなどひとつもない。軽く押しただけで大けがでもさせてしまいそうだ。だからこそ、車両の何の乗客は、ほとんど別の車両に移らなかった。本当にヤバそうな奴が乗りこんできて暴れたら、近辺からもっといなくなるものだ。


 で、私の1メートル左で、件の男はどことも知れぬ場所の誰とも知れぬ存在に大して、怒鳴り続けていた。
 曰く、
「オレはやくざだ。やくざナメるんじゃねーぞこの野郎!」
「病気だと思ってバカにしやがって・・・」
「東京には怖いところ一杯あるんだぞ、歌舞伎町とかよう」
「東京の人間は冷てえんだ・・・お前ら殴られたって誰も助けてくれたりしねえんだ」
「みんなフツーの顔しやがって、オレが暴力振るったらみんな変わるんだ」


 そんなやくざがいるか。自分を「やくざ」と主張して、「カブキチョー」とかちょっとタブロイドで読んだような単語並べれば、ビビると思ってるんか。「やくざ」というが、どこの誰のところの人ですか。だいたい今時暴力団員だと名乗ること自体が許されないんだ。ましてや上納金に苦心する末端に、こんな生産力のカケラも脅威的な外見もないような人間がいられるわけはない。私のゼミの先輩に前科のある元極道がいらっしゃったが、かの先輩が見たら吹きだしていたことであろう。
 そして「オレはやくざ」と称して自分を他者への脅威であるかのように語り、「カブキチョー」とか怖そうな、自分がやくざであることの証左であるかのような単語を並べ、「オレが暴力をふるう」「誰も助けない」などと乗客に牙を剥くようなことを言って、ビビらせようとしているのだろう。なんという惨めな抑圧移譲か。


 多分彼は、駅や電車あるいは街角で、病気(歩行困難なことか、あるいは精神の問題かは知らないが)を誹られ、嘲笑されたことがあるのだろう。それに対して、誰も自分を擁護してくれなかった。自分で発言者を叩きのめすこともできない。彼が怒って怒鳴りつけても、向かっていっても、障害者をバカにして楽しむような奴は、笑いながら少し後ずさるだけだろう。もしかしたら、誰かに殴られたこともあるのかもしれない。
 この抑圧に対して、彼は心の中や家の中だけで解消する術を知らない。抑圧を移譲せずにはいられない。だから自分を「やくざ」と称して、「カブキチョー」云々という単語で補強して、大声(多分彼が出来る唯一の威嚇方法だ)でわめきちらして「自分が他者にとって脅威だ」と、確認せずにはいられない。自分の行動によって、他者がビビることによってのみ、彼は自分の尊厳を確保できる。かつて自分がされたように他者を脅し、そして「誰も助けてくれない」などと自分の体験を他者に当てはめることによって、自分が最底辺ではなく、自分よりも弱い人間がいると確認できる。自分が迫害されたが何も反撃できなかったという過去を改竄するかのように、自分を迫害者の立場に立たせたいわけだ。


 しかしはっきり言って、誰もビビらない。ダメな人がわめき散らすなど、東京ではそれこそよくあることだ。せいぜい目を合わせないようにするぐらいで、他の乗客達は何事もないように電車に揺られている。だからこそ彼はさらに「オレはやくざだ」「お前ら殺してやる」を連発して乗客に圧力(彼にとってはそのつもり)をかけ続け、「平然としているがオレが暴力ふるえば表情がどうなる」などと出来もしない、しもしないことのシミュレートを言い聞かせる・・・。
 決して満たされないだろうねえ、彼の自尊心は。いや、勝手に想像してみただけで、彼の心のうちなんぞ知りもしないのだが。


11-05
辞書と文法書とが、なぜ蔑まれるか

 コトバをできない奴に限って、辞書引くこと、文法書を調ることを蔑視する。曰く、そんなのは「本当の勉強」ではない。無味乾燥で無意味だ。受験にしか役に立たない重箱を突いたような行為だ云々。では、どういった行為を「本当の勉強」とやらと称するのか?それはようするに、海外でネイティブと渡り合って、体当たりで言語の感覚と知識を身につけることでしょうな。そういう経験でもって、辞書なんか使わないで、あるいは薄っぺらい辞書一冊使ってフィーリングで速読し、思いついたままにしゃべったり書いたりするのをcoolだと思うんでしょうなあ。
 もちろん感覚で聞いたり読んだり、話したり書いたりするのは重要だ。だが、所詮非ネイティブは数年やそこいらではなかなかネイティブレベルには達することが出来ない。仕事として翻訳をするときは、分厚い辞書や文法書を何冊も駆使して、徹底的に調べる。簡単に流してしまいそうな単語ほど、気になったら念入りに。耳で聞いたり話したりして、気になったりわからないことがあったら、後で辞書・文法書で確認する。これは非ネイティブな言語で仕事や研究に携わろうというときには不可欠な作業だ。第一、日本語ネイティブな日本人だって、何か気になったら国語事典や広辞苑ぐらい引くでしょう。ネイティブでさえわからないコトバぐらいいくらでもある。意味合いをハッキリさせられない言い回しにだって出くわす。まして10年や20年外国に住んだって、わからないことなどいくらでも出てくるでしょうに。なんでまた、辞書や文法書といった本を開くことをバカにするかね。

 その理由としては、
1,フィーリングで言語を操り解釈するのは「能力」と見なされるが、辞書・文法書を引くのは「能力」と見なされない。誰かが書いた既製品を、糊とハサミで持ち出したような印象しか受けないんでしょうな。しかしフィーリングも、地道な検証も、どちらも「能力」であり、しかも外国語を扱うのには不可欠な能力ですよ。

2,自分が、辞書や文法書を引くのが面倒。中学高校で、誰しも英和辞典ぐらいは使ったことがあるでしょう。ハッキリ言って、辞書を引くのは重労働だ。慣れないうちはなおさら苦痛だ。無味乾燥な、どうでもいい作業に思えてくる。だから、他人がやるそうした作業もまた、無味乾燥なくだらない作業としか思えないのであろう。

3,外国語を習得する方法として、外国に行ってネイティブと渡り合う以外の方法を思いつかない。これは妄想である。外国に何年か住んだところで、その言語で仕事(スポーツや単純作業除く)もろくに出来ないレベルに留まる人間などいくらでもいる。体当たりだけで、フィーリングだけを鍛えた人間の末路である。地道に体系的な勉強をしなければ、こうなる。もうろん、フィーリングは大切だが、地道に文法体系を叩き、コトバの意味を徹底的に叩く作業を怠っていいというわけではない。こんなall or nothingなわけないでしょ。

4,学校批判や受験批判と安易にリンクさせる。外語学習に際して、誰も中学高校で習ったようにやれとも、大学受験の勉強をしろと言っているわけでもない。「体当たり」でなくて本を使うと聞けば、「あのクソつまらない受験勉強か」と即座に思う、それしか思えない人間は往々にして存在するものだ。誰も受験の話などしていないのに。
 ただ、私は受験勉強や中学高校の勉強を役に立たないと言うつもりもない。やり方によっては、読みぐらいは相当鍛えられるはずなのだが・・・。


 とにかく、コトバを覚えるのに楽な道はない。英語のCDをなんとなーく流していたって、留学してハンバーガー注文してバスに乗ったって、楽をしている限りはコトバなんかは身に付かない。なんとなく聞いているだけでコトバがうまくなるのならば、映画字幕が発達し、英語音楽が流行っているこの日本で生活している人間は、みんなすげーできるようになっているに決まっている。ちょっと留学めいたことした人間が、もう英語で仕事できるようになっているに決まっている。けど、そんな人間はごく少数である。努力していないからだ。方法も研鑽していないからだ。
 などと言っている私も、まだまだ何も出来ないようなものなのだが。精進あるのみ。


11-04
顎関節症

 とある人物が、顎に問題を発生させた。
 すると、年輩の人間は誰もが言った。
「今時の若いのは、顎を鍛えていないから」
「まったく根性がない」
「今の子は、固いモノ食べないから」
 すべてそんなことで決まるのですか。んなアホな。
 これはそんな簡単な症状ではない。少なくないんだけれどもね、こういう人。

 病気になったら人格に問題がある、あるいは、何かの行為/努力が足りないとしか思えないのはオカルト的発想。
 バカにとっての唯一の認識方法。


11-03
怒られるか否か

 私が失敗をして落胆したり、出来ないことを悔しがったり、失敗しないよう神経質になったりしていると、同期によく言われた。彼らは私が単に「殴られることを恐れている」「怒られることがイヤ」だから落胆したり、神経質になったり、焦ったりしているという前提の下に激励や罵倒をしてきた。例外は1つも存在しない。アホか。
 「怒られるか否か」「殴られるか否か」というくだらない二元論でしか考えられないのか。仕事は出来るようになりたいし、認められたい。そんなことも考えられないのか。甘っちょろい学校(学校が甘いのではなく、甘い学校の話)の授業みたいに、嵐や面倒事はただ堪えて過ぎ去るのを待てばそれでいいと思っているのか。なんの生産性もない。  


11-02
この社会で生きていると、モノの道理よりも、立場と面子が重要だという声をしばしば聞かされる

 先日もそうだった。とあるイベントを行うための準備で、1人が犯罪的なことを言い出した。物品を某所から無断で拝借して返そうとのこと。犯罪である。こんなこと出来ないし、させられない。私が黙認すれば、それは教唆したことになる。組織の看板背負って、そんなせこい真似などできない。返すつもりがあろうと無かろうと、屁みたいな物品だろうと、誰も使っていなかろうと、犯罪である。私が近所に住んでいて、そんなことが行われていたら間違いなく通報する。だから議長として私は、その案に強硬に反対して、完全否定した。
 だが、ここにおいては、「合法性」「社会的リスク」よりも、相手の意見を私が畳みかけて完全否定したことが問題とされた。せっかく言ってくれた意見だから、面子をたてるために犯罪を認めろと?私の言い方が気に食わないから、犯罪を認めろと?私は、ダメな理由、社会的リスク、世間的体裁、そしてオルタナティブまで提示して、強硬に「拝借案」を主張する御仁に畳みかけた。畳みかける意外の方法は思いつかなかった。やんわりと却下する技術があればよかったのだが、面子を立て、場を荒立てないようにしてナアナアになるよりは、畳みかけた方がマシだ。
 まあ私も、「道理」を主張すればそれで通るわけではないとはわかってはいる。人間は、例え相手が的確だとわかっていても、簡単に自分の案を引っ込められない。面と向かって反対されたのならばなおさらだ。相手に正当性を見出したら、ますます腹が立つ。本当のことを言われたら、人間よけい腹が立つものだ。そういうくだらんことに気をつかわねば物事は通らないが、そういう面子や持ち上げる/貶めるにこだわってばかりもいられない。最終目標に落とすために、もっと大がかりな戦略をぶたねばならん。


 もっとひどい事例もある。間違った事実を述べているから否定したところ、「オレは**年生きてきて、**年間考えてきた。お前はそれを否定するのか」と言ってきたバカがいた。私よりも20以上年上の人間の言とは思えない。思想信条や価値観に関わる話ではない。客観的事実は1つしかない。解釈論争や情報源の信憑性といったレベルの話でさえない。まったく事実にない事柄を、自分のイメージとステレオタイプによって想像し、あたかもそれを事実のようにして話そうとしたのだ。それも、1つや2つのことではない。しかもそれは私や私と親しい人間の過去の行動についての話だ。勝手なイメージで、メチャクチャなまったく事実にないことを事実であるかのように言われたら、自分と友の名誉のために、否定し闘うのは当然だろう。結果として、彼は何かを言おうとするたびにほとんど私に否定され、1度も同意を得ることはできなかった。
 そのときに、「オレは**年生きてきて、**年間考えてきた。お前はそれを否定するのか」って・・・。誰もあなたそのものも、あなたの思想哲学も否定してはいません。ただ、事実と反することを事実として述べるので、すべて指摘しただけですって。それとも私は、彼の面子を立てるために、ウソでも同意しなければならなかったのか。自分と友人の名誉が、勝手な妄想によって著しく傷つけられ、しかもなかったことを勝手に事実と思い込んでいる人間に恥をかかせず、同意されたいという欲求を満たすために、誤解を解かず、言われなき不名誉と不利益に甘んじろというのか。この人物にとっては、道理や事実関係なんかよりも、何十%同意するか、どれだけ顔を立ててくれるか、ということの方が重要らしい。


11-01
台本

 数日後に、私が言うであろうセリフを用意しておく。どんなことをいわれても、怒鳴りつけずに、coolに静かに逃げ場を塞いで、内容でたたきのめすために。
 つまりまあ、ちょっとした仕事をやるのだが、その配置決めの際にボンズが来なかった。連絡すらない。どうせ今年いっぱいでやめるつもりで調子に乗っているのか、ただ甘く見ているのか。だが、私は誰かが居ないから議事を停滞させたりはしない。進める。さらに言えば、居ない人間が楽をするようには決してさせない。だからボンズには一番キツイ配置に決めた。欠席しているときに学級委員長を決めるようなやり方は私としても好きではないが、これは小学校のスケープゴートではない。事前に告知されていた会議をサボった奴には、それ相応のペナルティを与える。それに対して、月曜ボンズはどう言うか。

*イヤですよ
→当たり前だ。誰もがイヤだ。だから皆、進んで他の配置に志願した。キミは会議があることを知っててこなかったんだろう。来なかったら楽な仕事に回されると思ったのか。そんなことしたら、誰も会議に来なくなる。私は来ない人間に楽をさせない。

*ダルい。面倒。自分だけ理不尽。
→ダルいことはなんでもやらないのか?だったら明日から来なくていいよ。それに自分だけが無理難題ふっかけられたと思っているのか?私の仕事と交替するかい?**さんだって、**をやっているし、**さんは1人で**をやっている。キミは**1つぐらいで、そんな過大な仕事を押しつけられていると思うのかい?第一、そんなに**をしたくなかったのならば、割り振り会議に来るべきだ。リスクを回避するチャンスを自ら逃したのは、キミなんだよ。

*先日は、**だったんですよ。
 キミは、自分以外の人間に都合がないと思うのかい?自分に都合があれば、それですべて通ると思うのかい?そんなに**だったのならば、私の携帯なり、事務所なり、電話したら私も少しは配慮したよ。私は連絡もせずに来ないような人間を、決して楽はさせないよ。

*イベントそのものをやめましょうよ。
 キミは、全職員とスポンサー様を説得してくれるのかい?既に進んでいる仕事と、カネの流れにどう始末をしけるんだい?所詮この世は暴力。数とカネと権力が物事が決まる。私はしがない一個人だから、従う。出来もしないことを、代替案もなしに言うな。


 とまあ追いつめてから、もっと酷い案も提示しつつ、こちらも少し譲歩する。
 そうしてこちらの狙い通りの結果に収まってくれればいいのだが。
 こんなクズでも使わなければならない以上は、どうにかせねば。
 二度と来るなと言うことが出来れば楽なのだが、そうできない以上は騙し騙しやらねば。
 とにかく、怒鳴らない、ゆっくり話す、言葉遣いは最後まで丁寧に、気を付けねば。


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