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最後の戦士達

第九章

約束

 エクシビシュンからコヒの宮のある島へ渡るため、ユメ達は港に来ていた。本来なら、毎日正午にコヒ行きの船が出るはずなのだが、戦争のため船の出航間隔がずれ、次の船がいつになるのかもわからない状態だった。
「なるほど。それで魔法ってことか」
 小さな舟に乗り込んでから、カムが言う。
 ここからコヒの宮のある島まではそんなに遠くはない。しかし小さな舟を手で漕いで進むには少し辛い。それでも魔法で波の抵抗を減らし、漕力を上げることができれば、そう時間は掛からないだろう。
 舟に最後に乗り込んだナティが、何か呪文のようなものを唱えている。
 暫くすると、勝手に舟が動き始めた。波に攫われているのかとも思ったが、そうでは無かった。
「何したんだ?」
 カムが聞くと、ナティは答えた。
「水の精霊に頼んだんだ」
 精霊魔法だ。普通の魔法が術者の体力を消耗して発動するのに対し、精霊魔法は基本的に『精霊に命じる』ことで発動するため、体力の消耗が無い。
「じゃあ、俺は何をすればいいんだ?」
「波の向きを変えただけだから、このままでは速さが出ない。カムは舟に推進力を加えてくれ」
 簡単なことのように言うが、実は難しい。魔法で物体を移動させるのは、その質量が大きければ大きいほど大変だ。少なくとも、カムの力ではこの舟をコヒの岸まで辿り着かせることはできない。つまり、カムが動かさなければならないは船ではなく、水。それから実際に自分で漕ぐということになる。
「ああ、なるほどね。そりゃ、俺が居たほうが都合がいい」
 ひとりで納得して、カムは舟を漕ぐため、櫂を両手に持った。
 途中で休憩もあったが、夕方にはコヒの宮のある島に到着した。島には大きな船が何隻か停泊している。エクシビシュンから出る船とは違うようだった。
 人影は見えないが、念のため港から続く一本道は避けて、目立たないように移動した。ユメ達がキフリの宮を破壊したとして、手配されている可能性が捨てきれないからだ。
 そのまま、コヒの宮に入る。特に以前と比べて変わった様子はなかった。
 本当に何も変わっていないのであれば、シュラインが居る部屋は、広間の奥の通路を行った先だ。
 四人は無言のまま、そちらへ向かった。
 誰にも会わないまま、シュラインの部屋の扉の前に辿り着く。ここまで来て妙に警戒していても、逆に怪しいだろう。ナティはごく普通に、扉を叩いた。
「どうぞ」
 シュラインの声だ。
 ナティが扉を開けて、四人は部屋に入った。
「待っていました。ここまでは誰にも見つからずに?」
 シュラインが言う。
 誰ともなく、頷く。
「そうですか。港に停泊している船を見たと思います。フライディからの船ですが、連合軍の軍船だそうです。コヒの宮を軍事基地として使用したいと」
「それで、シュラインはどうするんだ」
 ナティが聞いた。
 シュラインは首を左右に振って答えた。
「もちろん断りました。けれど、彼らは『神子の許可を得るまで帰らない』と言って、動こうとしないのです。仕方がないので、今は宮に泊まってもらっていますが……」
 言葉が途切れる。
「あまり嬉しくない噂も聞きました」
「噂?」
「後で来た人達が話していたのを聞いたのですが、わたしの許可を得られない場合は、コヒの宮を攻撃して占拠すれば良いという案がフライディの議会で出ているそうです。その議案が通れば、すぐにここは戦場になるでしょう」
 どこの国のものでもないと決められたコヒの宮を、占拠しようという考えは本来ならおかしい。しかし、そう決められたのは、今占拠を決めようとしている人間達が生まれるよりも前の話。彼らにとってこれは、古い決まりごとに過ぎないのだろう。
「どうするつもりなの? 宮の人達は、そりゃ強い人も居るけど、ほとんどの人は普通の人よね。戦いになったら大変なことになるわ」
 セイが言うと、シュラインは頷いた。
「その通りです。祝のうち、帰る場所のある者達はすでに帰しました。けれど、身寄りのない者や、故郷が戦地になっていて帰ることができない者達が、まだ残っているのです」
「戦力が必要なら、俺も残るが」
 ナティが言う。
「いいえ。ナティは行かなければなりません。それに、もうどうするかは決めているのです。皆さん、心配しないでください」
 シュラインはそう言って微笑んだ。
 コヒの宮で渡された鎧や剣を、元あった場所に戻す。そもそもコヒの宮に寄ったのは、鎧を返す為だった。コヒの宮の紋章が入った鎧を持ち歩いていては、何かするにしてもいちいちコヒの宮への迷惑を考えなければならない。壊そうという案もあったのだが、宮から鎧が無くなったままになると、無くなった理由を考えねばならず、それはそれで迷惑だろうということになったのだ。
「よう、元気だったか?」
 鎧を返してから、シュラインの部屋に戻ろうとしていると、ライトに会った。
 以前会った時と何も変わっていない。
「来るっていう話は聞いてたけど、遅かったな。そうか、船が出てないのか」
 ライトが言う。
 ライトの後ろの廊下から、複数の足音が近付いてきた。スウィートとサプライ、ベナフィトだ。
 四人は彼らに向かって、軽く頭を下げた。
「今は忙しい時期です。油を売っている場合ではありませんよ」
 ベナフィトがライトを一瞥して言った。
「ベナフィトの言う通りよ」
 スウィートが言う。
「ああ、分かってる。ま、そういうことだから。お前達はこれからどうするんだ?」
 話を終わらせるのではなくて、続けようとしているライトに向かって、呆れたとでも言いたそうな視線が投げかけられている。
「隣の大陸に」
 ナティが短く答えた。国の名前は出したくなかった。エクシビシュンの軍人がどこで聞いているとも限らないからだ。
「そうか。でもすまないな。今日はカンセントレイトは出してやれないんだ。これからに備えないとな」
「ライト、行きますよ」
 ライトの話を遮るように、ベナフィトが言う。
 ライトは決まり悪そうに笑って、四人に向かって手を振ってから、歩いていった。
「俺たちも急いだ方がよさそうだ。あの様子だと、そんなに時間は無いのだろう」
 ユメが言う。
 他の三人は頷いた。
 シュラインは、連合軍からの要請には従わないつもりだろう。コヒの宮はどこの国にも属していないのだ。コヒの宮に住むのは、連合軍に参加している国の出身者だけではない。だから、どちらか一方の国に味方することは考えていないのだ。
「行こう」
 ユメが言って、走り出す。
 港に泊めた舟に乗り込み、今度はウィケッドへ向かった。

 夜になっていた。
 シュラインは荷物をまとめた鞄を持つと、窓から外へ出た。広間を通って行くと、どこかで連合軍の人間に会ってしまうだろう。
 窓の下は植え込みになっていて、シュラインよりも背の高い木が茂っていた。シュラインはそこを、宮の裏手に向かって突っ切った。
 木が鞄に引っ掛かって折れる。
 大きな音がした。
「何の音だ?」
 男の声が聞こえてきて、シュラインはその場に立ち止まった。
 コヒの宮がある島は、エクシビシュンとウィケッドの丁度中間にある。だから、両方の国が欲しがっている。今上陸しているのはエクシビシュンを含む連合軍だが、ウィケッドがコヒを狙っていることは連合軍も知っているから、こうやってつねに見張りが居るのだ。
 別に、彼らは神子や祝を見張っているわけではないが、もし見つかったら、なぜこんなところを歩いているのかと聞かれるだろう。そうなると面倒だった。
 男の気配が近付いて来る。
 シュラインは、夜に移動することを考えて黒い長衣を羽織っている。繁みの中でじっとしていれば見つからないはずだった。
「誰か居るのか?」
 男が問いかけている。
 ここに居るのが私でなくて、ウィケッドの軍人だったとしても、答えるわけがないのに。
 そう思うと、男の行動が面白かった。
 男も夜の見張りに立たされて、本当は怖いのだろう。ろくに確認もせずに、男は茂みから離れて行った。男の気配が消えてから、シュラインはゆっくりと歩き出した。
 宮の裏手にある薔薇園を抜ける。シュラインが育てた薔薇だ。薔薇は好きな花だった。見た目も美しいが、何よりも香りが好きだった。コヒの神子として生きるシュラインの、唯一の楽しみが薔薇の栽培だったと言っても過言では無い。
 カム。
 黒髪の男性を思い浮かべる。何度か、ここに呼んで来てもらった。
 カムはシュラインに、別の楽しみを運んでくれた。ここから連れて行ってくれるという、生まれてからずっとここで暮らしていたシュラインには、想像もつかないことを言った。
 カムしか、自分を連れ出せる人は居ないと思っていた。
 けれど今、シュラインはカムの助けなしに、宮から出ようとしている。
 海が見えた。宮の裏手は、崖になっている。
 シュラインは崖から飛び降りた。
 小さな舟が何隻か、崖の下の海に浮かんでいるのが見えた。
 途中で、シュラインの落ちる速さが遅くなる。
「お待ちしてました、神子」
 ライトの魔法で減速して降りてくるシュラインを、別の祝が受け止める。
「全員居ますか?」
「あと三人です」
「そうですか。それでは、全員揃ったら出発しましょう」
 シュラインは、島から外に出たことがなかった。
 追い出されるような今の状況はあまり嬉しいことではない。しかし、島から出られるということを、他の皆には悪いと思うが、少し嬉しいと思うのだ。
 数分後、島に残っていた祝と神子を乗せた舟は、静かに島を離れた。

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