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竜の剣のはじまりの物語

10

 その日の午後から、また船に戻った。
 フリードは地上に居る間は色々レナに言いつけていたが、船に乗るとおとなしくなった。
 アセンから目的地の卵の島までは六日で着く予定だ。
 リリーは先に部屋に入ったが、クレイスは船長と話をしていて忙しそうに見えた。
「リリー」
 レナがリリーの部屋に入ってきた。レナから来るのは珍しい。リリーが呼ぶか、主人であるクレイスの命令でしか来た事がなかったのだ。
「酔い止めの薬を貰ってきたの」
 レナが言う。
「でもね、船酔いって精神的なものもあるみたいで、『酔う』って本人が思い込むと実際に酔うらしいの」
「へぇ」
「逆に、薬が効くと思い込めば、酔わなかったりするらしいの」
「ふむふむ。それで?」
「この薬を、とてもよく効く酔い止めだと言って、フリード様に渡して欲しいの」
「は?」
 思いっきり怪訝な顔をしてしまった。
 レナが言っていることはつまり、フリードを騙そうということだ。フリードはそんな嘘に引っ掛かるような男ではないと思う。
 それをレナに言うと、レナは笑って、
「やってみなきゃ分からないわよ」
 と薬をリリーに押し付けて部屋から出て行ってしまった。
 仕方ないので、薬を持ってフリードの部屋に入った。
「フリード、起きてる?」
「まだ寝る時間じゃないだろう」
 ふてぶてしい声が聞こえてくる。
 船に乗っている間はほとんど寝てるくせに。
「これ、酔い止めの薬。さっき行商の人から買ったんだけど、これわたしの村でも有名な、すごくよく効く酔い止め薬なの」
 口から出任せに言う。
「お前の村には海なんて無いだろう」
 ああ、疑われてるわ。
 さっそく作戦失敗かと、リリーは思った。
「か、川ならあるわよ。そりゃあ、こんなに長い間船に乗る人はあんまり居ないけど。村から町へ移動するのに船で川を下ったりするのよ」
 これも嘘だ。遥か昔はそうしていた、という話を聞いたことがあるだけだ。
 フリードが手の平を広げてリリーに差し出した。
「わかった。何でもいいから寄越せ」
「素直なのが一番よ」
 リリーは言いながら、薬をフリードに手渡した。
 フリードがレナを呼んで、水を持ってこさせる。レナの異様に嬉しそうな表情に、フリードも何か感じ取ったようだ。すぐには薬を飲まずに、砕いて中を確認したりしている。
「毒ではないようだな……」
「当たり前でしょ」
 相変わらず失礼な男だ。人の親切を素直に受けられないのだろうか。
 そんな事を考えていると、フリードが突然笑い出した。
「まあ、お前たちは嘘が下手だからな。酔い止めの薬というのは本当のようだが。まったく。リリーが金を持ち歩いていないのは知ってるし、レナをさっき使いに出したから、その時レナが買ってきたんだろう? 良く効く薬とかいうのも、どうせレナがそう言うようにリリーに頼んだんだろう」
 あまりにも図星で、レナは顔を真っ赤にして俯いた。
「心遣いは感謝するよ」
 フリードは言って、薬を飲む。
 リリーはフリードに聞きたいことがあった。
 フリードがグラスをレナに渡すのを見てから、リリーは言った。
「フリードは、わたしを恨んでいないの?」
「恨む? どうして」
「だって、わたしのせいで、クレイスがあなたとの約束を果たせなくなったんでしょう」
 フリードの表情から笑顔が消えた。元々、フリードが笑っている顔というのはあまり見ていないから、こっちの方が見慣れている。
「リリーのせいではない。若が優柔不断なのがいけないのだ。リリーは、若から昔の話を聞いたか」
 フリードとクレイスの会話で、クレイスが本当はどこかの国の王か王子で、その国が滅びたということは知っているが、直接聞いたことはない。
「アザレアの国は、為政者の搾取が酷くて荒れ果てていた。為政者は奪うだけ奪って、何も整備しなかった。それで水は枯れる、食物も育たない、家畜も死ぬ、変な病が流行る。そんな国になってしまってな。とうとう人々は蜂起した。ほんの十年前のことだ。人族は竜を使ってきて……ああ、あの時、若は竜の力を目の当たりにしたのだ。それで、多くのエルフが死んだ。その隙を隣の国だったクーボワに狙われて、一夜にして国は滅んだ」
 フリードが溜息を吐く。自分達の国のことではあるが、あまりにも情け無い。

 王子だったクレイスは、実の父親である王を殺して、その首と引き換えに、王に仕えていた者たちの安全を保証するよう、クーボワに求めた。
 フリードはクレイスが生まれる前は王に仕えていたが、いつから王が狂っていたのか気づかなかった。王城で長く暮らしており、外を見ようとしなかったのだ。
 王を殺して首を取った後、クレイスは言った。
『もっと早くこうしていれば良かった』と。
 それは仕方ない。悪だと分かっていようとも、父親を殺すのには抵抗があるだろう。
 王が倒れ、隣の国に支配されたアザレアの町からは、誰も居なくなった。クレイスは城に残った財産をかき集めて、元々町に住んでいた人たちに分配した。
 それでもなお余りある財産で、クレイスは暫く途方に暮れていたが、やがてクーボワに土地を買い、そこで暮らし始めた。

「若は、元から国を立て直す気なんて無い。幼少のころから、鍛冶師になりたいといつも仰っていた。だから、今の若の生活は若が望んだそのものなんだ。それを、わたしが無理やり、国を立て直してくれと頼んで来たのだ。若は、昔の家臣を見捨てることができない、お優しい方だから」
 あまりにも話が長くて、それが元々リリーが頼んで聞かせてもらっていたことを忘れてしまっていた。
「あ、うん。そうなんだ?」
 確か、クレイスがフリードとの約束を守れなくなったのは、リリーのせいではなくて、クレイスが優柔不断だから、という話をしていたはずだ。そこから、昔の話になった。
 あ、そうか。
 やっと理解する。クレイスは国の再建に乗り気ではなく、フリードが焚き付けていた。それを断りきれなかったのが、クレイスが優柔不断であるということだと。
「クレイス様もフリード様も、おかわいそうです」
 レナが涙を流して泣いている。フリードの話を聞いて、色々想像を巡らせたのだろう。
「レナ、昔のことだよ」
 フリードが言う。
 レナに対するフリードの態度は、リリーが持っているフリードの印象とは随分違う。
「でもっ、フリード様のお父様は、その時に人族に殺されたのでしょう? だから、フリード様は人族がお嫌いなんでしょう?」
 レナが言って、フリードが困った顔をした。
「そんなことは一言も言って無い。勝手に話を作るな」
「そうなんですの? じゃあ、なぜ人族が嫌いなんでしょう?」
 レナが尋ねた。
 フリードが助けを求めるようにリリーを見たが、リリーも興味があるので、助け舟を出すつもりは無かった。
「父が死んだのは、それよりも随分前のことだ。寿命で死んだだけだ。それに、わたしは人族を嫌いなわけじゃない。ただ、わたしは年寄りだから、昔の考え方を変えられないだけだ」
 そっぽを向く。
 フリードは何歳なのだろう。見た目はクレイスとさほど変わらないように見えるが、エルフ族は成人したらそれ以上老けないので、見た目で年齢は分からない。リリーが、フリードはクレイスよりも百年前に生まれたと言っていたが、よく考えると、クレイスの年齢も聞いていないので分からない。
「フリード様は、まだまだ若いです! わたしだって、今までずっと信じていたことが違うと言われても、急には信じられないです。でも、フリード様には、まだまだ長い時間があります。多分、わたしのこの先の一生よりも、長い……あっ、年齢のお話はもう終わりにしましょう」
 にこやかに、レナが言う。
 エルフ族の寿命は長い。人族が何代も重ねる時間を、たった一人で生き抜いてしまう。リリーもレナも知っていて、気にしていないふりをする。多分、この先もずっと、愛するエルフを残して自分が年老いて死んでいくことに気づかないふりを続けるだろう。
「ああ、フリード様、船はもうとっくに陸を離れていますが、気分はいかがですか?」
 レナが言った。
「ん、まあそれほど悪くはない」
「よかったですわ」
 フリードは、陸に居た時とはまるで別のエルフになってしまったかのようだ。レナと会話する姿はほのぼのとしていて、
 孫と会話するお爺ちゃんみたい。
 と思ったが、まさか口にすることもできない。
 なんとなく、二人の世界に入って行ってしまったようなので、リリーは自分の部屋に戻ることにした。
 部屋に戻ると、クレイスが仏頂面で部屋の真ん中に腰を下ろしていた。
「わたしを残して三人で楽しく話していたようだな」
「耳が良いのね」
「エルフ族だからな」
「のけ者にされたと思った?」
 クレイスの隣に座る。
 クレイスが笑った。
「聞こえていた。フリードが機嫌を直してくれたようで良かった」
「……なんだかんだ言って、クレイスはフリードが好きなんでしょ」
 呆れたように、リリーが言う。
 あれだけ本気で怒っていたのだ。普通なら首にするところだろう。
「わたしは国を捨ててきたようなものだ。わたしに付いて来てくれたのは、シュダルたちの一家と、フリードだけだった。わたしが国を失ってすぐの時、わたしは何もかもやる気をなくして、城の跡地に突っ立っていたのだ。そしたら、フリードは王家の再建について語ってくれたのだ。おかげで、まだ未来はあるのだと思えたよ。わたしはあの時、フリードに救われた」
 クレイスがリリーを覗き込む。
「というか、なんとなく誤解を招きそうな表現だったのは気のせいか? わたしが好きなのはリリーだけだ」
 クレイスがリリーに口付けをする。片手はすでにリリーの服の裾から中に入ってきている。
「ん、ちょっと。これ、声フリードにも聞こえちゃうんじゃ」
「ああ、エルフだからなぁ。でも気にしなくても。フリードはどうせ気にしない」
「やっ。駄目。絶対に駄目」
 リリーは立ち上がって部屋の隅まで逃げた。
 もしや宿でも聞こえていたのかも、と思うと泣きたくなってきたが、宿は壁も厚かったし、仮に隣の部屋にエルフが居たとしても聞こえはしないだろう。
「んー。そんなに嫌なら、今は諦めるけど」
 クレイスが頭を掻いて言う。
「じゃあ、この前のゲームで遊ぼうか」
 クレイスはゲーム盤と駒をリリーの前に出して見せた。

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