5.竜の洞窟 2
「この季節の雨はよくない。すぐに川が氾濫する」 |
見張りが気絶していたのでは話にならないだろうから、明日には交代ということになるのだろう。 ソルバーユが台所に戻ってきた。 「容態は安定している」 「病気じゃないだろ」 「後頭部に鋭い一撃を食らって気絶したんだ。まったく、大人しい姫君かと思っていたらとんだじゃじゃ馬だ」 ソルバーユが溜息混じりに言った。 それから、机に肘を付いてルカに言った。 「君のことが気になっていたようだね」 「そりゃお姫さんが現場の第一発見者だからな」 「全部聞こえていたよ」 すぐ隣の部屋に居たのだ。いくら外が雨だったと言っても聞こえて当然だった。 「元々セイロンやマギーに色々言われてね。君は絶対にそんなことはしないから、真犯人を見つけてくれと。それで診察と偽ってここに来たのだよ」 「余計なことはすんなよ。どうせあと一ヶ月で自由の身だ」 「わかっているよ。しかし、君が妖精族の姫と懇意の仲だったとはね。いささか期待外れだ」 ソルバーユは王に激しい恨みを持つ者として、ルカに目を付けた。ルカを代表にして同じ思いを持つ人族を集め、反乱を起こす為だ。 「何の期待だ。大体、王が悪くても姫には関係ないと言ってたのはあんただろ」 「まあね」 あっさりと頷く。ソルバーユの考えは、ルカには掴みかねるところがあった。 「だが、今人族を纏めようという時に、姫と関わっているのが知れたらまずい」 「まずくはない。俺たちはイーメルを利用できるんだ。その為に親しいふりをしていたと、もし疑われたら言えばいい」 自分でも酷いことを言っていると思う。だが実際に使うかどうかは別としても利用できそうなのは事実だし、嘘も方便だ。 ルカにとっては、 「俺はお姫さんとの関わりを切りたくない」 それだけのことだった。せめて、姉かどうか分かるまでは。 さっきは時間もなさそうだったから早く帰してしまったが、刑期が終わったらいつかちゃんと話したいと思っている。 「そんなに彼女のことが好きか」 ソルバーユが尋ねた。 「違っ、……そうじゃない」 ソルバーユにはそんな風に見えたのだろうか。ルカがイーメルを好きだと。 嫌いじゃない。でも姉ちゃんかもしれない。姉ちゃんかも知れないひとを、どう好きになればいいんだ。 「お姫さんは、俺の姉かもしれないんだ」 ソルバーユが驚いた顔をした。顎に付いていた手を離し、少ししてからまた顎に手を付いた。 「君にはきょうだいは居ないはずだが」 ソルバーユの言葉の調子はいつも通りだったが、ルカは驚いた。 「何で居ないって分かるんだ」 さも知っているかのような口ぶり。 そうだ。再会した時から、ソルバーユは俺のことを何でも見通していた。王に仇討ちしようとしていることも。 「あんたは俺の何だ? 俺が仇討ちする為に手を貸してくれるのは有難い。でもやっぱおかしいよ。あんたは妖精族だ。人族が支配する世界になんて興味もないだろ」 「ふぅ。ではネルヴァが協力するのはなぜだと思う? 彼も別に人族が支配する世界を望むわけじゃない。今の世界が変わることを望んでるんだ。どうなるかはやってみなければ分からない。それでも、今のままではいけない。そう思うから変えようとするんだよ」 言っていることには納得するしかなかった。こうしたい、という明確な未来予想があるのではなく、今を変えたいといという気持ちで動いても、何も悪いことではないのだ。 「あんたも、それだけか? 今を変えたいだけか?」 他にも何か隠している。 ひとの心は複雑過ぎてなかなか分からない。特に、この男の場合は。 |
「君の母親の名前は、セレンじゃなかったか? 緑色の髪に青い眼の、背の低い女だ」 急にソルバーユが言った。 勿論、母親の名前をソルバーユに教えたことはない。それどころか、カザートに来てからは一度も口にしたことが無い名前だった。 「何であんたがそれを知ってる」 「それは、君の母親のセレンが私の娘だからだよ」 初めて聞く話だ。そんなこと考えたこともなかった。ソルバーユが自分の祖父だなんて。 「でも俺は、手術の時まであんたのことなんか知らなかったんだぞ」 既に百歳を超えている母の父親が生きているとは思っていなかったし、母から話を聞いた覚えもない。 「色々あって、娘と別々に暮らしていたのだよ」 それを言うと、ソルバーユはそう答えた。 「私と妻はどうにも反りが合わなくてね、娘が生まれて暫くしてから離婚したんだ。ふむ、秘密にしていてはどうも話がうまく進まないな」 ソルバーユが決まり悪そうに頭を掻いた。そんな普通の仕草をするのを珍しいと感じる。 「離婚の原因は、私が昔人族の女性と付き合っていたことだった。私の父は厳格で、私が人族と結婚することを許さなかった。今思えば当たり前のことだがね。私は父が勝手に決めた相手と結婚することになったのだ。その時は彼女が別れたいと言っていたと聞かされたよ。話が逸れたな。とにかく、私はその人族の女性と別れて、妻と結婚し、娘も授かった。だが後になって、彼女は別れたかったのではなく、父に説得されて仕方なく身を引いたと分かった。彼女は自殺していたよ。それから妻の色々なところが気に入らなくなって、別れることになった」 ルカと視線を合わせないようにしながらソルバーユが話す。いつもの彼らしくない、とルカは思った。 「娘の方は元気に成長していたんだが、十六の時だ。家出をしてしまって、行方知れずになった。娘は、自分が私と人族との間に生まれた子どもだと思ってしまったのだよ。昔のことを知っている誰かが、娘に要らぬことを教えてしまったのだろうが。君には分かるだろう。ハーフエルフが妖精族の間でどのように思われているか。私は数年かけてやっと娘の居場所を突き止めた。妖精族と人族が、 ソルバーユが言った。 長い話だ。ソルバーユの作り話とは思えなかった。 「嘘だろ……?」 「嘘じゃない。そうでなければ、私が君のことをこんなに知っているわけがないだろう」 「じゃあ、何で今まで黙ってた」 「知らなくても良いことだったろう。大体、あのテリグラン−テリの戦いで死んだものと思ってたし、最初に君に会った時は本人だとは思わなかった」 「いつ分かったんだ。俺が、あんたの孫だと」 「最初からなんとなく、もしかしたら、とは思っていた。それで部下に後を付けさせて、色々調べた。君は聞かれれば誰にでも答えていたじゃないか。自分の父母の名を」 あまりにも昔のことでいちいち思い出せないが、確かに誰にでも教えていた。既に死んだのだから、言ってどうなるものでもないと思ったからだ。それに、名前を出すことで、ルカのことが姉に伝わる可能性もあった。 「さて。これで私が君の祖父だということと、私が君に協力する理由が分かってもらえたかな?」 単純に人族が妖精族に勝っても、ソルバーユに得は無い。確かに彼の思いは晴れるかもしれないが。だがもし、ルカが代表になって妖精族を倒したのならば話は別だ。彼は思いを晴らすだけでなく、孫をカザートの代表に据えることさえできるのだ。 「んなこと、急に言われて信じられるわけないだろ。大体、姉ちゃんもまだ分からないのに」 「その『姉ちゃん』が問題だ。私は娘の近くに部下を送って、常に様子を見守っていたが、子どもは君ひとりだった」 ルカはソルバーユの顔を凝視した。色々調べて知っているはずのソルバーユが、ユディトのことを知らないとは思えない。 「そんなわけないだろ。家族四人で一緒に暮らしてたんだぜ?」 「いや。私の部下が直接セレンに聞いたから間違いないはずだ。子どもは男の子一人だけだと」 「親父の連れ子だったとか」 思い付いて言ってみる。母親の連れ子でないのなら、父親の連れ子だろうと思ったのだ。 「君は知らないようだからひとつ教えてやろう。妖精族の髪と瞳の色は、父親から受け継ぐのだよ。君の黒髪と黒眼は父親の物だろう? だったら、イーメルの父親は君の父親ではない。第一、人族はそんなに長生きしない」 「あっ……」 当たり前だ。イーメルは百四十歳を超えている。人族である父がそれほど長く生きているわけがないのだ。そもそも、よく考えればイーメルは純エルフであって、半妖精族ではない。 「つまり、イーメルは君の姉ではない」 ソルバーユの言うとおりだ。イーメルは姉ではない。 だったら、ユディトは誰なんだ? 違う。俺に姉が居ないのなら、ユディトも姉じゃないんだ。多分、一緒に暮らしていただけのひとってことだろう。だったら、やっぱりユディトはイーメルなんじゃないか? 「……仮に、イーメルがテリグラン−テリで君の姉として生活していたとしても、君と血の繋がりはないんだ。彼女に拘るのはやめた方がいい」 ソルバーユが言う。 だがルカはそれに頷くことはできなかった。 「血の繋がりよりも、俺がイーメルと会ったことの方が大事だ」 ユディトを姉として慕っていた。 イーメルを……。 ソルバーユが眉間に皺を寄せて、困った顔を作って言った。 「もし、彼女が王に味方すると言ったらどうするつもりだ」 「そんなこと、その時になったら考える」 今から決めることはできない。まだルカの気持ちも揺らいでいた。 「今から考えておくんだ。そうでなくても、現時点で王女と関わるのは歓迎できないのだから」 ソルバーユがルカに言った。 |