大正時事異聞録

伊佐坂 眠井

第五回・群衆

 慌てて警察署に迷流達三人が到着したとき、既に犯人の取り調べが始まっていた。里中に無理を言って、尋問中の犯人に会わせてもらう。


 ・・・藍群ではなかった。
 原元はらもとと言うその男は、うなだれたまま、捜査官の質問に素直に答えていた。


「じゃあ、確かにお前が火を点けたんだな」
「はい・・・」
 原元は答えながら、涙さえ浮かべている。
「なんだって、火を点けたりしたんだ、ええ?」
 原元は、拳をぎゅっと握りしめたまま、考え込むように首を捻った。そして、漸く声を絞り出す。


「声が・・・聞こえたんです」
 声え?と、捜査官は、あからさまに疑わしい視線を向けた。原元は、それを意に介した様子もなく、ゆっくりと頷いた。
「はい、頭の中で声が聞こえたんです。炎は美しい、美しいものが見たい、って言う声です。ああ・・・今思うとなんて言う事をしてしまったのでしょう、そんなことのために、私は、火を、」  


「まったくだよ」
 捜査官は呆れ顔で机を叩く。
「そんなことのためにお前は、六回も放火して、沢山の人を死なせたって言うのか、ええ?」


 その言葉を聞いて、初めて原元は顔を上げた。不思議そうな表情が浮かんでいる。そして原元は怖ず怖ずと呟いた。
「あのう・・・六回って?僕は、松尾町の事件でしか、放火していないんですけど?」


 なんだとう!と叫んで、捜査官はくわえていた煙草を落とした。
「ば、馬鹿を言うな!」
 ほんとですよう、と原元は言った。
「僕のしたことで、人が死んだと聞いて、それで僕、良心の呵責に耐えきれなくなって・・・」


 失礼、と迷流がそこで割ってはいった。
「原元さん、貴方、何処に住んでいるんですか?」
「えっ?神嘉戸ですけど・・・」
 原元は、突然の質問に、戸惑いながらもそう答えた。迷流は、やはり、と頷いた。


「松尾町で火を点けたのは、自分の家からかなり離れた場所だったからですね」
 はい、と原元は頷く。
「貴方は、神嘉戸の火事場に、見物に行きましたね」
 驚いた顔をして、原元はもう一度、はい、と言った。


「頭の中で声が聞こえるようになったのは、その時からじゃあないですか?」
「ああ、い、言われてみるとそうです!でも、どうして?」
 原元は驚いて椅子から立ち上がった。迷流は満足そうに頷いた。


「お、おい、探偵君、一体どう言う事かね?」
 捜査官も驚きを隠しきれない様子でそう言った。迷流は、厳しい表情で顎に手を当てた。
「この人の言っていることは本当です、この人は松尾二丁目の事件の、実行犯に過ぎない。それも、本人の意思とは無関係に実行させられたんです。もし他の犯人を捜したいなら、それぞれの火事場の近辺を探すと良いでしょう。犯人は、群衆の中にいます。ただ、その人達も、実行犯でしかないんですけどね」


 迷流はそう言うと、部屋から出ていこうとした。美鈴が、慌てて叫ぶ。
「迷流様、何処行くね!」
 迷流は、厳しい表情のまま、振り向いた。
「ちょっと出かけてくる。すぐに戻るから、みんなはここで待っていてくれるかい」
 迷流の表情が、あまりに厳しい物だった所為か、美鈴にも、それ以上何も言う事が出来なかった。


 結局迷流が戻ってきたのはその日の夕方だった。
 警察署の前で待ちぼうけていた美鈴と野次は、疲れた顔をしている探偵に向かって口々に疑問をぶつけた。
「迷流さん、何処行ってたんですか?迷流さんのいない間に、度目樹の犯人も自首してきましたよ!」


「松尾町の人だろ」
 疲れた顔のまま迷流は答える。野次は驚いたように、目を剥いた。
「迷流様どう言う事ね?」
 迷流は、ゆっくりと首を振った。


「うん・・・、私は、今藍群に会ってきた」
 二人は、驚きの声を上げる。
「え?じゃあ、やっぱり藍群が犯人なんですか?」
 迷流は、困ったように額を指で叩く。
「うん・・・それは、イエスであって同時にノーでもある。・・・藍群は、操っていたんだよ。それも、法の範囲の及ばない方法でね。私は彼に自首を勧めたけど、笑い飛ばされたよ」


 そして、疲れたように笑った。野次は、そんな、と一瞬言葉を詰まらせる。
「じゃあ、藍群には罪を償わせることは出来ないんですか?」
「婦女売りね!」
「ちょっとイントネーションが違うよ、美鈴」
 迷流は言った後で考え込んだ。


「罪を償わせる、か・・・僕らにはその権利はないかもしれないけど・・・火事で家族を失った人や、原元さん達、その手で人をあやめる事になってしまった人たちには、その権利があるかもしれないね」
 迷流は小さく溜息をつくと、野次さん、と呼びかけた。


「何です?」
「ちょっと協力してもらえるかな?」
 もちろん、と野次は胸を叩いた。
「この完全熱血事件記者にお任せを!」
 迷流はやっと笑顔を見せた。
「じゃあ、火事で死んだ人の遺族にコンタクトを取ってくれますか?私は、原元さんを貸してもらえるか交渉してみます」
 そう言った後で迷流は、群衆、か、と、少し遠い目で呟いた。

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