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6.それぞれの理由 3

 ソルバーユの研究所に着いたルカは、付近の様子がいつもと少し違うことに気付いた。具体的に何が違うのかまでは分からないが、少しだけ違う。
 妖精族が居る。
 研究所の周りに。普段から誰も通らないという訳ではないが、わざわざ立ち止まるような場所ではないはずだ。
 ルカは首を傾げながら、研究所に入った。
 入ってすぐの受付にいたトキメが、ルカに気付いて頭を下げる。それから、診察室になっている部屋の扉を少し開け、「ルカさんがいらっしゃいました」と告げた。
「どうぞ」
 トキメが右手で扉を差したので、ルカは診察室に入った。
 診察室には、いつものように顰め面の緑髪のエルフと、もうひとり、ここでは初めて会う顔があった。
 肩に細長い胴体の小さな動物を乗せて、その輝く白い髪のエルフ女性は、ルカを見て微笑んだ。
「お姫さん」
 一瞬、驚いて声が出なかった。
 竜の剣を取りに行って以来だから、一月ぶりくらいだろうか。
「何でここに……」
「この子の調子が悪かったから、医者に見せに来たのだ。別にそなたに会う為にここに居たわけではない」
 『この子』とイーメルが言ったのは、イーメルの肩を右へ左へと動き回っている小動物のことだった。ルカは初めて見たが、毛皮を取る為に飼おうとしていた鼬がそれだった。
 ただ、この鼬はこちらの環境でも問題なく飼育できるかどうかの確認の為に持ち込まれた数匹のうちの一匹で、体も小さく弱そうだった為、イーメルが引き取ったのだった。決して、大きくなったら自分用の毛皮にしてもらおうと思って引き取ったわけでは……。
「ルカ、私には挨拶もなしか?」
 椅子に座って机に肘を付いたソルバーユが言った。
「えっ、ああ、すまない。今日もよろしく」
 ルカが言うと、ソルバーユは満足そうに頷いた。
「王女は待合室に居てください。今トキメが鼬にあげる薬を用意していますので」
 ソルバーユが言う。
 イーメルは「分かった」と言って診察室から出て行った。
「今日は王女が来ていて、君も見ただろうが、外には警護の兵士がうろついている。今日は他の人たちも早々に引き上げてもらったよ。王女が何で居座るのかは、まあ理解はしているつもりだがね」
 言いながら、ソルバーユがルカの手のひらに文字を書いた。
 北の地で立ち往生している前線部隊に補給する為に中隊が出発する、正確な日取りだ。
 丸二ヶ月もある。三日前の話では、来月中ということだったが。
「こうも妖精族が多くては、あまり込み入った話はできない。誰がどこで聞き耳を立てているか分からんのでね」
 ルカが思い浮かべた疑問に答えるかのように、ソルバーユが言った。
「どうした? 目が赤いぞ。疲れているのならまずは十分な睡眠を取るべきだ」
 急にソルバーユが言った。今までの会話と全く違う話。
 また何か謎かけのような問答になっているのかと思ったが、そうではなさそうだ。
「いや、疲れているわけじゃない。ただ、今朝、友達の訃報を聞いたばかりで」
 サラはマギーと同じくらいの年齢だった。まだ子どもだったのに。
「そうか。今朝と言うと、あの話だな。ラグイハクア子爵の奴隷の一家が殺されたという。あの家族に、君の友達が居たのか」
 そんな名前なのか。
 オーヴィアは一家の主人の名前を言おうとしなかった。ルカやセイロンは知る必要がない、ということだろう。
「正確には、まだ家族じゃなかった。婚約して、一緒に暮らし始めたばかりだったんだ」
 これから、幸せになるはずだったのに。
 あまりサラと交流がなかった自分でも、これ程辛いのだ。ずっと仲良くしていたマギーや、サラを好いていたセイロンの気持ちは、ルカにも計り知ることはできない。
「なあ、やっぱり誰も裁けないのか? その家族を殺した奴を」
「難しいな。持ち主であるラグイハクア子爵が訴えを起こさぬ限り保安隊も動けないし、今の所、訴えを起こしたという話も聞かない」
 妖精族の貴族は気位が高く、自分の持ち物を奪われたらすぐに訴えを起こす。それは奴隷に対しても同じだ。だが、自分で自分の持ち物を壊した場合は気にしないし、奪った相手の階級が自分より上なら、勝ち目がないからと訴えを起こさない場合もある。
「そうか」
 仕方がないことだ。今の所は。
 早くこの国を、もっと住み易い世界に変えたい。幼い頃にルカが失った、妖精族も人族も、半妖精族も、同じ立場で共に暮らせる世界に。
 診察室の扉が少し開いて、トキメが顔を見せた。
「先生、ローシュ様の使いの方がいらっしゃってます」
「使い? 本人ではなく、か? 珍しいな」
 ソルバーユが言って席を立った。
「待ってろ」
 ルカに言うと、ソルバーユは診察室から出て行った。
 暫くして戻ってきたソルバーユは、鞄に机の上にあったいくつかの道具を詰め込み、ルカを見た。
「出かけなければならなくなった。後はトキメに任せる。この奥の部屋は入院患者用の部屋だが、今は誰も使っていないから、時間があるならそこで待っていてくれ。なるべく早く戻る。無理そうなら帰っても良いが、明日から私も暫くカザートを離れるから」
 早口に言って、一瞬診察室の扉を見、またルカを見た。
「王女が居ると色々面倒だ。どうせ君に話があるのだろう。さっきも言ったが奥の部屋を使っていいから、王女の用事を聞いてさっさと帰ってもらえ」
 半分怒るような口調で捲し立て、ソルバーユは鞄を掴んで部屋から出て行った。
 開いたままの扉の向こうから、「行ってらっしゃいませ」というトキメの声が聞こえてくる。
 その扉から、イーメルが鼬と一緒に顔を出した。その後ろからトキメが来て、イーメルとルカを奥の部屋に案内した。
「ごめんなさいね。先生が回診なさっているお家の子牛の容態が急に悪化したらしくて、どうしても行かなければならないのです。今お茶をお持ちしますね」
 そう言って部屋を出る。
 入院患者用の部屋だと言っていたが、白いシーツが掛かった寝台が二つ並んでいて、小さなサイドテーブルが寝台の側にそれぞれ置いてある、殺風景な部屋だった。
 そもそも、ソルバーユの主な診察対象は家畜であって人間ではない。入院患者用の部屋など必要ないはずで、使われていないのも当たり前だった。
 部屋に置いてあった丸椅子にそれぞれ腰掛けて、ルカとイーメルはトキメがお茶を持ってくるのを静かに待った。
 いや、何か話そうと思ったのだが、ルカは何も言い出せなかった。
 鼬がイーメルの肩や膝を自由自在に歩き回っている。時折地面に向かって降りようとするから、イーメルががっちりと掴んで肩に戻す。
 それを見ているだけでも面白い。
「お待たせしました」
 トキメが来て、サイドテーブルを二人の間に引っ張って、そこにお茶を乗せた。
「どうぞ、ごゆっくり」
 普通に客が来た時のような調子で、トキメが言って部屋を出て行く。

「えっと、」
 何から話そうか、ルカは思案した。いや、ルカはここにイーメルが居るとは思っていなかったわけで、話すことを用意していたわけではない。だから、すぐには出てこなかった。
「父は春になればまた戦地へ向かう」
 イーメルが言った。
「戦地であれば、父が死したとしても珍しくもないであろう。だがその場合は、周りに多数の敵が存在することになってしまうが」
 カザート軍と、敵軍。両方が自分を狙う可能性があるということ。しかし、ルカは暗殺は考えていなかった。自分の仇討ちだけが目的ならそれでも構わなかったが、今はそうではない。
「そんなことは考えていない」
 素直に言う。
 春になれば王都から離れるということは、逆に言えば、それまでに城に攻め入らなければならないということだ。
「でも、情報ありがとな」
「わらわは、そなたに協力すると言ったはずじゃ。何を今更」
 プイと横を向いて、イーメルがぶつぶつ言った。
 相変わらず、鼬は元気良く走り回っている。小さなイーメルの肩でも、鼬にとっては十分な広さなのだろう。
「あ、そうだ。オーヴィアが心配してたぞ。もうずっと、会合とか式典に出てないんだろ。後、食事も変えろとか言ってるって」
「オーヴィアが? もうわらわの兵士ではないのに……」
 十五年間、イーメルの警護を担当してくれた。随分わがままも言ったし、困らせた。侍女よりも責任の重い護衛官は、入れ替わりが激しかった。その中で、オーヴィアは最初から十五年もの間、イーメルに仕えてきたのだ。
「悪いことをしたな」
 辞任したいと言われた時、引き止めれば良かったのだろうか。
 だがそれは、なんとなくイーメルの性に合わない。イーメルが自分のプライドを捨ててでも追いかけたいと思ったのは、この世でひとりだけだ。そのひとり以外の為に、みっともない真似をするつもりはなかった。
「食事を変えろと言ったのは、普段あまりにも豪勢過ぎるからじゃ。別に食べたくないとか言ったわけではない。あまり心配するなと、伝えておいてくれ。式典や会合も必要なら出るから」
「分かった。もし会ったら伝えておく。セイロンを通してでも良ければ、多分早めに伝えられるけど、どうする? てか、サビアだっけ? オーヴィアの妹が侍女なんだろ。そのひとに言えば良いと思うけど」
 今日はたまたま日曜にオーヴィアが来たから会えたが、普段はお互い平日に仕事をしている為、会う機会はなさそうだった。
「サビアも辞任した。だから、セイロンに言っておいてくれ」
 どことなく、寂しそうだ。
 常に付き従っていた二人が居なくなったのだ。死んだわけではないから悲しくはないだろうが、寂しさは感じるのだろう。
「わらわは、そなたについて行ったことを、後悔はしておらぬ。お陰で記憶も取り戻せたし、やっと、父の非道を正面から見つめることができるようになった」
 イーメルがルカを見て言った。
 少し微笑む。
「わらわは、成長したルカに会えて良かった」
 弟の成長を心から喜ぶ姉のように、くったくのない笑顔。
 『会えて良かった』とイーメルは言ったが、ルカはそれを素直に受け取ることができなかった。弟として見られている。
 もちろん、それでも十分過ぎるくらいに嬉しいことのはずだった。
 イーメルはユディトで、血の繋がりはなくてもルカの姉として数年間過ごしていたのは事実で、その間はとても幸せだったのだ。その時に戻れるなら戻りたいと、何度思ったことだろう。
 だから、嬉しいはずだった。
 胸が痛む。
 イーメルが、俺に弟で居て欲しいと望むなら。
 ソルバーユも、ルカを孫だと言い、力になってくれた。イーメルも、弟の成長を見るのが楽しいのだろう。
「ああ、そうだ」
 ルカは服に取り付けたポケットから、金色の飾り櫛を取り出した。王を倒すのに失敗した日、返しそびれていた物だった。ずっと持ち歩いていたのは、以前のように仕事の帰りに会えるかもしれないと思っていたからだ。
「これ、返すよ」
「……それはそなたにやったものじゃ。取っておけ」
 櫛を少し見て、イーメルが言った。
「取っておけって言われても、俺使わないし、こんな高そうなもの持ってるだけでも怖いんだけど」
 ルカが言うと、イーメルが困ったような顔をした。
「そなたの持っていた短剣、あれの代金だと思えば良い。売ってもいいし。気に入らないのであれば捨てても良い」
 あっさり捨てても良いと言うあたり、やはり長年の間に培われた贅沢心はすぐには消せないものだ。
「じゃあ、これが俺のものなら、俺がこれをお姫さんにあげてもいいんだよな?」
「へ? ああ。まあ、そういうことになるな」
 イーメルが言ったので、ルカはイーメルの手のひらに飾り櫛を置いた。
 イーメルは釈然としない顔をしていたが、やがて諦めたのか、飾り櫛を手に取り眺め始めた。
「わらわにつけてくれ」
 そう言って、飾り櫛をルカに渡す。
「え?」
 元々結ってある髪にずり落ちないように挿せばよいのだが、使ったことがないのでどうしたものか、ルカは迷った。
 イーメルは鼬を両手で掴んで膝の上に乗せ、櫛を持って途方に暮れた様子のルカをおもしろそうに見た。
 櫛とイーメルの髪を何度か見比べ、ルカは思い切ってイーメルの髪に手を触れた。細く、滑らかな髪。綺麗に結い上げているが、下手に触ったらそれすら崩れそうだ。色々な意味で緊張する。
 ざくっといけばいいんだ。ざくっと。
 と、思い切って髪に挿してみたら、本当にざくっと行ったようだ。
 イーメルが顔を顰める。
「そなたは阿呆じゃ」
 当たり前ではあるが、酷く機嫌を損ねて、イーメルはそっぽを向いた。
「禿げたらどうしてくれる」
「え、いや。ええ!?」
 禿げるほど削っただろうか。
「と、トキメさん、ちょっと」
 ルカは診察室と通じる扉を開けてトキメに助けを求めた。
「どうなさいました?」
「お姫さんが怪我したかもしんなくて」
 状況を説明する。
 ルカの後姿を見て、イーメルが笑った。

 結局、ソルバーユは今日は遅くなるということで、待たずに帰ることになった。
 研究所から出た途端、イーメルの付人達がどっと押し寄せてきたのに焦ったが、イーメルは気にする様子もなく、十人以上の付人を従えて立ち去っていった。

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