index>総合目次>竜の剣シリーズ>竜の剣のはじまりの物語>7

竜の剣のはじまりの物語

 クレイスは今日もリリーの部屋で例のゲームをしていた。
 次第にクレイスは腕を上げてはいるが、まだまだ子どもを相手にしているようなものだ。
 クレイスも途中で飽きて、駒を積み上げて別の遊びをしようとしている。
「今日は良い天気ね」
「ん、そうだな」
 外を見もせずに、クレイスが答える。
 積み上げていた駒が崩れた。また積み上げる。
 横で見ていても、何がおもしろいのか分からない。駒の形はいびつで、積み上げるのには向いていない。
 また崩れる。
「つまらん」
 クレイスが言った。
「他にやることないの?」
「剣の柄に付ける飾り紐が、」
「は?」
「いや、その紐が切れてしまったので、今朝方新しい紐を探してみたのだが」
「船の中じゃ見つからないわよね」
「うむ」
 クレイスが腰に下げていた剣を目の前に持ってきてじっと見つめている。
 確かに、飾り紐が根元の辺りで切れてしまっている。
「旦那様、フリード様がお呼びです」
 レナが入ってきた。
「フリードが? 今日は生きてるのか。珍しいな。ああ、レナはリリーと遊んでればいいよ」
 言いながら、クレイスは部屋から出て行った。
 レナが代わりに部屋に入ってくる。
「今日は良いお天気ね」
 レナが言った。
「波も静かで、フリード様も今日は少し気分が良いみたいなの」
 気分が良いと言っても、船を見ただけで調子が悪くなるような男だから、やはり酷い状態には変わり無いだろう。
 レナはお茶を入れてくると言って部屋から出て行った。
 しばらくして、お茶のポットを持って帰ってきた。クレイスの屋敷から、一番気に入っていたティーセットを許可を貰って持ってきたのだそうだ。
「フリードの具合はどうなの? 気分が良いって言っても、昨日よりはってことでしょ?」
 リリーが聞くと、レナは笑って頷いた。
「昨日は何も食べなかったんだけど、今朝はわたしが作ったお粥を全部食べてたわ。まあ、何となく苦しそうに見えたけど……」
 それは、レナの料理が下手で不味かったということなのか、無理やり食べていたのかのどっちかだろう。レナが淹れた茶はおいしいので、後者だろうか。
「弱っている時のフリード様はとてもかわいいの」
 レナが嬉しそうに言う。
 リリーは飲みかけのお茶を噴出しそうになった。
「かわいい?」
 フリードはリリーと目が合うと、いつも嫌そうな顔をする。嫌われているのだから仕様が無い。だからこそ、フリードに良い印象はあまり無い。とてもじゃないが、かわいいなどという言葉は思いつかない。
「ごめん、ちょっとそれには同意できないと言うか何と言うか。その、レナはもしかして、フリードのことを……」

リリー(左)とレナ(右)

Illustration: 西山 那々

(画像をクリックすると、新しいウィンドウが開いて大きなサイズで見られます。)

 レナが頬を赤らめる。
「フリード様は優しいし、仕事もテキパキこなすし、とても憧れるわ」
 ああ、図星なのね。
 リリーは思う。
 誰を好きになるのも自由だが、それが幸せへの道とは限らない。エルフ族と人族では結婚できない。エルフ族の高貴な血を守る為だと言う。また、人族は魔族が作り出した物だから、人族との交わりは魔族を生むだけだとも言われている。例えフリードもレナを想っていたとしても、決して結ばれることはない。
「でも、わたしは人族だし、クレイス様の奴隷だし、ちゃんとけじめは付けるわ」
 レナが言った。
「あ、そういえば、リリーの服を少し直したんだけど、寸法が合うか確認したいの」
 話を変えてレナが言う。表情も明るく変わった。
「わたしの服?」
「ええ。多分、最初に着てた服だと思うんだけど、裾が汚れて綺麗にならなかったから、裾を詰めたのよ。ちょっと待ってて。持ってくる」
 最初に着ていた服というと、リリーが村から出た時に着ていた服のことだ。あの後でクレイスに買ってもらった服と違って、生地も安いものだし、汚れても構わない服だ。踝まである服だったから、歩いているうちに泥でも付いたのだろう。
「これなんだけど」
 レナが服を持って入ってきた。
 レナがリリーに、麻の服を渡す。
 広げてみると、確かに村から着て行った服のようだったが、裾は想像していたよりも短くなっていた。ついでに、裾の部分にレースが付いている。
 着てみるように言われて、今着ているクレイスに貰った服を脱ぐ。両腕の火傷の跡が見えるが、あまり気にしないことにした。
 小さい頃はまだ火傷の跡も生々しくて、同じくらいの年齢の子から、汚いとか気持ち悪いとか散々言われた。火傷の跡を誰かに見られるのが嫌で、リリーは長袖の服ばかり着るようになった。義姉が山火事の時に、同じように両腕に火傷を負ったけれど、その火傷は彼女の勲章のようで、嫌な感じはしなかった。自分の火傷の跡がこんなにも嫌なのは、見た目に汚いからという理由だけではないと、その時に分かった。
 騙していた、騙されていた。
 それを、あの火竜が焼いた村の記憶と一緒に思い出すのが、嫌だったのだ。
「お前はおとなしく寝てろ!」
 突然、クレイスの大声が聞こえてきた。扉を思い切り閉じた音がした。
「……何かしら?」
 レナが不安そうに言う。
 クレイスはフリードに呼ばれて行った。何の話をしていたのかは分からないが、その結果クレイスが怒って出てきたようだ。
「レナ! フリードをおとなしくさせろ。睡眠薬でも毒でもなんでもいいから」
 クレイスが言いながら、リリーの部屋に入ってくる。
「あっ、来てはいけません。旦那様――」
「キャーーーーーーー!」
 耳を劈く音がこだました。リリーの精一杯の叫び声だった。
「何だ? 大丈夫か?」
 その声に、フリードが出てくる。
「何があった?」
「えらい叫び声が聞こえてきたぞ。どうしたんだ」
 ざわざわと、部屋の前に人が集まってくる。
 クレイスは部屋から外に出て、扉を閉めた。
「いや、大丈夫だ。お嬢さん方が、鼠を見て驚いたようだ」
 部屋の前に集まった人に、クレイスが説明する。
「鼠に食糧を食べられたら大変だ。皆は船倉に鼠が居ないか確認してくれ」
「了解」
 船員たちは去っていった。
「あ、鼠が居なかったら、報告は要らないから」
 船員の後姿に向かって、クレイスは念押しした。もうここに戻って来ないように、と。
 部屋の中で、リリーは静かに泣いていた。
 下着姿をクレイスに見られた。クレイスだけではなくてフリードも居たし、何人かの船員にも見られただろう。
「リリー、もう大丈夫よ。誰もいないから。旦那様が皆を追い払ったから」
 レナが言う。
「何事かと思いました。何事も無かったようですから、良かったですけど」
「いいから、お前は寝てろ」
 部屋の外ではクレイスとフリードが会話しているのが聞こえる。
「とりあえず、これを着て。寸法合わせはまた今度で良いから」
 レナがリリーに、元々着ていた服を渡す。
 リリーは涙を必死に止めて、服を着た。
「もう入っていいですよ」
 レナが言う。
 クレイスが気落ちした表情で入ってきた。
「リリー、すまなかった」
「何よ。別に良いわよ。減るもんじゃ無いっ……無いし」
 途中で、しゃくりあげてしまう。
 皆悪気があったわけではない。最初に来たクレイス以外は、リリーの悲鳴を聞いて、心配して来てくれたのだ。それなのに何がそんなに悲しいのか、自分で分からなかった。
「悪かった。謝る。この通り。ごめん」
 クレイスがリリーに土下座して言う。
 隣でレナがおろおろしている。エルフ族が人族に頭を下げることは滅多に無い。その上土下座というのは、まずありえなかった。フリードが見たらきっと「人族なんかに頭を下げる必要はありません」と怒ることだろう。
「あんなに、色んなひとに見られたん…じゃ、わたしもう、お嫁に行けないっ」
 とうとう、声を上げて泣き出してしまった。
 下着姿など異性に見せるものではない。それはリリーの村では当たり前のことだった。結婚して初めて、その相手に対してのみ、すべてを見せるのが正しい女性のあり方なのだと、リリーは教えられてきた。そんな小さな村の常識は大した問題ではないと、理屈では分かっていても、どうしても受け付けられなかった。
「だったら」
 クレイスが頭を上げる。
「わたしの花嫁になってくれ」
 いきなり言われて、涙が止まった。
 花嫁になってくれ?
 頭の中で、クレイスの言葉を反芻する。クレイスは真剣な表情でリリーを見ている。
「何言ってるの? 意味分かんない」
 リリーはそう返事した。
 クレイスが立ち上がって、後ろを向く。
「ああ、冗談だ。まあ、泣き止んでくれたらそれで良いから。本当に悪かったな。じゃあ、わたしは部屋に戻るよ」
 そのまま、部屋から出て行った。
 レナが落ち着き無く、リリーと部屋の扉を交互に見ている。
「ああっ、あの、きっと、皆そんなに見て無いわよ。旦那様だって、本当に一瞬しかこっちを見ていなかったし。その後すぐに外に集まった人たちを追い返していたから」
 レナが言う。
 一瞬。その一瞬、クレイスと目が合ったのだ。それだけでも恥ずかしくて死にそうだったのに、さらに沢山のひとが集まってしまった。
 ああ、思い出したらまた泣きたくなってきた。
「うん。わかってる。ちょっとひとりになりたい」
 リリーは言った。
「あんまり気を落とさないでね。わたし、自分の部屋かフリード様の部屋にいるから、いつでも話聞くから」
 レナはそう言って、部屋を出て行った。
 ひとりになったので、とりあえず泣いた。未だに何が悲しいのか分からない。けれど考えようとすると余計悲しくなってくるので、考えるのはやめた。
 レナが持ってきたリリーの服が、机の上に置いてある。
 リリーはそれを広げてみた。レナはあまり裁縫は得意ではないようで、せっかく飾りに付けたレースも、縫い目の間隔が不ぞろいな上まっすぐに縫えていなかった。リリーは自分が持ってきた針と糸を出して、レースを一回取って、付け直すことにした。得意というわけでは無いが、日常生活に障りがない程度にはできる。
 レースを自分で編んだことはあるが、自分の服に付けようと思ったことは無い。完成したレースは村長が町まで持って行って売っていた。
 今の自分の生活が、ついこの前までと全く違うことを思い知る。
 さっき、クレイスに言われたこと。「花嫁になってくれ」と。その言葉の意味は分かっていた。けれど、それはありえないことだった。エルフ族と人族は違う。こんなにも違う。今はクレイスの客として扱われているから、働きもせずにエルフと同等の生活をさせてもらっているが、世の中ではそれが通用しないのは分かっている。
「それに、冗談だって、クレイスも言ってたし……」
 リリーは呟いた。
 やることが無くなったら、レースを編もう。
 村を出てから、自分らしいことが何もできなくて、不安になっていたのかもしれない。
 次にやることを思いついたら、少し落ち着いた気がした。

next

表紙へ戻る 作品目次へ 作品紹介へ

 

index>総合目次>竜の剣シリーズ>竜の剣のはじまりの物語>7