大正時事異聞録

伊佐坂 眠井

連載第十五回・裸の王様

 その日の昼頃になって、漸く県警の警察官が何人か派遣されてきた。
 漸く普段の調子を取り戻した尚芳は、彼らに対して声高に鳥目男の捜索を指示し、警察官のうちの殆どが、村人や影葵の駐在署員に混じって山狩りに赴いていった。
 しかし、警官達のうちの一人、巡査部長を務める荒木と言う男は屋敷内の徹底した調査を主張した。尚芳はそれに対して、頑なに反駁し、結果屋敷の警備という名目で、荒木を含めた二、三人の警官達が縁澤家にとどまることになった。
 そして美鈴もまた、独自に捜査を展開していた。
「親父に恨みを抱いている奴かい?お嬢ちゃん。」
 遊戯室でビリヤードをしていた咲間は、美鈴に向けてそう尋ね返した。
「確かに、尚樹本人に恨みを持っていた奴なんていそうにないと普通思うよね。」
 でもねえ、と咲間は青白い顔に意味ありげな微笑を浮かべた。
「例えばこの俺なんかは、親父にも、尚樹にも恨みを抱いていたかも知れないよ。」
「どういう事ね?」
 咲間の思いもよらない告白に、美鈴は目を丸くする。
 咲間は、ビリヤード台の傍らに置いてあったブランデーグラスを手に取ると、虚ろな目で宙を見据えた。そして、ぽつり、ぽつりと語りだす。
「俺はね、子供の頃から体が弱くてね、親父に何時も厄介者扱いを受けていたんだよ。それでも、一応俺は長男だったから、この家の跡取りであることに変わりはなかった。だから親父も諦めて、隆文あたりに補佐させるつもりでいたんだと思う。でも、尚樹が生まれたことによって、親父は気が変わった。この子に自分の跡を継がせようってな。」
「だから・・・恨んでいたか?」
 美鈴は恐る恐るそう尋ねる。
 しかし咲間は、意外にも、いいや、と首を振って微笑んだ。
「俺は別にこの家の跡取りなんかに執着はないんだ。面倒事は苦手だしね。むしろ、隆文に跡を継いで欲しかったくらいなんだよ、ほら、あいつ咲耶と良い感じだっただろう?あのまま婿養子にでも入って俺の代わりにこの家を継いでくれれば良かったんだけど・・・」
 そこで咲間は小さく溜息をつく。そしてぽつりと、
「咲耶がああなっちまったからなあ・・・」
 そう言って俯いた。
 美鈴は複雑な思いで背を丸めた咲間を見た。そして、怖ず怖ずと口を開く。
「あの・・・咲間さん?」
「ん?」
「じゃあ、隆文さんにとって、尚樹ちゃんが邪魔だったって言う事は・・・?」
 そりゃあ無いね、と咲間は大袈裟に首を横に振った。
「あいつはそんな事をするような奴じゃないよ、何しろ俺以上に地位とかに対する執着心が無い奴だからな。だから、咲耶のことだって、あいつは純粋に愛していただけだしね。」
 成程ね、と頷いて美鈴は遊戯室を出た。
 その足で尚芳と喜美子のもとに向かって、誰かに恨まれるような心当たりを尋ねてみたが、彼らは鳥目男の逆恨みだと繰り返すばかりで、大して有用な情報を得ることは出来なかった。しかし、美鈴は尚芳が何かを隠しているような気がしてならなかった。
 いや、尚芳だけではない。この屋敷、いや村中に漂っている排他的な雰囲気。それが美鈴の心を不安に染めてゆく。
「おい、嬢ちゃん、あまりうろうろするなよ、鳥目男とやらに取り殺されちまうぜ。」
 そんな感慨を抱きながら歩いていた美鈴を、不意にそんな声が呼び止めた。
 振り返ると、厳つい顔をしたがたいの良い警官が、笑って立っていた。尚芳に刃向かって、屋敷の警備についた荒木という男だ。
「大丈夫ね。鳥目男はこの屋敷には入ってきていないね。」
 落ち着いた美鈴の答えを聞いて、荒木はほう、と声をあげた。
「嬢ちゃん、それはどういう意味だい。」
「文字通りの意味ね。犯人は・・・この屋敷の中にいるって言う事ね。」
 そして、美鈴は荒木に向けて意味ありげに微笑んだ。
「だから、刑事さんと同じ意見だというわけね。」
 荒木は困ったように頭を掻いた。
「やれやれ、流石は東都の名探偵の助手って言うわけだ。」
 そう言った後、荒木は美鈴を応接室に誘った。大きな溜息とともに刑事はソファーに身を埋め、美鈴にも座るように促した。
 そして、おもむろに口を開く。
「実はさっき、あんたのとこの先生に会ってきたんだ。」
「迷流様に?」
「ああ、そうだ。で、事もあろうに、あの先生にあんたに協力してやるように頼まれたわけだよ。」
 荒木は、紙巻きを取り出して火を点ける。美鈴はその仕草を見て、何となく中山警部を思いだして、クスリ、と笑う。
「俺も普段だったらこんな申し出を承服する事もないんだけどよ・・・今は場合が場合だ。」
 荒木は、やれやれと手を振った。
「他の警官共は、縁澤の名前にびびっちまっているし、二日前の縁澤咲耶の事件のこともあってか、その目がみんな屋敷の外に向いちまってる。お陰で、屋敷内の連中の事情聴取もままならない状況だよ。」
 成程ね、と美鈴は頷いた。
「それで私と協力する、そう言う事ね。」
「ま、そんなところだな。」
 荒木はその後で、美鈴の知らなかった意外な新事実を教えてくれた。
「ええっ!?為助さんが尚芳さんの父親?」
「ああ。」
 荒木の話によると、為助は事業に失敗して隠棲していたところを、尚芳が縁澤家に婿入りしたときに呼び寄せられたのだという。館の使用人として。
 どうやら、二人の親子仲は、円満とは言いがたい物だったらしい。
 美鈴は、顎の辺りに手を当てて考え込む。
「でも・・・尚樹ちゃんは為助さんの孫という事になるね。幾ら仲が悪かったからってそれだけの理由で・・・」
「まあな、俺もあの爺さんが犯人だと言っているわけじゃない。ただ、鍵を管理していたのは為助だからな。今ん所、屋敷の中の人間では、動機と方法の両方を持っている人物だといえるからな。」
 美鈴はその後、咲間から聞いた話を荒木に話した。
「成程。」
 荒木は神妙に頷いて、ゆっくりと立ち上がった。
「ま、探偵さんも言っていたけど、犯人が館の内部の人間だと証明できない限り有効な話は聞けそうにないって事かな。」
 去り際に残したその台詞通り、美鈴のその後の調査では大したことを聞き出せずに終わった。

 足下に人の気配を感じて、迷流はうっすらと目を開いた。
「あ、起こしちゃった、迷流様。」
 ネグリジェ姿の美鈴が、疲れたような微笑みを浮かべていた。
「迷流様、そっち入って、良い?」
 美鈴は、不意にそう言った。少し驚いた表情を作った後で迷流は、良いよ、と小さく頷いた。
 美鈴は怖ず怖ずと迷流と同じベッドに入ってえへへ、と照れたように微笑んだ。
「一緒に寝るの、久しぶりだね。」
 そうだね、と良いながら迷流は回想した。
 美鈴と初めて会った日の事を。
 あの時、迷流にしがみついて泣いていた少女は、今はこんなに大きくなって、そして、微笑んでいる。
 美鈴はまだ歳にして十五、六の筈だが、その微笑みの中に母性めいたものを見出したような気がして、迷流は気恥ずかしいような、懐かしいような、何ともいえない気分におそわれた。
「迷流様。」
 そんな迷流の考えを知ってか知らでか、美鈴はぽてっ、と迷流の肩に自分の頭を乗せた。
「・・・美鈴?」
 少女の細い髪の毛が、迷流の鼻先を優しく擽った。柔らかな匂い。美鈴は小さく溜息をつくと、甘えるような上目遣いで迷流の顔を覗き込む。
「なんだか・・・解らなくなっちゃったね。」
「事件のことかい?」
 尋ねた迷流に、美鈴は頷きを返す。
「なんだか、誰も彼も怪しいような気がしてきたね。」
 そして、今日の捜査で得た情報をかいつまんで迷流に伝えた。
「成程ね。」
 迷流はそう言った後で考え込むように目を閉ざした。
「迷流様?」
 美鈴が不安げに覗き込んでくるのが、気配で分かる。迷流が急にパチッと目を見開くと、美鈴はきゃっ、と声をあげて後ろに仰け反った。
 迷流は迷流で、少女の顔が思ったよりも近くにあったことに驚く。
「もう〜、迷流様、心臓に悪いね!」
 あはは、ごめんゴメン、と言った後で迷流は照れたように笑う。そして、不意に真面目な表情になった。
「確かに、現段階では有力な手がかりらしいものは出てこないみたいだね・・・そうだ、美鈴。」
「何ね?」
「鍵を探して見たらどうかな?」
「鍵・・・?」
 うん、と迷流は頷く。
「密室の謎を手っ取り早く解く方法。それは、他にもマスターキーが存在していること。ずるいようだけど、これが一番確率が高いと思う。」
「ほんとにずるいね。」
 美鈴は笑ってそう言いながら、毛布を引っ張り上げて口元に当てた。
「そうだね。」
 つられるようにして迷流も笑い声をあげる。そして、そっと手を伸ばして美鈴の頭を抱き寄せた。
 美鈴は目を閉じて子猫のように迷流に鼻面を寄せる。
 迷流は小さく呟いた。
「・・・御館様に面会がかなったら、手っ取り早く事件が解決しそうな気がするんだけれど、多分会わせてはもらえないだろうね。」
「迷流様。」
 目を閉じたまま美鈴は少しだけ拗ねたように呟く。
「ムードも何もないね。」
「あはは、ごめんゴメン、美鈴。」
 二人は目を見合わせて、そして笑った。

「ふふふふ、良かったじゃないの、あなた。」
 扉に当てた耳に乃舞華の抑揚のない声が聞こえてくる。
「何が良かったものか。」
 聞き取りにくいぼそぼそとした声は咲間のものだろう。抑揚のない割に嬉しそうな乃舞華のそれとは違い、咲間の声は不機嫌さに満ち満ちている。
「ふふふふ、相変わらずつれないのね。」
 乃舞華はそう言いながら、私が仕込んでおいたワインの栓を抜いた。
 それをワイングラスに注いで、咲間に渡し、同じように自分の分もグラスに注ぎ、乃舞華は飲み干した。
「あの子供がいなくなったお陰で、再び貴方に当主の地位が巡ってきたじゃない。もっと嬉しそうな顔をしなさいな。」
 そう言いながら、乃舞華はネグリジェを脱ぎ捨てた。そして、彼女は私の視界から消える。私は聞こえない程度に小さく舌打ちをした。
「いい加減にしないか、不謹慎だぞ。」
 恐らくベッドに横になっている咲間の声が聞こえる。ワイングラスが傾けられ、中の液体が虚空へと消えてゆく。そして咲間は言った。
「私は当主の地位など欲しくはなかったというのに。・・・くそ、鳥目男だか何だか知らんが次々と俺の兄弟を殺しやがって・・・」
 ・・・安心するが良い、咲間。お前に当主の地位が渡る事はないのだから。
「それは確かに悲しいことではあったとは思うわ。」
 全然悲しそうに聞こえない口調で乃舞華はそう言い、恐らく咲間に覆い被さった。
「でも、貴方は折角生きているんですから、浮き世の喜びを享受したって罰は当たらないと思うわよ。」
 ベッドランプが消される。
 暫く衣擦れの音と、二人の荒い息づかいが聞こえてきていたがやがて乃舞華の、
「変ねぇ、私、酷く眠い・・・」
 と言った声が聞こえ、少しすると、部屋の中から何も聞こえてこなくなった。
 私は、用心して扉の前で少しだけ時間をつぶすと、やがて、懐から鍵束を取り出して扉を開けた。
 部屋の中は真っ暗だ。微かに二人の寝息が聞こえてくる。
 私は、手探りで電灯のスイッチを探し、部屋の明かりを付けた。
 明かりがついても、二人が起き出した様子はない。私は、忍び足でベッドに近寄ると、毛布を多分乃舞華の体に被せて、懐から取り出したナイフを振りかざした。

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