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第ニ話 夢遊病(前編)

  小さなその町を一望できる丘の上に、他の家とは違った趣の家が一軒、ポツンと建っている。町にたくさんある、木で作られた普通の家と違い、その家だけ西洋の建物を模して煉瓦造りになっていた。
 家の扉の上には『祓い屋』と書かれた木の看板が掲げてあって、扉の取っ手には『商い中』の札がぶら下がっている。
 店の扉を開けて中に入ると、金色の長い髪を腰程まで垂らした背の高い男が、一人で店番をしていた。
 男は、その青い瞳で、店に入ってきた若い女をじっと見つめる。若い女、まだ子どもと言っても良いかもしれない。十五、六の少女だ。
 初めてこの店に来た少女は、男と目が合って、急いで目を逸らした。
 着ている服は、今年流行の紺地に白鷺の柄で、艶やかな光沢を放っている。どうやら、本物の絹のようだ。
「いらっしゃいませ」
 男は少女に声を掛けた。
 少女は男に少し顔を向けると、すぐに店の品物へ視線を移した。
 茶色がかった柔らかそうな髪には、少し癖があって波打っている。目が大きくて、顔も丸くかわいらしいが、この髪では美人と言われることもないだろう。この国では、髪は真っ直ぐで黒いのが美人の条件だから。
 前髪が顎の高さよりも短いのは、未婚であるということだ。
 お金持ちの武家の娘と言ったところか。
 金髪の男、黄蘗〔キハダ〕は、軽く値踏みしてから、少女にもう一度声を掛けた。
「何か相談事ですか? 私は只の店番ですので、今主人を呼んで参りましょうか?」
 主人は金にがめつい。金を持っていなさそうな者の為に、奥で読書に勤しんでいる主人を呼び出すと主人が不機嫌になることは目に見えているから、客の財力を計るのがキハダの癖になっていた。
 少女の年齢が十五、六ということから考えて、嫁入り直前と思われた。しかも、着ている服や物腰から、かなりな良家の娘のようだ。そんな少女が、たった一人でこんな田舎の、しかもこんな店に来るのだから、相当な理由があるに違いない。
 先程のキハダの問いに、少女はやっと小声で答えた。
「はい。お願いします」
「少々お待ち下さい」
 キハダは微笑むと、店の奥の扉を開けて、その中へ入った。
「紅緋〔ベニヒ〕、お客様ですよ」
 部屋の奥へ向かって大声を出す。
 薄暗い書庫に、キハダの声が響いた。
 主人であるベニヒの返事は無かったが、暫くして本棚の向こうから、黒髪の女性が姿を現した。
「人が珍しく勉強をしていたらこれか」
 欠伸をしながら、ベニヒが言った。
「夢に関する勉強ですか? それは難しかったでしょうね」
 微笑みながら、キハダが言った。
 ベニヒが顔を顰める。
「嫌味な奴だ」
 キハダは、それが嫌味になっているとは思っていない。それがまた妙に腹立たしいのだが、それもキハダは理解しない。
 店へ続く扉を開ける前に、ベニヒは軽く、自分の髪を手で撫でつけた。机に突っ伏して眠っていたのが客に分かってしまっては、祓い屋の威厳が丸潰れだ。
 ベニヒは扉を開けた。
「わたしがここの主人のベニヒだ。困り事があるようだが、よかったら相談に乗るぞ」
 言葉遣いが乱雑なのはいつもの事だ。相手が年上だろうが、目上だろうが、お客様は神様だろうが関係ない。
「まあ、座れ」
 店の片隅にある応接椅子に、少女を座らせる。
 ベニヒもその向かいに腰を下ろした。
 キハダは、先ほどとは別の扉へ入って行った。
「見た所随分若いようだが、年齢は? わたしは十七だ」
 何も言い出さない少女に、ベニヒは言った。自分の年齢を言ったのは、歳が近いと話しやすいかと思ったからだ。
 少女は俯いていたが、少しだけ顔を上げて言った。
「十五です。あの、子どもでは御祓いして貰えないのでしょうか?」
「いやいや、そんなことはない。まあ、普通は親御さんと来るものだが、きっと親御さんに言い辛いことだったのだろう。憑き物の相談か?」
 言っている所に、キハダが茶を持ってきた。
 取っ手が付いた西洋の茶碗に紅茶を注いで、二人の前に一つずつ差し出す。
 色合いは濃い茶といった所だが、強い香りを持つそれを、少女はじっと見下ろす。取っ手の付いた珍しい茶碗は、小皿の上に乗っていて、小さな銀の匙が添えられている。少女とベニヒの間にある卓の真ん中に、キハダは角砂糖が入った瓶を置いた。
「紅茶は初めてですか」
 キハダが少女に向かって言う。
 少女は小さく頷いた。
 紅茶は外国から輸入した茶の一種で、それほど一般的では無いが、都の上流階級や金持ちの間では日常的に飲まれていると聞く。
 ベニヒの店では、魔除けの札や呪術に使う道具やその材料などを販売の為に扱っているが、中には、わざわざ外国から取り寄せる物もある。そのついでに、紅茶も持ってきて貰っているのだ。
 この国には本来居ないはずの金髪碧眼のキハダが、紅茶という外国の茶を出すことで、何も説明しなくても、客は勝手にキハダは外国人なのだと思ってくれる。キハダの存在の説明は長くなるし、説明したところで普通の人に解るものでもない。説明するのが面倒になったベニヒが考えた方法だった。
「このお茶は、スンイラ国から取り寄せたもので、こうやって砂糖をお好みで加えて飲みます」
 キハダが言いながら、ベニヒの紅茶に勝手に角砂糖を落としていく。
 次々と三つ落として匙でかき混ぜているのを見て、ベニヒは慌てて言った。
「待て。何勝手に入れてるんだ。わたしの分だろ?」
 角砂糖は既に紅茶の中で半壊していて、今更取り出すこともできない。キハダが素早くかき混ぜているので、すぐに形も無くなった。
「あーもう。全く」
 額に手を当てて、ベニヒが呟く。
 キハダは全く悪びれずに微笑んでいる。
 その様子を見て、少女はつい笑った。
 ベニヒはバツの悪そうな顔をして、それから一回咳払いをした。
「えっと。それで、正式な依頼ということなら、あなたの名前と、詳しい話を聞かせて欲しい。相談だけなら料金は無料だ。見積もりの後、料金に不満があれば仕事には移らないから、まずは費用の事は気にせずに話してくれ」
 真面目な顔を作って、ベニヒは言った。
 ベニヒの紅茶を一頻りかき混ぜたキハダは、ベニヒの席の後ろに立った。
 少女は小声のまま話始めた。
「わたしは、白樺の新橋の娘、藍〔アイ〕と申します」

ライン

 アイは武家の一人娘で、今年中には見合いによる結婚を予定していた。
 しかし、折角の見合いの日を目前に、アイは自分の身に起こった異変に気付いてしまったのだ。具体的には、夜寝ている間に、家の中を徘徊し、気付くと廊下であったり、別の部屋であったり、果ては押入れの中に居たりする。最初のうちは、寝惚けて自分で移動したのだと思っていたアイも、押入れで目覚めたのにはさすがに驚き、尋常でないと思い始めたのだ。
 数日考えたが、アイに思い当たったのは一つだけだった。
「わたし、半年前まで猫を飼っておりました。小さい頃父上から贈られた猫で、ミケと名付けてとても可愛がっていたのですが、老衰で亡くなってしまって。もちろん、きちんとお経も上げましたし、墓も作りました。恨まれるようなことは無いはずです。けれど、わたしが寝ている間に移動した場所が、全部猫が好きだった場所なんです」
 アイが青ざめた顔で言う。
 霊に憑かれたままでは、結婚できるはずもない。しかし、これを両親に相談してしまうと、今進めている縁談自体が破談になってしまう。親には、体調を崩しているということにして、見合いそのものの日取りを先延ばしにして、今に至っている。
「丁度、母上のお買い物がこの近くの町でしたので、わたしもそこまで一緒に来たのです。祓い屋に来ることは誰にも言っていません。昔引っ越した友達が、こっちに居ると嘘を吐いて来ました」
 アイが俯く。
 良家に生まれたこの少女にとって、親に嘘を吐くということは大変な勇気が必要だっただろう。
 ベニヒは腕を組んで暫く目を閉じ、そして目を開けて言った。
「その猫が原因だとすると、おそらく自分が死んだことが理解できずに、大好きな飼い主と一緒に居たいと思って、そうなってしまったのだろう。ちゃんと視てみないことには、猫が原因だと決め付ける訳にもいかないがな」
 ベニヒには霊を視る力がある。取り付いた相手に害をなそうという強い意志を持った悪霊なら、一目で分かるが、今アイを見ただけでは、そういった物は見えてこない。ちゃんと霊視する為には、それなりの設備がなければならない。
 いつの間にか席を外していたキハダが、書庫へ通じる扉から顔を出した。
 キハダを見てベニヒは頷き、アイを連れて書庫へ移動した。

ライン

 書庫に並んでいた本棚が、動かされて部屋の両端に詰められている。書棚は壁際の物を除いて移動書架になっているのだ。
 キハダが書庫のたったひとつの窓に黒い窓掛けをかけた。窓掛けの隙間から差す細い光が部屋の中央を照らす。ベニヒが燐寸を擦って、背の高い蝋燭台に乗った蝋燭に火を灯した。蝋燭台は円を描くように並んでいて、ベニヒはそれに順に火を灯していく。
 部屋がぼうっと明るくなった。
「霊視自体は体には何の影響も無い。ただ、霊視されたことに怒って憑き物が暴れるかもしれない。そうなっても、わたし達が全力で抑えるから命の心配はしなくて良い」
 ベニヒが言う。
 遠回しに、命以外は保障しないと言っているようなものだ。
 不安げな顔で、アイがベニヒから後ろに立っているキハダに視線を移した。キハダが先ほどまでと変わらず柔らかな笑顔を浮かべているのを見て安心したのか、またベニヒを見る。
「覚悟が決まれば、こちらへ」
 ベニヒに案内されて、アイはベニヒが立つ部屋の中央に向かって進み始めた。
 暗くてよくわからなかったが、近くで見ると、床板の上に何か模様が描かれている。赤黒く沈んだ色で、円が描かれていた。呪術円と呼ばれる、結界術の一種だ。
 アイは床に描かれた模様をじっと見つめたまま、歩みを止めた。
「どうした?」
 ベニヒが尋ねる。
「え、いえ」
 言って、アイは円の中に入った。
 ベニヒが部屋の隅から、四角い升と大きめの筆を持ってきた。升に入った液体に、筆を浸けて、升の縁で量を調整する。筆の穂先に染み込んだ液体が、蝋燭の炎に照らされてやけに赤く見えた。
 生臭い臭いが漂った。
 血の臭い……?
 暗いし、それが本当に血なのかどうかはわからない。けれど、一度血だと思うともう駄目だった。
 ベニヒが床の模様を書き直していると、アイがその場に倒れた。

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