大正時事異聞録

伊佐坂 眠井

連載第一回・強聴者

 静音の案内で辿り着いた集合住宅は、思っていた以上に立派な建物だった。
「ほえ〜、立派な建物ね!」
 美鈴が思わず声を上げる。一方で迷流は、
「はて・・・西欧風のモダーンな建築ですね。これなら防音もしっかりしていそうなもんですが・・・」
 そう不審気に言って目を細めた。


 鉄で出来た螺旋階段を登って、2階にある静音の部屋に通されると、迷流の抱いた疑問はますます現実味を帯びてきた。
「これは・・・あまりいい気持ちがしないがどうやら葉韻はいん住工の仕事だね。防音設備も完璧だよ。隣の音が聞こえる筈は無いんだけど・・・」
 葉韻住工と言うのは、迷流財閥の子会社の一つである。
「ええ、そうなんです。ですから私も怖くて・・・探偵さん、どうやって石田は、私の生活を知り得ることが出来たんでしょうか」
 静音は、不安そうな顔で呟く。その表情を見て、迷流も困った表情をして額に指を当てた。



「・・・取り敢えず、もう一度どこかに覗き穴がないか調べてみましょうか」
 お洒落な家具類を壊さないように気をつけながら、三人は注意深く壁を調べる。
「これ、可愛いの事ね!」
 テーブルの上に置かれた小物を見て、美鈴が声を上げた。
「よかったら差し上げますよ」
 静音は、優しく微笑むとそう言った。
「嬉しいのね!貴方いい人!」
 美鈴は、文字通り跳び上がって喜んだ。迷流と静音は、その様子を見て目を細める。


「すいませんね、丹沢さん。うちの助手のためにわざわざ。・・・それにしても、ちょっと失礼かもしれませんが、丹沢さん、独身の女の方にしては、その、随分と暮らし向きがいいような気がするんですが・・・」
 迷流の質問に、静音は一瞬だけ目を伏せた。
「やはり・・・分かりますか・・・実は私、露倉ろぐら家の娘なんです。丹沢と言うのは母の旧姓で・・・」


 迷流はポンッ、と手を打つ。
「ああ、あの紡績の!・・・しかし、財閥のお嬢さんが何でまた銀行勤めを?」
「私、子供の頃からそれこそ箱に入れられて育てられました。・・・それも、後に結婚の道具として使われるために。私、そう言うの嫌いなんです。自分の生き方ぐらい自分で決めたっていいでしょう?そう言って私、家を出たんです」
「成程・・・」


「でも結局親の手からは逃れられないんでしょうかね、この部屋を見れば分かる通り、なんだかんだ言って、親は援助してくれるんですもの」
「迷流様とおんなじね」
 言った美鈴を、やかましい、と、迷流は手でいなした。
「・・・丹沢さん、分かりますよ、その気持ち。なんだか他人事のような気がしません。任せて下さい、この事件きっと私が解決して御覧に入れます」
 迷流は力強く胸を叩く。探偵さん・・・、と静音は、胸の前で手を組む。頬をブーッ、と膨らませた美鈴が、迷流に文句を言おうとしたその時、入り口の方で荒々しい足音が響き、続いて、ドアーを激しく叩く音が部屋に響いた。


「・・・石田です」
 緊張した面持ちで静音は言った。
「何時も通りに対応して下さい」
 鋭く迷流は耳打ちすると、美鈴を伴って来客用のソファーに腰を据えた」


 静音は、それを確認すると、足早にドアーの元へと近寄った。
「石田さん、またですか?今来客中なんです!」
 怒ったように言いながらドアーを開ける。不健康そうな肌の色をした二十歳前後の男が、ドアーの陰から顔を出した。男・・・石田・・・は、舐めるような視線で、静音を、そしてソファーの迷流たちをねめまわした。そして石田はニヤリと笑って口を開いた。


「うふふふ、来客ですかあ〜。それも只の来客じゃあない、探偵を呼ぶなんてひどいですねえ、静音さん。僕あ只、音が五月蠅いと苦情を言いに来ているだけなのに・・・それに、幾ら壁を調べても無駄ですよお。僕にはね、聞こえるんです、うふふふふ」
 既に石田は、迷流が探偵であることを知っていた。三人が部屋の壁を調べていたことも。ここからでも、静音の顔色が、サッと青ざめるのが分かった。


 迷流は立ち上がるとドアーの元へと歩み寄った。あ、探偵さん・・・、と静音が安心したように声を出した。それを見て石田の表情が凶悪な物へと変化した。
「アンタが探偵かあ?俺のやることにケチ付けよおっていうならムダだぜっ」
 口調が変わった。しかし、迷流は怯むことなく言葉を返す。
「貴方が石田さんだね?話は聞いてるよ」
「へへん、言っておくが被害者は俺なんだぜ。アンタの出る幕なんて無いんだ、すっこんでなっ!」


「残念だがこちらもはいそうですか、と引き下がるわけにはいかないんだよ。静音さんも迷惑してるしね」
 なっ・・・と言って石田の顔色が変わる。
「てっ、テメエっ、迷惑しているのはこっちだって・・・」
「音が聞こえなくなればいいんだろう?」
 迷流は相手の言葉を遮った。会話は最早、迷流のペースで進んでいる。がんばれー、迷流様ー、と、お気楽な美鈴の声援が飛んだ。石田は、どうにか踏みとどまる。


「ま、まあ、そういうことだな・・・」
「よし、分かった。ならば迷流財閥が責任を持って貴方に静かな部屋を用意しよう」
 迷流はそう言うと、ピシャリとドアーを閉めた。ドアーの外から暫く、石田の面食らったような声がしていたが、やがて、諦めたのか、去っていく足音が聞こえた。


 緊張の糸がいっぺんに切れて、三人は同時に深い溜息をつく。振り返りざま、両手を肩のところで振って、やれやれ、と言った仕草をして見せた迷流に、怖ず怖ずと静音が話しかける。
「探偵さん、迷流財閥の方だったんですね。そういえば聞いたことがありましたわ。迷流財閥の長男は家を継がずに探偵をやってると。貴方でしたのね」
「どうせろくな噂では無かったでしょう」
 自嘲するように迷流は言った。
 そんな事有りませんわ、と、静音は首を振った。
「私、貴方のこと羨ましく思いましたもの。でも、いいんですか?あんな事言ってしまって?」


 ああ、と、迷流は少し疲れたように笑った。
「なあに、少し気にくわない相手に頭を下げるだけですから。・・・なんだかんだ言って結局僕も親からは逃れられていないんですよね。・・・それより、事件は解決しましたよ。何故石田は・・・、おっと、此処じゃいけない、事務所に帰って説明しますよ」
 きょとん、としている静音を促して、迷流は、再び事務所に戻る支度を始めた。

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