index>総合目次>竜の剣シリーズ>竜の剣のはじまりの物語>9

竜の剣のはじまりの物語

 翌朝目が覚めると、そこはクレイスの部屋だった。
 寝台から起き出そうとすると、手をクレイスに引っ張られた。クレイスも目が覚めたらしい。いや、クレイスの場合、元々眠っていないのかもしれない。
「おはよう、クレイス」
 声を掛ける。
「おはよう、リリー」
 クレイスが起き上がって、リリーに口付けした。
 そのまま、また寝台に押し倒される。
「クレイス! 起きたばかりなのよ?」
「ん、嫌?」
「もうっ」
 リリーは嫌だとは言わない。分かっていて、クレイスは聞いてくる。
 エルフ族だから人族だからというのは、自分達には関係無い。クレイスが言うことを、リリーも正しいと思った。

 部屋に戻って服を着替えて、朝食を食べ終えて食器を外に出そうとしたところで、レナと会った。
「あ、リリー、この前の服どうだった?」
 レナも食器を持っている。それを扉の横のところに置いて言った。
「ああ、大丈夫よ。でもレナ、次に直す時は、膝よりも長い方が良いかな。あんなに丈が短いのは、恥ずかしいじゃない」
「あら、そんなに短かった? うーん。リリーって足が長いのかしら。今度ちゃんと採寸させてね」
 レナがそう言って、リリーに手を振った。
 リリーも手を振って部屋に戻った。
「レナ、フリードは生きてるか?」
 部屋の外で、クレイスの声がする。レナは部屋に戻る前に、クレイスに捕まったらしい。
「はい。もう昨日の夜くらいから、随分お加減も良いようでしたので」
 実際に生き死にの瀬戸際だった訳ではないが、船に乗っているときのフリードは死んだように静かだったと思う。
「なら、フリードに後でわたしの部屋に来るように伝えてくれ」
「かしこまりました」
 レナが言った後、扉が閉まる音が二つした。
 いつクレイスの部屋に行こう。
 リリーはそればかり考えていた。フリードを呼び出していたから、できればその後が良い。陸に上がったフリードとはなるべく顔を合わせたくなかった。
「リリー、旦那様が、出かけるから準備しておくようにって言ってたわ」
 部屋の外で、レナの声がした。
「うん。わかった」
 扉に向かってリリーは返事を返した。
 出かける準備というものは特になくて、靴だけ室内用から室外用に履き替えて待っていると、クレイスがフリードと一緒に来た。
「行くぞ」
「うん。……フリードも?」
「レナもだ」
 クレイスが言う。
「ええ、わたしもですか?」
 レナは知らなかったようで、驚いたように言った。
「レナはフリードの世話役だからな」
「若、わたしはもう大丈夫だと、先ほどから何度も言ってるじゃないですか」
「これは命令だ」
「そんなところで立場を活用しないで下さい」
 困った表情を見せて、フリードが言った。それでもやはり命令には従うようで、レナがついて来ることにも文句を言わなくなった。
「どこへ行くのかしら?」
 レナがリリーに聞くが、リリーもどこへ行くのか知らなかった。
 辿り着いたのは小さな神殿だった。
「あの、わたしたちも入って宜しいのでしょうか?」
 レナがクレイスに尋ねる。
 エルフ族の神を祀っている神殿は神聖なところで、人族は入ってはならないとされていた。
「ああ、構わない。ここはもう使われていないそうだから。古い遺跡なんだそうだ」
「しかし、若」
「構わないと言っているだろう」
 四人は神殿の中に入った。
 歩くと、砂埃が舞う。使われていないというのは本当のようだ。
 長椅子が並んでいて、その前には大理石の女神像が立っていた。
「リリーに似てるな」
 女神像は、耳の先の尖った、エルフ女性を模して作られたものだったが、クレイスはそう言った。
「若、以前も言いましたが人族を神と準えるなど、神への冒涜です」
「リリー、レナ、神殿なんて普段入れないのだから、ちょっと見学してくると良い」
 クレイスはフリードの言葉には答えずに、リリーたちに言った。
「え、あ、うん」
 なんとなく、断れない雰囲気だった。
 リリーはレナと一緒に、神殿の中を見て回ることにした。
「フリード、わたしはお前に懺悔しなければならない」
 クレイスが言う。
「そんなことは、わたしに対してではなく、そこにおられる女神にすればよろしいじゃないですか」
 フリードのいつもと変わらぬ態度に、クレイスは微笑んだ。
「女神像に懺悔しても仕方あるまい。わたしは、女神に恋してしまったのだから」
 フリードが表情を強張らせた。
「何を……」
 声が怒気を含む。
「何を仰っているのですか。若が女神と呼んでいるのは、リリーのことでしょう? リリーは人族です。人族は魔族が作り出したもの。若がなさろうとしていることは、神に背く行為です」
 リリーは女神像の裏手に居てクレイス達の姿は見えなかったが、彼らの会話は聞こえていた。その場から離れることもできたが、聞かなければならない気がした。
「そう言うと思っていた」
 クレイスが言う。
「わたしは、リリーと共に生きていく。だから、お前との約束を果たせそうにない。それを懺悔したい」
「いけません。若がその調子では、わたしは一体どうしたらいいのですか。若が国を再建することを、わたしは待ち望んでいた」
 フリードの声は震えていた。
 フリードが女神像の前に立って、クレイスを振り返った。
「神に懺悔なさい! 若の気持ちは、それ自体が罪です。人族は我々とは相容れない、下等な生物です。我々にとっては、ただの家畜と同じです。確かに、長い間一緒に過ごしていれば、家畜に対してでも愛着が沸くこともあるでしょう。しかし、家畜をエルフと同等に愛することは神に背く行為に他なりません」
 女神像の裏で話を聞いていたレナが、その場に膝を落とした。
 リリーが急いでレナを支える。フリードの考え方は知っているから、何を言われるかリリーは覚悟していた。しかし、レナにはそこまでの覚悟はなかったのだろう。座り込んで、声を出さずに泣いている。
 レナはフリードが好きだった。フリードの性格はレナも知っているから、少々のことではへこたれないはずだった。
「フリード、お前こそ懺悔しろ。今すぐにだ! 神に対してではない。すべての人族に謝れ。お前が言っていることは我々と最も近い種族に対する侮辱だ」
 クレイスの声が響く。
 フリードは首を左右に振った。
「わたしは間違ったことは言ってません。懺悔する必要はないはずです」
 クレイスがフリードに歩み寄った。
 フリードの体が浮いて、目に見えない速さで床に叩きつけられる。
「お前は、」
 クレイスが言う。
「わたしの父の代から、我が王家に、親子二代に渡って仕えてくれた。お前の父親にも世話になった。お前の、王家を復興させたいという気持ちはわからなくはない。どんなに荒れ果てようとも、わたしたちが生まれて育った土地なのだから。だが、そこに住む人が居なければ、国は国として成り立たない。人は家畜ではなく、わたしたちの同士だ」
「わたしは、わたしが生まれた地で暮らしたいだけです」
「ならば、さっき言った事を取り消せ。もしくは、謝れ」
 クレイスが言うが、フリードはまたも首を左右に振った。
「言っておいたはずだ。もしまた二人の前で人族を見下したような言い方をしたら、わたしはお前を許さないと」
 クレイスが剣を抜き、フリードの首筋に刃を当てる。
「この剣が竜の剣でなくて残念だ。これではお前を殺せない」
 剣を鞘に戻して、クレイスが言う。
「レナさえよければ、わたしはお前にレナを譲るつもりだった」
 フリードが顔を上げて、クレイスを見た。
 泣いていたレナも、顔を上げる。
「だが、もうやめた。お前では、レナを幸せにはできない」
 レナが嗚咽を漏らす。
 クレイスはリリーとレナが話を聞いていることを知っている。おそらく、フリードも気づいているだろう。
 レナが、フリードの前に飛び出した。
 リリーも急いで後を追う。
 クレイスも急にレナが出てきたので、さすがに驚いたようだ。
 レナはフリードとクレイスの間に立って、クレイスを見上げた。
「旦那様、わたしは、フリード様のところへ行きとうございます」
「しかし、レナ」
「旦那様は、わたしがよければと仰いました。ですから、わたしは」
 レナが瞳に涙を溜めて訴える。
「フリード様の側に居たいのです」
「レナは、わたしが嫌いか?」
 クレイスが尋ねる。
 レナは首を左右に振って答えた。
「ではなぜ、フリードを選ぶ? さっき話は聞いていただろう」
「フリード様は、たしかに人族を下に見ておいでです。ですが、それも当然のことと存知ます。フリード様はクレイス様より百年ほど前にお生まれになったのです。今より百年前、それよりさらに百年前。全く思想が異なっていても珍しいことではございません。それに、フリード様は本当はお優しい方です。クレイス様の身を案じるあまり、心にもないことを言っていたのだと思います」
 レナが毅然と言い放つ。
 クレイスは頭を掻いた。
「身を案じて、心にもないことをか。まあ、人族であるレナがそう言うのであれば。……フリード、立て」
 クレイスが命じる。
「レナ本人が希望しているから、レナをお前に譲ろう」
「クレイス様、ありがとうございます」
 レナがクレイスに何度も頭を下げた。
 フリードは立ち上がり、クレイスに深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
「とりあえず、さっき言ったことをレナとリリーに謝れ。本当に心にもないことを言ったのであれば、謝ることができるだろう」
 クレイスはまだ怒っている。
 形式だけ謝ることはいつでもできる。今フリードがリリーたちに頭を下げたからと言って、それが本心からとは限らない。それでも、謝るべきだとクレイスは考えているのだろう。
 フリードが、レナとリリーに向かって頭を下げた。
「申し訳ない。神に誓って、今後人族を見下す発言はしない」
 リリーはレナと顔を見合わせた。クレイスの命令とはいえ、初めてフリードがリリーたちに向かって頭を下げたのだ。
「もういいです、フリード様」
 レナが言う。レナは何も怒っていない。
「お怪我をなさったのではありませんか? 宿に戻って傷の手当てをしましょう」
 フリードがクレイスを見た。クレイスの許可がなければ、勝手に戻るわけにはいかない。
「行け」
 クレイスは顎で出口を指して言った。
「フリードの考え方は古くて困る」
 二人の後姿を見送りながら、クレイスが言う。
 フリードの考え方が古いとは思えない。リリーから言わせれば、クレイスの考え方の方が変わっている。
 けれど、クレイスが言うように、エルフ族と人族というのは、それほど違わないのだと思う。だから、リリーはクレイスを受け入れられた。フリードがレナを受け入れるのは難しいかもしれないけれど、無理なことではないはずだった。

next

表紙へ戻る 作品目次へ 作品紹介へ

 

index>総合目次>竜の剣シリーズ>竜の剣のはじまりの物語>9