―魔法使い―
緩く波立った黄金色が、柔らかく、風に揺られている。
晴れた空を映すような、青い瞳は、 いつも 遠くを 見ているようで 小さな泉の周りに、小さな木の家がある。 |
何日か経ったある夜、一緒に居た子どもの一人が、熱を出した。レイヤは今日は朝方から、気分が悪いなどとは言っていたが、発熱は唐突だった。 ざわめきに、今まで寝ていた子どもも起きて来る。 「大人を呼んでくるよ」 イーヴァは看病しているチェル達にそう言って、家を飛び出した。 泉の場所まではすぐだった。 と、泉の側に、人が立っていた。 白い服に、金の髪。ここに最初から居た大人の姿。 「すいません、レイヤが熱を出してるんです。僕たちだけじゃ、どうしたらいいかわからなくて」 誰か確認せずに、後ろから大声で呼びかけた。 振り返った、白い服の女は、神子だった。 神子は、走ってレイヤの所まで駆けつけてくれた。 「風邪を引いたようね。昨日は突然寒い夜になったものね」 神子はそう言って、水に浸してから絞った厚手の布を、レイヤの額に置いた。 「イーヴァ、ベナフィトを連れてきてください。神子が呼んでると言えば、彼女はすぐにでも飛び起きますから」 また、名前を呼ばれ、イーヴァは嬉しくなった。 「はい」 返事をして、また家から出る。今度は、ベナフィトが住む家へ向った。 ベナフィトを連れて戻ってくると、レイヤの枕もとで、神子が囁いていた。 「少し、気分がよくなる魔法をかけます」 神子はそう言うと、何かを呟きはじめた。 魔法は、確かに効いたようで、レイヤは正しい息遣いで眠り始めた。 ずっと、おまじないの一種だと思っていた「魔法」を目の当たりにして、イーヴァは息を呑んだ。 神子の魔法を受けたのが自分でなくて、少し残念な気がした。 「ベナフィトに薬を作ってもらいましょう。レイヤが目を覚ましたら、何か食べさせてあげて、それから、薬をあげてください」 神子はそう言うと、子ども達が住む家から、外へと出て行った。 ベナフィトは、じろり、と子ども達を見回すと 「はいはい、みんなはもう寝ましょうね。レイヤの看病は私がするから、子どもは良く寝て、よく食べる!それが仕事よ」 と言った。 すぐに怒るし、あんまり優しいと思った事は無かったが、本当は結構良い人なんだと、イーヴァは思った。 寝ろ、とベナフィトに言われたが、イーヴァは外へもう一度出た。 神子にもお礼を言いたくて、泉へ向った。 しかし、泉には神子は居なかった。 神子の住まいには、まだ人が居る気配がない。 どこだろう? 単に神子にお礼を言いたくて、イーヴァは辺りを探し始めた。 甘い香りが立ち込める、薔薇園に、イーヴァは辿り着いた。初めて来たわけではないが、夜に来ると、随分と雰囲気が違っていて驚く。 神子が、薔薇の中に居た。 月明かりが彼女を照らし、風が吹くと、水を被ったような彼女の髪は煌めいていた。 「神子」 イーヴァは少し離れた所から、彼女に声をかけた。 あまり近づくのは、失礼だと思ったからだ。 けれど彼女は、空に目を向けたまま、イーヴァには気付かないようだった。 仕方なく、イーヴァはもう少し、神子に近づいて、再度声を掛けた。 「神子」 「わたしを、名前で呼んでくれますか?」 神子が言った。 |
Illustration:季和凪 |
まさか、自分が名前を覚えていないことを知っていて、そんな意地の悪いことを言うのだろうか。 イーヴァは思うが、神子の真剣な顔を見て、また、緊張してしまった。 「イーヴァですね。わたしは、シュラインと申します。ウィケッド王家の長女。この世を救ったナティセルの妹」 神子が言った。 「物語を、覚えていますか? スウィートが、貴方達が来た時に、教えた物語を」 ああ。 イーヴァは思い出した。 スウィートが、この小さなオアシスの伝説だと、教えてくれた話。 二人の戦士と、二人の魔法使い、それから月の神子の、冒険物語。最後に悪を倒して終わる、典型的な英雄物語。 「伝説になるほど、昔のことではないのよ」 神子は、また空を見上げた。 「シュライン?」 名前を、反復して、イーヴァは言った。名前を確認しただけだったが、シュラインはイーヴァを振り返って微笑んだ。 「ありがとう、イーヴァ」 いつもの、憂いのある微笑ではなくて、屈託のない微笑みに、イーヴァの胸が高鳴る。 「あなたの声は、あの人に似ているわ。そうね、スウィートの話で言うと、魔法使いの一人ね」 でも、スウィートの話では、魔法使いは、魔法使い同士で幸せに暮らした、となっていた。 シュラインは、話の中に出てきていただろうか。 「イーヴァ、空を見て。わたしは、夜の空が好き。宇宙が、見えているんだもの」 あの人が、まだこの宇宙のどこかで、生きている。 シュラインの白い肌に、月明かりが反射して、姿が浮かび上がる。 そのまま、飛び立っていきそうなくらいに。 「スウィートの話には、出てこなかったでしょう。魔法使いに恋した、ただの町娘」 シュラインが笑った。 白い歯が覗いて、これまでの彼女とは違った魅力が現われる。 空を見て、と言われたが、イーヴァの目はシュラインに向けられて、他のものを見る余裕がなかった。 「イーヴァ!」 後ろから、甲高い声が自分を呼んだので、流石にイーヴァは振り返った。 「チェル……」 「うわぁっ。神子さま! すいません。イーヴァが邪魔しましたか?」 あたふたと、妙なジェスチャーで、チェルは謝っている。 邪魔したのはチェルだろ と思いつつ、イーヴァは神子に向き直った。 「シュラインさま、今日はありがとうございました」 いくらなんでも呼び捨てにすることはできず、イーヴァは礼を言った。 「……おやすみなさい」 シュラインはいつものように微笑んで、挨拶を囁いた。 チェルに引っ張られるようにして、イーヴァは薔薇園を後にした。 『魔法使いに恋した、ただの町娘――』 シュラインの言葉。 その言葉は、ずっと、イーヴァの心に引っかかっていた。 スウィートの話には登場しなかった。それは、シュラインのことなのだろう。けれど、誰に聞ける訳でもない。 チェルには聞いてみたが、当然、知らない、と答えられた。 とりあえずは、翌日から、イーヴァは弓矢作成の傍ら、ライトディルフィから魔法を学んでみる事にした。 魔法使いになれば良いってものじゃないことくらいは、分かる。 それでも、シュラインの為に、何かしてあげたかった。 声が似ていて、名前を呼んで欲しいのなら、いくらでも呼んであげたい。居なくなった魔法使いの変わりに、自分がなれるのなら、何でもできる。 いつか、本当に大人になったら、魔法使いの代わりではなくて、イーヴァ自身として、必要として欲しいと思って。 -End- |