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夕食は船員が作ったものだそうで、船員たちと同じ食堂で食べた。簡素だが栄養がありそうなものだった。
それを食べ終わると、早速クレイスがゲーム盤をリリーの部屋に持ち込んだ。
さっきよりはリリーに取られる駒が少なくなったが、それでも勝てない。
「わたしはよくフリードとこのゲームをするが、負けたことがないのに」
クレイスが言う。
クレイスが立ち上がって、部屋の扉を開けて出て行った。
何かと思ったら、斜め向かいのフリードの部屋の扉を開けて、
「レナ、ちょっとこっちへ来てくれ」
レナを呼び出す。
レナが部屋に入ってきた。
「なんでしょう?」
「このゲーム知ってる?」
首を傾げるレナに、クレイスは遊び方を教えた。
「じゃあ、勝負!」
クレイスが言う。
リリーは見物にまわった。レナは初めてということで、持ち駒が十個多い。
結果はレナの圧勝だった。レナやリリーは、別にこのゲームが得意というわけではない。横から見ていると、明らかにクレイスの駒の動かし方がおかしいことが分かる。
「クレイス……もしかして、このゲーム下手なんじゃ」
リリーが言う。
「そ、そんなことは無い。レナ、もう一度勝負しよう。さっきはレナが初心者だったから、手加減しすぎたのだ」
そう言って、もういちどゲームを始める。
「あの、そろそろフリード様のお加減を見に行かないと……」
ゲームが終盤にさしかかった頃、レナが言った。
傍から見ていて、これ以上続けても、クレイスが巻き返すのは無理だと思えた。勝負が見えているのに、クレイスがいつまでも諦めないので、無駄に長引いていたのだ。
「フリードなら大丈夫だ」
「でも、具合が悪いからと、夕食を召し上がっていないのです。船の揺れが落ち着いている間に、お食事をして頂かないと」
「エルフ族は飲まず喰わずでも数週間は持つ。フリードは特に我慢強いから、一年くらいは大丈夫だ」
喋りながら、駒を置く。
ゲームを途中で辞めるつもりはなさそうだ。非常に真剣な表情をしているが、それは目の前のゲームの進行を気にしているからなのだろう。
レナは次の手を打たなかった。
「普通数週間しか持たないものが、我慢で一年に延びたりはしません。それに、胃に何か入っていた方が酔いにくいと聞いたことがあります」
レナが言った。
そして、おもむろにゲーム盤を持ち上げて駒を床にばら撒く。
レナの行動にリリーもクレイスも驚いた。
「レナ?」
「わたしは、遊び方は習っておりません。お世話をすることしかできません」
レナはそう言って、二人に背を向けて歩き出した。
扉の前で振り返って、一礼して部屋を出て行く。
レナが扉を閉じてから暫く、二人とも黙ってじっとしていた。
やがて、クレイスが床に落ちた駒を、何かぶつぶつ言いながら拾い集め始める。
「そこまで怒らなくてもいいじゃないか。フリードに付けたのは失敗だったかな。フリードに似てきたなぁ。でもフリードには一度もこのゲームで負けたことがないのだが」
それを聞いて、リリーは笑った。
クレイスが駒をゲーム盤の上に置いて、リリーを見上げる。
「ん? 何がおかしい」
「クレイス、それって、フリードはわざと負けてくれてたんじゃないの?」
「え?」
クレイスはゲーム盤を掴んで、部屋から飛び出した。クレイスを追って、リリーも部屋から出た。
「フリード!」
斜め向かいのフリードの部屋の扉を肘で叩く。両手がゲーム盤と駒で塞がっているのと、中にはレナが居るので開けてくれると思っているのだ。
しかし部屋の扉は開かなかった。隣に立っていたリリーにゲーム盤を持たせて、自分の手で扉を開けて中に入る。
「フリード、お前はわたしとの勝負、わざと負けて……」
言葉が途切れる。
「すまない。邪魔をしたな」
クレイスはそう言って踵を返した。
後ろに居たリリーが、何事かと部屋を覗き込もうとしたのを、押し戻して止める。
「だ、旦那様っ。それにリリーまで。早く出て行ってください!」
部屋の奥から、レナの声が聞こえてきた。
「リリー、良い子は見てはいけないよ」
クレイスが困ったような顔をして言う。
「違いますっ。これは、違うんです」
リリーもクレイスに押し戻される直前に一瞬、中の様子を見ていたが、フリードが上半身裸でその隣にレナが居たことしかわからなかった。レナも脱いでいたのなら一大事かもしれないが、実際はレナが部屋の奥で言っている通り「これは、フリード様のお着替えを手伝おうと思って」ということで間違いないだろう。
そうだとしても、十分にフリードからすれば見られたくない場面だろう。元々ひとりでもできるようなことを、誰かに手伝ってもらっている場面というのは、フリードにとっては恥でしかないだろうから。
「フリードがわたしとの勝負でわざと負けていることについて確認したかったのだが、忙しそうなのでまた今度にするよ」
クレイスが扉を閉じて、その前で言った。
「忙しくはないですけど、本当にまた今度にしてくださいませっ」
レナの何かを訴えかけるような叫びが聞こえてくる。
「気は済んだから、フリードがわざと負けていたことは許そう」
笑いながら、クレイスがリリーに言う。
「フリードのことは知らないけど、あれじゃあ、レナがかわいそうよ」
リリーは言った。あまり変なことを言うようなら、手に持っているゲーム盤でクレイスの後頭部を殴ろうかと思っていたくらいだ。例え事実であったとしても、そんなことを女の子本人の前でからかって言うのはおかしいと思う。嘘であるならなおさらだ。
「わかったよ。もう言わない。今日はちょっと頭に来てたから」
クレイスが言った。
「じゃあ、今日はもう寝る。ゲーム盤返して。作戦練っておくから」
言われて、リリーはゲーム盤をクレイスに渡した。
部屋に戻る。空には星が所々に見えていた。天気は良くなりそうだ。
リリーは逃げていた。それは七歳の時の夢だった。
腕に抱いた火竜の子どもはぐったりとしていて動かない。
騙されていた。騙していた。
気づいた時はもう遅かった。
あの時、火竜の子は竜の巫女であるリリーに助けを求めてきた。血を流しながら、火竜の子は言った。
『お母さんが来る。みんな殺される』
何のことか分からなかった。
なぜそんなに血を流しているのか、誰がそんな酷いことをしたのか尋ねた。
火竜の子は、リリーの親しい人の名前を言った。リリーを育ててくれた人たちの名前だった。
『利用されていたんだよ。ぼくも、君も』
生まれたばかりの竜の子を、親竜が餌を取りに行っている間にさらって、村で育てる。村の子どもから数名、竜の子と会話する契約を結ばせる。何もなければ、大きくなった子竜は自分で空を飛んで、好きな場所へ還っていく。
けれど、今は戦争が起こっていた。
滅ぼしたい町へ竜の子を連れて行って、そこで傷つけて血を流す。
血の匂いに親竜が気づいて町へ来る。傷つけた相手を区別することなく、親竜は町をすべて滅ぼす。
それが、神と崇めた竜の、本当の使い方。
ならば竜の巫女とはなんの為に居るのか。
竜は成長するに従って、凶暴になっていく。竜と会話し、竜の心を鎮めるのが巫女の役目のはずだった。
それなのにリリーは、子竜の言うままに、子竜を連れて逃げている。それが本来の巫女の役目ではないことは確かだ。
リリーは、ひとを殺す為に、竜を信仰していたわけではない。ほとんどの村人がリリーと同じだろう。
『僕はひとりぼっち』
子竜が呟く。
「わたしもひとりぼっちよ」
両親は居なかった。兄は三年前に村を出て行った。巫女なんていう特殊なことをしているから、友達もいなかった。だからひとりぼっちだった。
『僕が友達になってあげる。だからリリーも僕の友達になって』
「いいわ。あなたの名前は?」
『皆は僕を「かみさま」って呼ぶけど、それは僕の名前じゃないって知ってる。僕には名前が無いんだ。名前をつけてもらう前に、連れて行かれたから』
「じゃあ、わたしが名前をあげる」
リリーはどんな名前にしようかと考えた。
「テレスよ。あなたの名前はテレス。わたしのお兄ちゃんの名前なの」
『良い名前だね。気に入ったよ』
子竜は喜んでいるようだった。
リリーは山を走った。
よく通った道だった。
滅ぼそうとしているのは、すぐ隣の村だった。リリーの知っているひとも、この村にはたくさん居た。今は確かに、別のエルフが支配している別の国。けれどほんの数ヶ月前まで、同じ国だった場所。
なぜ滅ぼさなければならないのか、リリーにはわからなかった。
だから、子竜を連れて逃げようとしている。
子竜に言われたように、村から離れたなるべく見通しのよい場所で、親竜に子竜を渡すのだ。
しかし、そこへ移動するまでの間に、子竜はぐったりと動かなくなってしまった。幾ら話しかけても、何の返事もない。
気づけば、真っ白だったはずの服が、子竜の血で裾まで真っ赤になっていた。
神さま。
神に呼びかけて、その神が自分の腕の中の子竜であることに気づく。
なぜ子竜を神だと思っていたのか、わからなくなった。この子竜は、神ではない。ただの竜の子だ。
祈る相手を失って、リリーはしばし呆然とした。
『大丈夫?』
子竜が目を開けた。
子竜が動くと、傷から血が噴出す。
神でないから、このままではいつか死んでしまう。
「大丈夫よ。もうすぐで丘に出るから」
神でなくても、守らなければならない。自分ができる精一杯のことをしなくてはならない。物心ついた時から一緒だった、この火竜の子を助けたい。
丘に辿り着いた。
わたしは死ぬかもしれない。
リリーは思った。火竜の子がこんなに傷ついているのだから、親竜はリリーがやったと思って、リリーを殺すかもしれない。
突然、親竜の咆哮が聞こえてきた。
大きな振動がリリーの中を突き抜ける。
腕の中の子竜が、暴れた。
共鳴というものだと、後で知った。
それまで飛ぶことも炎を吐くこともできなかった子竜が、炎を吐いてリリーの腕から飛び立った。
その時、竜の血を吸ってぬれていた服は燃えなかったが、服に包まれていなかった両腕と首の下辺りに大火傷を負った。
全部燃えてしまう。
そんな気がして、リリーは近くの水場に飛び込んだ。
それから長い間、水に浸かっていた。
何も考えたくなかった。
隣の村の半分くらいは、もう焼けてしまっていた。
結局、子竜は自力で飛び立った。
自分がやったことは何だったのだろう。
もう村には戻れないと思った。村に戻っても、頼れるものがなにも無い。
三年前に村を出て今は別の村で暮らしている兄を頼るしかない。
リリーは歩き出した。
わたしは、もうひとりぼっちじゃない。レナやクレイスが居る。うちに帰れば義姉さんや義弟たちが居る。
テレス、あなたは今どこに居るの? お母さんと会えたの?
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