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竜の剣のはじまりの物語

 リリーが目を覚ますと、もう日は随分高くなっていた。
 目の前に新緑の色が広がっていて、何事かと驚く。自分がクレイスに背負われているのが分かって、リリーはさらに驚いた。
 眠ってしまったリリーを背負ってずっと歩いていたのだ。
 優しいひと。
 リリーは思った。
「あの」
 リリーが言う。
「おはよう。リリー」
 クレイスが言って、リリーを地面へ下ろした。
「ちゃんと眠れた?」
「ええ、ぐっすりと」
 嘘ではなかった。疲れていたのが原因だろうが、本当にぐっすりと眠っていたのだ。
 レナはまだ歩いている。目の下に隈ができていて、眠っていないのがわかった。
「もう少しで次の町に着く。そしたら休憩にするぞ」
 クレイスが言う。
 リリーは起きたばかりだからまだ平気だが、レナの方が今度は危なげだ。どうも、眠って良いと言われるまで起きているつもりらしい。
 それに、エルフ族にも休憩は必要だ。休憩に必要な時間は個人差が大きいが、こまめに休憩を入れたほうがより良い。
 町に着いて休憩所に入ると、エルフたちはそれぞれに休み始めた。寝る者も居れば、座っているだけだったり、ただ立っていたり。
「レナ、眠って良いよ」
 クレイスが言うと、レナは頷いて、地面に横になった。
「毛布を使うといい」
 クレイスが言う。
 自分達が持ってきた荷物から毛布を取り出すと、クレイスはレナにそれを貸した。毛布は貴重なものだ。今までのレナならば、そんな高価なものをと拒否していたかもしれないが、眠気が相当強いらしく、そのまま眠りについた。
 フリードも目を閉じて動かない。座っているだけなので本当に眠っているのか疑いたくもなるが、どうもあれで眠っているということらしい。
「リリー、こっちへ来て、わたしの話し相手になってくれないか」
 クレイスがリリーを休憩所の角に手招きする。
「はい。でも、なんでそんな隅っこ……」
「寝相が悪いやつが居るからだ」
 クレイスはそう言って、あごで地面に寝転んでいるエルフの男を指した。言われてみると、その男の周りを避けるように、みんな陣取っていた。
「わたしはクーボワで鍛冶師をしているんだ。で、これはわたしが作った剣だ」
 リリーが隣に座ると、クレイスは剣を鞘から少し出して、リリーに見せた。
「鉄で作った剣だ。自分で言うのもなんだが、なかなか鋭い切れ味だ。だが、」
 剣をしまう。
「鉄の剣では、エルフは切れない。エルフは金属を変形させる力を持っているからだ。壊すだけの力で、その力で創造することはできないのだが。それで、竜の牙で剣を作ろうと思ったのだ。別に切りたいエルフが居るわけではない。ただわたしは、最強の武器を作りたいのだ」
 リリーは感心して聞いていた。エルフのことは何も知らない。金属を変形させる力があることは初めて聞いた。
 しかし、それならエルフが鍛冶師をしているというのも何かおかしい気がする。人族のために作っているのだろうか。それとも、人族を切るために作っているのだろうか。
 と考えて、リリーは頭を左右に振った。
 それは考えない方が良いことだ。
 クレイスは話を続けている。仕事場のこと、クーボワの町の様子、屋敷で働く多くのエルフ族や人族のこと。リリーにしてみれば初めて聞く話ばかりで、終始感心し通しだった。
 リリーは、九人のエルフたちの名前が覚えられない、とクレイスに言ってみた。
 すると、クレイスは笑って言った。
「ああ、それはそうかもしれないな。この九人は同じ母親から生まれた兄弟なのだ。わたしの母の妹の夫の姉の子ども達だ。わたしとは血の繋がりが無いが、あそこで寝ている一番上のシュダルなんかは、若い頃からの知り合いだ」
 エルフ族の年齢で『若い頃から』ということは、下手すれば百年以上の付き合いということになるかもしれない。あまりにも桁が違っていて、リリーにはよく分からなかった。ただ、シュダルのことは覚えた。
 随分と長い間話していたようだ。エルフがひとり目を覚ました。
「十分休めましたよ。交代しましょう」
 確か、名前はボリーザンとかそんな感じだった。顔を見ても、さっき言われたシュダルとどっちが年上か、リリーにはさっぱり分からない。
「じゃあ、わたしは寝る。後は頼んだぞ」
 クレイスが言って、壁にもたれた。
「リリー、わたしの側から離れるな。フリードが狙っている」
 目を閉じてから、他の者に聞こえないよう、小声で告げる。
 フリードはクレイスの父親の代から、家に仕える忠実な男だった。だから、クレイスを危険にさらしたくないという思いが強すぎる。殺しはクレイスが嫌うからやらないだろうが、適当に脅してリリーをクレイスから引き離そうとするだろう。竜殺しのリリーが居なくなれば、竜退治を諦めると考えているのは分かっている。
 問題は、脅し方だ。言葉で脅すだけでなく、実際に死なない程度に傷つけるだろう。フリードはクレイスのためと思えば、どんなことでもする男だ。
 リリーはわずかにフリードを見てはすぐに目を逸らして、またフリードを見て、を繰り返している。
「わたしの側に居れば大丈夫だ」
 クレイスが言った。
 実際、その後フリードも起きて来たが、その場にじっとして、クレイスが目を覚ますまで移動すらしなかった。
 やがて皆が起き出して、そのざわめきに目が覚めたのか、レナも起きた。人族の睡眠時間としては短すぎる。
「疲れたら眠っていいぞ」
 クレイスがレナに言うと、レナは頷いていた。
 寝相が悪いと言われたエルフの男が最後に起きて、また一行は歩き始めた。
「二人の服を買おう」
 唐突に、クレイスが言った。
 大勢で小さな仕立て屋に入るのも大変なので、クレイスはリリーとレナの二人を連れて、残りは適当に時間を潰すよう指示した。
 そういえば、レナは店に居た時に着ていた小奇麗な服ではなく、なんとなく古く汚れた服を着ている。聞いてみると、あのとき着ていた服はレナの持ち物ではなく、店の貸し出し品ということだった。
「どれでも好きなのを二、三選ぶと良い」
 クレイスが言う。
 仕立て屋の店員が店の奥から出てきて、クレイスに声を掛けた。
「贈り物ですか?」
「いや、この娘たちのものを選んでいる。サイズが合うのを出してきてくれないか」
「少々お待ち下さい」
 仕立て屋は答えて、店の奥へ戻って行った。
 少女達は暫く服を手に取りもせず眺めていたが、やがて雰囲気に慣れたのか、お互いに選び始めた。
「リリーに似合いそう」
 レナが言ってリリーに服を渡す。綺麗な服だったが、袖なしだった。
「わたしは、これはちょっと」
 両腕の火傷の痕が見えるのが嫌なのだ。火傷の痕は腕だけでなく、鎖骨の辺りにも残っていたから、首周りが広い意匠の服も着たくなかった。
「お待たせしました」
 仕立て屋が数着の服を持ってきた。
 その中から好きなものを選び、クレイスに声を掛ける。
 さすがに暇だったのか、二人が服を選び終えたことを知ると、異様なほど上機嫌になった。
「よし。では、さっそく着て見せてくれ」
 クレイスが言う。
「はい」
 答えたのはレナだ。なんの躊躇いもなく、その場でこれまで着ていた服を脱ぎ捨てようとする。
「ちょっと、レナ」
 店には試着室もちゃんとある。リリーは焦って、レナを止めようとした。
「レナ、別にわたしの前で着替えなくても良い。あっちで着替えられるから、そこを使え」
 リリーの気持ちを察してか、クレイスがレナに言った。全部脱ぐ前に、何とかレナの動きは止まった。
 どうも、レナはクレイスの命令でしか動かないようだ。それが奴隷として正しい姿なのかもしれないが、リリーには到底理解できなかった。
 二人が服を着替えると、クレイスが仕立て屋に金を払った。
 仕立て屋が言った金額を聞いてレナは真っ青になっていたが、リリーにはその価値がよくわからなかった。
「大変です。牛が何十頭でも買えてしまう額です」
 レナが震えながら言う。
 買う前に服の金額は分からなかったから仕方が無いと思うし、第一、そのお金を払ったクレイスは全く平気な顔をしているから、自分達が気にする必要はないのだろう。
「リリーもレナも、よく似合っているぞ」
 クレイスが言う。
「ありがとうございます」
 レナが答えた。
 リリーは、なんと返したらよいのか咄嗟には思いつかず、ただ顔が赤く染まっただけだった。
 仲間と合流しようとしたクレイスに、リリーは声を掛けた。
「レナに靴を買ってあげて。わたしは旅用に靴を選んで履いてきたけど、レナの靴は、歩くのに向いてないわ」
 レナは木靴を履いていた。リリーもさっき服を合わせていて気づいたのだ。レナの足取りが時折覚付かなかったのは、木靴が足に合っていないせいだったのだろう。
「よし、レナの靴も買おう。リリーも、他に何か欲しいものはないか?」
「わたしは、特に何も」
 欲しいものといえば、この前までの平穏な生活が欲しい。けれど、それは望んではいけないものだと、リリーは思った。
 レナの靴を買った後で、何も要らないと言い張るリリーに、クレイスは助けてもらったお礼だと言って、花を一輪渡した。赤い花だった。
「ありがとう」
 リリーは、今度は素直に礼が言えた。
 仲間と合流する。
 フリードがリリーを見た。やはり冷たい目だ。他の皆は、口々に新しい服を褒めているのに、フリードだけは黙っている。
 おもむろに、フリードがリリーに歩み寄ってきた。
「この花はどうした?」
「……クレイスに、貰ったの」
 隣に立つクレイスをフリードは見た。「本当か」と聞きたそうな顔だ。
「わたしがリリーにあげたものだ」
 クレイスが花を見て、それからフリードを見て言った。
 九人のエルフが騒ぎ立てる。
「クレイスー、じゃあレナは俺が貰ってもいいかー?」
「それなら、クレイスの家の金髪のエルフ奴隷は俺が貰う」
「俺はもうクレイスに押し付けられた奴隷で手一杯だ」
「羨ましいじゃないか。ひとりくらいは俺にくれ」
 フリードが騒ぐ九人を睨み付けたら、静かになった。
「若、この花は、クーボワでは男性が女性に、愛を告げる時に渡す花です」
 フリードが言い聞かせるように言う。
「え」
 リリーは驚いて、花を取り落としそうになった。
「知ってるけど、でもここはまだクーボワじゃないし」
 頭を掻いてクレイスが言う。
「リリーはわたしの命の恩人なのだ。愛しているかと聞かれたら、確かに愛している。神への敬愛と同じに」
「神への冒涜です! 神と人を同列に置くなど」
 フリードが言う。
「大体、人族と関わりを持とうとすること自体がいけないんです。人族は低級な種族です。文字も持たないし、命も短い」
「フリード、もし今度、この二人の前でそんなことを言ってみろ」
 剣を抜き、その刃をフリードの首に向かってゆっくりと近づける。
「わたしはお前を許さない」
 鉄の剣はエルフを傷つけない。ただ、クレイスが剣を誰かに向けることは滅多になかった。それだけ怒っているということだった。
「わかりました。肝に銘じておきます」
 フリードがそう言ったので、クレイスは剣を鞘に戻した。
「そうだ。肝に銘じついでに、もうひとつ。わたしの大切なものを傷つけるような真似は、決してするな」
「かしこまりました」
 フリードがクレイスに向かって頭を深々と下げた。
「リリー」
 クレイスがリリーに声を掛ける。
「すまなかった。フリードは極端な男なのだ。ああいう男だが、未だにお家復興だとかを夢見るおもしろい男だから、嫌わないでやって欲しい」
「……うん」
 実際にフリードに何かされたこともない。人族がエルフ族と違って文字も持たない、命も短いのは本当のことだ。低級だと言われたのには少し腹も立ったが、それにしても、なぜあれほどクレイスが怒ったのか、リリーには分からなかった。
 自分のことじゃないのに。
 リリーは自分と並んで歩くクレイスを見上げた。
 クレイスがそれに気づいて、リリーを見て微笑む。
「ちょっと貸して」
 クレイスはリリーから花を取ると、それをリリーの髪に付けた。

Illustration: 西山 那々

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「とてもよく似合うわ」
 見ていたレナが笑顔で言う。
 リリーは自分ではどうなっているのか見えなかったが、花の香りが漂ってきて、悪い気はしなかった。
 ただ、花をくれた訳を知りたいと思った。
 助けたお礼なのか、神殿に花を飾るのと同じなのか、男性から女性への愛の告白なのか。
 最初の二つなら、受け取っても構わないと思う。女神と崇められるのは気が気でないが、それでクレイスの気が済むのなら構わないだろう。
 でも、愛の告白なら、受け取れない。クレイスはエルフで、自分は人だから。
 そう思ったが、確認することができなかった。確認したとして、その答えを、自分がどう返せば良いか思いつかなかった。

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