ピアス |
町を歩いていると、よくあるアクセサリーを売る小さな露天商に出くわした。 いつもなら素通りだ。声をかけられても、煩いだけ。 しかし彼は小さな露天商の前で立ち止まった。 金色のまっすぐな髪は、短めに切られ、さっぱりした印象を与える。年は十二歳前後だろうか、まだ幼い顔立ちの少年は、その金色の瞳で露天商の商品を眺めた。 「おじさん、これいくら?」 少年は店の店主と思しき男に声をかける。 値段を聞き、その分の金を渡すと、商品を受け取って少年はまた道を歩き出した。 |
「うわっ、ナティ、それ何のつもりですか!?」 帰ってから最初に会った男に大声を出されて、ナティと呼ばれた少年は頭が痛くなった気がした。 「煩いな、ガルイグ。俺に何か変な物でもついてるのか?」 ただでさえ、暑い町の中を歩き回ったせいでくたくたなのに、帰ったら帰ったで大騒ぎされてはかなわない。 いくらこの国が最南に位置しているとはいえ、夏はしっかり暑いのだ。 「変な物と言うか、何ですか、そのピアス」 ガルイグは斜めになった帽子を正しながら、ナティに聞いた。 出かける時にはなかった、ナティの左耳の耳朶に、銀色の比較的大きなピアスが光っている。 ナティは髪も短いから、耳が髪で隠れることもない。気づかない方がおかしいし、妙に思わない方が珍しいだろうと、ガルイグは思った。 「気にするな」 ナティはそう言って、後は取り合わなかった。 傍目に見ても、ナティとガルイグはかなり歳が離れているのがわかる。実際、ガルイグの方が十歳以上年上だったが、立場は逆で、ナティの方が上だった。ナティはこの町の領主で、ガルイグは家臣の一人ということだ。 「ナティ、耳は痛くないですか?」 ガルイグが心配そうに、しかし明らかに興味深々といった表情で聞いてきた。 ピアスをする者は珍しい。少なくともこの国では、特にお洒落だとは考えられていないから、穴を開けてまで飾りつけようとは普通思わないだろう。 「第一、ピアスなんて、女がするものでは?」 返事をしないナティに向って、ガルイグは質問を続けた。 「別に。女だけがしてるわけじゃない」 ナティが返事をしたので、ガルイグはほっとした。返事がなかったので、何か怒らせるようなことを言ったのではと不安になり始めていたのだ。 「え、ああ。そういえばそうですよね。男でもたまにしてるのを見かけます。でも、確かピアスって、そもそも……何か願掛けの為じゃないですか?」 ナティの目がガルイグを睨みつけた。 図星か。 ガルイグは思う。 ナティは何か指摘されて、それが当っていた時、黙らせる為に睨みつけてくる。しかし自分の上官に逆らうわけには行かないから、ガルイグも引き下がるしかなかった。が、 「好きな女性でもできたんですか」 などと、知ったかぶりに余計なことを口走ってしまった。 しまった、と思っても既に遅い。自分の命がここで終わるかもしれない、という恐怖がガルイグを襲う。ナティは見た目の可憐さの割に、短気で実行力がある。 この国は、権力者に仕える者は、権力者の物も同然。権力者が死ねと言えば死なねばならないし、殺された所で文句は言えない。実際、ナティは彼の気に入らなかった部下を何人かクビにしているし、その気になれば、部下の首を実際に刎ねることもやってのけるだろう。 自分がその第一号になりたくはなかった。 と、色々考えを巡らせていたが、目の前のナティの様子がおかしい。 すぐにも飛んでくる予定だった、死刑宣告もない。(「死刑宣告」はガルイグの考えすぎかもしれない。) 頬を赤く染めて俯く少年は、年齢相応の幼さを見せ、佇んでいた。 え? え? え? 自分が言ったことを思い出そうとするガルイグ。 ――好きな女性でもできた 「うわ。本当だったのか」 つい大声になって、慌てて口を押さえる。 「煩い! 大体、お前には関係ないだろ」 ナティはガルイグを指差しきっぱり言うと、ガルイグを残して自室へ戻った。 殺されなくてよかったとほっとしているガルイグが、その後我に返って一人で笑い転げたことは、ナティには絶対秘密にしなければならない。 やっぱり変だったか? 自室の鏡の前に座って、ナティは自分の顔を眺めた。 いつ見ても女と区別の付かない顔立ちは、ピアスのせいでより一層、女のように思えた。 女の方がよくピアスをしている。 それは、願掛けだから。 占いやまじないは、女性の方が好むから。 けれど、ナティはそのまじないとやらに、少し縋ってみたかった。 俺らしくないか。ピアスの願掛けなんて。 ナティは思ったが、今更ピアスを外す訳にも行かないから、そのまま机の引出しを開け、中に閉まってあったペンダントを取り出した。 汚れた金色の鎖に、金で縁取られた透明な緑の石が付いている。 あのひとに、会いたい。 見たことの無い髪の色。このペンダントの飾りの石のように、綺麗な緑の瞳。 誰にも負けないと思っていた自分が、あのひとにだけは、屈した。勝負の勝ち負けではなく、初めて見た瞬間に、すでに打ちのめされていた。同じくらいの年齢なのに、他の大人よりも強かった。 名前がわからなくても、歳がわからなくても、性別さえわからなくても、あのひとへの想いは募るばかり。 そんなばかみたいなことやってないで、勉強と仕事をしろ、と言っている真面目な自分が居る。けれど、少しの時間、あの緑の目のひとのことを思っていても、良いだろう。 さらに、真面目な自分が、男だったらどうするんだ? と疑問を投げかけているが、今は無視だ。 多分女の子だった。 多分。 女の子に間違われるというか、女の子だと信じて疑われないほど可愛い顔の自分が、はじめて可愛いと思った相手が、まさか男ということはないだろう。 ナティはペンダントをしまった。 ピアスを付けたばかりの耳が痛む。 穴を開けてくれた医者は、ニ、三日もしないうちに痛みは引くだろうと言っていた。 あのひとに、会えるのだろうか。 こんなちっぽけな願掛けで、望みが叶うのだろうか。 「せめて、名前聞いておけばよかったな」 記憶が薄れないように。 再会した時に、確証を得て、喜べるように。 しかし名前など不要だ。名前が分からないからといって、忘れるわけがない。分からないわけがない。年を経て、姿が変わっていたとしても。 そんな不確かな自信がある。 |
次に二人が再会するのは、四年後になる。 それは、計算された時間、わかっていた未来だったかもしれない。 四年後に、ナティは緑の瞳を見つめる。 無感情な瞳が魅力的に見える理由はわからない。 けれど、その緑の瞳に、自分の姿が映っていることに感動するだろう。 その声が、自分の名を呼ぶことに、喜びを感じるだろう。 ピアスを初めて通した時の痛みのように、じわじわと心を刺す痛みが続いていても。 END |