大正時事異聞録 |
伊佐坂 眠井
第三回・物臭男の犯罪
2
事態は堂々巡りを繰り返していた。振って湧いた狂騒、それは中山警部を、未だに解放してはくれないようだった。
呼び鈴を押していたのは、応援に来た警官隊ではなく、鏑木だった。病院にいるはずの彼が何故ここにいるのか、深く考えることもせずに、少々錯乱気味だった(今にして自分でもそう思う)中山警部は、死体が本当に榊原綾女であるかどうかを確かめるために、有無を言わさず、鏑木を氷室へと誘った。
例のとんでもない死体を目にした鏑木は、ヒイイイイイイッ!と男のくせに、絹を切り裂くような悲鳴を上げて、再び卒倒してしまった。あっ、と我に返った中山警部は、床にのびた鏑木を見て、頭を掻く。
「警部、どうしたんですか?」
「全く何じゃい、騒々しい」
鏑木の悲鳴を聞きつけて、呼び鈴の鳴る音を聞いて、玄関に行ってはみたものの、誰もいないことに不審を覚えて、館内をうろうろしていた、里中と亀之譲が姿を現した。
「ああ、里中か、見てくれ、これ」
「あれえ、鏑木さん、何でここに、って、ひええええええ!」
「あ」
死体に気づいた里中も、鏑木と仲良く並んで気絶してしまった。中山警部は、頭を抱えた。そして、亀之譲の方を見る。
「手伝って、・・・いただけませんよね」
「当然じゃ、何故そんな無駄な事を」
亀之譲は首を横に振る。中山警部は首を振って溜息をつくと、鏑木の体を引き起こした。
「亀之譲さんは、驚かないんですね」
そりゃそうじゃ、と老人は言った。
「何しろ儂が解体したんじゃからな」
中山警部は、思わず鏑木の体を取り落とした。
それから先は大変だった。予想とは少々違った形で、最有力容疑者となった亀之譲を、中山警部は応接間に押し込めて、事件についての質問を開始する。
その部屋のソファーでは、気絶したままになっている里中と鏑木が仲良くへばっている。そのころには、連絡を受けた警官隊が漸く到着し、死体を見てたまげた彼らは、さらに検死官を呼びに行って、中山警部とも面識のある、
「凄い死体だって?」
中山警部を見つけると、吉崎医師は、縁なしの眼鏡の奥の目を爛々と輝かせながらそう言った。
「ああ、医師におあつらえ向きですよ」
「そいつは楽しみだ」
中山警部の言葉を聞くと、吉崎医師は腕捲りをして、意気揚々と氷室の方へ消えた。
さて、一方の中山警部による、亀之譲への尋問の方は、結果を出している状況とは言えなかった。亀之譲は、あっさりと自分が二人(の死体)を解体したことは認めたものの、二人を殺したかどうかについてはきっぱりと否定した。中山警部は、頭を抱える。
「じゃあどうして、二人の死体をバラバラにしたんですか?」
何故って、そりゃあ、と、物臭男は、そんな事も分からないのか?といぶかしむ様な調子で言った。
「そのほうが運びやすかったからに決まっておろうに」
「なっ、」
中山警部は絶句する。
「深い恨みがあったとか、もっと一般的な理由ではないのですか?」
何じゃと、と亀之譲は目を剥いた。
「何でそんな無駄な事をしなきゃいけないのじゃ?それに儂なら、どんなに恨んでいる相手でも殺すなんて無駄な事はせん、・・・いや、それ以前に恨むような相手をつくらんか」
「じゃあ、本当にあの二人を殺してないんですね?」
「何度も同じ事を言わせるな、儂は殺しておらんと言っておろう」
「じゃあ、いったい誰が殺したんですか」
「それを調べるのがおまえさん達の仕事じゃろう」
・・・そして会話はループする。中山警部は、どうやらこの老人は、この状況を楽しんでいるらしい、と思い始めていた。恐らく・・・この老人は、真相を知っている。こういった状況下に置いて、最も有効な人物の顔が、先程から中山警部の脳裏で、盛んに明滅していた。
「警部う〜、迷流さんを呼んできましょうよぉ」
何時の間に目を覚ましていたのか、里中が、警部の気持ちを代弁するかのようにそう言った。中山警部がそうだな、と答えようとしたとき、亀之譲が目を剥いた。
「何じゃあ、迷流と言ったら、あの怪しげな探偵のことじゃろ、あのなあ、そんなものに事件を解決してもらうとしたら、警察はいったい何のためにいるんじゃ?警察は無駄な組織なのか?」
結果、警部は言いそびれた。かくして事態はまた、堂々巡りを繰り返す、いや、より混迷の度合いを深めようとしていた。
暫くして、遺体が運び出されると共に、吉崎医師が検死を終えて、中山警部の前に現れる。医師は、警部を見ると微笑んだ。
「いやあ、警部、なかなか見事なバラバラ死体だったね、切断の仕方がこう、合理的なんだ」
中山警部は、疲れた顔で頷くと、
「それで、死因とかは分かったんですか?」
そう、尋ねた。吉崎医師は、うんうんと頷いた。
「死体は氷室で、いい状態で保存されていたからね、推定死亡時刻は、三日から五日前、って所かな。男の人の方はね、多分鈍器か何かで頭をガンガン叩かれたことが死因みたいだね。あ、二人とも切断面からは、生命反応が出てないから、切られたのは、死んだ後ね。女の人の死因の方なんだけどね、多分外傷によるものなんだろうけど、一寸わかんないね」
「男の方は、多分現場にあった花瓶で殴られたんだろうな・・・あれ?女の方は、猟銃で撃たれていたんじゃないんですか?」
中山警部の言葉に、猟銃?と、吉崎医師は首を捻った。
「ああ、現場にあったの。そうかもしれない、そうかもしれないとしか言えないんだけどね。そう言うのもね、警部」
医師は人差し指を立てて、それをずい、と、突き出した。
「死体から、いくつかのパーツが無くなっているわけ。女の人は特になくなっている、胸部とか、太股の辺りとかね。だから死因が特定できないわけ」
「おいおい」
中山警部は溜息をついた。
「マジかよ」
「マジもマジ、大マジ。じゃ、僕はもうちょっと詳しい鑑定をしに帰るけど、頑張ってね」
吉崎医師はそう言って、後ろ手に手を振りながら消えた。中山警部は、どっと疲れて、ソファーに深く身を沈めた。
(死体からパーツが幾つか無くなっているだと?)
勘弁してくれ、と中山警部は思った。バラバラ死体と、物臭男の相手だけでも手一杯だというのに、この上、新たな謎を増やさないでもらいたいものだ。と、その時、刑事さんや、と亀之譲が呟いた。
「何です?」
遂に話してくれる気になったか、と、思わず警部は身を乗り出す。
「儂は腹が減った、夕飯の材料を買ってきて作ってはくれんかのう」
はあ?と中山警部は首を傾げる。確かに、いつの間にか、外は日がとっぷりと暮れている。
(だからといって、買い物に行った上に料理しろだと?)
怒りの言葉を飲み込んで、警部は一応尋ねてみる。
「買い物って、材料はないんですか」
うむ、と亀之譲は頷いた。
「何なら氷室を見てくるが良い、あそこには、今や何も無いぞ。ああ、米櫃の中に、米は残っておったな」
どうやら、買い物や料理は、全て、死んだ津島という男に任せっきりだったらしい。中山警部は、昼間、亀之譲が焼き肉だけで飯を食っていたのを思い出した。野菜は既に切らしていて、あれが最後の肉だった訳か。中山警部は、それだったら今、店屋物を頼むよ、と言いかけて、思い直した。
「亀之譲さん、中華料理は好きかい」
里中が、何言ってるんです、警部、と身を乗り出した。良いから黙っておけ、と中山警部は、里中を手でいなす。
「中華?まだ食ったことがないのう」
亀之譲も、中山警部が突然なにを言い出したのか、首を捻った。
「そうか。亀之譲さん、俺は料理が苦手なんだが、知り合いに中華の上手いのがいてね、買い物のついでにそいつを呼んでこよう。料理はうまいに越したことはないし、それに買い物のついでなんだから、まさかこれも無駄だとは言わないだろう」
「まあ・・・そうじゃな」
中山警部の妙に熱っぽい口調に負けて、亀之譲は、結局そう頷いた。
「そうかい、じゃあ、俺は行って来ますよ」
駆け出した警部を見送った里中は、そこで何かに気づいたように、あっと声を上げた。