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3.道程

 ルカはネルヴァに書き写してもらった地図を眺めていた。
 あれから何度も何度も、自分が歩いた方角や距離を遡って辿っているが、記憶は過去に遡るほど曖昧になり、ここだと特定することができなかった。
 ネルヴァはあの後、ラグナダスの北へ移動したらしい。
 地図を見て、ラグナダスの場所を確認する。首都カザートとはかなり離れている。カザートは一年を通して乾燥し暑いが、このくらい北へ行けば温暖な気候になるだろうか。
 ルカが生まれた町は、夏は暑いが冬は雪が降るほど寒くなる場所だった。カザートより南ではないだろうから、北側に絞って探している。
 東はチュンウ。だがここは喋る言葉さえ違う。
 西はイリアンルゥル。ここはカザートと同じで、至る所で戦争を起こして領土の拡大を図っている。以前この国に住んだこともあった。イリアンルゥルは海を挟んで上下に別れている。おそらく昔は陸も続いていたのだろうが、その部分をカザートが取ってしまったということだろう。
 イリアンルゥルの北は小さな国がいくつもひしめいていた。その東もカザートの土地で、その辺りがラグナダス地方と呼ばれている。町の名前は二箇所にしか入っておらず、年表を照らし合わせて見ると、その二箇所とも、アルバノという国の町だったということが分かる。
 でもここじゃない。
 布団に仰向けに転がって、ルカは地図を目の前に持ってきた。
 アルバノはチュンウの軍隊が侵攻した。後になってチュンウからカザートに委譲されたものだ。
 だだっ広いだけで町がない。そんな場所は大体山か砂漠だ。山だろうが砂漠だろうが交通の要所なら町ができるが、そうではないのだろう。
 なんで町がないんだ? 征服したってことは、征服すべき何かがここら辺にあったからだろ。単に西への足がかりにしたかったのか?
「ルカー、今日はお米貰ったから炒めてみたよ」
 台所からセイロンの声が聞こえてきた。
「ああ。今行く」
 米か。懐かしいな。
 思って、ルカは立ち止まった。カザートでは米は主食ではない。玉蜀黍を加工したものが主食だ。イリアンルゥルでは小麦を加工して使う。米もあったが、何とか料理と言ってそれでしか食べなかった。
 何とか料理って、何だ?
 胸騒ぎがした。おそらく、それがルカが生まれた町に関係している。ルカが生まれた町でも主食は小麦から作るパンだったが、半々くらいで米も食べていた。米作りが盛んだった。
 台所の扉を開けると、セイロンが大きな鍋から木の器に炒めた米を入れていた。
「なあセイロン、米使った料理のことを何とか料理って言うよな」
「何とか料理? えー? 急に言われてもなぁ」
 鍋を流しに置いて、セイロンが席に着いた。
「確かに、どこかの地名が付いてたよ。どこだっけかなぁ。まあ食べようよ」
 言われて、ルカは食事を始めた。
 ルカは米の料理が好きだったが、ユディトは米が嫌いだった。食べる前に必ず一言文句を言ってから食べ始めるのだ。
「おいしい?」
 セイロンに聞かれる。
「ん。まあな」
「すごい嬉しそうな顔してるよ」
 思い出し笑いしていたらしい。ルカはわざとらしく咳払いをして、居住まいを正した。
「何とか料理……うーん。何だっけなぁ」
 時々セイロンが呟く。
「あっそうだ。テリグラン料理だよ」
「ああそうそう、それだ。テリグラン。で、テリグランってのはどこのことだ?」
「えっ。あー。えっとね、一応カザートだよ。でもギリギリカザートだね。ほとんどシアラード」
 シアラードはカザートやチュンウの北にある広大な国だ。面積だけならチュンウと同等かそれ以上だろう。
「じゃあ、ラグナダス地方ってことか?」
「うん、まあね。でもラグナダス地方は北側全体だからね。テリグランはその一部だよ。テリグランっていうのはシアラード語で西の山って意味だし、それ考えるとやっぱりシアラードにも掛かってるのかな、とは思う」
 セイロンは外国語まで勉強してたのか。
 未だに仮名文字さえ覚え切っていない自分と比べて、明らかに出来が違う。しかし今はそれに感心している場合ではない。
「じゃあ『テリ』が西で『グラン』が山ってことか?」
「うん。そうだね」
 セイロンが頷いた。

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 道行く人が地図を指差しながら尋ねる。
『ここはどの辺りですか?』
『ここはテリグラン−テリですよ』
 母が答えると、『ありがとう』と言って旅人は歩いて行った。
 妖精族も人族も同じに暮らす山間の町。言葉はカザート、名前はシアラード。


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 だから『ユディト』は異国風な名前だってセイロンが言ったんだ。
 テリグラン−テリ。西の山の西。
 ルカは残っていた米をかき込んで、寝室に戻ると地図を広げた。
 なぜ覚えていなかったのだろう。いや、テリグラン-テリという言葉を、ルカは自分が住む町の名前だとは思っていなかった。実際に、それは街の名前ではなく、単に『西の山の西』という表現に過ぎなかったはずだ。だが言語が違うカザートでは、それを地名と勘違いして、テリグラン料理などという妙な言い方をされているのだろう。
 地図にはラグナダス地方と書き込んであるだけで、テリグランという名前はどこにも無い。ラグナダスという言葉は、西でも山でもないから、テリグランをカザートの言葉に訳したわけではない。
 年表とヴォルテス王の活躍の記録を広げる。
 ヴォルテス王、つまりイレイヤ公が征服に直接関わった町なら必ず載っているはずだ。
「あった」
 声に出す。
『テリグラン−テリの反乱を鎮圧』
 カザート建国の一年前のことだ。この年には他にも数多の武勇伝があるが、一応年代も合っている。
 でも反乱を鎮圧ってどういうことだ?
 イレイヤ公の軍は突然現れて破壊して行った。それ以前に反乱など無かったはずだ。
 くそっ。やっぱセイロンに聞くしかないか。
 あまり頼ってばかりなのもどうかと思うが、ここまで判明したのだ。ここで引っ掛かりたくはなかった。
「テリグラン−テリの反乱?」
 セイロンが首を傾げながら言う。
「僕が生まれる前だよね。なんかいっぱいあったからなぁ。その年は。うーんと、これかな」
 セイロンが巻物を一つ出してきた。
「テリグラン−テリでイレイヤ公の娘が、侵攻に抵抗していた住民達に捕まったんだ」
「お姫さ……イーメルが?」
「イーメル姫とは書いてないけど、娘って言ったらそうだろうね」
 お姫さん、テリグラン−テリに居たことがあったのか。そしたら会ったこともあったのかもな。
「あれ?」
 イーメルは母親が死んだ前後の記憶二十年分が無いと言っていた。イーメルの母が死んだのが二十五年前。テリグラン−テリが滅んだのが十六年前。その差は九年だ。イーメルの失った記憶の中に、テリグラン−テリでのことも含まれるのかもしれない。
「どうしたの?」
 セイロンが声を掛ける。
 ルカは手を振って、返事は返さなかった。
 今考えを中断させたくない。引っ掛かるのだ。
 町の人は皆殺しにされた。ルカと姉ユディトは生き残っていた。だが姉は居なくなった。
 いやその前だ。
 俺と姉ちゃんは生き残った。姉ちゃんは俺に、あれがイレイヤ公の軍だと教えてくれた。なんで姉ちゃんがそんなこと知ってたんだ? 教えてくれたのは本当に俺の姉ちゃんだったのか?
「何で……」
 幼い自分の手を引く姉の顔が、イーメルに思えてきた。
 記憶の中のその声までも、イーメルの声だ。
 姉ちゃんだと思っていたひとがイーメルだった。あの時のショックで間違えた? そんなわけない。そりゃ今は顔忘れちまってるけど、当時はちゃんと覚えてたんだ。じゃあ、最初からイーメルが俺の姉ちゃんだったってこと……なのか?
 頭がぐらぐらした。
 イーメルはルカと違い純粋な妖精族だ。だから、姉なわけがない。
 いや、そうじゃない。母さんの連れ子だったら、純エルフでも問題は無い。でも、だからと言って。
 二十年近くの記憶がイーメルには無い。ルカが生まれる前からそこに居て、十六年前に連れ戻されるまでのテリグラン−テリで過ごした全ての記憶が無いのだとしたら。
 人族の子どもと遊べば何かを思い出せそうだと言っていた。
 ああそうだ。姉ちゃんはよく俺や友達と一緒に遊んでくれた。でも遊びはいつも鬼ごっこだった。
「なあセイロン、イーメルが実はヴォルテス王の子じゃないって可能性はあるのか?」
「は? いやそれは僕には分かんないよ。でもテリグラン−テリの反乱の時にわざわざ連れ戻してるんだから、本当の娘なんだと思うよ。他人だったらほっとくだろ」
「ああ。そうだよな」
 落ち着け、俺。まだイーメルが姉ちゃんだと決まったわけじゃない。イーメルがあの時テリグラン−テリに居たと言っても、その前からずっと居たとはどこにも書いてないんだ。
「ルカ、大丈夫?」
 セイロンが話しかけてきた。
「ねえ、テリグラン−テリがどうかしたの? もしかして、そこがルカの故郷?」
 セイロンを見る。疑問系にはしているが、セイロンの笑顔は、ルカが故郷の名を思い出したことを確信して喜んでいると思われた。
「ああ」
「良かったね、ルカ。これでお姉さん探しも対象を絞れるよ」
 満面の笑みで言われて、ルカは笑顔を返した。
 もしかしたらイーメルがユディトなのかもしれない。それをセイロンに言っても信じてもらえるとは思えなかった。自分自身も半信半疑なのだ。
 首に下げた小さなナイフを鞘ごと取り出して見つめる。
 ユディトが記憶を失っていたとしても確認する方法はある。このナイフの柄頭の鳥模様。これと左右逆の模様が入った指輪を持っていれば、イーメルがユディトだということだ。

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