'98/08/13 書き手:伊佐坂
 
「そういう事なら・・・」
 冷めた紅茶の入ったティーカップを置いて、カサハラが暫(しばら)く振りに口を開いた。
「姿を消した通報者の存在がますます重要になってくるという事か」
 それを聞くとイェーチー博士は、ぱっと顔を輝かせると興奮した口調で叫んだ。
「そう!そうだよ!さすがはカサハラ刑事だ!あの家の家主は独身(ひとりみ)だし、お人形のごろごろ転がっている家に人を呼びつける筈もない。不思議だね。ミステリーだね」
「考えるのは我々の専門分野じゃあない。そういった事を尋ねるためにこうしてやって来ているんだ」
 カサハラは顔の前で手を二〜三度振った。興奮気味の奇矯な学者は、その言葉に込められた皮肉を意に介した様子もなく、ふふん、と低く唸ると、顎(あご)に手を当てて視線を外の池へと向ける。ヘイマーもつられてそちらを向いた。
「通報してきた女性の声・・・普通に考えれば、監禁されていた女性の誰か、となるがそれは少し変だ。犯人を家主と考えた場合、何故、その通報者だけを気絶させるなり殺すなりしてどこかへ運ばなきゃいけなかったんだろうね?部屋には証拠がたんまり残っているというのに。まあ何にせよ、薬漬けで鎖に繋がれたお人形が通報できるとは思えないが」
 イェーチー博士はそこまで一息に言うと、ふう、と溜め息をついた。そして口の中で、そう、お人形が・・・と誰にともなく呟(つぶや)く。ヘイマーはその時気づいたのだが、イェーチー博士は「お人形」という表現がいたい気に入ったらしい。「お人形」と口にするたび博士の口元が笑みに歪む。仕事以外では、決してつきあいたくない相手だ。ヘイマーはその想いを新たにした。
「と、いう訳で犯人だけじゃなく通報者まで消えてしまったのは妙なんだよ」
 イェーチー博士は言い切る様にそう言ったが、カサハラは、その言葉の最後に、イェーチー博士の顔に何やら疑惑めいた狼狽を見て取った様な気がして、再び飲みもしないで弄んでいたティーカップを軽く震わせた。それに伴って水面(みなも)に細かい波が走る。イェーチー博士は、気を取り直した様に、え〜と・・・と呟いて立ち上がると、
「ミズキ君、類似事件は見つかったかな?」
 助手へと話を振った。彼女がはい、と言うのを待たずに、イェーチー博士はミズキの後ろへ回ると、肩越しにディスプレイを覗き込む。すると、ふんふん、やっぱりだ、と呟いた。そしてよくやった、ミズキ君、と彼女の肩を軽く叩く。ミズキは、は、はい!と元気良く返事を返すと頬を赤らめる。何時(いつ)もの事ながら、ヘイマーは頭が痛くなった。
「やっぱりだよ、ヘイマー君」
「えーい、何度も言うが博士は前置きが何時も長い。まどろっこしいと言っておろうに」
 苛々(いらいら)したヘイマーの言葉に悪びれもなく、こりゃ失礼と、おどけた仕草をすると、博士は重要な事をさらり、と言ってのけた。
「この数年で、似たような事件が少なくとも3件は起きている。いずれも女性の通報で事件が発覚し、犯人と思われる人物は、いずれも・・・自殺とも他殺ともとれる不審な死を遂げている」

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