王様に命令された期日までに、服を仕立て上げることが出来なかった仕立屋は、
「馬鹿には見えない服でございます。」
そう言って、王様を騙しました。
その見えない服を纏ってのパレードで、一人の子供が王様に駆け寄って言いました。
「王様は、裸だ!」
王様はそれを聞いた途端に恥ずかしくなって、慌てて城へ逃げ帰っていきました。
でも、
王様は本当に裸だったのでしょうか?
童話『裸の王様』より一部参照
大正時事異聞録 |
伊佐坂 眠井
連載第十五回・裸の王様
「よりによって、あの純真な娘が真っ先に天に召されてしまうとはな・・・」
一条の光も差さないまっ暗な部屋の中、御館様の声だけが朗々と響いた。
左右の区別もできなくなるようなこんな暗がりの中でも、御館様の姿だけはぼう、と白く浮き上がって見えている。
私は、自然とその足下の辺りに向いてしまう自分の目線を押しとどめて、はい、と小さく相槌を打った。
御館様は、まあ、良い、と軽く微笑んだ。
「どちらにしろ、早いか遅いかの違いに過ぎぬ。あの尚芳の奴に復讐することが出来れば、それでよいのだ。」
そして、御館様は小さく私の名を呼んだ。
「我々の受けた苦しみを、何倍にも増幅して奴に味あわせてくれよう。真綿で首を絞めるようにじわじわとな。」
御館さまの口元が笑みに歪む。
「ふふふふ・・・ふふふ、はっははははは!」
暗闇の中、御館様の哄笑が響き渡り、私はゆっくりと部屋を後にした。
・
最初に発見したのは、喜美子だった。
後で警官達に語ったところによると彼女は、いつものように尚樹を起こすために、ネグリジェ姿のままで、子供部屋の扉を開けたのだそうだ。
そしてその瞬間、目の中に飛び込んできた光景を、彼女は理解することが出来ず、震える声で名前を呼びかけたのだそうだ。
「尚樹・・・?」
その、息子の生首に向かって。
一拍の後、彼女は館中に響き渡るような金切り声をあげた。
悲鳴を聞いて真っ先に部屋に飛び込んできた尚芳は、息子の生首を胸に抱えたまま放心している妻の姿を部屋の中に見出すと、やはり同じように叫び声をあげた後で放心した。
二度の叫び声のお陰で、尚樹の部屋には続々と人がつめかけ、縁澤の家族達の寝室とは少し離れた客室にいた美鈴が駆けつけた頃には、もう家族の殆どが顔をそろえていた。
「一体何があったね!」
息を切らしながら部屋の中に駆け込んだ美鈴は、他の人々を押しのけるようにして前に出た。そこで漸く彼女も何があったのかを理解する。
「と・・・鳥目男・・・?」
言いながら美鈴は口元に手を当てた。
「な、なんだって!」
「まさか!そんな馬鹿な!」
美鈴の呟きに、隆文と咲間が如実に反応する。
「でも・・・あのときと同じね。」
そして美鈴は反芻する。二日前の夜、鳥巣の家で見たあの凄惨な光景を。今、ここに繰り広げられている光景は、首を抱えているのが喜美子だという違いこそあれ、鳥目男のあの恐ろしい姿を思い出さずにはいられないものだった。
「ほおら御覧、やはり罰が当たったのさ。」
美鈴がそう考えて目を伏せたとき、人混みの後ろから、ざわめきをかき消すように、嗄れた声が冷徹に響いた。
驚いたように、サッと人垣が左右に割れる。
看護婦の還山霧華に車椅子を押され、相変わらず憮然とした表情を顔に張り付けた鶉森芳香が現れた。まだそれほどの年齢ではないはずだが、長年の闘病生活が、彼女の顔に皺の年輪を刻み、何時しか彼女の内面も外面にあわせるようにして年を取ってしまったように見える。
「か、母さん!」
咎めるように隆文が声をあげたが、攻撃された当の本人である尚芳は、放心したまま何の反応も示してはいなかった。
「あの探偵の言ったこともあながち間違ってはいなかったというわけさ、祟られているんだよ、尚芳、あんたは。この家を乗っ取った挙げ句、御館さまにあんな仕打ちをして、更には縁澤の血を引かない子供を跡取りに据えようとした報いさあね。」
「母さん!止めないか!」
隆文の二度目の制止の声を聞いて、尚芳がぼんやりと振り返る。しかしその目は虚ろで、焦点を結んではいない。芳香は、だめだね、こりゃ、と小さく呟いて首を振った。
「霧華、あたしゃもう一眠りするよ。部屋にやっておくれ。」
芳香はそう言いおいて、現れたときと同じく唐突に部屋を出ていった。霧華は部屋を出る際に複雑な表情で振り返って軽く会釈をした。
扉の閉まる音と共に、部屋の中の音が復活する。
喜美子のすすり泣く声。
それはずっと聞こえていたのだろう。ただ、それを認識できるほど落ち着いていなかっただけのことだ。何とはなしにそう考えた後で美鈴は、ゆっくりと部屋の中にいる人々の顔を眺め回した。
尚芳と喜美子は、相変わらず放心したままで使いものになりそうにない。咲間はただでさえ顔色の悪い顔を更に青白く染めており、妻の乃舞華の方はそれとは対照的に、さも自分とは関係が無い事であるかのようにぼんやりと、自分の髪の毛を気にしている。
振り返ってみると、何時の間に現れたのか、還山為助と、いつものように黒い布を目の上に巻いた唐花が神妙な顔で戸口の辺りに立っていた。
「隆文さん。」
美鈴は、結局一番頼りになりそうな隆文に声をかける。隆文は寝起きで、まだ髪にヘアクリームを付けていないため、長い前髪が目の辺りまで垂れて、余計に表情に愁いを帯びさせて見える。咲耶の死を知ってからの彼は、ずっとこんな表情だ。
「なんだい、美鈴ちゃん。」
「鍵・・・」
「えっ?」
「子供部屋の鍵は、誰が持ってたね?」
隆文は一瞬驚いたような顔をすると、軽く微笑んだ。
「こっちに来てごらん、小さな探偵さん。」
誘われるままに扉の方に行くと、隆文はノブを指し示した。
「いいかい?このノブについているツマミを捻ることによって内側から鍵がかけられる。外側からは普通に鍵を使わないと開けないようになっているけどね。・・・ここの鍵は、この部屋を子供部屋にしたときにこんな形に作り替えられたんだ。子供でも開閉できるようにね。」
「成程ね。」
美鈴は頷いて腕を組んだ。そして言う。
「じゃあ、鍵の方は喜美子さんが持っていたか?後、他にここを開けられる鍵はないね?」
隆文は、少しだけ宙を見据えて考え込む素振りをした。
「ええと・・・そうだね、鍵は喜美子さんと尚芳さんの部屋にあるね、普段は。後、全ての部屋の鍵がついた鍵束があって、確かそれは還山さん、あ、為助さんの方ね、が管理していたはずだけど・・・美鈴ちゃん、それが何か?」
美鈴はうん、と難しい表情で頷いた。
「もしも、この部屋の鍵がちゃんとかかっていたとしたら・・・この事件は密室殺人ね。」
「え・・・?」
そして、美鈴の指摘は正しかったことが後に証明される。
・
ぐるぐると世界が回っている。
自分の記憶と神の記憶。自分の感情と神の感情。それらが万華鏡のように交錯している。
鳥目男によって強制的に送りつけられた彼の記憶によって、迷流の頭の中は掻き乱されて、自分自身を保っていることさえ危うくなった。
送りつけられた神の悲哀、孤独、憎しみ。
それら単体ではそれほどの浸食力を持っているわけではない。
迷流自身の持っていたそんな感情、それが導き出す忘れていたはずの記憶。それが迷流を苦しめていた。
もちろん、迷流自身にも解っていたはずだった。
『ノベリング』を行うことによって、様々な人々の記憶を、時として感情を迷流自身が味あわなければいけないことを。
だから迷流は、物語の『語り部』に徹することによって、なるべくそれら生の感情からは距離を置いたところに自分自身を置いていたのだ。
しかし今回は、迷流自身が能力を行使することなく、一方的に、無防備な迷流の頭の中に『それ』は送り込まれてきた。
あの日から二日、迷流は漸く自分自身を取り戻しつつある。
と、その時、迷流は扉の開く音に気がついて薄く目を開いた。ベッドの足下の辺りに、心配そうな顔で立っている美鈴に迷流は気がつく。迷流は懸命に微笑みを浮かべようとした。
「迷流様、大丈夫?」
言った彼女はまだ寝間着姿のままだった。迷流は少し訝しむ。
「美鈴・・・何かあったの?」
美鈴は、迷流様には隠せないね、と軽く溜息をついた。
「実は・・・尚樹ちゃんが殺されたね。咲耶さんと同じように、首を切られて。」
「何だって!」
慌てて起き上がろうとした迷流を、しかし、美鈴が飛びついてベッドに押さえつける。
「迷流様!まだ寝てないとダメね!無理を通せば道理でへこむね!」
「『無理が通れば道理は引っ込む』だよ、美鈴。」
美鈴に突っ込みながらも、迷流は大人しく横になった。
「解ったよ、美鈴。じゃあ、せめて事件について説明しておくれ。」
解ったね、と言いながら、美鈴は迷流の枕元に置いてあった座椅子に腰を降ろした。
かいつまんで今朝の状況を迷流に伝える。
「・・・で、後で為助さんが調べてみたら、玄関の鍵も何者かによって開けられていたね。尚樹ちゃんの部屋の鍵も、外から喜美子さんが掛けたって言う話だから、犯人は恐らく二つの鍵を開けることが出来た人間ね。」
「でも、為助さんの管理していた鍵束は持ち去られた形跡がなかった・・・だから、犯人は屋敷の外部の人間で、人とは思えない能力を持ったもの、即ち鳥目男だと?」
他の人はそう思っているね、と美鈴は答えた。迷流は少しだけ、眉根に皺を寄せる。
「他の人・・・っていうことは、美鈴はそうじゃないと思っているの?」
迷流の質問に、美鈴は少しだけ考え込むような素振りを見せた。そして、慎重に口を開く。
「私も最初は、鳥目男の仕業だと思ったね。咲耶さんの時とあまりにもそっくりだったから。でも、ちょっと変ね。もし、鳥目男の仕業だったら、尚樹ちゃんの首を自分の巣に持ち帰っていなけりゃいけないね、それに・・・」
「それに?」
美鈴は迷流の目をじっと見据えた。
「よく見てみたら、首の切り口が刃物で切ったみたいだったね。」
「凄いね、美鈴・・・良くそんなところに気がついたね。」
迷流はベッドから腕を伸ばして、美鈴の頭を撫でた。そして言う。
「私も美鈴の言うとおり、犯人は鳥目男ではないと思う。もし、犯人が鳥目男なら、わざわざ玄関の扉の鍵を開けたりしないだろうね。もっと窓なりなんなりを破って侵入してくると思う。だから、恐らく玄関の鍵が開けられていたのは、我々の目を外に向けさせるためだね。」
「と、いうことは・・・迷流様!」
迷流は真剣な表情になった。
「ああ、恐らく犯人は屋敷の中にいる。」
「でも、どうして?何のために尚樹ちゃんを?」
うん、と迷流は小さく頷く。
「別に彼を殺すことが犯人の直接の目的ではなかったんだと思う。彼の死によって誰かに衝撃を与えるため、多分、尚芳さんか喜美子さんに。」
「成程ね。」
美鈴は神妙に頷きを返す。
「じゃあ、迷流様・・・まだこの事件は・・・」
ああ、終わってない、と答えた迷流に背を向けて美鈴は出て行こうとした。
「美鈴・・・?」
問いかけた迷流に、振り向かないまま美鈴は答える。
「迷流様、この事件、きっと私が解決して見せるね。・・・だから迷流様はゆっくり休んでいるね。」
迷流はベッドの上で、少女の背中に向けて優しく微笑むと、
「ありがとう、美鈴。でも、気を付けるんだよ。」
そう言葉を投げかけた。解ったね、と右手を軽く挙げて、美鈴が扉の向こうに消える。
その姿を確認した後で、迷流は糸が切れたように再び眠りについた。