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竜の剣のはじまりの物語

 一行はクーボワの町に着いた。クレイスから貰った花はその日のうちに萎れたので、レナが押し花にすると言って引き取った。
 クーボワに入ってすぐの休憩所で一休みして、まだ出発する。
「レナとフリードは?」
 人族の友達と、長い髪に切れ長の目のエルフが一行に居ないことに気づいて、リリーは言った。
「フリードなら、クレイスにこっぴどく叱られたから、いじけて先に行ったんだよ」
 シュダルという名前の、九人兄弟の長男がおどけて言った。
「レナには、フリードと一緒に先に家に戻るように頼んだ。レナには家で働いてもらうことになるから、早いほうが良いと思って」
 クレイスが言う。
「俺たちは工房に寄ってから家に帰るんだ」
「ふうん」
 クレイスの言いつけでということなら、レナも大丈夫だろう。
 クレイスの工房は町外れにあった。付近の建物も何かしらの生産を行っているようだ。煙突から煙が出ていたり、大きな音がしたりしていた。
 クレイスが工房に入ると、中で働いている人が、口々に「おかえりなさい」と声を掛けた。エルフは一人も居なかった。クレイスと一緒にリリーを迎えに行った九人で全員なのかもしれない。
「社長、金型を造ってみたんで、ちょっと具合を見てみてくれませんか」
「また後で来るから、その時に見ようか」
「あいよ」
「わたしが来るよりも先に帰るようなら、シュダルに言付けておいてくれ。シュダル、留守の間の受注を一通り確認しておいてくれ。エラルド、人族が作ったものの点検を頼む。ボリー、お前はずっと家に帰ってなかっただろう。たまには帰ってやれ。他の皆もだ」
 仲間に指示を出し、クレイスは工房の奥へ向かった。
 リリーもクレイスに付いて歩く。
「暑いだろう。すまないな。こういう所だから」
 クレイスが言う。
「奥は風通しをよくしてあるから、そこで待っていてくれ。わたしは出かける前に残した仕事を片付ける。すぐに終わるから。そうしたら、わたしの家に向かおう」
 クレイスに案内されて、涼しげな書斎にリリーは通された。
 机の上には、何かの設計図のようなものがどっさりと置かれている。
 クレイスはリリーを残して、工房の方へ戻っていった。
 紙……?
 初めて見た。珍しくて、リリーはそれを手に取った。薄くて白い、柔らかい板のような。その紙には、黒い何かで図形が描かれている。少し擦ると線が伸びてしまった。何かさらさらしたもので描かれているようだ。慌てて、紙を机に戻す。
 後で謝らなきゃ。
 リリーは部屋を見回した。天井が普通の家よりも高く、壁際にはよく分からない道具が詰まった棚が並んでいる。リリーには手の届かないところにある窓が二つ、開け放たれていて、そこから風が吹き込んでくる。
 リリーは机の前の椅子に腰掛けた。
 足が地面に届かない。
 クレイスの椅子かしら。クレイス背高いものね。
 椅子に座って、足をぶらぶらさせる。
 クレイスの匂い。
 部屋の匂いをそう感じて、リリーはひとり赤面した。いつも近くに居たものだから、なんとなく匂いを覚えてしまった。
 逆かもしれない。この工房の匂いが、クレイスに付いているのかもしれない。
「お待たせ、リリー。じゃあ、行こうか」
 クレイスが戻ってきて、リリーに声を掛けた。
 リリーは設計図を汚したことをクレイスに謝った。
「これくらいなら大丈夫だ」
 その設計図を見直したクレイスは言った。
「紙がない時はね、記録を残すのも大変だった。人族にどうやって伝えればいいのか分からない。人族も、どうやってわたしたちに伝えればいいのか分からない。そんな状態だったのだ」
 工房の出口へ向かいながら、クレイスが言う。
「人族はおもしろい記号を使って、紙に記録をしているのだよ。わたしには何て書いてあるのか、さっぱりわからないのだが。あれはもう暗号だな。書いた本人もたまに忘れて、読めなくなることもある」
「エルフ族が使っている文字は、そういうことは無いの?」
「あれは、読む時に音が流れ込んでくるのだ。頭の中にね」
 クレイスが自分の頭を指差して説明する。
「エルフ族の文字は、書く時も石版以外は道具が必要ない。紙に書く時は、木を細く削って燃やして炭にしたものを使うのだ。またこれを作るのが難しくてなぁ。形にはなるのだが、ちょっと触るとぼろぼろと崩れてしまったり」
 とても困ったという顔でクレイスが言うので、リリーは笑ってしまった。
「じゃあ、もっと太くすればいいんじゃない? 柔らかいものなら、削って角を使えば、細い線も書けるわ。一回全部細かくしちゃって、粘土みたいにくっつけたりできるともっと良いと思うけど」
「なるほど。今度試してみよう」
 話しながら、工房を出る。日はもう沈んでいた。
 来た時と違い、今度は二人だけで道を歩く。
 町には、エルフ族も人族もまばらに歩いていた。村から一番近かった町に比べると、質素で静かな雰囲気の町だと思った。あの町では夜になると、大通りの両脇に、ずらっと灯りを手にした人族が並んでいた。あれは、あの人族が望んでやっていたのではなく、そう義務付けられていたのだと、後になってクレイスから聞いた。あの町は、リリーが住んでいた村と同じ領主の町だ。しかし、同じエルフの持ち物とは思えない、まるで違う場所のようだった。
 暗くなってきたので、クレイスが灯りを点ける。
「工房から家まではちょっと離れているんだ。結構歩くと思う。疲れたら言ってくれ」
 リリーは頷いた。元々山中で暮らしていた為か、歩く事自体はそれほど苦にはならない。
「リリー、離れないで」
 クレイスが言う。
 道を知らないのに、リリーがクレイスの少し前を歩いていたので呼ばれたのだろうと思って、リリーは立ち止まった。
「暗くなるから、足元に気をつけて。人族用のランプを用意し忘れていたのだ。すまないな」
 言っている意味がよく分からなかった。ランプに、人族用とエルフ族用が別々にあるらしい。
 クレイスのすぐ横について歩く。
 完全に暗くなってから、クレイスが言った意味が分かった。ランプが明るくないのだ。エルフは、人族よりも暗い場所で目が見えるということを思い出した。
 もう自分達以外に、誰も道を歩いてくる者は居ない。
 クレイスに自分の肩が触れるのが恥ずかしく、リリーは少しクレイスから離れた。それで暫く歩いていたが、突然、クレイスに肩を掴まれて引き寄せられた。
「離れるなと言ってるだろう。なんでどんどん離れて行くんだ」
「あ、ご、ごめん」
 離れて歩いていた時よりも、クレイスに肩を抱かれている今の方が安心感があって、リリーは素直に謝った。
 そんなに離れてはいなかったと思うが、言い訳じみてしまうので、クレイスには言わないことにした。
「竜が住んでいる場所を知っているか?」
 クレイスが言う。
 知らない訳ではない。行ったことはないが、竜が住む場所の噂は山中の村にさえ届いていた。
「卵の島」
 通称卵の島。本当の名前では無いらしい。島へ渡った人族が、島の絶壁に大量の卵を見つけた。だから、そう呼ばれている。絶壁にあるのは海鳥の卵だが、さらに奥には、巨大な卵がいくつもあったという。それが竜の卵ではないかと、人々は噂するのだ。
「そこへ行こうと思う。海を渡ることになる。船旅になるが、リリーは大丈夫か?」
 海、船……。
「海は知らないけど、川の舟なら乗ったことがあるわ。多分平気」
「そうか。揺れに弱いと辛いらしい。わたしは平気だったが、フリードがなぁ……」
「えっ、あのひと、船酔いするの?」
 あの澄まし顔のエルフが船酔いで苦しんでいる様を思い浮かべると、失礼だと分かっていても笑ってしまう。声を出さないように、必死に笑いをこらえる。
「びっくりしたよ。まさかあれ程酷いものとは思ってなかったし。真っ青な顔というのを、初めて見た。あれ以来、フリードは船という言葉自体に反応して、顔をすごく顰めるようになって、怖くて船に乗せられない」
「そうなんだ」
 フリードの弱みをひとつ握った気がして、ちょっと嬉しい。
「それで、船を漕ぐのに人族を雇って、あとそれとは別に竜退治にも人族を二十人程雇おうと思っている。それくらい居れば大丈夫だろうか」
「あ、ああ。そうね。多分」
 人数のことなど分からなかった。竜族は強い。人族が束になっても勝てない相手だ。エルフ族でなくても、あの竜族の吐く炎はすべてを焼き尽くす。どうやって竜を倒すのか、クレイス自身も理解していないのだろう。
 竜族を倒すことはできない。
 倒せるとすれば、それは竜族の幼い子だけ。それは倒すという立派なことではなく、ただ殺すだけだ。竜の子は普通の動物とさして変わらない。炎を吐けるようになるまでには生まれてから数年は掛かるから、それまでなら人族にとって危険はないのだ。
 だがクレイスは、親竜を倒すつもりになっている。牙で剣を作ると言っているのだから、それも当然だ。しかし親竜は倒せない。リリーでは、竜を殺すことはできない。
 竜を殺せないことをクレイスに言えば、自分は村に帰してもらえるかもしれないと考えたこともあった。しかし、自分が行かなくてもクレイスは行くだろう。ただ死ぬために行かせることは、リリーにはできなかった。
 わたしが居れば、交渉できるかもしれない。
 リリーは七年前から、竜殺しと呼ばれるようになった。けれど、リリーは竜を殺していない。竜殺しの名を背負い、リリーは生まれた村から逃げて、兄が結婚して暮らしているという村に逃げ込んだ。村の領主が細かいことを気にしないエルフで助かった。村長は毎年、リリーを抜かした村人の情報を領主に伝え、領主はそれをそのまま受領していた。
 けれど、噂はどこからか流れるもので、クレイスは自分に辿り着いてしまった。
 自分に辿り着くために、山で野犬に襲われて瀕死の状態になっていた。
 人族を相手にしているにも関わらず、クレイスは他のエルフに対するときと同じ態度で、自分や義姉に接していた。
 クレイスを死なせたくない。
 エルフは怖いと教えられていた。人族を家畜のように扱い、売買し、簡単に殺してしまうと。クレイスは、そんなエルフではない。
 優しいエルフを、失いたくない。
 それは、リリーの決心だった。
「リリー、ここがわたしの家だ」
 クレイスが言った。
 前方には、巨大な影があった。影の所々が明るく光っている。窓だ。影は大きな屋敷だった。
 扉が開くと中は眩しく、中央の長い絨毯を挟んで、人族とエルフ族がずらっと並んでいた。
「おかえりなさいませ」
 一斉にクレイスに向かって頭を下げる。
 ずらっと並んだ列の最後に、レナが居た。
 しかしリリーは呆気に取られていて、レナに声を掛けることを思いつきもしなかった。
「旦那様、そちらの人族は新しい奴隷ですか?」
 エルフの男が、リリーを指して言う。服装が並んでいる人たちと違うので、少し仕事内容も違うのだろう。
「フリードから聞いていないのか? わたしの客人だ。奴隷と間違えるな」
「これは失礼を。フリード様から、竜殺しがいらっしゃると聞いていましたので」
「お部屋にご案内させて頂きます」
 列からひとりの少女が出てきた。レナだった。リリーの前に出ると、にっこりと笑う。
「レナ」
 知った顔を見て、やっとリリーは落ち着いた。
 レナと出会った店もリリーは場違いだと思ったが、この屋敷が自分の居られる場所だとは到底思えず、落ち着かなかったのだ。
 二階の部屋を案内される。
「寝室はあちらです」
 部屋の中の扉を指してレナが言う。
「こちらは居間になっております。それから、えーっと……お着替えはこちらの収納にございます」
 たどたどしい口調で、レナが説明をする。
「敬語でなくて良いわよ」
 リリーは言った。
 レナは困った顔を見せて、それから笑った。
「ごめんごめん。ちょっとだけ練習させてよ。お店ではあんまり言葉遣いは言われなかったから、慣れなくて。まだ全然覚えられないわ。あ、その服前に旦那様に買ってもらったものね。それも似合うわね」
「あの、『旦那様』ってクレイスのことよね? クレイスって、すごいお金持ちなのかしら?」
「そりゃもう。今までにわたしを買ってくださったご主人様の中でも、飛びぬけて大金持ちみたい。旦那様に買われた奴隷は、もう一生を約束されたようなものなんだそうよ。だからと言って気を抜くなと、フリード様に言われたけど」
 そういえば、フリードを見かけていない。レナと一緒に先にここへ来ているはずなのだ。
「フリードは?」
 聞いてみる。
「会いたい?」
「会いたくないけど」
 二人で笑ってしまった。
「フリード様なら、旦那様からわたしが頂いた服を売りに行ってしまったわ」
「あれはレナの物でしょう?」
 レナが頷く。
「そうなんだけど。でも、他の奴隷と比べて特別扱いはできないからって言ってたわ。わたしもそう思ったから、それで良いと思うの」
「まあ、レナがそれで良いなら」
「扉が開いていたから、まだ部屋に入っていないのかと思ったよ」
 背後で男の声がして、驚いて振り返った。
「申し訳ありません。ついおしゃべりに夢中になってしまって」
 声の主に向かって、レナが何度も頭を下げる。
「謝るのはリリーに対してだろう。レナ」
 声の主はフリードだった。呆れた顔でレナを見下ろしている。
「まあ良い。服を売ってしまって悪かったな。代わりに菓子を買ってきた。二人で食べてしまいなさい。無くなるものなら、他の者達に分からないだろうから」
 フリードがレナに菓子の入った包みを渡す。
 えらくかわいらしく包装されていて、リリーはつい笑いそうになったのを堪えた。

フリード(右)とレナ(左)

Illustration: 西山 那々

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「残すなよ。もし残ったら、細かく砕いて庭に撒いておけば、朝には鳥が来て全部持っていくから」
 そう言って、フリードは部屋から出て行った。
 フリードが持ってきたのは色んな形をした焼き菓子で、甘くておいしかった。
 フリードはそれほど冷徹ではないようだ。クレイスが「おもしろい男」だと言っていた。確かに、ちょっとおもしろいような気もしなくもない。
 レナは、フリードは奴隷たちの間では評判が良いのだと言っていた。フリードは確かに人族を格下と考えているが、奴隷という同じ階級に並んだ場合は、エルフ族も人族も同等に扱うのだそうだ。目上の者、目下の者へのしっかりした気配りと采配で、臣下の鑑などと言われているらしい。
 臣下って何?
 という疑問も浮かんだが、この際気にしないことにした。
 レナは仕事に戻らなければならないということで、焼き菓子を食べ終わると部屋から出て行った。
 机の上に置いてあった焼き菓子の包みがなくなっている。レナが片付けたのだろう。
 暇になったので、部屋の中を見て回ることにした。
 着替えが入っているという収納を開けると、中には数着の服が掛かっていた。レナが村から持ってきた服も一緒に掛かっている。そんなに日数は経っていないのに、懐かしい気がした。
 寝室も覗いてみた。ひとりで寝るには無駄に広いように感じた。寝室には大きな鏡が置いてあった。全身が映る鏡だ。仕立て屋にもあったが、そういう場所以外で目にするとは思わなかった。
 特にやることもなくなって暇を持て余していると、夕食に呼ばれた。
 夕食は幾種もの料理が少しずつ出てきて、最後にはデザートまで出てきた。
 風呂だと言われて、何人もの女奴隷が付き添って来て焦った。
 風呂から上がると驚くほどふわふわした綿織物で体を拭いた。寝間着は絹を織った手触りの良い服だった。
 これが、クレイスの生活なのだ。
 なんで、クレイスは鍛冶師なんてしてるのかしら。
 もう働かなくて良いほどの十分な財産を持っているはずだ。
 ただの道楽にしては、必死すぎる気がした。

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