七、緑の瞳の女
『お前は、おんなみたいだな』
赤よりも淡く、金よりも濃い髪を短く切った緑の瞳の人は、少し高い声で、ナティセルにそう言った。
女みたいだと良く言われる。言われるといつも腹が立つのに、緑の瞳の人に言われても嫌な感じはしなかった。それは、ナティセルがこの人に好意を持っているから。
『強くなって。誰にも負けないように。生き残れるように。未来を、変えてくれ』
緑の瞳が、瞼に隠れて見えなくなる。
『ちが――』
否定しようとして、ナティセルは言葉に詰まった。
ナティセルが掛けた麻酔効果のある魔法で、緑の瞳の人は寝息を立て始めている。
綺麗な緑色の瞳が見えなくなったことが少し残念だったが、寝ている姿も可愛らしいと思う。
記憶を消して、未来を見えなくして、それで緑の瞳の人が救われるのなら、ナティセルのことは覚えていなくても構わない。
また、いつか。
気付くと、ナティセルは先ほどの部屋と良く似た部屋に居た。ただ、先ほどと違って壁には彩りの良い布が張られていて、蝋燭の数も多く明るい。自分が寝ているのは柔らかな寝台だ。生地も上質の絹を使っているのが分かる。
ナティセルは起き上がって、自分の額に手をやる。
いつも身に付けている額飾りが無い。辺りを見回すと、貢物として持ってこられたと思われる食料と酒がちゃんと食器に盛られて、脇の小さな卓の上に乗っていた。
「お気づきになられましたか」
女性の声がして、ナティセルはそちらを見た。先ほどまで見ていた四年前の夢が、まだ続いているような錯覚を覚える。
女性は、赤い髪を肩より少し長くまで伸ばして、あまり見たことのない、どこかの民族衣装のような服を着ていた。
「あなたは?」
ナティセルは女性に尋ねた。年齢はナティセルと同じくらいに見える。二年前に竜の生贄になったという女性だろうか。
「サニーメリと申します。貴方が竜を倒してくれたおかげで助かりました」
胸の前で両手を合わせて、祈るようにナティセルに向かってお辞儀をする。
サニーメリは、ナティセルに額飾りを手渡した。それを受け取ったナティセルを見つめて、緑の目を細めて微笑む。
ウィケッド人は金髪碧眼が多い。サニーメリのように赤毛に緑の目というのはウィケッドでは見たことがなかった。
緑の瞳の人。
年齢こそ違うが、先ほど見た夢から抜け出てきたかのようだった。
しかし、髪の色と目の色は確かに同じなのだが、その人とは全く違うということを何となく感じる。
「ここは?」
「ここは、竜の為の後宮のような場所です。私以外にも、何人か捕らえられております。私は、竜の世話を直接しておりましたから、このように比較的自由に動けるのですが、他の人達はもう少し奥の牢に」
サニーメリが答える。
「では、その人達も助けに行かなければ」
ナティセルが言って起き上がろうとしたのを、サニーメリは止めた。
「まだ毒が抜け切っていないのです。今はまだ安静に」
ナティセルの肩を寝台に押し付ける。
その時サニーメリの顔がナティセルの近くにまで来たが、本当に綺麗な顔立ちだ。花の香りがした。
現実味が無い。
そう感じる。顔立ちはどうでも良いが、香りが気に入らない。このように酒臭い洞窟の中で、日の差さない場所で、どうして花の香りがするのだろう。
サニーメリはナティセルが見ているのに気付いて、頬を赤らめた。
「これを食べてください。それから、こっちが解毒薬です。お水で飲んで下さい」
サニーメリは慌ててナティセルから離れると、卓の上の食事を指して、白い粒状の薬をそこに添えた。
とりあえず食事は取ることにする。自分と一緒に町から運ばれたものだろうから、食事は問題ないだろう。サニーメリが見ている。問題は、薬の方だ。解毒薬だと言ったが、本当だろうか。
サニーメリがずっと見ているので、食事の後に薬を口に含む。唾液ではすぐには溶けないようだ。続けて水を流し込む。
そこまで見届けると、サニーメリは部屋から出て行った。
気配が消えたのを確認してから、ナティセルは口から薬を吐き出した。
竜に連れて行かれる前に、一度あの毒霧を受けた。しかしその後目覚めた後は、何も体に異常がなかった。普通に寝て起きたのと同じ感覚だ。それが、今回は頭に鈍い痛みと、胸に気持ち悪さが残っている。単純に、吸い込んだ毒素の量が違ったという可能性もあるが、そうとは思えなかった。
スターニーはどうなったのだろうか。サニーメリが自分を助けてくれたのであれば、スターニーも助けられていると思われたが、サニーメリはスターニーのことは一言も言わなかった。とすると、最初の部屋で気絶したまま、発見されていないのかもしれない。
寝台から降りて立ち上がろうとして、ナティセルは酷い頭痛に座り込んだ。
今まで生きてきて、こんなに酷い頭痛は初めてだ。立っていられない。もう一度、寝台に寝転がる。
頭痛が引いてから、ナティセルは上半身だけ起こして、さっきサニーメリに渡された額飾りを着けた。
頭痛以外に、少し体がだるい感じがある。痛いのは頭だけだ。
そう言えば、あの後どれくらい経ったのだろう。一日は経っていないと思いたいが、太陽が見えないので今が昼か夜かも分からなかった。
痛み止めを。
ナティセルは思って、自分に魔法を掛ける。痛みを感じなくする魔法は簡単なものだ。ただし他の怪我などにも気付きにくくなる為、相当酷い時で無いと使わない。今がその時だった。
ナティセルは立ち上がって、もう一度部屋を見回した。
ナティセルが着ていたドレスが見当たらない。今着ているのは、ドレスの下に着込んでいた普段着だ。持ってきた短剣も見当たらなかった。
頭の飾りリボンの部分は、リボンは外されていたが、髪をまとめる紐はそのままだったから、それを外す。ナティセルは自分の髪を頭の高い位置で一つにくぐった。長さの足りない前髪が、何本か落ちて目の前に流れる。
ナティセルは部屋から繋がる廊下のようになった道を進んだ。
地理が分からない。仕方ないことだ。どうしてもという時は、土精霊に頼んで無理やりにでも外に出るつもりだった。
ただ気になるのは、スターニーがどうなったかと、サニーメリが言っていた他の捕らえられた人達のことだ。本当だろうか。
竜は、女が貢物に混ざっていても喰っていたわけではないようだ。ナティセルを見て、花嫁にするなどと言い出したくらいだ。とすると、何人かは花嫁として残っている可能性が高い。サニーメリも、ここは竜の後宮だと言っていた。
信用はできないが。
あの目と髪が、どうしても信用できなかった。広い世界には、あの人以外にも、同じような色を持つ人が居てもおかしいことではない。しかし、あの色はあの人だけのものだ。ナティセルの記憶と全く同じ色を持つ人間が、あの人以外に存在するとは思えない。
廊下のようになった通路を走る。
所々に蝋燭が灯っていて、視界は悪くない。
道が分かれている場合は、左端を選ぶことにした。
「どこへ行くおつもりですか」
背後から、声がした。
立ち止まって、振り返る。サニーメリだ。風呂にでも入っていたのか、赤毛がしっとりと濡れている。ナティセルを急いで追ってきたからか、サニーメリは息が上がっていた。
「人を探している。一緒にここに来たはずだ」
ナティセルはそう答えた。
「人? あなた以外には居ませんでした」
サニーメリが言う。
探したけれど居なかった、そんな風に聞こえる。スターニーが樽に隠れていた為に見つからなかったのかもしれないが、少し探せば分かるはずだ。
あの騒ぎの途中で逃げたのかもしれない。
そう思って記憶を遡るが、出口はいつもナティセルの視界の中にあったし、そこを通った者は居なかった。
やはり、あの部屋に残っているのだろう。
「竜はどうなった」
「死にました」
あまりにも早くはっきりとした返答に、ナティセルは違和感を感じた。いや、おかしなことは無いはずだ。逃げたか死んだかの、どちらかしか無いのだから。
違う。サニーメリはナティセルに『貴方が竜を倒してくれた』と言っていた。だから竜が死んでいることを、ナティセルは知っている。聞きたかったのは、生死ではなく竜の行方だ。ナティセルの意図とは異なる返答だったから、違和感があったのだ。
「本当に死んだのか、確認したい」
ナティセルが言うと、サニーメリは残念そうに言った。
「それが、あの場所はもう崩れてしまって、行く事ができないのです」
「それは本当か」
「ええ。まだ崩れたばかりで危険なので、近付かない方が良いと思いますが」
それではスターニーは。
不安が過ぎる。
「危険でも構わない。そこへ案内してくれ」
ナティセルが言うと、サニーメリは不安そうな顔をしたが、それでも頷いた。
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