「一般人」の部屋

 「一般人」なるもの自体がフィクションであるし、ここで取り上げるような部屋に住む人間がどれほどいるのかもわからない。しかし、高校生・受験生向けの雑誌、あるいは大学が発行する冊子などで取り上げられる部屋には、1つのパターンがある。そのような部屋を、ここでは「一般人の部屋」と称したい。

こんな部屋に住む奴の気が知れん

 右の図を見てもらいたい。これは、受験雑誌や不動産屋の冊子で紹介されている「大学生の部屋」の典型である。
 高校生は、こんな代物に憧れるのだろうか?

 鉄筋コンクリートの学生ワンルームマンション。
 比較的新しく、小ぎれいに見えるため、少なくない学生がこのような部屋を選ぶようだ。私の周囲の人間の中にもワンルームマンションに住む者は幾人かいるし、自身も大学1年の時はワンルームマンションに住んでいたものだった。
 だが、この手の学生マンションは、想像以上に狭いんだよ。
 学生の分際でワンルームマンションを狭いというのは、必ずしも贅沢ではない。と言うのは、同じ六帖表示でも、ワンルームマンションよりも木造アパートの方が格段に広く、そして家賃も安いからである。


 新入生用の新生活紹介記事や不動産屋の冊子なんかには、その狭いワンルームの部屋で、住人がソファーにくつろぎながら、正面にあるテレビやコンポを楽しむ写真なんぞが、しばしば載っている。
 そのソファーの対面にあるAVラック。テレビにビデオ、コンポにパソコン。そしてCDやテープ類なんかが、限定された空間にシステマティックに詰め込まれている。これは少ない空間を合理的利用しつつ、システマティックな配置をすることそのものがインテリアだ、というようなことが必ず書かれている。
 一見快適な部屋のように見える。
 限られた空間を、すばらしく有効に使っている気もしてくる。大学に受かった若人が、そういう記事を見て、ワンルームマンションに於ける新生活を思う描くのもわかる。しかし、実際にこんな配置の部屋で4年間も過ごのは困難を伴う。


 ワンルームマンションが狭いことそのものは仕方がない。ワンルームマンションを選ぶ人は、鉄筋コンクリートや高層建築であることの安心を、スペースの代わりに得たのだからな。
 しかし、人間が生活するためには、ある程度の空間が必要である。
 こんなにベッドやらテーブルやらソファーやらがひしめく部屋では、洗濯物を窓やベランダまで持っていくのも一苦労だ。掃除するのにも、物を移動させる空間もないため、隅々のほこりや細かいゴミを取り除くことは困難である。
 また、本や雑貨など、物品は必ず増える。そうしたものを置く余地もない。というか学徒の部屋に本を置くことを想定していないのはこれいかに。


 ソファーやらベッドやらは、あると快適かも知れないが、狭い部屋をますます狭くするリスクも大きい。こういう部屋の主は、ソファーに座ってこのAVラックをながめるとき、一人このインテリアに満足することであろう。
 しかし、その刹那の愉悦を優先することは、かなりの不自由をもたらすことになる。その覚悟があって部屋中に贅沢な調度品をシステマティックに並べるのならば、それはそれで潔い部屋と評することも出来よう。


 このような部屋に来客があったときは、いったいどこで何をするんだろうか?1人2人の客ならば、ソファーやベッドに座って談笑できるが、それ以上だとどうなることか。おそらく、こういう部屋の主は、あまり人数の多い来客を想定していないのだろう。
 「一般の学生」の部屋には、そう頻繁には泊まりがけの客など来ず、人数もせいぜい1〜2人止まりと聞く。私やその周囲の人間とは、部屋に対する認識や人間関係の在り方が、根本的に違うのである。
 ま、別に人の部屋の在り方にまでとやかく言うつもりはない。しかし、私はこのような部屋には住みたくはない。私は来客どもが雑魚寝を出来る部屋をよしとするのでね。


 そんな私も、ワンルームマンションに住んでいた時期があった。
 そのときの部屋についてはこちらへ。 


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