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「あら、何か書いてあるわ」
ファーシィが山の入り口の石を指して言う。
リードラも見たが、何も書いているようには見えなかった。白っぽい色の丸みを帯びた大きめな石だ。
ファーシィが石に掌を翳す。
石がきらきらと光ったように見えた。
「『王ルカと王妃イーメル、ここに眠る』」
ファーシィが言う。
「お墓みたいね」
「その石が?」
「違うわよ。多分、この山全部じゃないの? 王と王妃って書いてあるし」
「なるほどね」
リードラは山を見上げた。
そんなに大きな山ではない。人が土を盛って作った墳墓だと言われれば納得できる大きさだ。
道を歩くと、洞窟の入り口に出た。
「あ、ここが有名な竜の洞窟ね」
町の造りとは異なり、山道は分岐もなく分かりやすかった。
洞窟の中は暗かったが、手持ちのランプで事足りた。
「所々に、光る石が置いてある」
リードラが指差して言う。
ファーシィがその方を見た。
「んー? 分からないわ。白っぽい石なら見えるけど、別に光ってるわけじゃ」
リードラはランプの灯りを消した。
白い石が輝き始める。
「面白い石だな」
灯りを消したまま、リードラはファーシィの手を引き、光る石に沿って歩いた。
「あ、あそこ、何か書いてある」
今度はファーシィが指差した。
入り口にあったものと似たような石だ。
ファーシィが手を翳すと、石が煌く。
「『我、ここに伝説のディガーソードを封印する。すべての人とエルフと魔物がこの封印を解くことあたわず。ルカ』って書いてあるわ。リードラ、灯りを点けて」
言われて、リードラは灯りを点けた。
明るくなると、周りの様子が少し見える。狭い通路ではなく、広間のようになっていて、白い石の少し向こうに、台座のようになった岩がある。
そこに見えたのは、朽ちた刃だった。剣の形はしていない。刃の部分だけ、それも、リードラの掌よりも少し長いだけしか残っていなかった。
「これが、竜の剣……?」
信じられなかった。
物語の中で、あれほど生き生きと描かれていた竜の剣が、この朽ちた刃のみとは。
「そんな」
ファーシィがその場に膝を付く。
「ああ、そうよね。もう何百年も前の物だものね。今も残ってるなんて、期待してた方がどうかしてたわ」
ファーシィが、残った刃に手を伸ばす。
「それを渡せ」
リードラ達が居る広間に声が響いた。
男の声だが、姿が見えない。
ファーシィは伸ばしかけていた手を止め、身構えている。
気配が近付いてくるのが分かる。
リードラもナイフを持って身構えた。脅しくらいには使えるだろう。
「長かった。やっとの思いでこの山に辿り着き、探し回ったが見つからなかった。こんな所に隠してあったとは」
竜の剣がある岩を背に、リードラは闇を見つめた。
相変わらず、声だけしか聞こえず、姿は見えない。ランプの灯りは薄暗く、少し離れた場所はもう見えなかった。灯りを強くしようにも、地面に置いてあってすぐには操作できない。
リードラの横を、何者かの気配がすり抜けた。
気配に釣られるように、リードラは後ろを振り返る。
黒い手が竜の剣へと伸びていくのが見えて、リードラはその腕を咄嗟に掴んだ。
細く痩せた腕。リードラが腕を掴んだ時の印象だ。
ただ、どろりとした感触がそれに加わる。
「私の邪魔をするな」
男の、リードラが掴んでいない方の手が、リードラの首へ伸びる。
ぬるりとした感触がリードラの首に纏わりついた。
「リードラ」
ファーシィが言って、暗闇に向かって体当たりする。
リードラの首を絞めている手が離れた。
同時に、リードラが掴んでいた男の右手もするりと抜けて行く。
足音もなく、気配だけが遠ざかる。
「ファーシィ、灯りを強くして」
男がリードラの首を掴んだとき、相手は相当近くに居たはずだ。それなのにその顔は見えなかった。黒い布で顔を覆っているのだろうと思った。
「え、あ、うん」
ファーシィが答えて、足元のランプを持ち上げると灯りを強くした。
暗闇に人影が浮かび上がる。
「いやあっ!」
ファーシィが短く叫んだ。
手から離れたランプが地面に落ちて割れ、地面に流れたアルコールに火が灯る。
先ほどランプの灯りに照らされたのは、人間に見えなかった。人間ではなく、過去人間だったものに見えた。
痩せた人という状態ではなかった。頭蓋骨に薄く粘土を貼り付けたような。まぶたや唇といった物が見えなかった。
「何、今の? まるで木乃伊みたい」
ファーシィがリードラの腕に縋って言った。
木乃伊。死体を腐らないように加工して保存する、他国で流行している埋葬法だと聞いたことがある。
しかし、リードラの首に残る感触は、乾燥した木乃伊の物ではなく、腐りかけた死体といった感じだった。
「人間じゃないのか」
リードラが言う。
生きた人間ではなく、亡霊、もしくは不死人の類に思えた。
「私が人間? 笑止なことを」
男が言った。
「私はお前達のようなハーフエルフではないし、人でもない。私はすべての王。エルフの王だ」
男はエルフだと言った。しかしその姿は、リードラ達が聞いて想像していたエルフとは程遠い。エルフというのは、美しく年も取らない種族ではなかったか。
「私はこの世界を支配するのだ。その竜の剣を使って。すべての国を手に入れるのだ。それを、あのハーフエルフめ、こんな所に隠しおってからに」
おかしい。
リードラは思い始めた。男がエルフだというのが本当なら、言っていることがおかしい。竜の剣は、エルフを倒す為の剣だ。エルフが人間を倒す為の剣ではない。人に取っては、普通の剣の威力にも満たないはず。
加えて、現在はエルフ族は居なかったことになっていて、実際にリードラは見たこともない。エルフが各地を支配していた時代ならいざ知らず、こんな時代に、エルフを倒す剣で世界を支配しようなどという考えは、おかしすぎるのだ。
それに、剣を隠したハーフエルフというのは、ルカ王のことだろう。ルカ王が生きていたのは、今から数百年も昔の事だと言われている。
まさか、その時代からずっと竜の剣を探していたのか?
エルフが長寿だという話は有名だ。この男の話が本当だとすると、おそらく、竜の剣を探して、封印された剣を見つけられずに暗闇の中をさまよって、時間の感覚もおかしくなってしまったのだろう。
「あんた、名前は何ていうんだ?」
リードラが男に聞いた。
「ヴォルテス。ヴォルテス二世だ」
聞き覚えのある名だった。リードラの祖母の話に時折登場するエルフの王の名。ルカの前に国を治めていたエルフの王が、ヴォルテスだ。
「ヴォルテス、もうエルフの時代は終わったんだ」
リードラは言った。
「何だと?」
「ヴォルテス王が死んだことになってから、もう五百年以上経っている。その間、外でどんな変化があったか、考えても見ろ。人の命はエルフより短い。短いから、変化するのも早い」
「くっくっくっ」
男は笑った。
「人の命は短い。だからエルフはそれを支配できる。知恵と、人にはない力を持ってな」
「何で」
ファーシィの声が響いた。
「何でそんなこと言うんですか。エルフと人間だって仲良くできます。だから、わたしが居るんです。どうして、どちらかがもう一方を支配しなきゃならないなんて、みんな考えるんですか? そんなの変です」
「どうして、だと? それが当たり前だからだ」
男が動いた。
男が右手を前に出す。
途端、耳鳴りがして空気が揺れた。
風が吹いたわけでもないのに、ファーシィの体が中に浮き、後ろの壁まで飛ばされる。
「ファーシィ」
リードラは助けようと手を伸ばすが遅かった。
背中を岩肌に叩きつけたファーシィはその場にうずくまる。
駆け寄ろうとしたリードラをファーシィは
「大丈夫だから」
と止める。
まさか離れた場所から、しかも自分より遠くに居たファーシィを攻撃するとは思わなかった。
気付けずファーシィを助けられなかった自分に、リードラは腹が立った。
次の攻撃は見逃すまいと、目を凝らす。
「我々と人族が仲良くだと? 私の父はあのハーフエルフが率いる人族の反乱軍に殺された。それが現実だ」
地面に燃える火が、男の顔を照らす。
男の表情までは読み取れないが、その声からは怒りが伝わってくる。
現実は、今は人がエルフを追うようになっている。立場が逆転しているだけで、男が言うことに反論することもできない。
男が手を掲げた。
また、先ほどと同じような感覚がリードラを襲う。
今度はリードラが壁に叩きつけられた。
男はファーシィに歩み寄る。
「男、竜の剣を持って来い」
ファーシィの肩を掴んで、男がリードラに言った。
「妙な真似をしたら、この女は殺す」
ファーシィの表情が引きつった。人質にされたのだ。男が本気だという事は、肩を掴んだ手に込められた力で分かる。
リードラは岩の台座に置かれた竜の剣の刃を手に取った。
「これに置け」
男が古びた布切れを地面に広げる。
「彼女を先に放せ」
「それは聞けぬ。先に放せば、お前はその手の竜の剣で私を殺すだろう。お前が竜の剣を渡しさえすれば、女に危害は加えんよ」
竜の剣で男を殺そうなどとは考え付きもしなかったが、男がそう思うのも無理はないだろう。自分で納得するほど殺気立っていたことに、リードラは気付く。
リードラは刃を布の上に投げ置いた。
男が左手をリードラに向けた。
リードラが後ろへ吹き飛ばされる。
「何をするの?」
叫んだのはファーシィだった。
打ち所が悪かったらしく、リードラの口から血が流れ出た。
「約束が違うじゃない」
睨み付けるファーシィを見下ろして、男は口の端を上げた。
「女に危害を加えぬとは言ったが、男を無事に帰すと言った覚えは無いが」
「なっ……」
ファーシィがリードラの元へ駆け寄ろうとするが、男に髪の毛ごと外套を掴まれていて、数歩も行かないうちに止まってしまう。
「リードラぁっ」
ファーシィの声に、動いたのはリードラの左のこぶしだけだった。
他は痛みの余り、自分で動いているのかどうかも分からない。
鉄の味ってこんなんなのかな。
などとどうでも良いことを考えてしまうほど、リードラの体は動かなかった。
男が刃を布に来るんで取り上げるのを、リードラは地面から見上げていた。
歪んで見える視界の中に、男の黒い外套と、ファーシィが身に付けている薄褐色の外套が見える。
「女、一緒に来い。剣の運び手が必要だ」
男はファーシィの腕を掴んで引っ張った。
ファーシィが引きずられるように、男に付いて行く。
「リードラ」
「男は諦めろ。もう立つ気力も無いようだ。このままここで朽ち果てるだろう」
男は笑った。
「父はこのようなハーフエルフごときに負けたというのか。剣の力を侮っていた為だ。剣がなければ、できそこないの人に過ぎぬということだ。私は父を越えた。父を倒したハーフエルフを倒し、父を倒したこの剣で、私は世界を手に入れる」
地に広がる炎から二人が遠ざかって、黒い男の方はすぐに見えなくなった。
ファーシィの外套の色だけが、ぼんやりと見えている。
「ファーシィ」
リードラは呻いた。
唯一動かせる左手に力を込める。
左手で支えて、リードラは起き上がろうとした。
しかし、足がまともに動いてくれない。そのままもう一度、地面に倒れ込む。
声は出るんだ。手も動くんだ。まだ生きてるんだ。ちょっと地面に体をぶつけただけじゃないか。別に痛くないだろう? まだ動けるはずだ。
もう一度、左手を支えにして体を起こす。
麻痺したように感覚が薄いが、足が動いて地に両足で立つことができた。
「待て」
声を出す。
止めなければ、二人はどんどん遠ざかる。
「待て」
繰り返す。先ほどよりも大きく。
ファーシィが声に気付いて立ち止まる。
振り返った。
赤い炎を反射して、蒼白だった顔が明るく輝いたように見えた。
男が振り返ろうとした。
リードラは既に走り出していた。
地面を踏むたび、痛みが昇ってくる。
構わない。壁に叩きつけられた時はもっと痛かった。
男が振り返った時、リードラは男の顔を右から殴っていた。感触のない右手は、思い切り殴ってもやはり何も感じなかった。
男は少し揺れたが、倒れなかった。
「ファーシィを放せ」
今度は左手で殴る。
嫌な音がした。骨が折れたのだ。折れたのは男の鼻の骨だったが、リードラの左手もやはり痛かった。
別にリードラは格闘家ではないし、習った事もない。素手で殴ると自分も痛むことを知らない。
男の足がふらついた。
リードラが、上げた右手を男の頭へ振り下ろした。
男が倒れる。
その拍子に、竜の剣の刃を包んでいた布が地面に落ちる。側の炎に照らされて、刃は不気味に光った。
感触のない右手では、相手にどれほどの衝撃を与えたのか分からない。リードラは左手でも、男を殴った。
「ああ、リードラ、もうやめて」
男から自由になったファーシィが言った。
血だらけのリードラが痛そうで、止めたのだ。
「もう、わたしは大丈夫だから」
リードラの動きが止まる。
男がゆっくりと立ち上がった。
男の視線が、地面に落ちた竜の剣に向けられる。
ファーシィはリードラを支えて身構えた。
「なんと美しい竜の剣よ」
男が呟いた。
リードラが殴ったせいで、男の目はほとんど閉じてしまっていた。
男がファーシィを見た。
「もうやめて。エルフでも人でも同じじゃない。同じ世界に生きてるのよ。この人は、リードラはあなたのお父さんを殺したハーフエルフじゃないし、リードラだって、あなたを殺したい程憎んでるわけじゃない」
ファーシィの声は震えていた。
怖かった。このまま争い続けて、リードラが死んでしまうのではないかと。
「母上」
男が言った。
「母上は、父を殺したこの男が憎くないのですか」
自分に向かって話しかけていると、ファーシィが気付くのに少し時間が掛かった。
「私は、母上の為に竜の剣を手に入れたのに」
「違う。わたしは……」
男は混乱しているのだ。ファーシィを自分の母と間違える程に。リードラを父の仇と間違える程に。
「わたしは、そんなこと望んでいない」
ファーシィが言った。
「母上まで私を裏切るのか!」
男が叫ぶ。
「ならば、この竜の剣、母上で効き目を試してやろう」
男が竜の剣を拾おうと、手を伸ばした。
地面に燃えていた炎が、男の衣に燃え移る。
「ああ、火が……」
ファーシィが男に手を伸ばした。消そうと思ったのだ。
だが、ファーシィが思っていたよりずっと火の回りが早かった。すぐに、男の全身を覆い尽くす炎となる。
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