last up date 2004.12.05

23-10
ユキヒョウ・イズ・カザフスターナ

 私が通っていた中大多摩キャンパスのすぐ近くに、多摩動物公園がある。凶暴な肉食獣・大型獣の脱走を恐れて、都心部から多摩のИНКに集められたと言われるだけあって、猛獣が多い動物園である。そこにユキヒョウが暮らしているのだが、これはカザフスタンのナザルバーエフ大統領から日本の小渕首相宛に贈られたものである。
 カザフスタンの首都がアマルティからアスタナへ移転するに当たって、日本人建築家の黒川紀章(くろかわ・きしょう)氏がその設計に当たった。氏は現地で大統領とともに、絶滅したと言われていたユキヒョウの捜索隊を出し、発見したのという。ナザルバーエフ大統領はワシントン条約に加盟し、条約に基づいた手続きの上、訪日時に手みやげとしてユキヒョウを連れて行ったという。米国が一番欲しがっていたユキヒョウを、大統領は日本に贈った。これは、日本人である黒川氏が遷都に携わっていることも含めて、大統領が日本に期待と信頼を寄せているということの現れであろう。
 そう思うと、ますますユキヒョウを見に行きたくなった。多摩動物公園には何度も行っているので、目に入っているはずなのだがね・・・。


 出典は、「外交フォーラム」2004年12月号に於ける黒川氏自身の記事に寄る。


23-09
高校時代に於ける治安維持論争

 何度も書いているが、私にとって高校時代の担任は忘れがたい存在である。27年も生きていれば侮辱されることも理不尽な目に遭うことも、暴力を受けることも少なからずあったが、この担任ほど私の人格を貶めてくれた人間は他に存在しない。
 もちろん私にとって高校時代は大学時代と並んで、最も交友関係が活発で、日夜アホなことを競って行い、バカなこと変態的なことを大声で談笑していた、日常にもっとも充足感を覚えていた時代である。担任もその時代を形作った一部であり、悪い人でも毛嫌いするような人物でもない。現に、私は担任と未だにメールで連絡をとっている。だけれども、今なお許し難い発言が当時に多々あったことも事実。


 そうした発言が為される遠因となった話題の1つとして、アメリカに於ける刑務所問題があった。
 私が高校時代を過ごした1990年代半ばに於いては、身近で治安や安全に関して話題になることなどほとんどなかった。小学生に自治体が防犯ブザーやPHS利用の発信器を配布し、補助錠や窓ガラスに貼る破壊防止シートが飛ぶように売れ、防犯用の定点カメラの設置数や警備会社の契約数も鰻登りの現在と、1995〜6年とでは、明らかの世間の雰囲気は違った。当時は、「テロの脅威」「アジア系武装強盗団」「自己防衛」などと言っただけで狂人扱いされ、「極右の軍国主義者」「終末思想の信者」と言われることさえあった時代だ。
 そんな中で、私は防犯や自己防衛について公然と意見を述べることが多かった。日直のときには、学級日誌にさえ治安に関する問題提起を行うことさえあった。当然そうした言動や記述は担任の耳目に入り、私はある日HRが終わって帰ろうとしたとき、担任に呼び止められた。


 別に、本来その日あったことを書く学級日誌に、突然自説を展開したことへの叱責ではなく(担任はむしろ、そうした主張を奨励した)、その内容に対する苦言であった。彼が気に食わなかったことは、アメリカに於いて犯罪者を公権力ないし自衛する市民が殺すことを私が是としたことである。つまり、自衛する市民/法の強制執行機関による犯罪者の射殺と、死刑に対する肯定意見が、担任は気に入らなかったのだ。担任は、「人命を軽んじる思想」としてこれを非難しはじめた。
 今考えれば、私の主張にはいくらでもボロがあったし、潰すことも簡単だ。だが私は、面白半分にそんなことを言ったわけではない。私が「自己防衛」や「国防」について発言をすると、「人命尊重」「平和」といった「上から与えられるお題目」に対して無条件に反発したがっている奴が寄ってきたものだが、私はそうした輩のような軽薄なポーズとして主張をしていたわけではない。私は、マジメに暮らしている市民が、他人の生命・財産を奪うことを何とも思っていない輩から自分の安全を守るためにはどういった方法が現実的か、と切実に日々考えていたのだ。その疑問に対する一応の結論が、市民が自衛することであり、公権力が死を与えることであった。悪人の数を死によって減らしていけば、同じ悪党が刑務所を何度も出入りして凶悪犯罪を起こすことを阻止でき、被害者や通報者に恨みを持って報復するようなことも防止できると考えていたわけだ。


 これに対する担任の言は、何一つ具体性がなかった。
 まず第一に、私を倫理や道徳に反することを言うのがcoolだと勘違いしている、軽薄なバカ野郎として扱おうとした。「命の価値がどうした」「セックスすれば簡単に命は誕生するが、それを勝手に殺すことはどうだ」と「命の尊さ」についての情緒的な意見を繰り返した。自分の命に対する見解を述べ続けることによって、私が浅はかなバカなガキだとして聡そうとした。
 だが私は、担任の「命の尊さ」論の土俵には乗らなかった。「私は何も冗談でこんなことを言っているのではない。善良な人々がどうやったら安全な暮らしをできるのか。私は犯罪者に突然自分や家族を殺されるのがとても怖い。どうしたらいいのか毎日考えて、どうしようもないけど一応の方策として出したのがこれ(自衛と死刑)です。命が尊いなんて当たり前。その上で、最善ではないけどどうしたらいいのか私は真剣に考えている。『命が尊い』といったレベルの説得は無用です」。
 そして私は、どうやったら犯罪に対応できるのか、担任に問いつめた。担任の意見は、大したことはなかった。警察に任せろ(つまり市民による自衛の否定)。そして刑務所で更正させろ(死刑の否定)。しかし警察力・刑務所収容能力に限界がきているから、問題は起きているのだ。私は一気に反論に出た。


 まず、警察の限界について主張した。アメリカの都市部では犯罪が頻発しすぎて、週末には家に強盗が入って911通報しても2時間待ちもザラ。人口密度の低い郡部だと、犯罪は少ないがそれでも郡警察の拠点がまばらすぎて到着が遅い。その状況に対しては、市民が自衛する以外に自分や家族の命を守る術はない。
 これに対する担任の返事は、こうである。「『市民が自衛』なんて、西部劇じゃないんだから。今は法治国家なんだから」とのこと。強盗がパトカーの到着待ちまでに家人を殺すかもしれない問題に対して、何一つ答えていない。
 「西部劇じゃないんだから」とは何か。「西部劇の時代」だった19世紀と20世紀末(当時)とで、治安の維持方法はそんなに変わっているというのか?結局の所、暴力が法秩序に反する暴力を抑止・摘発・殲滅して、治安を維持しているのではないのか。その暴力装置の担い手は19世紀と20世紀とでそれほど変わっているだろうか。国家が強力な統制力を持つ日本やフランスと違って、アメリカでは警察は細分化されて規模も小さく、市民自身が自衛をする風潮がある。蛇足だが、「西部劇の時代」の治安の悪さは、現代アメリカの貧民街の比ではない。
 それに「法治国家」だから何だ。まず第一に、法律とやらが制定されれば、悪人は悪人であることをやめるのか。法律が、今まさに無辜の市民に向けている銃口に対する、いかなる楯になるのか。「法治国家」という呪文を唱えると、暴力がなくなるとでも?結局その法律も暴力によって担保されて実行力を持っている。さらに言えば、連邦憲法から州法に至るまで、アメリカでは市民の自衛についての条文がある。それに基づいて悪人を射殺して安全と治安を守る社会は、十分に「法治国家」ではないのか。



 異常者に相対しているような目をして私を見たまま担任が黙り込んだので、次に刑務所の限界について私は述べた。アメリカの刑務所は超満員。囚人は200万人にも達し、しかも毎年数万人ずつ増加している。刑務所の収容率は150%や200%は当たり前。だから犯罪者はすぐに保釈される。そして保釈されてまた犯罪を犯す悪循環にある。凶悪犯罪者がすぐに野放しになり、被害者や通報者に報復されることもある。こうした悪循環や報復を断ち切るためには、殺すしかないのではないのか。命がいくら尊くても、他に善良な人間の尊い命を守るために方法がなければ、悪人を処断するしかないのではないのか。
 と述べたら、担任は即答した。「増やせばいいじゃないか。警察も刑務所も」。
「そんなカネがどこにあるんですか!」
 まだクラスの多くの生徒が掃除や放課後の談笑をしている教室で、私は感情を抑えきれず、声を挙げた。視界の隅には、皆が何事かとこちらを見ている様子が写った。だが、構わず怒鳴りつけるように話を続けた。「そんなことが出来たらこんな問題は起きません!伝統的に公権力の拡張を望まない国民性のアメリカで、権力の拡張は難しいんですよ!警官も刑務所要員も雇って訓練するカネだってないし、そもそも人手だって・・・」とまで怒鳴りつけるようにまくし立てたところで、担任はうるさそうに「わかったわかった」と私の話を遮ってしまった。そして教室を後にしてしまった。


 もちろん私が日誌に何を書こうと、担任と何を話そうと、世の中が変わるわけではない。けれども、「安全な社会を実現するためにはどうすればいいか」と、本気で社会問題に対して不安を覚え、惑い考え続けている生徒に対して、「不謹慎な発想をする浅はかなバカ」と一方的に決めつけるのは、教師としては不誠実な態度だ。だったら最初から何も言わない方がよい。さらに言えば、「命の尊さ」「法治国家」なる呪文を連呼したところで、私の意見に何も影響しない。私の関心あるテーマを考える上でまったく役に立ちもしない。結局、具体的な方策についてば「刑務所や警官を増やせばいい」などという、空論の話し合いにしてもあまりにもアホらしい理想を抜かしただけであった。
 これで私の意見を「くだらないバカげたもの、不謹慎なもの」として上から潰そうとするとは、ガキなりに「出来そうな具体策」を考えていた生徒に対して、あまりにも失礼ではないかね。担任がやったことは、自分に気に食わない考え、自分の思想とは合わない発想を、ただ潰そうとしただけだ。説得でも議論でもない。ただの暴力だ。しかも私がバカで愚かで反倫理的で、担任が相対的にまともな見解を持っているという前提の下に於いて、正しいことをしているかのように決めつけて、その「お前はおかしい」という担任にとっての結論だけを一方的に告げられただけだ。


 このときのやりとり一回だけで、「人格を貶められた」とは思わない。こうした些細なやりとりを通じて、担任は私をとんでもない異常者と見なすようになっていき、しまいには、とんでもないことを言うようになっていったのである。例えば、「軍国主義者」「ナチス信奉者」「極右」「ファッショ」「オ@ムの支持者」などなど。「おかしい奴」というイメージを伴うこと以外には大した一貫性もないこれらのコトバを、ことあるごとに吐かれるようになったのだ。担任はこんな人権侵害も甚だしいコトバを、公然と私に向かって吐くようになっていった。「おかしい人間」という前提で、私と話すようになっていった。
 時には、「お前のような考えの奴は、同じ思想の論議する仲間はできても、友人も家族も出来ない」と言われたこともある。「人殺したくなって外人部隊に入りたくなったら俺の所に来い」と心配されたこともある。ちょっと非道い言い様ではないかね。突然、何の脈絡もなく言われたのならば気にもしないけれども、話し合った上でこれか。このときのように、担任が自分の思想を一方的に述べて私の意見を否定したつもりになり、私の人格をおかしいと称し、何一つテーマそのものへの具体的な意見を言わず、反論されたら「わかった」とか言いつつ切り上げるだけしかしなかったような人間に、「家族も友人もできない」とか「人殺ししたくなったら俺のところに来い」とか言われる筋合いはない。


 27年間生きていると、一言二言のセリフでは、とんでもないことを言われることもままある。だが、これだけ文書や弁舌で意見を交わしながらも、私のコトバに対して徹底的に間違った解釈をし、私の発想や情念を顧みずにただイメージやステレオタイプを膨らませて、その上で人格的に劣った人間と決めつけられるのは我慢ならん。
 だから私は、担任と未だに連絡をとっている。外国人部隊にも右翼団体にもカルト宗教にも入っておらず、犯罪のひとつも侵さず、まだ家族は持っていないが人並みに友人と付き合い、それなりに人生を送っていることを示し続けるために。私が担任が思っていたような異常者ではないと示し続けることこそが、私の彼への報復なのである。
 結局、お互いに敬意を示した上で世間話をやりとりするだけなんですがね。まあ気に食わない言動は多々あったが、究極的にはわるい先生ではなかったのですよ。しかし失礼な先生ではあった。



 ついでに、このときの話題に対してオルタナティブを出すのは難しいが、私の当時の意見を否定すること、私を黙らせること自体はそう難しいことではない。例えば死刑に対しては、「命の尊さ」「国家が人命を奪うこと」といった倫理や思想の問題をただ持ち出してもムダだ。担任と私とは、異なった倫理と思想を持っているのだから。反論をしたいのならば、「無実の人間が誤って、あるいは恣意的に処刑されること」の危険性と、そうした悲劇を実際に引き起こしているアメリカの司法制度の不備について示唆するだけで、当時の私は反論出来なかったはずである。
 自分の思想や情緒を一方的に話すことは議論とは言わない。まして、相手の思想が自分と違うことを指して愚者として責めることや、相手が自分の持っているような情緒を持たない冷血漢と貶めるのは、議論ではなく人格否定という。(もともと生産性なんかはないけど)なんの生産性もないし、お互いの知的レベルを引き上げもしなければ、説得や関心を与えることもない。ただ、思想的な蹂躙をされる不快感と、自分の思想を受けられない不快感がそれぞれに沸き立つだけの、非友好的な行為である。しかし本人は当時のこうした会話を「議論」と、今なお思いこんでいるようである。


23-08
例文

 外国語辞典に載っている例文には、必ず出典がある。露和辞典ならば、ネイティブのロシア人が書いたちゃんとした印刷物から、目的の単語が目的の用法で使われている部分を探してこなければならない。ロシア人に頼んで例文を考えて貰うことも、まして非ネイティブの日本人が勝手に考え出すことも、決してあり得ないし許されないという。まあ英和辞典のような、発行部数も種類も膨大なものになると、そうした原則が守られていないものもあるかもしれないが。
 まあ、考えてみれば当たり前のことだ。辞書とは権威でなければならないのだから。念のために書くと、ここで言う「権威」とは、情報の内容を吟味することなしにその情報を信用させるもの、あるいはそれを持った人やモノのことだ。


 でもって、ロシア語辞典にやたらとアジビラっぽい表現や戦争に纏わる表現が多いのもうなずける。ソ連時代には政府・党が数多くのアジテーションの利いた出版物を刊行したばかりでなく、多くの出版物もまた、その書物が反体制的ではなくマルクス・レーニン主義に乗っ取ったものであることを証明するために、主義や人民を讃えるまえがきに、かなりのページ数を割かざるを得なかった。政府出版物であろうと新聞であろうと、文学や娯楽であろうと、正式なロシア語としての権威がある出版物にアジ演説っぽいくだりが多かった以上は、それらを引用しているロシア語辞典にそうした例文が多くなるのも当然である。
 また、世界最長の国境を持つ大陸国家ロシアは、古代から現代に至るまで戦争の歴史を繰り返してきた。第二次世界大戦ではナチスドイツに国土深くまで侵攻され、虐殺や苛烈な市街戦でもって2000万もの犠牲者を出した。詩だろうと小説だろうと、官報や新聞だろうと、戦争についての記述が多くなるのは当たり前だ。


 だから、ロシア語の辞書を見てあまりにも真っ赤っかかつ焦臭いのは、別に編者が共産主義の闘士なわけではなくて、素材の傾向のせいのようである。まあ、冷戦期に日本でロシア語を学んでいた人間には、共産主義に傾倒していた人間もまた数多くいたであろうことは想像に難くはないけれども。 


23-07
ねーこねこ

 高校を卒業してすぐに実家を離れた私は、もう9年間猫のいない生活をしている。


 実家では物心ついたときからずっと猫がいた。私と一緒に実家で飼っていた猫は、一時は3匹にもなった。1匹もいない時期はわずか1日しかない。野良猫あがりの猫の最後の1匹が病気で死んで、すぐに猫を仕入れては死んだ猫にも、その猫を何よりも好きだった姉にも面目がたたないとのことで、しばらくは喪に服することにしていた。だが、その死の翌々日、母は当時中学生だった私を連れてペットショップへ猫の「下見」へと行った。私はその場で猫を買うつもりはなかったが、母はそこにいたアメリカンショートヘアの子猫をいたく気に入り、その場で買って帰ってしまった。というわけで、猫がいなかった日は1日しかない。


 そんな風に猫と共に育った私にとって、猫がいない生活は何かが決して満たされない。今の生活には何不自由していないし、自分なりにやりたいことをやっているわけだが、猫との暮らしがやはり欲しい。もちろん猫の優先順位が低いからこそ、私は実家から離れて独り暮らしをしている。猫との暮らしが何者にも代え難いのならば、釧路で就職して実家に住んだ。あるいは関東にいるにしても、ペット可かつ安価でそこそこ広い物件をどうにか見つけ、そういう物件は大抵交通の便のわるいИНКにあるので、毎朝長時間電車に揺られることになっただろう。けれども、そうはしていない。結局猫も車も、優先順位は低いのだ。


 だけれども、いつかは老朽化した小汚い設備の整っていないところでもいいから、ペット可で3DKの広いマンションを借りて、PCや書籍や背広の類はすべて一部屋にまとめて、残りの2DKを猫部屋にしたいものである。まあ収入がよくなって、いい家に住んだところで、10年15年と生きる猫を1人で飼い続けることは並大抵のことではないのだが。実際問題としては難しいだろう。けれどもいつかは猫と暮らしたい。 


23-06
コペン

 大学時代の後輩が念願かなって、新車を買ったという。5MTのコペンだそうな。彼はこの目立つ車を駆って、「ときメモ」のCDをかき鳴らしていたという。すばらしい光景だ。
 自動車は私も欲しい。大学時代は夜中に車で走りたくなってどうしようもなくなり、夜道を自転車でカッ飛ばして「こんなんで俺の欲求は解消されねー!」と叫んでいたこともあった。今はさすがにそんなことはないが、車はあれば便利だし、実用に供さなくても娯楽としてもいいものだ。だが、今の私の生活に於いて自動車の優先順位は低い。車の順位が高ければ、もう少し違った立場にいたことであろう。今は今の生活に満足しているし不便もない。だけれども、私もまたいつかは欲しいものだ。自動車は。
 で、いつかは欲しいもののリストとしては、
・自動車
・猫
・猫を飼える広い住宅(賃貸分譲問わず)
の3つが挙げられる。まあそれほど難しい目標ではないが、さしあたって今は無理だ。ま、遠くもないが近くもない将来の漠然とした理想ですな。


23-05
「敵」の具体性と抽象性。「不幸の優越」。

今日の些細な会話を挙げてみる。
A「お前が一番怖いモノは何だ」
晴天「暴行を受けることと、カネを失うことだ」
A「誰に襲われると恐れているんだ?」
晴天「自分以外の全員が敵になり得る」
A「私も入るのか?」
晴天「敵となる可能性は誰もが持っているね」
B「大きな敵がいれば小さな敵など気にならなくなる。小さな敵を気にしているのはお前が大きな敵と出くわしたことがないからだ。それだけ幸せだということだ」


 Aと私は、些細なことを話していた。が、突然横で聞いていたBが割り込んできた。私はこのBのセリフに不快感を覚えた。その理由は多岐に渡る。その場は反論して闘っていい場ではなかったが、例え存分に弁舌を闘わせられる舞台があったとしても、Bに私が何故不快感を覚えたかわからせることは難しかったであろう。
 私が不快感を覚えた理由は、大きく分けると以下の3つだ。
1,私の言う「敵」とBの言う「敵」がまったく別物であることを、Bが理解していなかったこと。
2,突然Bが何の脈絡もなく私を「幸せ」と決めつけ、アホ扱いしたこと。
3,「大きな敵」がいれば「小さな敵」は気にならなくなるというBの人間観を、Bは万人に当てはまる定理であるかのように述べたこと。
 特に1の誤解が難物だ。


 まず、1。私のいう「敵」の解釈から。
 私は誰も信用していないし、自分以外のあらゆる人間が潜在的な「敵」だとよく口にする。これは私の基本的な世界認識である。これは口にするとしばしばトラブルになった。泣かれたことも殴られたこともあるし、私の発言をものすごく深刻な告白と受け止められたこともある。だが、これはそんな大層なことではない。物理的には、誰もが私を殺すことも、財産や名誉を奪うことも出来るという事実を確認しているだけだ(蓋然性はなくとも可能性はある)。
 現実には、夜中に眠っている私の頭蓋骨を鉄アレイで粉砕されないと思っているから、実家や友人宅でも寝れる。出された茶や食品に毒や汚物が入っていないと思うから、家でも店でも飲食物を口にする。道ばたの通行人が突然私をぶん殴ったりしないと思っているからこそ、道をマヌケ面して歩ける。多少なりとも信用はしている。けれども、そうした親類や知人が私に強烈な悪意を持つに至ったら、私は容易に危害を受けることになる。電車や道でたまたま近くにいる赤の他人が異常者だったら、私は危害を受けるかもしれない。私の言っている「信用しない」「誰もが敵になりうる」というのは、あらゆる可能性を否定しないことだ。


 結局のところ、万が一何かあったとしても、なるようにしかならない。そのときはそのときだ。諦念や脳天気のおかげで、私は日常生活を送ることが出来ている。だけれども、「友人や家族が私に非道いことをするわけがない」「見ず知らずの通行人が襲ってくるなどありえない」と断定することは不可能だ。まして、少し仲がよくなったり、何度か協力や援助してやっただけで、自分が他者に何をしても許されると思うなど愚の骨頂だ。家族や大親友だって、何もかも許すわけも何もかも賛同するわけもない。生きていれば、ちょっとした失言や誤解で他者を怒らせることもあるし、損害や迷惑をかけてしまうこともある。そうした不快感が溜まっていくうちに、殺意やちょっとした敵意が湧いても不思議ではない。
 誰だって「敵」になるかもしれないというのは、相手に不快感や損害を与えないように自分の行いに神経を遣うという意味である。不幸な誤解やちょっとした行き違いの積み重ねで、他者が自分に悪意を持つこともあると覚悟する、という意味でもある。そして悪意を持った人間は、物理的に出来ることなら何でもやる可能性があると認識しているだけのこと。別に、「誰もが私を憎んでいて、誰もが私を殺したがっている」と妄想しているわけではない。それは異常者だ。


 だけれどもBは、私の言う「敵」を「可能性」の抽象論とは捉えなかった。Bは恐らく、日常生きていれば出くわす、ちょっとした不快感や不利益をもたらす人間を、私が「敵」と呼称したと思いこんだ。つまり、「こいつはあのとき私にこう言った。だからあいつは気に食わない。あいつは俺の『敵』だ」というように、私が具体的な経験を根拠に、具体的な気に食わない人間を「敵」と判定している、と見なしたのだろう。
 Bが、Aと私の話をどこから聞いていたのかは知らないが、「可能性は誰もが持っている」のあたりから聞いていたとしたも、具体的な話ではなくて抽象的な話をしていると気づいて欲しかったね。


 そして2番目。Bが私を「幸福」と言ったことだ。
 まずこれは確認しておこう。もし日々Bが話していることが事実だとしたら、私はBよりも様々な面で圧倒的に幸福である。幸福などは主観の問題だけれども、第三者が見てそう思うのは間違いない。私自身も私の方がBよりも幸福だと思う。
 Bは家庭環境が不遇で親の暴力に苛まれた。一方、私は誠実な父と優しい母との間に産まれ大切に育てられた。Bの親は教育にカネをかけるという発想がなく、高等教育を受けることが出来なかった。一方私は、それなりに恵まれた境遇に生まれ、何不自由なく東京の予備校、私立大学へと進学した。Bは免疫力が弱く常に内臓に疾患を抱えている。一方私も、アレルギー喘息、アトピー性皮膚炎を抱えてはいるが、大病を患ったこともなく、まあ健康である。自力ではどうにもならない条件が、私の方が揃っていた。


 さて、これを確認した上で敢えて言おう。自分が「不遇」だという前提の下に、他者を「幸福」だとして非難する行為は、何の生産性もない上に摩擦を生む。Bはつまり、私は「幸福」だから人格的に問題があると言っているわけである。「敵」というコトバの解釈にどんな誤解があったにせよ、Bは私が「幸福」だからくだらないことを思ったり言ったりする、と言い放ったわけだ。
 非常に不愉快である。なぜならば、Bの「不遇」がB自身の責任ではないように、私が「幸福」であることもまた、私自身のせいではないからだ。たまたま私の親の多少年収がよくて、たまたま親が誠実かつ善良であって、たまたま私の遺伝子が人並みに健康な肉体を形成するように出来ていただけの話。もし私が「幸福」だから人格に問題がある、という因果関係が事実だったとしても、「幸福」に関して言及するのは不当な差別である。自分の責任ではないからだ。
 実際問題として、Bは、B自身よりも私の方が幸福だ、とは一言も言ってはいない。しかしBは、頻繁に苦労話ばかりして、自分が特別不幸であるかのような話している。人よりも不利な環境であるがために嫌がらせや暴言に遭っている、という話も耳にしている。そのBが突然、明らかにB(の話)より幸福な境遇にある私に「幸福だからそんなバカなことを思う」と言った。これは、Bに例えその意図がなくても、「お前は俺よりも幸福だから、お前は俺よりも人格がおかしい」と言っているように聞こえる。


 「俺は不幸だ」「お前は幸福だ」という文言は、実は強烈な優劣関係を伴ったコトバである。「俺は不幸だ」と言うセリフは、暗に「お前よりも、俺は不幸だ」という響きを帯びる。「お前は幸福だ」という文言も、気をつけないと「お前は、俺よりも幸福だ」と聞こえる。それ故にあまり多用していいものではない。そもそも対等な人間同士ならば、自分や相手の境遇が「幸福」かどうかについて、とやかく語る必要はないのである。
 まあしかし、この歪な優劣関係に逃げ込みたくなる気持ちはわかる。一度自分が「不幸」で、他者が「幸福」という公式を作ってしまうことは、悪魔的な魅力を持つ。自分の不成功や失敗はすべて「不幸」のせいにできるし、自分より多少なりとも「幸福」な他者の失敗は、人格や能力に劣るクズだと見なすことが出来る。自分の成功は「不幸」に打ち勝った特別なものに思えてくるし、他者の成功は自分にはない「幸福」のせいにできる。ヘタをすれば、何をしてもしなくても、自分が「不幸」だから許される認められるという妄想に陥る。他者は何も苦労していない「幸福」な奴だから、「不幸」な自分に同意して協力するのは当然だという錯覚に陥る。そして自分を認めない奴、自分に同意しない奴、自分を許さない奴に対しては、とてつもなく理不尽で不条理なことをするバカ野郎と見なすことが出来る。これはものすごく心地の良いゆりかごだ。だけれども、極めて非生産的な発想だ。なぜならば最初から自己の「優越」と他者の「劣等」を決めつけているので、努力する必要がないからだ。
 私の知っている人間に、上記のような「不幸の優越意識」の権化みたいな奴がいた。ことあるごとに自分の「不幸」を武器に相手を貶め、自分が「幸福」な人間よりマシな人間だと喧伝したがっていた。どんな失敗をしてもどんな迷惑をかけても謝罪のひとつもせず、自分がいかに「不幸」でそれ故にこうした事態になったか説明するばかり。誰かが成功したり、あるいはまったくの第三者の成功者の話をしたら、貶めずにはいられない。「幸福」というキーワードを出されたら、私はこいつのことをつい連想していまう。だからこそ、よけいに気に食わなかったのかもしれない。


 そして3番目。「大きな敵」がいたら、「小さな敵」のことなど気にならないとのBの弁。ここでBの言う「敵」とは、「自分を殺すかもしれない人間」のことではなく、日常に於いて自分を嫌な目に遭わせたり、不利益を与えたりする人間のことだ。何をもって「大きい」「小さい」と区分けなるのかは不明だ。だが、生きていればどんな環境であっても、大なり小なり嫌な目には遭うし、艱難にも出くわす。2の続きになるが、私の人生や生活の何も知らないのに、私がその「大きな敵」とやらと出くわしたことがないと、どうしてBは決めつけられるのだろうか。
 それはさておき、人は「大きな敵」がいれば「小さな敵」を気にしないものなのだろうか?そういう人もいるだろう。しかし気にする人もいるだろう。少なくとも、Bが言うように「小さな敵」を気にしない人間ばかりだとは思わない。Bの論が万人共通だとしたら、仕事で大変な目に遭っている勤め人は、家では女房子供の嫌味など笑って流せるはずだ。しかし実際には「大きな敵」へのストレスを持っているが故に、「小さな敵」に必要以上の怒りをぶつけてしまう人間もいる。しかも本来の「大きな敵」は強すぎるし逆らうのは得策ではないので、より弱い者に抑圧移譲するのもよくあることだ。その一方で、完全に気持ちを切り替えられる人もいる。当たり前の話だ。


 そして私は、Bもまた、「小さい敵」を無視できない人間だと見ている。Bは確かに人よりも苦労している。人よりも嫌な目にも遭っているであろう。それなのに、私のような「幸せ者」の前ではくだらないバカ話をして、いつも笑ってみせている。周囲の人間に侮辱されても笑いとばしている。けれども私にはBが相当な無理をしているように見える。「大きな敵」に対して抱えているストレスを、他の人達の前で発散しないようにしているのはわかるが、しばしば漏れている。
 例えば、私のような明らかにBよりも「幸福」に育ち、条件のいい立場にいて、人から評価されている人間が、何か気に食わないことを言ったときだ。彼は私という「小さな敵」を無視できていない。今日もBの解釈では私は「幸福者」の分際で、日常の些細な嫌なことを称して「世の中はみんな敵だ」という弱音を吐いた。本当は全然そういう意味のことなど言っていないのだが、Bはそう解釈した。Bにとっては非常に気に食わないセリフだろう。だからBは、横で黙っていることが出来ずに私に嫌味を吐いた。私を「幸福だからくだらんことを気にする劣った人間だ」と言い放って、上から下に見下ろすように吐き捨ててくれた。B自身が、私よりは相対的にマシな人間だとでも言いたげだ。こういうようなことは、1度や2度ではない。痰でも吐くかのような悪意を抑えきれない声で、私を侮辱するのは。
 しかし彼は、私を無意識にちょっと不愉快な「小さな敵」と捉えていても、意識的には「敵」とは認識していないだろう。私を「幸せ者」で、「Bよりも能力も低い分際でいい評価をもらっている」からこそ、「人格に問題が問題がある劣った人間」としか見なしていまい。そして自分のセリフはすべて、何もわかっていない愚かな人間に親切にも諫言をくれてやったとでも思い上がっているのではなかろうか。ただの悪意あるコトバで何の生産性もないんですがね。 


 もちろん私にとってはBなど、Bのセリフでいうところの「小さな敵」だ。だが、腹は立つ。だけれども私は、Bのように「優劣関係」に逃げ込まない。Bよりもずっと認められる能力と地位を得るべく、もっと努力するインセンティブとしてくれよう。
 今回何が悔しいと言ったら、上のようなことをロシア語で言えなかったことだ。闘うためにはコトバが必要だ。大学で国際政治史を教えていた先生はアメリカ留学中、何か言われても反論もできない、誤解を解くことも出来ないから、英語を死ぬ気で勉強したという。先生は、「外国人だから英語が下手だし、英語が下手だから論破出来なくても仕方がない」などとは思わなかった。私が尊敬する人間は、ストレスを吐き捨てるだけに終始せず、エネルギーに昇華する人間である。言い訳をしてテキトーなところでよしとせず、執念をエネルギーに目的達成に向けて努力する人間である。少なくとも私は、「不幸の優越」なる狂った妄想に逃げ込まないようにしたいものではある。     


23-04
ローマに於いてはローマ人にやるようにせよ

 「郷に入っては郷に従え」というのは、異文化へ飛び込むときの鉄則だ。ただこれは飛び込む側の心がけであって、迎える側の標語ではない。


 外国人や異文化人と相対したとき、相手を同化させればいい、相手が自分達がやるようにやればいいとしか思わない人は困りもの。これは一番楽だし、自分達のところにやってくるんだから自分達に合わせるべきだという意識もある。確かに、訪問者はある程度は郷に合わせなければならないだろう。しかし、異邦人側にも、どうしても変えられないこと、合わせられないこともある。さらに言えば迎える側には、郷に合わせることこそが優れた当たり前のやりかたで、異邦人はおかしい劣っている、と無意識に思ってしまいがちだ。そこに摩擦が産まれる。相手への不信感や憎しみ、軽蔑心が、相互に発生する。


 私は、日本人の多くは多文化主義に極めて不寛容という意味に於いて、決して国際人とやらにもアジアの同胞にも欧米の仲間にもなれまい、という不信感を根強く持っている。そして日本人同士でさえ、個性や自由を礼賛しつつ、あるいは自分達が同質だと妄想しつつ、「無意識に」貶め差別するのを非常によく好む傾向があるとも思っている。
 各国とのFTA交渉の結果がどうなろうと、フィリピン人介護士・看護士に留まらず、ますます多くの専門的・非専門的労働者を日本が受け入れるのは間違いない。けれども、どんな恐ろしい摩擦が起きて、日本人の排他性やウルトラナショナリズムがどう蔓延するのか、すごく恐ろしいですね。 


23-03
武装

 大学時代の私は、歩いているだけで犯罪だった。冗談でも隠喩でもない。私はナイフ2〜3本、特殊警棒1本を常に持ち歩いていた。今は家から持ち出すことさえ少ないけど、大学時代はベルトにホルスターをつけてナイフをぶら下げて歩いていた。警官に職務質問されたことは何回もあるが、身体検査をされたことはない。もしされていたら、しょっ引かれないまでも相当面倒なことになったのは確かだろう。


 ジュリアーノの「割れ窓理論」を日本の各自治体でも次々導入し、「異質排除」に警察が気合いを入れはじめた昨今、身体検査・所持品検査は場所によっては珍しくなくなった。武器になりそうもない些細な品(例えば、鍵束につける太い鎖とか土産物屋で買った手裏剣とか)で注意と脅しを受けるようになったとも聞く。もう迂闊な物は持ち歩けない。巡査をやっている友人から、「もう持っていないよね。捕まるよ」と忠告もされた。


 私が持っていたナイフは全本、ヴィクトリノックスのツールナイフだ。人殺しに使えるような代物ではない。缶を開けたり、栓を抜いたり、コルクを引っ張り出したりするのに役立つから持っていただけの話。これは武器のつもりはなかった。だけれども、特殊警棒は厳然たる武器だ。
 大学2年次、友人連中が酒を飲んで終電を逃し深夜闊歩していたら、金属バットで武装した地回り連中に因縁をつけられ、小競り合いになったことがあった。そのとき友人連中は、メガネをぶっ壊したり、蹴られたりした程度で済んだが、一歩間違えば取り返しのつかない大ケガを負ったり、命を落とす危険もあったわけだ。
 で、私は思った。公然と鈍器で武装したクズどもと戦い生き延びるためには、常時持ち歩ける頑丈で質量があり、一定の長さのある武器が必要だ、と。それはやはり特殊警棒しかなかった。だがしかし、チンピラにぶっ殺される可能性よりも、警官にしょっ引かれる可能性の方が高い。そう考えるととても持ち歩けない。みだりに鉄棒等を持ち歩くと、軽犯罪法に引っかかるのは知っている。


 だが、卒業後に大学へ顔を出したときのこと。部の会合が終わり解散するとき、女の子に深夜1人で帰って大丈夫かと誰かが声をかけた。そうしたらこの女子学生は、カバンから特殊警棒を取り出して、一振りして鉄芯を伸ばし、「大丈夫ですよ」と笑って見せた。
 まあ警察官も、20やそこらの女子大生が持っているとは思わないだろう。それに所持品検査をされる危険性も私のような挙動不審の男よりは低い。けれども警棒の携帯が、後輩に受け継がれていたとは・・・私の影響だとしたら、少しは責任を感じますよ。


23-02
エルンスト・ユンガー

 エルンスト・ユンガーの「内的経験としての戦争」が日本語訳されて収録された本って、ないだろうか。それも安価で。


23-01
米独冷戦

 高校時代にレンタルビデオ店でパッケージを見て、あらすじに興味をもったものの借りるには至らなかった作品がある。第二次大戦でナチスドイツが勝利し、戦後はナチスドイツと米国が冷戦状態を続けるが、老いたヒットラーの誕生日に向けてデタントの動きが・・・という話だ。設定だけでも興味を惹かれる。
 仮想戦記や仮想歴史小説はそれほど珍しいジャンルでもなくなっているが、第二次大戦後の仮想世界を舞台にした話は案外少ない。「高い城の男」から「征途」に至るまで、ないことはないのだが。で、そうした仮想戦後史が映像化されているというのならば、観たくなるというもの。
 だがしかし、私はこの映画のタイトルを覚えていなかった。タイトルを知らなければ、注文することもレンタルビデオ店で検索することも出来ない。そこで私はネットでいくつかのキーワードを入力して調べたのだが、簡単に特定することが出来た。はじめてネット接続した1997年当時はサイトの数も情報量も少なく、大して調べ物の訳には立たなかったのだが、今はこういった断片の記憶を頼りにして、人々の雑多な情報の中から欲しいものを見つけることが出来る。で、タイトルは「ファーザーランド〜生きていたヒトラー〜」というらしい。TV用長編だということもわかった。
 だがしかし、タイトルがわかっても近所のレンタル屋には置いていなかった。2500円ぐらいならばDVDを買ってもいいのだが、1万円以上のVHSしかない上に、それも品切れであった。まあそのうちどっかで見付かることもあるでしょう。釧路のレンタル屋にまだあるのかどうかは知らないけど、帰省したときに立ち寄ってみようかな。


 さて、「ファーザーランド」のタイトルはわかったが、こういった気になっているけれどもタイトルを覚えていない/知らない作品はいくらもある。まだ判明していないものとしては、次のようなものが気になっている。

・日本が第二次大戦後に分割統治をうけ、札幌はベルリンさながらにソ連と資本主義国とで南北に分断され、その境界は豊平側とされた。というような小説が北海道新聞の広告に載っていたのだが、タイトルは覚えていない。ネットで、いくら検索しても出てこない。ちなみに「征途」は分断都市となったのは旭川なので、違う。
※後に偶然わかったが、これは「沈黙の橋」である。

・劇場長編アニメ。地球のあちこちから火山が噴き出す末期的状況の中、人々は新しい都市も建設しているのだが、宇宙人か何かが攻めてきてその街をも破壊しようとする。主人公は学校の生徒なのだが、なぜかロボットに乗って戦う。幼少期にテレビで観た断片すぎて、まったく特定できない。


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