'98/09/09 書き手:伊佐坂
 
 まだ舗装されていない道路を土埃をあげながら車が通り過ぎていく。青空市場(マーケット)の喧騒、人いきれ、独特のアクセントの中国語がとびかう。ヘイマーは一瞬、ここがサン=ノーゴである事を忘れそうになる。
 もちろん、高層ビルの立ち並ぶビジネス街もない訳ではない。しかし、こういった路地裏にこそ、華僑達の真の実力者は潜んでいる。
 「星華飯店」と金文字で書かれた古い大きな看板。看板と同じ位古く、重厚な店構え。緑青の浮き出た大扉を、ヘイマー達はカサハラを先頭にくぐった。直ぐにチャイナ・ドレスを着た接客係が彼らを出迎える。英語で何かを言いかけた彼女にカサハラは、流暢な中国語で自らの身分と、セイ・ユウに会いたい旨を伝えた。彼女は一礼して奥へ去る。
「綺麗な人だね」
 カサハラはヘイマーに囁(ささや)いた。ヘイマーは鷹揚に頷きだけを返した。ほどなく、彼女は戻ってきて、ハマー達を待合室めいた場所に案内した。 「もう暫(しばら)くお待ち下さい。セイ・ユウ様自らお会いになるそうです」
 そう言うと、彼女は再び仕事に戻った。
「ホヒ、ホヒ、ホヒ。何時(いつ)きてもここの女給は綺麗どころを揃えてますなぁ〜」
 下卑た笑い声がした。どうやら待合室には先客がいたらしい。
「何だ。キン・ザンか」
 興味無さげにヘイマーは呟(つぶや)いた。
「何だとはなんですかぁ〜。あたしとヘイマーさんの仲じゃないですかぁ〜」
 どんな仲だ、と吐き捨てたヘイマーにキン・ザンはなおも粘着質な視線を投げかけてきた。でっぷりと太った腹を抱えて、ホヒホヒと笑うこの男は、華僑の商人の一人である。それもどちらかと言えば大商人と呼んでいい部類に入り、過去、幾度か密輸や不正取引の疑惑が持たれていたが、そのたびに体に似合わずにひらりひらりと追求をかわしてきていた。尤(もっと)も、その裏には、華僑達の強固な仲間意識という後ろ盾があったからだといえるだろう。ヘイマーがキン・ザンと知り合ったのも、そんな事件のうちのひとつだった。華僑達は独自の情報網を持っている。そしてそれは、ヘイマー達の知ることの出来ない事実と、時としてイコールで結ばれる。ヘイマーがセイ・ユウを訪ねる気になったのも、そんな「隠れた情報」を聞きだすためであった。
「あたしは最近また好調で、こないだもまたうちの子会社が開発した・・・」
 グワーン、と、キン・ザンの話を遮る様に銅鑼(ドラ)が鳴った。豪華な絵の描かれた目の前の扉がゆっくりと左右にスライドする。天に届けと逆立った髪、盛り上がった筋肉、見る者を畏怖させてやまない鋭い眼差し。豪奢な料理の向こうに見えたのが華僑の首領(ドン)セイ・ユウその人であった。そしてもう一人−
「西小姐(シャーシャオジェ)・・・」
 室内だというのに帽子を目深く被った女性を見て、キン・ザンが驚いたように呟いた。 

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