| こんな危険な国からはさっさとおさらばすることにしたメルグたちは、帰る準備をしていた。 クレヴァスの魔法を使えば、ネリグマまで一瞬だ。 なんとなく、メルグは帰りたくなかった。ゼルム公国を出るのが嫌なわけではなく、カリスにもう会えないのが残念だった。 （わたし、カリスさんのことが好きなのかしら） メルグは荷物を片付けながら思った。 好き、その感覚がよくわからなかった。メルグはシーファやクレヴァス、勿論レジのことも好きだった。シーファ、クレヴァスは姉、兄として。レジは友達として。 メルグがカリスに対して持っている感情はそのどちらでもなさそうだった。 だから、好きだと思うのは違うようにも思えた。仲良くしたいとか思うわけではない。ただ、カリスの一挙一動がメルグには気になってしょうがなかったのだ。 （見送りに来てくれるわけはないし） メルグは誰も気づかないくらいの溜め息を吐いた。 「おい、メルグ早く行こうよ。クレヴァスさんもう結界張ってるぜ」 レジが言った。 「なんだかすごく嬉しそうね、レジ」 「え、別に」 （あいつが居なくなるからってわけじゃないけどな） レジは笑顔の下で思った。 カリスさえ居なければいいとレジは思っているのだ。レジにとってメルグはただ一人の理解者であると言って良かった。だから、メルグが他の人に取られるのがどうも嫌だったのだ。 （ネリグマの祭りに一緒に行った時、ちゃんとメルグに俺の気持ちを伝えよう。真面目に言えば、メルグも少しは俺のこと考えてくれるだろうから） レジは思った。 メルグは自分のことを見ていない。それは分かっていた。だからこそ、少しでもメルグの目を自分に向ける必要がある。そしてそうするには、告白してしまうのが一番いい方法に思えた。 「レジ、行くわよ。何か考え事でもしてるの？」 メルグがレジに話しかけた。 「ごめん。ちょっとメルグに見とれてた」 「嘘ばっか」 メルグは笑いながらレジと一緒に外に出た。 結界の中に入った。これでこの国ともおさらばだ。 レジがなんとなく見た景色の中に、カリスが居た。 「あいつ……」 レジはつい呟いた。 言わなければ良かったのだ。言わなければ、メルグはカリスに気づかなかったのだから。 メルグがレジが見ている方を見た。 「カリスさん」 メルグは結界を出ようとした。 「ばか。なにやってんだよ！」 レジはそのメルグを止めようとした。 移動が始まった結界からでることは、途中の空間にほうり出されてしまうという事。しかし、その時メルグの頭からは、危険であることは消えていた。 辺りが白くなった。 気づくと、そこはネリグマではなかった。 （わたし、一体。……まさか変な空間に取り残されちゃったの？） 手足が自由に動かなかった。 目を開けているのか閉じているのか、暗くてわからなかった。 この空間から出なくてはと思うのだが、気持ちばかりで状態は変わらなかった。 （どうしよう） メルグは泣きたくなった。 誰も居ない。自分のせいだ。結界から出てはいけないことは知っていた、にも関わらず自分は結界を出ようとした。 動こうとしても、動いているのかいないのかもわからなかった。声を出そうとしても、口が開いているのかさえもわからなかった。 強い圧力に押さえつけられているようだった。わかり易く言えば、重い布団にくるまっているような息の詰まりそうな感じだった。 （カリスさん） メルグはその名を呼んだ。今、会いたいと思った人だ。レジではなく、カリス。レジにはいつも会っていたから、今更会いたいとは思わなかった。 「メルグ、ばかメルグ。何してんだよ」 声はレジだった。 急に意識がはっきりしてきた。 「レジ？ どこに居るの？」 手足が動く。声も出た。 暗闇が次第に薄れ、レジの姿が浮かんできた。 「ここは空間の狭間だよ。メルグが結界を出ようとするから、こんな所に飛ばされたじゃねえか」 レジが言った。 「ごめんなさい」 メルグは謝ることしかできなかった。レジはメルグを助ける為に、自ら空間の狭間に飛び込んだのだろう。 「いいって。すぐにここを抜けるから」 「抜けるって、今わたしたち移動してるの？」 「そうだよ。分からない？ すごい早さで動いているんだ」 レジか答えた。 「止まったらどうなってるの？」 「止まったら死ぬと思うけど」 「……」 メルグには移動しているという感覚がなかったが、どうやら一度も止まらずに空間の狭間を抜けたようだった。 今度は逆に白い世界だった。 「ここは？」 「いわゆる天国だよ。死んだ人が必ず訪れる、心の中の世界」 レジは立ち止まった。 地面がちゃんとあって、足が付いた。 「心の中？」 「そう、すべての人が持っている気持ちいい部分が作った空間のはざまの一つだよ。さっき通ったのはいわゆる地獄」 「色々知ってるのね」 メルグは言った。 「俺はよくここに来るんだ。前に来た時に、ここに居た人に教えて貰った」 レジが答えた。 「よく来る、って、そんな簡単に行き来できるの？」 「あー。慣れれば簡単」 レジが笑った。 「でも、多分、メルグには無理。……俺でも、メルグよりすごいとこあったんだ」 勝手に喋って、勝手に感心している。 自分には無理と言われて、エルフなら簡単なのか、となんとなく思う。 「人が居るときがあるの？」 「居て欲しいと思えば居るよ。でも、普通は居ない。一人だけ。今日はメルグが居るから、別に他の人はいらないよ」 「でも、わたしは沢山人が居た方がいいわ。だって、二人だけなんて寂しいじゃない。天国なら、もっと明るく人が居た方が……」 メルグが言うと、レジは座った。 「ここは通過地点に過ぎないんだって、ある人が言ってたよ。ここに長くは居られないんだ、死んだ人は。そしてここから先には俺たち生きた人間は入れないんだ」 「ふーん、そうなんだ。それより、もう帰らなくちゃ」 メルグは、この世界にさほど関心がわかなかった。 まるで、夢を見ているようで、現実味がない。だから、何かを真剣に考えることをメルグはやめていた。 シーファたちは心配しているだろう。 そう思う。 その次の瞬間、白かった世界は、さっきまでメルグたちが居た地獄と同じように黒く染まっていった。 「……何？」 メルグが言った。 レジも警戒していた。しかし、黒い影が何物であるのかわかると、レジはメルグの手を取って言った。 「これは別の人の意識だ。逃げよう。誰かが俺たちの意識を壊そうとしているんだ」 二人は走った。黒い意識から逃げる為に。 「レジ、ここは天国なんでしょう。だったらなぜこんなに黒いやつが出て来るの？」 走りながらメルグは聞いた。 「魔族が魂を食いにたまに来るんだ」 レジが答える。 「メルグ、天国の向こうに楽園って存在すると思う？」 （こんな状況で、何を言ってるの？） メルグは思うが、周りを見ると、思っていたよりも闇の進行はゆっくりだった。 「どんな人でも、みんなが楽しく暮らしてる楽園。でも、楽しいって思うのは、人それぞれじゃない？」 走りながらレジが言う。 走っているので、メルグは何も答えることができなかった。 「みんなと一緒に居るのが楽しい人も居れば、一人で居る方が楽しい人も居る。だから、楽園がもしあるとしても、みんなが楽しく幸せには暮らせないと思うんだ。誰かは犠牲になるんじゃないかな」 黒い影が二人を囲んだ。もう逃げ場は無かった。 「どうするの、レジ？」 「どうしようもねえよ。元はと言えば、メルグが悪いんだからな。死んでも俺のせいにするなよ」 「分かってるけど」 メルグは言った。 レジを見ると、楽しそうだった。ワクワクした目を、闇へと向けていた。 「……何が、そんなに楽しみなの？」 メルグは聞いてみた。 さっきレジが言っていたが、魔族に魂を食べられてしまうかもしれないのだ。それなのに、レジは怖がる様子は全く無く、逆に嬉しそうに見える。 「分からないだろうな、メルグには。俺たちには光の世界よりも気持ちいい所があるんだ。それが、闇。何をしても咎められることのない世界」 レジは言って、両手を天に向かって掲げた。 「さっき楽園の話ししたけど、まあそんな感じだよ。多分普通の人は、こういう闇は苦手なんだろうけど、俺にはなんか心地良く感じるんだ」 普段良く知っているレジと違う気がした。夢のようなこの空間の狭間。 いや、今見ている風景は、夢なのかもしれない。 そう思うメルグの前の闇が割れ、そこから不死鳥が舞い降りて来た。 「そこだ！」 レジが突然叫んだ。 不死鳥がレジが指さした方へ飛び闇に穴を空けた。闇が裂け、そこから光が漏れた。 「助かるの？」 メルグは聞いたが、その答えをレジから聞く必要は無かった。 答えは、まだ助からない、だった。せっかく開いた闇が、すぐに元に戻ったのだ。 いや、元に戻ったわけではなかった。そこに、一つの影が浮かんだ。 「秘宝を持つ者よ」 影が語りかけた。 「秘宝を持つ者よ、汝らはすなわち封印を解く者。世界を滅ぼす者。汝らの秘宝の力、我に見せてみよ」 影がくっきりと浮かんだ。 男だ。だが、普通の人間ではない。目が異様に大きく、口は耳の方まで裂けていた。そして耳は尖っている。 「魔族！」 メルグが言った。 「らしいな。こんな光りの世界を一瞬で闇に変えてしまえるくらいだから、そうとうな魔法の使い手だな」 レジが言った。 男が呪文を唱える。 レジはその魔法で、一瞬にして体を束縛された。 「うそ？」 今から活躍しようとしていたところで、いきなり何もする間も無く束縛されて、レジは言った。 「もう、ばかレジ。ソーナンマンク！」 メルグも呪文を唱えた。 相手を攻撃する前にまず周りを明るくしなければ、メルグにとって不利だから、メルグは光を放った。これであと一時間くらいは明るいはずだ。 「フェルストイン・ノーナブ」 続けて唱えた呪文は、炎系の攻撃魔法だった。 男に直撃する。だが男は声も立てなかった。 炎に包まれた男が呪文を唱えるのが聞こえた。 「キャー！」 メルグの体が浮いて、すぐに地面に叩きつけられた。 「メルグ！」 レジが言う。助けに行きたくても、束縛されているので動けなかった。 男が倒れたメルグに歩み寄った。秘宝を取るつもりだろう。 男が延ばした手を、メルグは払った。立ち上がれない。ハエを追うように手を払うのが精一杯だった。 が、手を払ったことが男の気に障ったらしい。もともと悪そうな顔をしていたが、さらに表情がきつくなっていた。 「憎々しい手だ」 男はそう言って、メルグの右手を取った。 右手にはマジック・ブレスレットをしてある。それがなければメルグは魔法を使えない。 メルグは男の手を振りほどこうとした。 逆に、男がしっかりとメルグの手をつかんで、呪文を唱えた。 ドン！ 大きな爆発が起きたような衝撃がメルグに走った。音が頭に響く。 （痛い……） 目も開けられずに、メルグはそれだけ思った。 なんとか目を開けて、メルグは力が入らずにだらりと垂れた自分の腕を見た。 何か右腕に力が入らないな、と思っていたら、男に掴まれていた部分から血が出ていた。 マジック・ブレスレットが地面を転がる。 （あれがないと、大変だわ） メルグは目だけでそれを追いかけた。体を動かすことは出来なかった。 感覚はほとんどないのだが、何度も男から殴られているのが目に見えた。まるで他人事だった。 「メルグ、メルグ！」 レジは何度もメルグの名を呼んだ。 「メルグ、レジさん」 別の所から声が聞こえて来た。 レジがはっとして声の方を見た。 「あんた、どうしてここに……」 「細かいことは気にしないでください。今レジさんの束縛を解きます」 頬に入れ墨をした男はそう言ってレジの束縛を解いた。 束縛が解けたのなら、メルグが殴られているのを黙って見ている必要はなかった。 地面を転がるマジック・ブレスレットを、レジは拾い上げた。 「ガル・ゼンニ・サンサロー！」 光がマジック・ブレスレットに集中した。 『マジック・ブレスレット』は、人間に秘められた魔力を引き出す力を持っている。それゆえに、元から魔力を持っている魔族やエルフにとっては強すぎる薬だった。 （ちくしょう、これが限界か。あいつを倒せるくらいの強い魔力は出ないのか？） レジはそれを使っても、まだ十分ではないと感じていた。 全身から汗が吹き出した。苦しい、一言で言うなら、そう言うしかないだろう。長い距離をずっと走った後のような、呼吸の困難さと全身の力が抜けた感じが、レジを極限状態にまで追い込むのだ。 光が炸裂した。 魔法が、黒髪の男に直撃した。 「よしっ！」 言って、レジはガッツポーズを取ろうとしたが、そんな力は残っていなかった。 レジはそのまま倒れ込んだ。手には未だマジック・ブレスレットを持っていた。 男が姿を消した。まるで、今までメルグたちの前に居たのが幻覚であったかのように、薄れて消えていったのだ。 「レジさん、大丈夫ですか？」 近くに居た刺青男、つまりカリスが、レジに声を掛けた。 「あいつは…どうした」 薄くだけ目を開けてレジが言った。 「逃げました。追わない方がいいでしょう。それよりも、早くマジック・ブレスレットを離した方がいいですよ」 カリスがそう言っている途中で、レジは目を閉じた。 ただ手に触れているだけのマジック・ブレスレットに、どんどん魔力が吸い取られてゆく。レジはまともに考えることが難しかった。 「聞こえないのですか？ ……レジ、おい、マジック・ブレスレットを離すんだ。死にたいのか！」 カリスが言った。 すると、レジはやっとの状態で目を開けて、カリスに言った。 「やっと、普通に話しかけやがった。……俺はあんたのその敬語が気に食わなかったんだよ」 レジは手の力を抜いて、マジック・ブレスレットを離した。 「レジどうしたの？」 メルグが聞いた。ゆっくり歩いて来る。 カリスは驚いて言った。 「メルグ、動かない方がいい。出血がひどくなる」 空間の狭間は、意識だけの世界ではない。本来は魂だけ意識だけが来るところではあるが、今は肉体ごと、この狭間に居るのだ。ここでの怪我は、地上での怪我と同じだった。 メルグは自分の怪我のことなど気にならなかった。それよりも、カリスの前に倒れたレジの方が気になったのだ。 「カリスさん、レジは大丈夫なの？」 「ああ、大丈夫だ。ただ魔力を使い過ぎて眠っているだけだから。それよりもメルグ、そこを動かないで」 メルグを助けにカリスが行こうとしたとき、メルグも貧血で倒れた。 |
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