家に帰ると、台所にセイロンが居た。マギーは居る様子がない。
「ただいま。マギーは帰ったのか?」
「さあ。居ないんなら、帰ったんじゃない?」
ぶっきら棒に答える。
まだ喧嘩継続中か。
サラの存在は二人にとって大きかったのだ。泣いてお互いに暗くなっていくよりは、喧嘩して発散した方が良いだろう。
普段なら、まだ日は高いし、マギーが帰る時刻ではない。相当酷い喧嘩だったのか、セイロンの顔に青あざも見えた。
「セイロンは手を上げてないだろうな」
マギーに。小さい子ども同士なら大した怪我にはならないかもしれないが、十五歳にもなる男が同じことをやれば相手の女の子は大怪我だ。
「知らない」
本当は知らないわけではないだろうが、ルカともあまり話したくないのだろう。
「俺、ちょっと昼寝する。誰か来たら起こしてくれ。誰も来ないとは思うけど」
欠伸をして見せて、ルカは寝室に入った。
今のセイロンには、何を言っても駄目だろう。言わなければいけないことは全部言ったし、多分マギーも言ってくれているだろう。後は落ち着くのを待つしかない。
夜になって、腹が空いて目が覚めたルカは、台所の机に突っ伏して寝ているセイロンを見つけた。
巻物状だった羊皮紙が広げられている。内容を見ると、サラの名前に線が引かれ、今日の日付が書かれていた。
今の時刻はよく分からない。
セイロンが寝ているから、もう随分遅い時間なのだろう、と思いながら、乾燥肉を一切れ切り取る。
突然、家の扉がドンドンと叩かれた。
普通に家に来る客は、こんな扉が壊れそうな勢いで叩いたりしないはずだ。何か急ぎの用だろう。
ルカは扉を開けた。
外に立っていたのは中年の女性だった。
「マギー、来てない?」
誰だろう?
マギーの知り合いなのだ、ということだけは分かる。
「昼に来てたけど、もう帰ったよ」
「何時ごろ? マギー、まだ帰ってこないの」
「え」
急いでセイロンを起こす。
泣いていたせいで半分くらいしか開かない目を擦っていたセイロンは、マギーがまだ帰っていないことを聞いて、急いで冷水で顔を洗って、女性を出迎えた。
「おばさん、マギーがまだ帰ってないって本当? マギーがここを出たのは昼過ぎだよ」
「昼過ぎ……いいえ、午前中に出かけてから一度も帰って来ていないの。どうしたのかしら。最近人攫いも多いって聞くし、心配だわ」
この女性が、マギーが世話になっている『おばさん』なのだろう。実際に二人の叔母なのか、それとも近所のおばさんという意味なのかは分からないが。
「俺、探してくる」
ルカは言って、家を出た。
振り返って、女性とセイロンに向かって言う。
「二人はここで待ってろ。こんな時間に外を出歩くのは危ない」
女性はよく一人でここまで来たものだ。マギーを本当に愛しているのかもしれない。
ここから羊飼いの村まで、道は複雑ではない。最短距離を行くなら選ぶ道は一本しかなく、他の道というと単に畑の畦道を通るかどうかくらいのものだ。
「マギー」
名前を呼びながら道を走る。
時刻も遅く、道を歩く人は誰も居ない。王の結婚式の日の夜、遅くまで明かりが付いていた人族の集落も、今日は真っ暗でどこにあるのかもよく分からないくらいだった。
集落に差し掛かる。
もう皆寝ている時刻だろう。明かりは全て消えているし、外には人の気配もない。
「マギー」
少し声の音量を下げて呼ぶ。
集落は道よりも複雑だ。だが、あまり集落の中で留まっている可能性は考えられない。集落の中なら、既に誰かが見つけているはずだ。友達の家に泊まっているのかもしれない。
だがセイロンの家を出たのが昼過ぎなら、おばさんに連絡する時間はいつでもあったはずだ。
集落を抜けて、少し離れたところにある羊飼いの村を目指す。
マギーが住んでいる家の前まで行ったが、マギーは見付からなかった。
「マギー」
羊飼いの村に響く声で呼ぶ。
誰かは起きてしまったかもしれないが、マギーが見付からなかったらそれどころではない。
道を戻る。
やはり、見付からなかった。
少し別の道へ入ってみる。特に何もない。
駄目だ。これじゃあ、見付からない。
山が見えた。
ひとりで山に入るはずがない。また引き返す。
朝になっても、マギーは見付からなかった。一度家に戻ったが、やはりマギーは立ち寄っていない。
おばさんと一緒に、マギーが住む家にまた向かう。
「セイロンが、マギーが居なくなったのは自分のせいだって言うの。喧嘩したからだって」
おばさんが言った。
「家出だと?」
「セイロンはそう言うけれど……セイロンと一緒に暮らしているなら喧嘩して家出もあるかもしれないわ。でも、マギーはわたしたちと一緒に暮らしているのに」
その通りだ。
マギーが家出をする理由はない。
一睡もせずに疲れ果てた様子のおばさんを家に入れると、ルカはまたマギーを探しに歩き出した。
「お兄ちゃん」
聞きなれた声が聞こえて来た。マギーではなく、以前イーメルと一緒に遊んでいた子どもの一人だ。
「マギーを探してるの?」
「ああ。……知ってるのか?」
「アリルが見たって」
指差す。
アリルは初めて見る顔だった。まだひとりで歩くのも危ないくらいの小さな男の子だった。
「マギーを見たのか?」
ルカが聞くと、アリルが頷いた。
言葉はもう喋れるのか?
疑問が浮かぶ。この年齢なら喋れるはずだが、成長速度はみなが横並びなわけではない。まだ自分が言いたいことをきちんと纏められない子どもも多いだろう。
「おっきな くるまにね」
アリルがたどたどしい口調で言った。
「いっぱいのってた。おねえちゃんも、おにいちゃんも」
「知らない人も乗ってた?」
先にルカに声を掛けた、アリルよりは年上の女の子が言う。
アリルは少し考えてから言った。
「うん。しらないおじさんもいっぱいいた。しらないひとには ついていっちゃだめって、ぼく言ったんだけど、おねえちゃん くびをよこにふって、だめだめしてた」
「その車は、どっちへ行った」
「んとね、あっち」
指差す。
そちらへ行っても山しかない。
山を越えれば、隣国イリアンルゥルだ。
人攫いだ。若い男女を攫って、他国で奴隷として売る。
「教えてくれてありがとな」
ルカはアリルに言ってから、城へ向かって走った。
|