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5.竜の洞窟 2

「この季節の雨はよくない。すぐに川が氾濫する」
 冬の雨。
 一気に降って、一気に流れて行ってしまう。
 ごとん。
 雷鳴ではっきりとは聞こえなかったが、扉の横でそんな音がした。
 ソルバーユも気付いて扉を振り返る。
「開けてくれ」
 ルカはソルバーユと顔を見合わせ、それから家の扉を開けに行った。
 扉の前には黒い頭巾の付いた外套を身に付けた小柄なひとが立っていた。見張りの妖精族[エルフ]は、扉の横でのびている。
「何しに来たんだ、お姫さん」
 ルカは突然の来客に向かって言った。
 イーメルは頭巾を取ると軽く頭を降って雨を払った。
「逃げてきたのじゃ」
「は? ああ、まあいいや。とにかく中に入れよ。今日は家の相方は居ないんだ。よかった。相方が居たら大騒ぎしてたとこだ」
 イーメルが着てきた外套は雨に濡れ、裾は膝の高さまで水が染み込んでいる。頭巾も完全に色が変わっていたし、肩も酷く濡れていた。このまま外に立たせていては風邪をひいてしまう。
「邪魔するぞ」
 イーメルが言って家に入った。
 ルカが振り返ると、ソルバーユとイーメルが顔を見合わせて、妙な空間ができていた。
 ソルバーユはまさかイーメルが来るとは思っていなかっただろうし、イーメルもソルバーユが居るとは思っていなかったのだろう。
「これは驚いた。姫君がいらっしゃるとは」
「わらわがどこに居ようと、わらわの勝手じゃ」
「なあ、お姫さん、そのままじゃ寒いだろ。外套はこっちで乾かすことにして、暖炉の前に座りなよ」
 なんとなく、イーメルとソルバーユの仲が悪いような気がして、ルカは口を挟んだ。
 イーメルが黒い外套をルカに渡して、ルカが出した椅子に腰掛ける。
 外套を入り口近くの出っ張りに引っ掛けて、ルカは元の席に戻った。
「私はこれで、と言いたい所だが、姫が仕事を増やしたようだからな。もう暫く居させて貰うよ」
 ソルバーユが言いながら、持ってきた鞄を弄った。中から注射器と何かの薬品を取り出して注射器に入れる。
 ソルバーユは外でのびていたエルフの男を中に引っ張り込んだ。
「このまま外に出して死なれたら困るだろう。ベッドを借りるぞ」
 男をベッドに寝かせ、注射を打つ。
「何の注射だ?」
「睡眠剤だ。害はない。十二時間くらい眠ってもらおう」
「ルカ」
 台所に居るイーメルがルカを呼んだ。
「行ってやれ。私はこの男の状態を少し確認してから戻る」
 ソルバーユに言われて、ルカは台所に戻った。
「何だ?」
「寒い」
 そりゃ寒かろう。外套があれだけ濡れていたのだ。その下の服まで濡れていた。
「何か暖かい飲み物をくれ」
「は?」
 勝手に押し掛けてきたくせに、何でそんなに偉そうなんだ。
 思ったが、イーメルが睨み付けるので、言わずにおいた。
 山羊乳を温める。
 温まったので、カップに注いだ。ついでに、自分の分とソルバーユの分も入れる。
 振り返ると、イーメルが暖炉に向かって座っているのが見えた。
 小さな背中だ。
 簡単に抱きすくめられそうだ。
 そう思って、一人で赤面する。
 姉ちゃんかもしれないひとだぞ。
 自分に言い聞かせて、それからイーメルに声を掛けた。
「ミルク温まったけど、飲む?」
 カップをひとつ、イーメルに渡す。
「ありがとう」
 イーメルが礼を言った。
 なんかこういうのって嬉しいな。
 豪奢な城や屋敷ではなく、ルカの家に居るイーメル。二人で話したり、食事をしたり。
 カップがひとつ残っているのを思い出した。
 隣の部屋のソルバーユにも渡す。
 二人だけじゃなかったんだった。
「で、何しに来たんだ?」
 ルカの妄想ではもっとほのぼのとした会話をしているはずだが、そうも行かない。イーメルはカザートの王女だ。こんな罪人の所に来るべきではない。
「うむ。逃げてきたのだ」
「何かあったのか?」
 イーメルの様子からは、焦りや恐怖といった類の物は感じられない。逃げなければならないような緊急事態が発生しているとは思えなかった。それでも、多少心配になって聞いてみる。
「……皆、あの事件を起こしたのがわらわだと知っておる。それなのに、皆知らん顔して通り過ぎていく。わらわは忘れておらぬのに、皆過去のことにしようとしている」
 イーメルが言った。
 当たり前のことだ。表向きには、屋敷に侵入した人族三人を殺したのはルカということになっている。気付いていても、自分達の王女がやったと言う部下が居るわけがない。
「だからって、ここに逃げて来たんじゃ、俺の苦労が水の泡になっちまうだろ」
 イーメルが何事もなかったかのように生活を続ける為に、ルカはその罪を被った。今までそれを後悔したことはない。
「すまぬ。それでもわらわはそなたに謝りたかったのじゃ。わらわのせいで、こんな不自由な生活を強いられて」
「いや、そんなことないよ。そもそも奴隷ってのは不自由なもんだ。仕事に行くか、仕事に行けないかだけの違い。そりゃ仕事できないからその分給与もないけどさ、お姫さんのおかげで配給は止められなかったし、こうしてちゃんと生きてる」
 暖炉を見ていたイーメルが、体ごとルカの方へ向けた。
「すまなかった。本当に。何て言ったらいいのか分からない。わらわのせいじゃ」
「謝られても困る。俺は自分が思ったようにやっただけだから。な、もう気にすんな」
 イーメルがルカから顔を背けた。また暖炉を見つめる。
「お姫さん、もう帰るんだ。黙って出てきたんだろ? 城では皆がお姫さんを探してる。ここに居ると知れたら、俺にとっても拙いことになるのは分かるだろ」
 ルカが言ってから暫くの間、イーメルは変わらず暖炉を見ていたが、やがて立ち上がった。
「わかっておる。邪魔したな」
 言って、扉の横に掛けてあった外套を羽織った。
「そうだ。その見張りの男、明日には代わりの者を使わす」
 そう言って、雨の中を走って行った。

 見張りが気絶していたのでは話にならないだろうから、明日には交代ということになるのだろう。
 ソルバーユが台所に戻ってきた。
「容態は安定している」
「病気じゃないだろ」
「後頭部に鋭い一撃を食らって気絶したんだ。まったく、大人しい姫君かと思っていたらとんだじゃじゃ馬だ」
 ソルバーユが溜息混じりに言った。
 それから、机に肘を付いてルカに言った。
「君のことが気になっていたようだね」
「そりゃお姫さんが現場の第一発見者だからな」
「全部聞こえていたよ」
 すぐ隣の部屋に居たのだ。いくら外が雨だったと言っても聞こえて当然だった。
「元々セイロンやマギーに色々言われてね。君は絶対にそんなことはしないから、真犯人を見つけてくれと。それで診察と偽ってここに来たのだよ」
「余計なことはすんなよ。どうせあと一ヶ月で自由の身だ」
「わかっているよ。しかし、君が妖精族の姫と懇意の仲だったとはね。いささか期待外れだ」
 ソルバーユは王に激しい恨みを持つ者として、ルカに目を付けた。ルカを代表にして同じ思いを持つ人族を集め、反乱を起こす為だ。
「何の期待だ。大体、王が悪くても姫には関係ないと言ってたのはあんただろ」
「まあね」
 あっさりと頷く。ソルバーユの考えは、ルカには掴みかねるところがあった。
「だが、今人族を纏めようという時に、姫と関わっているのが知れたらまずい」
「まずくはない。俺たちはイーメルを利用できるんだ。その為に親しいふりをしていたと、もし疑われたら言えばいい」
 自分でも酷いことを言っていると思う。だが実際に使うかどうかは別としても利用できそうなのは事実だし、嘘も方便だ。
 ルカにとっては、
「俺はお姫さんとの関わりを切りたくない」
 それだけのことだった。せめて、姉かどうか分かるまでは。
 さっきは時間もなさそうだったから早く帰してしまったが、刑期が終わったらいつかちゃんと話したいと思っている。
「そんなに彼女のことが好きか」
 ソルバーユが尋ねた。
「違っ、……そうじゃない」
 ソルバーユにはそんな風に見えたのだろうか。ルカがイーメルを好きだと。
 嫌いじゃない。でも姉ちゃんかもしれない。姉ちゃんかも知れないひとを、どう好きになればいいんだ。
「お姫さんは、俺の姉かもしれないんだ」
 ソルバーユが驚いた顔をした。顎に付いていた手を離し、少ししてからまた顎に手を付いた。
「君にはきょうだいは居ないはずだが」
 ソルバーユの言葉の調子はいつも通りだったが、ルカは驚いた。
「何で居ないって分かるんだ」
 さも知っているかのような口ぶり。
 そうだ。再会した時から、ソルバーユは俺のことを何でも見通していた。王に仇討ちしようとしていることも。
「あんたは俺の何だ? 俺が仇討ちする為に手を貸してくれるのは有難い。でもやっぱおかしいよ。あんたは妖精族だ。人族が支配する世界になんて興味もないだろ」
「ふぅ。ではネルヴァが協力するのはなぜだと思う? 彼も別に人族が支配する世界を望むわけじゃない。今の世界が変わることを望んでるんだ。どうなるかはやってみなければ分からない。それでも、今のままではいけない。そう思うから変えようとするんだよ」
 言っていることには納得するしかなかった。こうしたい、という明確な未来予想があるのではなく、今を変えたいといという気持ちで動いても、何も悪いことではないのだ。
「あんたも、それだけか? 今を変えたいだけか?」
 他にも何か隠している。
 ひとの心は複雑過ぎてなかなか分からない。特に、この男の場合は。
「君の母親の名前は、セレンじゃなかったか? 緑色の髪に青い眼の、背の低い女だ」
 急にソルバーユが言った。
 勿論、母親の名前をソルバーユに教えたことはない。それどころか、カザートに来てからは一度も口にしたことが無い名前だった。
「何であんたがそれを知ってる」
「それは、君の母親のセレンが私の娘だからだよ」
 初めて聞く話だ。そんなこと考えたこともなかった。ソルバーユが自分の祖父だなんて。
「でも俺は、手術の時まであんたのことなんか知らなかったんだぞ」
 既に百歳を超えている母の父親が生きているとは思っていなかったし、母から話を聞いた覚えもない。
「色々あって、娘と別々に暮らしていたのだよ」
 それを言うと、ソルバーユはそう答えた。
「私と妻はどうにも反りが合わなくてね、娘が生まれて暫くしてから離婚したんだ。ふむ、秘密にしていてはどうも話がうまく進まないな」
 ソルバーユが決まり悪そうに頭を掻いた。そんな普通の仕草をするのを珍しいと感じる。
「離婚の原因は、私が昔人族の女性と付き合っていたことだった。私の父は厳格で、私が人族と結婚することを許さなかった。今思えば当たり前のことだがね。私は父が勝手に決めた相手と結婚することになったのだ。その時は彼女が別れたいと言っていたと聞かされたよ。話が逸れたな。とにかく、私はその人族の女性と別れて、妻と結婚し、娘も授かった。だが後になって、彼女は別れたかったのではなく、父に説得されて仕方なく身を引いたと分かった。彼女は自殺していたよ。それから妻の色々なところが気に入らなくなって、別れることになった」
 ルカと視線を合わせないようにしながらソルバーユが話す。いつもの彼らしくない、とルカは思った。
「娘の方は元気に成長していたんだが、十六の時だ。家出をしてしまって、行方知れずになった。娘は、自分が私と人族との間に生まれた子どもだと思ってしまったのだよ。昔のことを知っている誰かが、娘に要らぬことを教えてしまったのだろうが。君には分かるだろう。ハーフエルフが妖精族の間でどのように思われているか。私は数年かけてやっと娘の居場所を突き止めた。妖精族と人族が、半妖精族[ハーフエルフ]と一緒に平和に暮らしている町だったよ。別に娘を連れ戻そうとは思わなかった。その時には娘はもう成人していたし、連れ戻した所でいずれ私の手を離れるのだからね。その後娘はその町の人族と結婚し、君が生まれた」
 ソルバーユが言った。
 長い話だ。ソルバーユの作り話とは思えなかった。
「嘘だろ……?」
「嘘じゃない。そうでなければ、私が君のことをこんなに知っているわけがないだろう」
「じゃあ、何で今まで黙ってた」
「知らなくても良いことだったろう。大体、あのテリグラン−テリの戦いで死んだものと思ってたし、最初に君に会った時は本人だとは思わなかった」
「いつ分かったんだ。俺が、あんたの孫だと」
「最初からなんとなく、もしかしたら、とは思っていた。それで部下に後を付けさせて、色々調べた。君は聞かれれば誰にでも答えていたじゃないか。自分の父母の名を」
 あまりにも昔のことでいちいち思い出せないが、確かに誰にでも教えていた。既に死んだのだから、言ってどうなるものでもないと思ったからだ。それに、名前を出すことで、ルカのことが姉に伝わる可能性もあった。
「さて。これで私が君の祖父だということと、私が君に協力する理由が分かってもらえたかな?」
 単純に人族が妖精族に勝っても、ソルバーユに得は無い。確かに彼の思いは晴れるかもしれないが。だがもし、ルカが代表になって妖精族を倒したのならば話は別だ。彼は思いを晴らすだけでなく、孫をカザートの代表に据えることさえできるのだ。
「んなこと、急に言われて信じられるわけないだろ。大体、姉ちゃんもまだ分からないのに」
「その『姉ちゃん』が問題だ。私は娘の近くに部下を送って、常に様子を見守っていたが、子どもは君ひとりだった」
 ルカはソルバーユの顔を凝視した。色々調べて知っているはずのソルバーユが、ユディトのことを知らないとは思えない。
「そんなわけないだろ。家族四人で一緒に暮らしてたんだぜ?」
「いや。私の部下が直接セレンに聞いたから間違いないはずだ。子どもは男の子一人だけだと」
「親父の連れ子だったとか」
 思い付いて言ってみる。母親の連れ子でないのなら、父親の連れ子だろうと思ったのだ。
「君は知らないようだからひとつ教えてやろう。妖精族の髪と瞳の色は、父親から受け継ぐのだよ。君の黒髪と黒眼は父親の物だろう? だったら、イーメルの父親は君の父親ではない。第一、人族はそんなに長生きしない」
「あっ……」
 当たり前だ。イーメルは百四十歳を超えている。人族である父がそれほど長く生きているわけがないのだ。そもそも、よく考えればイーメルは純エルフであって、半妖精族ではない。
「つまり、イーメルは君の姉ではない」
 ソルバーユの言うとおりだ。イーメルは姉ではない。
 だったら、ユディトは誰なんだ? 違う。俺に姉が居ないのなら、ユディトも姉じゃないんだ。多分、一緒に暮らしていただけのひとってことだろう。だったら、やっぱりユディトはイーメルなんじゃないか?
「……仮に、イーメルがテリグラン−テリで君の姉として生活していたとしても、君と血の繋がりはないんだ。彼女に拘るのはやめた方がいい」
 ソルバーユが言う。
 だがルカはそれに頷くことはできなかった。
「血の繋がりよりも、俺がイーメルと会ったことの方が大事だ」
 ユディトを姉として慕っていた。
 イーメルを……。
 ソルバーユが眉間に皺を寄せて、困った顔を作って言った。
「もし、彼女が王に味方すると言ったらどうするつもりだ」
「そんなこと、その時になったら考える」
 今から決めることはできない。まだルカの気持ちも揺らいでいた。
「今から考えておくんだ。そうでなくても、現時点で王女と関わるのは歓迎できないのだから」
 ソルバーユがルカに言った。

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