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03/01/26(日) 小磯良平回顧展
03/01/23(木) 夢百景:妖虫使い
03/01/21(火) ある貴乃花伝説
03/01/19(日) 北京京劇院公演
03/01/13(月) 新年会
03/01/07(火) やけくそ経済談義
03/01/06(月) 国宝百選の紅梅白梅図屏風
03/01/05(日) 国宝百選と元祖おたく義政
03/01/02(木) 青松寺で四天王を見る
02/12/30(月) 聖母子像
02/12/25(水) 処女懐胎
02/12/10(火) K−1グランプリ
02/12/06(金) おや?『ピーターパン』ではないか
02/12/03(火) 強力神の如し

2003/01/26(日)小磯良平回顧展

大丸ミュージアム『小磯良平回顧展』。

小磯良平はとても好きな画家なのだが、記念美術館が神戸なので、なかなか見ることができなかった。代表作が網羅されているはずだったが、目録のうち三分の二程度しか展示されていなかった。『斉唱』や『彼の休息』が見られなかったのは、ちと残念。

ざっくりしたタッチで見事に実在感を描き出す端正な人物画が素晴らしい。キュビズムの影響を受けたものなど、かなり実験的な作品も並び、意外な面白さがある。

芸大卒業直後の作品でもう描写力は完璧に見える。それでも50歳代以降、60歳代70歳代の円熟期の作品を見たあとで初期のを見返すと、硬い画面に見えるのから不思議なものだ。見返すことができるくらいの混み具合で、満足。

2003/01/23(木)夢百景:妖虫使い

取引先の人が転勤するので、送別会を汐留の新しいビルの夜景のきれいな店でやる。ひさしぶりに酔っ払って寝たせいか、妙な夢を見る。

夢の中で年齢はだいぶ若返っている。二十代か。父のつかいで古本屋へ行く。薄明の路を歩いていくとトンネルに入る。トンネルの中も薄明るいが霧がかかっているようだ。トンネルなのに天井は見えないくらい高い。向こうから背丈が四、五mはありそう巨大な人影が歩いてくる。数は三、四人、横一列で向かってくる。近づいてきたのを見上げると全員、鬼太郎のキャラたちだ。子泣き爺、座敷わらし、塗り壁、一反木綿。私は「なんだ、着ぐるみか」と納得して、ゆらゆらと遠ざかっていく彼らを見送る。

古書店に到着。ここにきた目的がなんなのかわからなくなっているが、夢の中なので気にしない。当然たくさん本があったが、棚の上の方に松本清張の『古代史疑』があったことだけ覚えている。

突然、古書店の中が騒々しくなり、怪我人だか難民だかといった感じの人で店内があふれかえる。いつのまにか、古書店ではなく野戦病院のようになる。怪我はしていないが私も他の人と一緒に床にうづくまる。床も土むきだしの地面になってしまっている。

視界の隅を場違いな人影が通り過ぎて行く。長身の白人らしいカップルだ。男は顔は見えないがタキシードを着ている。女も黒のイブニングに白い長い毛皮のショールをかけている。そのショールが実に長く七、八mはありそうだ。彼らも被災したらしく正装も土や血?で汚れている。

ショールが私の目の前の地面をずるずるとひきずられていく。折角の白い毛並みが土にまみれる。私は立ち上がってショールを持ち上げ畳んでいき、彼女に渡そうとする。気がついた女はこちらを振り向き、にやりと笑う。突然手のひらに痛みを感じてショールを取り落とす。手からが落ちて床でもがきだす。色は赤茶で透明感がありゴキブリとサソリが混じったような形状だ。私の手は青黒くはれ血がしたたっている。あわててショールをつかみ直してひっくり返すと裏側には赤い虫が何千匹もびっしりとへばりつき脚をざわざわと動かしている。

店内?が大騒ぎになるが、カップルは姿を消してしまう。全員が地面に散らばった虫を踏み潰す。一段落してから落ち着いて私の手のひらを見てみると、虫の赤い牙?がたくさん刺さっている。太さも長さも木綿針くらい。曲がりくねって縫うように掌の肉に食い込んでいるので簡単には抜くことができない。若い女医?さんと看護婦さんらしき人二人が毛抜きのような器具で一本ずつ抜いてくれる。全部抜けて手がきれいになったのでお礼を言って帰ろうとすると「体がこわばっているからマッサージをしなくては駄目」と言われる。座ったまま肩と背中をマッサージしてもらうと、ほかほかと気持ちよく、ほんわりと眠ってしまう。

夢の終わりが眠ってしまうというのは珍しい。あまり日頃肩が凝ったりしないのでマッサージしてもらうこともないが、夢の中ではなぜあんなに気持ちが良かったのだろう。目覚めても肩も背中も、もちろん手の平も、別になんともなかった。

2003/01/21(火)ある貴乃花伝説

やはり貴乃花が引退してしまうのは淋しいなあ。北の湖理事長の「怪我がなければ40回優勝できた」というのは大げさにしても、気持ちはわかる。日本人とは基本的体格が異なるハワイ勢がいない時代だったら、40回もありえたかもしれない。優勝回数は北の湖や大鵬に及ばなくとも、武蔵丸のような超巨漢と伍して綱を張っていたところに偉大さがあるのだ。貴乃花が怪我が多かったのは、貴乃花以外にハワイ勢を八百長抜きで倒せる力士がいなかったところにも一因があったと思う。

ところで、貴乃花の出世話の中で必ず出てくる「千代乃富士を引退に追いやった」というエピソードがある。間違っているわけではないが、千代乃富士が引退したのは貴乃花戦の直後ではなく、その翌日、貴闘力に敗れた後だ。だが、決して「千代乃富士は貴闘力に敗れて引退した」とは言われない。貴乃花のファンではあるが、ちょっと貴闘力がかわいそうだと思うのである。

八重洲地下街の古書店「R.S.Books」にて『芸術新潮-特集-ポンペイの快楽生活』『芸術新潮-特集-責め絵師伊藤晴雨』購入。

2003/01/19(日)北京京劇院公演

五反田の簡易貯金ホールで北京京劇院の公演を観る。演目は西遊記ものの『流沙河』と、人間と恋をした天女が、恋を邪魔する天界の軍団とたちまわりを繰り広げる『虹橋贈珠』。歌や科白より立ち回り主体の舞台でありました。

青年団という若手主体の配役陣だからか、アクロバティックな殺陣も、去年の湖北省京劇院の公演の方がすごかったなあ。虹橋贈珠の天女役の包飛という女優さんも素晴らしい殺陣を披露してたけど、以前見た人間国宝級の女優さん(名前忘れた)には及ばない。歌は段違いだったし。ただし若い分、さすがに美しい。帰りにはポスターを買った客にサイン会をしていたけど、素顔もとても愛らしく美人でした。(デジカメ持っていかなかったのは大失敗)

もう、モンゴル相撲でいいじゃないか。 ─ (c)長井秀和 ─

ジェフリー・ディバーズ『ボーン・コレクター』(文藝春秋社)購入。

2003/01/13(月)新年会

昨日は妻のいとこの家族と四谷の「ダイニング ドランカージャム」で新年会。いとこ夫婦の旦那は私の同年で子供の年齢も近く、よく一緒にスキーに行ったりする仲。店はいとこの旦那の知人がオーナーシェフで、なかなかお洒落でリーズナブルな居酒屋だ。料理は「中華風創作料理」だそうだが、なかなかいける。目の前でバーナーで皮を焼いてくれる鯖が絶品でした。

飲み物はエビスビールで乾杯したあと、女連は果実酒、男は菊正宗に切り替えたが、話がはずみ結構進んでしまう。鯖の皮を一所懸命焼くおねーさんに、溶接用のマスクした方がかっこいいとか、しょうもない冗談かまして、どうもすみませんでした。笑顔で応対してくれたが、おやじ殺したろかとか思っていたに違いない。

映画の話をしているうちに、いとこの娘がホラー好きなことが判明。ハンニバルなんて全然オッケーというから頼もしい。しかし、調子にのって絶品ホラーとして『殺戮の野獣館』を推薦したのはまずかった。なんといっても鬼畜お下劣ホラーだからなあ。女子高校生に薦める本としては、どんな読書案内にも絶対に載らない。

こうして、人は長年つちかってきた信頼を一瞬で失うのである。たいしてつちかっていなかったかもしれないが。

というような馬鹿をやってようやく調子が出てきたような気がしたので、やっと絵を描きはじめる。初心にもどって怪物を描こう。思いっきり気色悪いのを描くぞおぉ。

2003/01/07(火)やけくそ経済談義

まったくの素人考えだが、たまには世の景気の話など。

政府与党筋はインフレ待望論のようだが、通貨供給量を変えたり、減税したり増税したり、いくら小細工したところで、土地を筆頭に物の値段も賃金もまだまだ下がり続けるだろう。

だいたい日本全国の土地の値段でアメリカが買える計算になってしまったバブル期が異常だったのだ。日本の平均的サラリーマンの年収は600万円くらいか。ドルにしたら5万ドルだ。それだけの収入があっても別荘一つ買えず、住宅ローンに苦しみ老後の生活に不安を抱えている。普通こういう国の通貨は安くなるはずである。しかし簡単には円は下がらない。まだまだ貿易は黒字だからだ。そうすると帳尻を合わせるには、国民全体の収入が下がるしかない。感覚ではバブル期の半分になって、ようやく計算が合うというところか。

なんだかとんでもない貧乏生活になってしまいそうな気がするが、そうでもない。収入だけでなく、物の値段も下がっているからだ。しかし国民全体の収入減と支出減でチャラかというと、これもそううまくはいかない。デフレ時代なのにあまり下がらないものがあるからだ。

一つは税金で支払われている公務員の給与だ。道路公団みたいな特殊法人の役員職員や、公的資金(ようするに税金)を投入されてもっている銀行員の給与もこれに準じる。これらの税金寄生業界の人件費を半減させないとなかなかバランスはとれない。民間企業の製品やサービスは競争によってどんどん安くなっているのに、公的サービスは高どまりのままだ。これでは減税も財政再建もままならない。

もう一つ下がらないもの、それは住宅ローンの残高だ。借りたときよりも収入はずっと減り、担保である家の値段も下がりっぱなし。結果として元利ともローンが払えなくなる。家を取られるだけならまだいいが、家を競売にかけてもローンの残高に満たずに借金だけが残ってしまう例が非常に多い(身近にもある)。これでは金を使えの子供を作れの結婚しろの、と政府が勝手なことを言っても国民は動きようがない。じっと自分は金を使わないで、だれかが景気をよくしてくれるのを待っているばかりだ。(企業も一部を除いてまったくおなじスタンスだね)

だから政策として有効なのは「住宅ローン徳政令」だ。担保の家を競売にかけた後の残債はちゃらにする。持ち主は持ち家は失うが借金からは開放される。最初に担保として認めた銀行がリスクを背負うことになるが、これはプロとして見通しの甘さを嘆いていさぎよく血を出すべきだろう。そうでないと質屋の方がずっと金融業として上ということになる。質屋は質草の目利きに失敗して価値が貸し金に及ばなかったとすれば、それはプロとして失格ということになるのだ。

乱暴な提案のようでそうではない。実際に借金棒引きはゼネコンなどの大企業に対しては銀行がすでに行っていることなのだ。個人に対してできないわけがない。大企業を助けるのは社会的影響が大きいからだろうか。しかし、実際に営業不振の大企業を一時延命させたところでどれほど景気に好影響を及ぼすだろうか。それより借金から開放された個人の消費行動の方がずっと期待できると思う。銀行にとってもいい顧客になるはずだ。一度借金を棒引きにしてくれた銀行を裏切る個人はなかなかおるまい。棒引きにするときにくどくどいやみを言ったりしたら駄目だが。

本当のところ銀行が大企業の借金は棒引きしても個人や中小企業には絶対そんなことはしないのは、単に取りやすいところから取り立てる、ということに過ぎない。だから、政策として強引に棒引きさせることが必要なのだ。そんなことしたら今後絶対に住宅ローンを貸す銀行はなくなると思われるかもしれない。その通り。家は借金してまで買うものでないのではないか。まして20〜30年のローンなんてバブルが過ぎてみると正気の沙汰とは思えない。家はなければ借りるもの。それが常識になれば家の値段も下がり、数年で返せる範囲の借金で買うことができる時代もくるだろう。持ち家の人も、住んでいるだけなのに相続税を払えず追い出されるなんて馬鹿なこともなくなる。

私は住宅ローンは借りていないので、以上の弁は決して個人的願望ではない。念のため。

あと政府ができることはなんだろう。あまりないような気がする。いらない、できてもバカ高い道路など作るのはやめて、資金を年金にまわし、年金を税金化して老後の不安を除くことぐらいか。そうすりゃみんな安心して金を使うって。墓場に貯金通帳を持っていってもしかたがないからね。

2003/01/06(月)国宝百選の紅梅白梅図屏風

NHK-BS2の『夢の美術館/国宝百選』では尾形光琳の『紅梅白梅図屏風』も紹介されていた。たいていの美術の教科書に載っている定番の名画だ。

紅梅白梅図屏風


感想をふられた黒鉄ヒロシ氏(漫画家)は「〜ん、ぼくらが見るとやはり擬人的に見てしまうので、右の樹の根元なんて、ふんばった両足に見えてしまいますねえ。そうすると樹全体が若々しい男に見えるわけで、左の樹は逆に老人に見えますねえ」なんて奥歯に物がはさまったような言い方をしていた。見かねたのか辻惟雄先生(多摩美術大学長)が「もう少しその見方を進めるとエロティックな見方もできます。ここでは言えませんが」とフォローした。NHK芸術系番組独占の石澤典夫アナウンサーは「え、そうなんですか」などと驚いたふりをしていた。う〜ん、カマトト(死語)なんだから

もちろん、両側の樹が男なら真中の川は女性、向かって左を向いている女体ですね。左上が乳房のようにふくらんで左下の腹部はさらにふくよかな曲線を描いている。左の老木は(まさに)枯れ木のような腕を延ばして、女の下腹部をなぶっている。右の若樹は身をそりかえらせ、断ち切られた太い枝を(まさに)男根のように、女体の尻にさしのばそうとしている。こう見ていくと、女体の前後は逆でもなりたつかな。

この解釈は阿刀田高もある短編で紹介していた。やらしくてしょうもない解釈だろうか。私にはそう見た方が、より気高く美しく見えるような気がするのだが、樹のせいだろうか。

八重洲の古書店金井書店で『エドガー・アラン・ポーと世紀末イラストレーション』(岩崎美術社)を購入。


2003/01/05(日)国宝百選と元祖おたく義政

せっかくのお正月、めぼしい美術館は休みである。開いていたとしても殺人的に混んで、とても絵を見るところとしての体をなすまい。そんなときにはテレビ美術館。NHK-BS2の『夢の美術館/国宝百選』を見る。

実際に見たものや教科書で見たことのあるものも多いが、やはりすごいものばかり。ゲストもなかなか。なんといっても写真家荒木経惟がパワフルで面白いが、切金細工の人間国宝の方の名人芸がすごい。蜘蛛の糸のような金を2本の筆先であやつって貼っていくのだが、目分量で見事に直線模様を描きあげていく。魔術のような呼吸制御は人間業とは思えない。

くだんの藪内佐斗司師も登場し、仏像の見方の解説をしていたが(解説自体はうまいとは思わないが)作り手として、目と手を重視し目はパワーを手は感情を表現するという意味のことを語っていた。私のようなへっぽこ絵描きは(結果として描けやしないのだが)パワーを手で、感情を目で描こうとしてしまうが、逆なのが興味深い。

さて、そんな番組で紹介された百選の映像の中で印象に残ったのは、実は銀閣寺だったりする。書院造りの静謐な美しさはまさに日本美のイメージそのままだ。

作ったのはもちろん足利時代の庭師たちだろうが、プロデューサーにしてアートディレクター、そして(ほとんど唯一の)鑑賞者は将軍足利義政だ。全国に一揆が頻発し応仁の乱を控えた窮乏の世に、政治に背を向け、ひたすら自分の美意識を追求した、日本のルードヴィッヒ。史上最初にして最強のおたくかもしれない。おそらく、在位中は政治家(細川氏や山名氏)や親族(たとえば妻の日野富子)から、大人になりきれぬ困った将軍として見られていたことだろう。しかし、山田風太郎は『室町少年倶楽部』で、主人公の義政にこう語らせている。

お前のいう天下とは、私欲背信、魑魅魍魎の世界じゃ。百姓町人とて、自由狼藉、下克上の餓狼のむれじゃ。そんなやつらがいかに騒ごうと、ひしめこうと、泣こうと、わめこうと、もともとが無意味な渦なのだから、やがて泡のごとくあとかたもなく消えうせる。わしの作った美の世界は、いつまでも地上に残る。──みんな好きなことをやらせろ。

たしかに、政治家たちの権謀術数は歴史の波濤に泡と消えたが、義政の創造した東山文化は今も確固として存在し、日本文化に大きな影響を与えている。

2003/01/02(木)青松寺で四天王を見る

初詣を兼ねて二ヶ月ぶりに芝愛宕の青松寺へ。

持国天目当ては新設の籔内佐斗司作の四天王像だ。山門の両脇に二体ずつ、ガラス越しだが間近に見ることができる。まさに伝統とモダンの融合。迫力とユーモアの共存した造型。しかもすいている。十分に堪能しました。

すぐ近くの芝増上寺にも足を延ばす。こちらはさすがに古式ゆかしく荘重だが、境内は屋台だらけで善男善女が一杯。いささか俗っぽいが、それも正月らしくて良いかもしれない。

安部公房『燃えつきた地図』(新潮文庫)読了。→レビュー


2002/12/30(月)聖母子像

クリスマスに書いた聖母マリアさんの話題の続き。

聖母子像はキリスト教国における格好の画題だが、異教徒の私は当然あまり興味がなく、ちゃんと観たことはない。そこで、これを機会に(って変な機会だが)、西岡文彦さんの著書などを参考に、ネットや画集などを見返してみた。


聖アンナと聖母子さすがにレオナルド・ダ・ヴィンチのは格調高い。

上は『聖アンナと聖母子』。聖アンナは聖母の母親。なんとも複雑な姿勢で謎めいた構図である。

リッタの聖母左は『リッタの聖母』。一名『授乳の聖母』と言われるだけに母性的だけど、やはり神々しく聖性が勝っている。処女懐胎した神の妻らしく、人間の男には近寄りがたい雰囲気でいっぱいだ。

小椅子の聖母(部分)こちらはダ・ヴィンチより三十歳ほど下のラファエロの『小椅子の聖母(部分)』。ダ・ヴィンチの聖母たちより、ずっと人間くさい。女くさい。

リッタの聖母が「神の子」だけを見ているのに比べ、小椅子の聖母はこちらを見つめてくれている。見ているのは絵のこちら側の私たちでもあるけど、やはり絵の描き手、腕の中の子供の父親に向けるまなざしだろう。父親が神だったら天を振り仰ぐところだろうけど、さいわい彼女の視線は自分と同じ地平に立つ人物に向けられている。小椅子の聖母は聖母子であるより、普通の人間の母子である方がふさわしいように見える。

これは後期ルネッサンスで人間回復思想が頂点うんぬん、などというより、各々の画家の個性や女性観に帰することのような気がする。あまりに俗な感じ方かもしれないけど、所詮、異教徒だ。勘弁してくれたまえ。

あの頃マンガは思春期だった』読了。→レビュー

デイヴィッド・ホロビン『天才と分裂病の進化論』(金沢泰子訳/新潮社)、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(上下巻/倉骨彰訳/草思社)購入。


2002/12/25(水)処女懐胎

「聖母はレイプ被害者」説の番組に世界中から抗議

24日付の英大衆紙デイリー・メールなどによると、問題の番組は22日にBBC1が放送した「処女マリア」。人気女優らを起用し、処女懐妊を含むマリアの生涯をドキュメンタリー・ドラマ風に追った。

しかし番組の中で、「マリアはローマ人兵士にレイプされてイエスを身ごもった」と受け取れる場面を放映したため、キリスト教徒らが猛反発。英国内の教会幹部はもとより、番組が放映されていないバチカン市国の広報官も「真実をねじ曲げた罪深い番組だ」などとする抗議声明を発表した。BBCに寄せられた抗議は、23日だけで500件を超えたという。

[読売新聞] 2002/12/24

真実をねじまげた・・・って、あなた。親がやらなきゃ子はできない、と昔の噺家もいってますけど。

のちのキリストの「罪のない者のみ石を投げよ」の逸話からもあきらかなように、当時は婚前交渉は戒律で厳格に禁じられていて、発覚したら石打の刑で死罪だったのである。レイプか合意かは知らないが、ばれないためには嘘もつこう、馬小屋で隠れて出産もしようというものだ。

「アルマー(若い女)」というヘブライ語をギリシア語に翻訳する時に誤って「パルテノス(処女)」としてしまったことが、処女懐胎伝説が産まれる原因になった、という説があるそうな。しかし、処女懐胎が誤訳だったとしても、キリストが神の子であったというのは変わらない。キリストの父は神で、マリアさんの胎を借りて生まれたという、完全な男性原理主義思想。ユダヤ教の唯一神とキリスト教の人格神と原始宗教の大地母神を結びつける苦心の結果だろうが、イエスがヨゼフとマリアの間の子だとしても別にまずくはあるまい。魂に神が宿ったことにすればいいではないかと思うけどね。

カトリックの教理では、マリアは夫ヨゼフを含めて終生男と交わらなかったということになっているらしい。「おかーさんはセックスなんてしてないんだ!」というマザコンの坊やがそのまま大人になってしまったような説ですな。イブが「快楽を知って」楽園を追放されるのもそうだし、キリスト教には連綿とセックスを罪悪視する思想が流れている。なぜなのだろう

しかし、処女懐胎はありえない、というだけで抗議されるとは。天動説と変わらないではないか。万が一事実だったとしたら、キリストの遺伝子はマリアのクローンだから、イエスは女性?

嗤う伊右衛門』読了。→レビュー。『意識の進化とDNA』読了。→レビュー。『第二段階レンズマン』読了。→レビュー

2002/12/10(火)K−1グランプリ

ボブ・サップって、シュレックに似てるよね?

いまさら土曜日のK−1グランプリの感想を書くのも間抜けだが、ちょっとだけ。一番印象的なのはマーク・ハントステファン・レコを倒したカウンターの左フック。全試合を通して見るべきパンチはこの一発だけのような気がしたけど、2ちゃんでもYahooでもまったく話題になってないのはなぜだ。

まあ、試合としてはたしかにボブ・サップアーネスト・ホーストは面白かった。サップからダウンをうばったホーストの左ボディ・ブローはなかなかK−1では見られないボクシングばりのパンチでありました。でも、1ラウンドは意識しすぎたのか素人まるだしのがちがちの動きだったサップのパンチが、あのダウンでへろへろになったあとの方がスムーズになったのは皮肉だ。

初期のK−1、アンディ・フグが健在でピーター・アーツが君臨していた頃は格闘技らしい荒々しい魅力がみなぎっていた。それが最近はステロイドモンスターばかりが勝つ、大味なイベントに堕してしまった。ボブ・サップのような超弩級の常識はずれのモンスターが出てきたのは、ある意味自然の流れではあるのでしょうな。しかしボブ・サップの前身であるところの、NFL(アメリカンフットボール)には、ボブ・サップ級がごろごろしているというのだから、いまさらながらK−1の層の薄さを思い知らされる。

そりゃあ、格闘技で本当に強い奴素質のある奴は唯一のメジャープロ格闘技=プロボクシングに行くよなあ。K−1プロデューサーの石井館長がいくら脱税したといっても4年でたかだか7億数千万円。マイク・タイソンレノックス・ルイスのファイト・マネーは一試合で20〜30憶円だ。比較になりません。

2002/12/06(金)おや?『ピーターパン』ではないか

家に帰ってTVをつけたら、なつかしや、ディズニーの『ピーターパン』をやっていた。どうやら『ピーターパン2』が封切られるかららしいが、ハリウッドは2とかリメイクばかりでだいじょうぶなのかね。

『ピーターパン』は昔見たきりで忘れていたが、ラストはウェンディが家に帰って家族で空を見上げてめでたしめでたしで終わるのだね。原作ではピーターパンが再訪したときにはすでにウェンディが飛べなくなっている。しかし彼女が結婚して娘ができると、ピーターパンが娘のところにやってきてネバーランドに連れていく。その娘もまた成長して飛べなくなり次はその娘が、と永遠にくりかえされましたとさ、という「失われていく幼年期」への惜別を感じさせる、せつないラストだった。映画ではその「せつなさ」が失われ、幸福感だけの甘い砂糖菓子のようになっている。いかにもディズニーらしいエンディングだ。

それにしても、フック船長とワニの追っかけっこのスラップスティックな動きを見ていると、手塚治虫のアニメはディズニーの影響を受けているなとつくづく思う。ディズニーに『ライオンキング』で『ジャングル大帝』をぱくられて収支とんとんというところか。

「ピーターパン」も「ライオンキング」もそうだが、ディズニーアニメにはオリジナルストーリーというのがほとんどないのだね。そこが宮崎駿との大きな違いだ。私は宮崎監督の大ファンというわけではないが、作家である宮崎駿と企業体であるディズニープロとを比べるのは見当違いではないかと思う。たとえ賞獲りで争っていたとしてもだ。

しかし、そうはいっても昔のばりばりのフィルムアニメーションを見るとなかなか新鮮だ。『シュレック』のようなフルCGもすごいけど、まだまだ宮崎監督にもディズニーにもCG主体でないアニメでがんばってもらいたいものだ。日本アニメには『くれシン』もあるし。(だから〜?)

魔婦の足跡』読了。→レビュー

柳澤桂子『意識の進化とDNA』(集英社文庫)、安部公房『燃えつきた地図』(新潮文庫)購入。

2002/12/03(火)強力神の如し

お巡りさん、高架から自殺図った男性をキャッチし救助

2日午後7時半ごろ、埼玉県草加市氷川町の東武伊勢崎線草加駅近くで、「線路脇を男性が歩いている」という通報で駆け付けた草加署地域課の神智人巡査(26)が、高さ8メートルの高架から転落した男性を両腕を広げて受け止めた。2人とも転倒したが、男性はコンクリートの車道で額を打ち軽傷を負っただけで命に別条はなかった。神巡査は左足に軽い打撲。
 同署の調べでは、男性は40歳ぐらいで、体重約70キロ。自殺を図ったらしい。一方、神巡査は柔道初段で体重100キロの巨体。2月に警察官になったばかりで、7月29日に同署に配属になり、4カ月の研修を経て、前日から交番勤務だった。

8メートルとはすげー。ブル中野が金網デスマッチで金網のてっぺんからアジャコングにかましたギロチンドロップが約4メートル。あれの倍か。

しかし、相手がフライングボディプレス状態だったからよかったけど、頭からつっこむトペ・スイシーダ(名前通りだ)だったら、二人とも頭かちわれてあの世行きだったかもしれない。軽傷でよかったよかった。

自殺するときはひとに迷惑がかからない方法でやろうね。これがなかなか難しいけど、志願して地雷除去のボランティアやるなんてどうだろう。志願しても借金棒引きとかにはならないからだめか。

神巡査

ナショナリズムの克服』読了。→レビュー


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