To Heart short story vol.2
だみーどーる(仮題)

いささか ねむい


 翌日。
「はあーっ・・・」
「うう・・・」
 俺は葵ちゃんと一緒に、中庭で昼飯を食べていた。
「はあーっ・・・」
「ううう・・・」
 さっきから溜息ばかりで二人の箸は殆ど進んでいない。
「先輩・・・どうしましょう・・・」
 漸く、葵ちゃんがそう言葉を発した。
 彼女の左足には、今日も痛々しく包帯が巻かれている。
「そうだなあ・・・」
 取り敢えず俺はそう言ってみるが、これと言って特に良いアイディアは思いつけずにいた。
 結果、
「はあーっ・・・」
「あうう・・・」
 再び溜息の応酬が繰り返されることになる。
 と、その時、
「ああああーっ!!!ようやく見つけましたあっ!!」
 この場の重い雰囲気を断ち切るように、可愛らしい叫び声が辺りに響いた。慌てて声のした方に向き直ると、こちらに向けて猛スピードで突っ込んでくるマルチの姿が見えた。
 な、何だ、このスピードは!?
「ま、マルチ!?」
「浩之さーーーん!」
 マルチはそのスピードのまま俺の座っているベンチまで突進してきて・・・ブレーキをかけ損なって顔面から地面に倒れた。
「あうう・・・」
 しかしマルチは涙を浮かべながらも、すぐにすっくと立ち上がって俺達に笑いかけた。
「浩之さん!葵さん!お二人の夢、私が頑張って守って見せます!」
 葵ちゃんは呆気にとられた表情でぽかーん、と口を開いている。
「ま、マルチ?一体どうしたって言うんだ?それにその、何かいつもよりも足が速い、というかなんというか・・・」
 俺の質問に、マルチははい!と笑顔を浮かべる。
「えへへー。このボディ、いつもの奴とはちょっと違うんですよお〜。ええっとお、高出力の戦闘タイプ、普段のボディが出来る前のプロトタイプで、元々はこのHMXシリーズの開発が始まる前から、私のお父さんみたいな存在の、長瀬さんがこっそり作っていたものなのだそうです!」
 言いながら、マルチはえいえい、と猫パンチを繰り出してみせた。・・・確かにスピードだけは速い。
「プロトタイプ・・・?」
 俺は少し首を捻った。
 ・・・と、言う事はプロトタイプの段階では、マルチの運動性能は高かったという事になるのか?じゃあ、何で現行モデルはこんなにどんくさいんだ・・・?
 俺は、マルチをしげしげと眺め回してみる。
 相変わらずちっこい体。どう見ても○学生に見えてしまう可愛い顔。ふうむ、どうやら現行モデルとの違いはその運動性能だけらしい。
 これをこっそり作っていたって・・・マルチの開発者って一体・・・
 しかし、何にせよ俺と葵ちゃんにとって嬉しいニュースであることには間違いがない。早速その日の放課後、俺達は学校裏の神社に集結した。
「・・・じゃあ、基本の型から駆け足で教えていきたいと思いますので、藤田先輩の後について同じ動作をしてみて下さい。」
「はいっ!わかりましたっ!」
 足の怪我のために動けない葵ちゃんの代わりに、俺がマルチの見本役になる。
 最初はいかにもマルチらしい無駄な動きが目立ったものの、流石は学習型、夕日が西の地平線に沈む頃には、大分さまになってきていた。
「いいぞ、マルチ。これならいけるかも知れない!」
「マルチちゃん、凄い!とっても筋がいいです!」
「はわっ!そ、そんなに誉められると、私、恥ずかしいですぅ〜」
 思いもしなかったマルチの好成績に、俺と葵ちゃんはベタ褒めする。マルチは恥ずかしそうに顔を赤くして、タオルで汗を拭った。
 その翌日には、マルチは更に秘密兵器を携えてやってきた。
「えへへへー、浩之さん、葵さん、見ていて下さい!」
 体操服姿のマルチは、ニコニコと笑いながら、ポケットから小さな瓶を取り出した。中には、何やら液体が入っているようだ。
『?』
 興味深げに見守る俺と葵ちゃんの前で、マルチはおもむろに瓶のキャップを捻ると、その中身を数滴自分の頭に振りかけた。
「あっ!」
「おおっ!」
 一体どういう仕組みになっているのか、振りかけた途端にマルチの髪の毛の色が緑から青に変わっていく。
「えへへへー。」
 少しだけ得意げな顔で耳の飾りを取ると、そこにいるのは少しちっちゃいことを除けば、まさに葵ちゃんそのものだった。
「す、スゲー!どうなっているんだ?マルチ!」
「えへへー、これも長瀬さんが私の為に開発してくれたんです。効果は二時間ぐらいで、自然に元に戻るんですよー。」
 マルチはまるで自分のことのように誇らしげに言った。
 ううむ。
 長瀬とか言うマルチの開発者、なかなか出来るな。
 ただのロ○コンではないわけか。
 マルチは葵ちゃん用の薬も持っていて、更には何故か葵ちゃん用の耳飾りまで持ってきていた。
「おお、凄い!まさにマルチだ!」
 俺はすっかりマルチナイズ(?)された葵ちゃんの頭をなでなでした。
「せ、先輩、何か恥ずかしいです・・・」
「恥ずかしいですぅ〜、だ、葵ちゃん!」
 その後、羨ましそうな顔をしてその光景を眺めていたマルチをなでなでして、今日の練習が開始される。
 今日はサンドバッグを使った特訓だ。
 昨日の練習で、マルチのこのボディの運動性能の高さは確かに証明された。
 後はパワーだ。
「じゃあ、マルチちゃん。まずは拳をしっかり作ってこのサンドバッグを殴ってみて。」
「は、はいっ!」
 マルチは緊張した面持ちでサンドバッグの正面に立った。背筋がピーンと伸びている。
「・・・いきまーすっ!」
 掛け声とともに、マルチは正拳を繰り出した。
 スパーン、と言う小気味良い音が辺りに響く。
「凄いっ!いい感じよ、マルチちゃん!」
 葵ちゃんが感嘆の溜息をつく。
 見た感じでは、マルチのパンチはそれほどのパワーを秘めているようには見えない。だが、非力さを補って有り余るスピードによって突き抜けるような衝撃を生み出している。その点では、葵ちゃん自身のファイティングスタイルと共通する部分があると言っていいだろう。
 よし、身代わり作戦はますます軌道に乗ってきた感じだぜっ!
 その日は、パンチとキックの基本に始まってコンビネーションを一通り学んだ。面白いことに、マルチも葵ちゃんと同じようにワンツーからの上段回し蹴りが一番得意なようだった。
 決戦の日までは後二日。
 ひょっとしてこれってイケそうなんじゃないか?
 その日も夕暮れまで練習して、俺達は帰路についた。
 バス停でマルチと別れて葵ちゃんと二人で帰る。葵ちゃんはまだ左足を少し引きずって歩いているので、俺は歩くペースをいつもよりゆっくりめにする。
「先輩・・・」
 不意に、葵ちゃんがそう言って俺を見上げた。
「ん?どうしたんだ、葵ちゃん。」
 葵ちゃんは何やら思い詰めたような表情をしていた。
「マルチちゃん、凄いですよね。」
「ああ、そーだな。俺もまさかここまでやれるとは思わなかったぜ。」
 俺の言葉に、葵ちゃんは神妙に頷いた。
 そして、ぽつりと言う。
「私、マルチちゃんが羨ましいです。こんな短期間で、あんなにも次々と技を自分の物にしていけるなんて・・・」
「それは・・・葵ちゃんの教え方がいいからだよ。」
「いえ、そんな事はありません!」
 葵ちゃんは強く否定した。その迫力に俺はちょっとたじっとなる。
「あれは、才能です。私、才能無いからああいうの見てると羨ましくて・・・」
「それは違うぜ、葵ちゃん。」
 俺はそう言って、葵ちゃんの頭をぽん、と叩いた。
「マルチはロボットだろ。ロボットが人間と違うところは、失敗やスランプがないって事さ。だからぐんぐん上達しているんだ。・・・俺も最初は、何でマルチのボディに今のプロトタイプじゃなくてあの現行モデルが採用されたのか不思議に思ったけど、多分今ならその理由が解る気がするぜ。」
「理由・・・ですか?」
 俺は強く頷く。
「多分マルチの開発者は、失敗するロボットを作りたかったんだ。より人間に近付くためには、何度も失敗を重ねることによって、失敗したときの気持ち、今度は成功してやるぞっ、て言う気持ちを解らなければいけない。それには性能のいいボディよりも、運動音痴のボディの方が良い。だから、あんな人間くさいドジなロボットなんだよ、あいつは。」
「あ、成程ー。」
 葵ちゃんはそう言って両手を合わせた。
「だからプロトタイプのボディは封印されていたんですね!」
「そゆこと。」
 言いながらも、俺はでも確かにマルチの奴格闘技の才能はあるかも知れないなー、とぼんやり思っていた。
 そこでふと、感心した表情で横を歩いている葵ちゃんに目がいった。
 マルチにそっくりの格闘少女。
 実はこの子が本当にマルチのモデルになっているなんて事は・・・まさかな。
「あのお、どうしたんですか?先輩?」
 俺がじーっと見つめていたからだろう、葵ちゃんは不思議そうな顔で俺を見上げた。
「ん、いや、なんでもない。まあ、だから葵ちゃんも才能がないとか言わないで、人間らしく努力していこうや。俺は、前にも言ったかも知れねーけど、努力を苦にしないのが葵ちゃんの才能だと思ってっからさ。」
 そしてもう一度、葵ちゃんの頭にぽん、と手を置く。
「は、はいっ!有り難うございます!先輩っ!」
 葵ちゃんは元気良くそう答えた。
 うむ。
 素直でよろしい。
 さて、更に日付は進んで次の日。
 今まで順調に進んできた葵ちゃん身代わり大作戦に、障害が訪れた。
 今日はいよいよ明日に迫った坂下戦に備えて、より実践的な練習、即ち俺相手のスパーリングを行うことになった。
 マルチの実力を、昨日までの練習をずっと見ていた俺はちゃんと理解していた。
 だから、マルチ相手という先入観を捨て去って本気でファイトしたのだが、
 ばっすーーーん。
「あ、あれ?」
 あまりにもあっさりと俺のパンチを喰らったマルチの軽い体は、いともたやすく宙を舞った。
「はわわわわーっ・・・」
 ぷしゅーっ。
 そしてそのままブレーカーが落ちて気絶してしまう。
「ま、マルチちゃん!!!」
 葵ちゃんが慌てて駆け寄ってマルチを介抱した。
 ・・・あ、そーいえば攻撃ばっかりで防御についてマルチに何も教えていなかったっけ。
 結局その後マルチに基本的な防御の仕方を教えて、もう一度スパーリングを行ってみることにした。
 そして本当の問題はこの時に発覚した。
 飲み込みの早いプロトタイプボディのマルチは、相変わらずオーバーアクション気味なところはあるものの、防御に関してはなかなかだった。しかし・・・
「どーした、ほら、マルチ、打ってこい!」
「で、できませええーーーん!ひ、浩之さんにそんなこと!」
 ・・・攻撃してこないのだ。
 確かに、今まではサンドバッグが相手だった。人間を相手にして戦うのはこれが初めてだといえる。しかし、それにしても・・・
「あわっ!あわわわわっ!」
 マルチは相変わらず俺の攻撃を避け続ける。
 何か、攻撃してこない相手とはいえ、かわし続けられるのってちょっと悔しいかも。
 はははははは、君の攻撃は止まって見えるよ、ってな感じで。
 いや、相手はマルチなんだけど。
 って、今問題なのはそんな事じゃなくて、
「マルチ!ほら、大丈夫だから打ってこいって!」
「あうう、だ、ダメですぅ〜!」
 ・・・結局マルチはその日の最後になって、俺にヘロヘロしたパンチを一回当てただけに終わった。
「あうう・・・すっ、すみませえ〜ん。」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら謝るマルチ。
 ううむ。
 必殺身代わり大作戦。
 明日の決行を前にして、大きな壁にぶつかってしまったようだった。 

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