ルカが馬屋の仕事に戻ってから、やっとまた綺麗になってきた。
ある日、見知らぬ女性が厩舎の門の前に立っているのを午後の仕事に入ろうとしていたルカは見かけた。
門から中を覗き込み、誰かを探しているようだった。
「何か用ですか?」
女性に近付き、ルカは尋ねた。
ごく普通の人族の女性だ。年齢は三十代前半と言ったところだろうか。
女性はルカを見ると、早口に言い出した。
「うちの人がどこに居るか知りませんか? お昼に入れた野菜が腐っていたみたいで。うちの人ったら、いつも自分が臭いもんだから、きっと気付かずに食べてしまうわ」
誰なのかはまだ言っていないが、サルムのことだろうと予測を付ける。
丁度、サルムが休憩から帰ってきた。
「ああ、あなた」
女性がサルムに駆け寄って、弁当のことを告げている。
サルムは頷きながら、女性の後ろを気にしているようだった。
「サチは来てないのか?」
女性の話が一区切り付くと、サルムが尋ねた。
女性が首を横に振る。すまなそうな顔をした。
「お父さんに会いに行くわよ、って言ったんだけど、やっぱりまだ納得できないみたい」
「そうか。まあ、仕方ないさ。いつか来てくれるだろう」
「そうね」
女性が軽く手を振って、ルカに会釈をしてから去って行った。
サルムと一緒に馬屋へ向かう。
「あんたは独身なんだと思ってた。綺麗な奥さんが居るんじゃないか」
サルム以外の馬屋で働く男達は、家族の話をしたがった。サルムはルカと同じで家族の話をしないから、家族は居ないのだと思っていたのだ。
「まあな。あのひとは、前の相棒の嫁さんだったんだ。でも相棒は死んじまって、娘もまだ小さいだろ。あのひとも仕方なく俺と再婚したってわけさ」
「仕方なくなのか? そういうふうには見えなかったけど」
先程二人が会話している様子はごく普通の夫婦であって、仲が悪そうには見えなかった。
「前の相棒が死んだ時には『あんたが死ねば良かったのに』とか散々言われたよ。サチは未だに、俺のことを『おじちゃん』としか呼ばないし。まあ仕方ないさ。あのひとが俺と結婚すると言い出した時には、相棒には悪いが、棚からぼた餅だと思ったもんさ。……本当に、俺が死んでれば良かったんだ」
サルムが眉間に皺を寄せて言う。
普段話す時は大抵おどけた調子だから、どれ程サルムが前の相棒が死んだことを悔やんでいるかが分かる。
「暗い話はこれで終わりだ。さっきパロス総督が慌てて事務所に入って行ったから、もしかしたらお偉いさんが馬を引き取りに来たのかもしれねえ。早めに掃除を終わらせちまおう」
そう言って、「気にするな」とルカの肩を叩いた。
確かに、ルカがサルムの家庭についてあれこれ考えても何の助けにもならないだろう。ルカは家庭を持ったことがないし、何か言われても相談に乗れるわけでもないのだ。
午後の仕事が始まってすぐに、この馬屋で働く五人全員が入り口近くに集められた。
パロスが咳払いをして五人の前に立った。そのパロスの後ろに、鎧を身に纏った妖精族の男が立っている。そのさらに後ろに数人の簡易鎧を来た妖精族が居て、ルカ達の後ろにも同じような服装の妖精族が何人か居た。
「えー、この度ヘルメイド殿がデルシール諸島へ派遣されることとなった。そこで、人数分の軍馬が必要とのことで、ここまで足を運んで頂いた」
パロスが大きな声で言う。
あの偉そうなパロスがやけに丁寧に説明しているのを妙に感じた。
パロスが後ろに立つ男を振り返り、顎を少し上げて自分の横に立つように指示する。眉間に皺が寄っているが、唇の端が上がっていて、怒っているのか笑っているのか中途半端な顔のまま、パロスはまたルカ達の方を向いた。
「ヘルメイド殿は男爵家の出ながら優れた戦績を上げ、今やヴォルテス王の勅命を受けるまでになった。お前達、彼がわたしのように伯爵姓ではないからと、適当な仕事をするんじゃないぞ」
なるほど、それでパロスの言葉と顔つきが一致していないのか、とルカは納得した。以前セイロンに貸してもらった巻物の中に、民の階級についての記載もあった。確か、伯爵は男爵よりも上の階級に位置するはずだ。しかし軍の中での階級は当然パロスよりもヘルメイドが上である。だから、相手を嘲笑する顔と、相手を畏れる顔、両面が出ているのだ。
パロスが言い終わって暫くしてから、ヘルメイドが口を開いた。
「デルシール諸島はここから遠く離れた地にある。持久力のある馬を十五頭用意して欲しい。それから、わたしの馬がここに居るはずだ。それも加えて十六頭。明日の朝までに用意しろ」
「かしこまりました」
サルムよりも幾分年上のビルが答える。
ルカもそれに習って早口に返事した。
パロスはすぐにどこかへ歩いて行ったが、ヘルメイドはその場に残った。
「ふん。そうやって偉そうにしていられるのも今のうちだ」
パロスの後姿に向かってヘルメイドが呟く。
それからルカ達が並んでいる方を振り返り、近くに居た男に声を掛けた。
「わたしの馬が元気でいるか、見せてもらいたいのだがいいだろうか?」
「はい。ご案内いたします。どうぞ」
声を掛けられた男がそのままヘルメイドを案内して、一番遠くの馬小屋へ入って言った。
ルカはヘルメイドというエルフには初めて会ったし、どの馬が彼の馬なのか全く知らない。馬小屋は四つあり、一番奥の馬小屋に個人から預かった馬がいるということだけは聞いていた。
「十六頭だ。朝までぶっ通しでやらないと間に合わないかもしれないな」
サルムが言うと、他の男達も急いで馬小屋へ向かった。
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