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5.竜の洞窟 7

 穴の中に落ちたイーメルは、暫くしてから気付いた。
 薄暗いが、イーメルの眼には近くの様子なら見えていた。
「ルカ?」
 呼んでみるが、返事がない。
 近くに居る様子もない。
 イーメルが気を失っている間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。
――我が名はクレイシステレス。汝の名は。
 声が直接聞こえて来て、イーメルは立ち止まった。
「わらわらはカザート王女イーメル」
 クレイシステレスとは、竜の剣を作った賢者の名前と同じだ。
 幻聴か?
 思ったが、どうやらそうではないようだ。声がまた言った。
――それは汝の真実の名ではない。名を答えよ。
「何を言うか。わらわはイーメルじゃ。それ以外の名などない」
 イーメルは声から逃げるように、駆け出した。
 どこかにルカが居るはずだ。
 こんな所でひとりにしないでくれ。
――汝の名は?
 声はイーメルを追ってきた。
「しつこい! 全て破壊するぞ!」
 手を壁に向かって伸ばして、力を伝える。
 壁の一部が崩れた。
――……。
 何度も名を問いかけてきた声が黙った。心なしか、溜息が聞こえたような気がする。
――汝の真実の名は、汝の失われた記憶にある。
 記憶? 母上が亡くなった時からの記憶のことか。わらわが何も思い出せない。その間わらわはずっとカザートに居たのではないのか?
「ユディト……? ルカが、言っていた」
 姉を探していると。その姉の名がユディトだと。そしてイーメルは自分の姉ではないかと。
――ではユディト。汝は竜の剣を求めるものか。
 クレイシステレスの質問がようやく変わった。
「違う」
 自分はユディトなのだろうか?
 クレイシステレスは真実を知っているような気がする。イーメルが忘れてしまったことも。
――ならばよかろう。我が試練に打ち勝てば、出口へ案内しよう。
「余計なお世話じゃ」
 言った途端、周りの風景が変わった。
 粗末な木造の家の中だった。
「姉ちゃん、俺のおもちゃどこやった?」
 黒い髪の小さな男の子が、イーメルに話しかけてきた。妖精族の姿をしているが、なんとなく妖精族でないと感じる。
 そなたなぞ知らぬ。
 言おうとしたが、声が出なかった。
「ルカが遊んでばかりだから、子犬さんも疲れたって。ルカが母さんのお手伝いして晩御飯が終わったら、またルカと遊びに出て来るわよ」
 自分の意思とは無関係に言葉が出る。
 子犬さん、と自分が言った物のことは分かる。この男の子の父親が作ったブリキのおもちゃだ。母親の手伝いをせずに遊んでばかりだから、男の子のお気に入りのおもちゃを自分が部屋の隅の物の陰に隠した。
 なぜそんなことを知っておる。
 何も覚えていない。でも分かる。ここがどこで、家の中の住人が誰なのか。
「ユディト、ルカ」
「ほら、母さんが呼んでる。今日はルカの好きなシチューなのよ。お手伝いしなかったら、ルカの分は人参だけになっちゃうかも」
「じゃあ、手伝う」
 しぶしぶとルカが歩き出した。
 イーメルもその後を追った。
 台所では、母親が野菜を切っていた。ルカに玉葱を渡して、皮を剥くように言っている。イーメルもルカの側で皮剥きをした。玉葱を剥くのに刃物を使うわけでもないし、危険はないだろうが念のためだ。
 皮が剥けた玉葱を母親に渡すと、母親はルカの頭を撫でて言った。
「ちゃんとお手伝いしてくれたわね。偉い偉い。またお手伝いしてね」
「うん」
 笑顔で頷く、ルカ。
「ユディトはもうちょっと手伝ってね」
 ルカの母親は緑色の髪に、青い瞳の、綺麗な妖精族女性だ。
 父親は、今はまだ仕事場から帰って来ていないが、黒髪黒眼の人族男性だった。イーメルはこの二人にとても感謝していた。
 何も覚えていない。なぜ感謝していたのかも分からない。
 ある日イーメルは、母親から銀色の指輪を渡された。結婚前に夫に貰ったものだという。そんな大事なものを良いのかと聞いたら、
「あなたはわたしの娘だから」
 と言って微笑んだ。
 平和に時が過ぎていく。
 駄目じゃ。このままでは、あの日に……。
 今のイーメルは知っている。このままの速度で時が進めば、すぐにあの日が来る。
 テリグラン−テリが父に滅ぼされた日が。
 逃げろ。
 しかしイーメルの口は開かない。単に記憶をなぞっているだけなのだろうか。イーメルには何もできないのだろうか。

 辺り一面が炎に包まれて、やっとイーメルは自分の意思で動けるようになった。
「ルカ」
 小さな弟の名を呼ぶ。
 実際にイーメルはルカを連れてこの炎から逃れたのだ。今も同じことができるはずだった。
 ルカの泣き声が聞こえて、そちらへ向かう。
 ルカを抱きとめても泣き止まない。ルカの見ている炎の向こうに、母親が居た。
「母さん!」
 あの日は気付かなかった。ルカを助けるので精一杯だった。
 ルカを連れて一旦家から外に出る。
「ルカ、あっちへ向かって走るのじゃ」
 あの日、燃える町を二人で見下ろした崖を指差す。
「姉ちゃんは」
「わらわは、母さんを助けるから」
「ねえ、なんでそんな偉い人みたいな喋り方なの?」
「わらわは、本当は……」
 涙が出てきた。
 わらわがこの町に居たせいで、この町は滅ぼされた。
 ルカの背を押して走らせる。
 自分は家に戻った。
 なんで。なんで? こんなことをして王になって、何の意味がある?
 炎の中の母親の影へ向かって、イーメルは手を伸ばした。
「今、助けるから」
「駄目よ、あなたは逃げて」
「でも」
 優しいひとだった。
 母を殺した父に、イーメルは追放された。真実は、イーメルに死んで欲しかったのだろう。森の中に置き去りにされた。諦めかけていたところをこの夫婦に拾ってもらって、娘として世話をしてくれた。
「貴女が死んで、わらわが残っても仕方ないのじゃ」
 この先に起こることを、イーメルは知っている。
 あの日、結局イーメルは、ルカを残して父の元に戻ることを選んだ。これ以上の破壊をさせない為に。けれど、父はイーメルを取り戻したかったのではない。単なる口実に過ぎなかったのだから、何も変わらなかった。
 小さなルカには母親が必要だ。
 親を失うなんて、こんな酷い、悲しい思いをさせるのはもう嫌だ。
 これが夢であるならば、せめて夢の中でだけでも。
「姉ちゃん」
 後ろからルカの声がした。
「ルカ! 危ないから、来るな」
「ユディト、貴女はルカを守って。お願い」
 炎の塊が、母親の上に落ちた。
 なんで? 彼らは何も悪くないのに。悪いのは全てわらわの父なのに。
「姉ちゃん、危ないよ」
 ルカに子どもとは思えない力で引っ張られて、イーメルは燃える建物から外に出た。
 涙が止まらない。
「離せ! まだ間に合うかもしれない」
 ルカを振り切って前へ出たが、足がもつれてその場に転ぶ。
 家族が暮らしていた家が、音を立てて崩れた。イーメルの大事な二人を飲み込んだまま。
 炎は崩れ落ちる周りの建物から溢れるように広がっていた。
 このままここに居たら危険だということは分かる。
「ルカ、逃げろ」
 もう一度、ルカの背を押した。
「姉ちゃんも一緒に」
「嫌じゃ。わらわはここに残る」
 助けられないのなら。
 現実になど戻りたくない。戻っても、ルカに恨まれるだけじゃ。このまま、ここで二人の後を追おう。
 目を閉じ、死を覚悟する。
 火の粉が飛び、イーメルの服に火が燃え移った。

「しっかりしろ、お姫さん」
 ルカの声、だがそれは幼いルカではなく、今のルカだった。
 イーメルは目を開けた。
「よかった」
 ルカがほっとした表情でイーメルを見下ろしていた。
 ルカに支えられて、イーメルは立ち上がった。
 服の裾が焼け焦げている。
「幻覚ではなかったのか」
「よく分かんねえけど、急に燃え出して。まあ、無事ならいいや」
 ルカが笑顔で言っている。
 あの小さなルカが、立派になったものじゃ。
 イーメルの助けがなければ生き残ることができない程小さかった男の子が、今はイーメルを助けられるくらいまで成長した。
 戻ってきて良かったのだろうか、と思う。ルカもイーメルのせいで町が滅んだという真実を知れば、イーメルを嫌うだろう。今はまだ、姉かもしれないと思っているのだろうから。
 洞窟の中には違いないが、四方の壁には鏡のようになる水が流れており、どこからか入ってくる光を反射して明るかった。
「お姫さん、俺、竜の剣を手に入れたよ。試練とかあったけど、なんか良く分からないうちに終わったみたいだし」
 ルカはイーメルに一振りの剣を見せた。白い刃にイーメルの顔が映る。
「そうか。よかったな」
 イーメルが笑顔を作って言った。
 その後、イーメルが竜の剣を指差した。
「ルカ、その剣の力を試してみたいとは思わぬか?」
「ん? まあな。でもだからって妖精族を切ってみるってわけにもいかないだろ」
 イーメルが真っ直ぐにルカを見た。
 なんだ?
 イーメルの瞳は青く澄んでいて綺麗だ。だが嫌な感じがした。
 イーメルが言った。
「わらわで試すが良い。そなたの町が滅ぶに至った原因は、わらわなのだから」
 嫌だ、とすぐに返すことができなかった。
「思い出したのか?」
 イーメルが忘れていた記憶。
 イーメルが頷く。
 イーメルがテリグラン−テリに居たから、攻め込まれる機会を作った。
 ソルバーユが言ったことと、ルカの推測が正しかったということだろう。
 王に味方されると面倒だ。
 イーメルも王と同じ、復讐すべき相手なのかもしれない。
「町の皆の無念、よう分かっておる。わらわは死んでも構わぬ。そなたに切られるのであれば構わぬ」
 そうだ。町のみんなは、イーメルの父親であるイレイヤ公に殺された。原因を作ったのは、勝手に町に入り込んでいたイーメルだ。みんなわけも分からず殺されて、無念だったろう。
 竜の剣を持つ手に、力を込める。
 でも。
 イーメルも何も知らなかったのだ。彼女を殺せば、町の人の無念は晴れるかもしれない。だがそれでは。
 俺が納得できない。
 イーメルがルカの姉でなくても、家族として暮らしていたユディトでさえなかったとしても。
 分からない。
 胸がむかむかした。殺せば、この嫌な息苦しさからも逃れられる。それ以降は迷う必要がなくなるから。
 そうか。迷ってるのか、俺は。
 ルカには、死んだ両親や町の人々の仇を討つという大義がある。
 だが大義は名分に過ぎない。それは大分前から分かっていた。いくら酷い目にあったと言っても、まだ六歳だったルカが仇討ちなどと大層なことを思いつくわけがない。
 元々は、自分に酷い悲しみを負わせたイレイヤ公に、個人的に復讐したかっただけだ。町の人々の無念だとか思いだとか、そんなのは後でとって付けた屁理屈だ。
 それなのにいつの間にか、後付けだった大義にルカ自身が振り回されている。
 なんだ。分かってるじゃねえか。
 そもそも町の人々に言われて仇討ちをしようとしていたのではない。ルカ自身の意思で、復讐しようとしていたのだ。今更、町の人々の為にイーメルを切る必要が、どこにあるというのだろう。
「わらわを切れ! わらわは、全てを思い出してなおのうのうと生きられるほど、強くはない」
 イーメルが言う。放って置くと泣き出しそうだった。
 ルカは竜の剣を地面に抛った。
 イーメルが地面に転がった竜の剣を見て、それからルカに視線を戻した。その表情は不安でいっぱいだった。
 本当に死にたいわけじゃないよな、イーメル。
 ルカは口を開いた。
「お姫さん自身や、死んだ町の人達がどう思ってるかは知らない。けど、俺はイーメルに近くに居て欲しいんだ」
 ルカ自身としては、精一杯の告白。
 それがイーメルに伝わったかどうかは分からなかったが、イーメルは困ったような顔で微笑んだ。
「ありがとう。嬉しい」
 困ったような顔は一瞬で、次の瞬間本当の笑顔になった。
 この笑顔を見る為になら、ルカは何でもする。
 ルカの一番大事なことが、王に復讐することから、イーメルを守ることに変わった瞬間だった。
 イーメルがしっかりした目でルカを見る。
「では、わらわはそなたと命を共にしよう。そなたが父を倒すというのであれば協力をしよう。そなたがわらわを殺すと言うのであれば、わらわはそれを受け入れよう」
 告白の返事ではないが、イーメルが生きているのであれば、今はそれで十分だった。
「ああ。でも俺はお姫さんを殺したりしないから。絶対に」
 地面に置いていた竜の剣を拾い上げる。
 できることなら、王以外にこの剣は使いたくない。だが、今進行中の計画はルカだけでなく、多くの人々を巻き込む物だ。これを他の妖精族に対して使うこともあるだろう。しかしイーメルが協力してくれるのであれば、敵対する妖精族の数を元から減らすことができるかもしれない。
「帰ろうか」
 ルカは言って、イーメルがついて来ているのを確認すると、光が射す方向へ歩き出した。

 王都カザートに到着してから、イーメルは城へ、ルカはジージルドが働いている馬屋へ向かった。
 イーメルの方は数日居なかった言い訳を考えるのに大変かもしれないが、ルカの方は何事もなかったかのように、いつもの日常へ戻ることができた。

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