一本遅れると、連鎖的に・・・
2003年05月01日(木)午前〜昼


 本来の予定では、新宿から中央線でお茶の水まで行き、そこから総武線に乗り換え新小岩まで至り、そして千葉行きの総武線快速の乗る予定であった。だが、総武線快速に一本遅れた。0901時の千葉行きに乗る予定だったが、新宿で切符を買うのに手間取ったためそれには間に合わなかった。新小岩では、一本遅いのに乗る。




 予備校が両国にあり、アニメイト錦糸町にもよく行っていたが、それよりも東へは行ったことがあまりない。大学時代の合宿や2年前の蓮沼旅行以来か。それでも、錦糸町を越えて千葉になってからはいつも思う。東京とはどこかが違うな、と。千葉を走っているという余計な先入観があるせいかもしれないが。
 荷物を網棚に上げ、ようやく落ち着いて腰を下ろして、窓の外の景色を見ながら美津濃氏と他愛もないことを話す。新小岩から乗った快速は何駅も飛ばす。下りになったので、乗客もまばらだ。ようやく旅行らしくなってきた。しかし列車は、津田沼止まり。下りて千葉行きを待つ。



 我々が乗っていた列車は、折り返し久里浜行きになってしまった。実は私、乗った電車が津田沼止まりだとは気づかなかった。ここではじめて1本遅れたことに気づいたのである。まあ、折り返しに気づかないで神奈川まで行ってしまうほどアホではないが。予定では、新小岩から千葉行きに乗って、千葉で0937時発1137時着の内房線館山行きに乗る予定であった。この狂いがどんな影響をもたらすか。東京近辺では5分8分待てばそれで次の電車がやってくる。しかし、館山に着く頃には遅れが積もり積もってどれだけのものになるか。計画では、1137時に館山に着いてそこで昼飯を食い、1200時から予約を入れてあるレンタカーに乗ることになっていた。そして1800時前にはレンタカーを返して旅館にチェックインしていなければならない。館山到着が遅れるとレンタカーを借りるのが遅くなり、チェックインまで遊ぶ時間が少なくなる。さてはて。
 などということを考えていたら、私の横で奇怪な音がわき上がった。ガイガーカウンターの放射線感知音のような・・・(実物の発する音を聞いたことなどないが)。見てみたら、美津濃氏がホームでヒゲを剃っているではないか。朝剃っていたはずなのだが、突然剃り残りが気になったとのことである。まあ、誰もいないホーム。ゴミを捨てているわけでもないので、問題はないのかもしれないが。
 かくして我々は0931時の千葉行きに乗るのであった。



 千葉駅に到着。そしてまずは電光掲示板で出発電車を確認する。館山方面行きの一番早い列車は、0957の木更津行きか。千葉駅で15分近く待つことになるが、この待ち時間よりも列車が木更津行きということが気になる。だが、とりあえずは駅弁と飲み物を調達して、ホームで木更津行きを待つこととした。長旅なので、ボックスはぜひ確保したかった。



 木更津行きの列車は、もちろん紺色の昔ながらの列車。千葉を通り過ぎるとだいたいはこうなる。そして我々は早速ボックス席に陣取る。まだ午前10時だが早速弁当を明けて喰らいなどした。朝は菓子パン1つしか食っていなかったため、腹が減っていた。保存が利くように塩を目一杯利かせた弁当は塩っ辛すぎたような気はするが、大荷物と厚着で汗をかいた身体には心地よかった。もちろん飲み物で塩味は希釈したが。
 メシを食って人心地ついたところで、私はezwebで路線検索をしてみた。このままでは、館山到着はちょうど1時間遅れる。館山についてからゆっくり昼飯なんぞ食っているヒマはない。まあ今の駅弁が昼飯だ。レンタカー屋は駅から遠い。車を借りるのは1時過ぎになるだろう。1本の遅れが、1時間の遅れとなった。これが地方の列車の恐ろしさである。




 それにしても、ボックス席はくつろげるし、旅行気分が盛り上がっていいのだが、直角の背もたれはいかんともしがたい。
 よしかかると余計疲れるような。



 しかし美津濃氏は、そんなことはお構いなしで脚を伸ばし、眠りにつくのであった。旅行の楽しみの半分は、移動そのものにある。だが、美津濃氏にとっては移動とは寝る時間らしい。相変わらず爺婆の湯治旅行気分だ。いつぞやの蓮沼旅行では、1泊旅行なのに午後出発し、夕方に宿に到着しようなどという寝ぼけたことを提案して、私とП氏によって「メシ食って風呂入って寝るだけではないか」と徹底的に叩かれたものであった。さすがに今回は早朝出発で日中は観光・ドライブをすることにしたが、列車で寝るかい。睡眠不足は私も同じ。というか5時間も寝れば十分だろう。多少眠くても、この非日常をカネと時間で買う行為たる旅行の最中に、太陽の下で寝ますか。睡眠に貪欲な人間め。叩き起こそうとも思ったが、私が遅くまで「ガンパレ」をやり続けていた引け目もあって、放置することに。どうせ木更津までだ。
 ちなみに掛かっているカバンは、私の機動戦用カバン。大きな旅行カバンと手提げ袋しかないというのが、なんとも極端で。



 景色は、確実に地方のものになっていった。
 瓦。引き戸。空き地。田畑。
 やっとこさ日常では見かけない風景になってきた。
 一方、美津濃氏はコンタクトをしたまま眠っていたが、電車はすぐに終点木更津に到着。
 私は彼を叩き起こして列車を降りるのであった。




 木更津到着。今度は君津行きの1101時の列車まで20分は待たねばならない。
 暖かい陽気の中で、飲み物を飲んだり、タバコを吸うなどして時間を過ごした。
 そしてはじめて三脚も使用した。上の写真はその第一弾。私が三脚をセットしてセルフタイマーを作動させ(リモコンはない)、突然美津濃氏の肩をつかんで強制連行してカメラの前に立たせて撮った。こけそうな格好をしているのはそのせいである。
 撮影後、私はカメラをはずして三脚を畳もうとした。すると美津濃氏は手伝うという。私は美津濃氏に三脚を渡して、自分はデジカメをケースに戻した。しかし美津濃氏は三脚の脚が引っ込まないのを、こともあろうか渾身の力でぶっ叩いて縮めようとしているではないか。私は「叩くな!」と怒鳴って三脚を奪い取った。なんともはや。この三脚は、ラジオのアンテナみたいな安物の三脚とも特殊警棒とも違う。脚を押せば縮むわけでも、まして叩いて縮むわけでもない。7段階の伸縮すべてにストッパーがあり、そこを押し込みながら脚を縮める必要がある。押して縮まないからといってぶっ叩いてはストッパーがいかれ、あるいは吹っ飛んで利かなくなる。ラジオアンテナみたいな三脚はすぐに脚の固定があまくなって、勝手に倒れるようになる。だから私はしっかりした三脚を買った。それをこうぶっ叩くとは。機械は叩けば直る、うまくいかなかったら同じベクトルにより強い力をかければ事態が打開されると言ってはばからない美津濃氏に、繊細な三脚を任せたのは私の失策であった。




 話は変わるが、これは木更津駅ホームにあったタバコの自販機。新旧共に500円玉は使えないということは、おそらく500円玉が発行される以前に生産されたものなのだろう。500円玉は私の幼少期にはなかった。そして当時はこういう型式の自販機があったような記憶がかすかにある。こんなものが未だに稼働しているとは、さすがは木更津である。
 これからもっと千葉南部に下っていくと、今度はどんなものが見られるのか。楽しみだ。
 そしてやっと木更津に、内房線君津行きがやってきた。




 私は「内房線君津行き」を、ただ「下り」「館山方面行き」としてしか認識していなかった。まさか君津が木更津の次の駅だとは思いもしなかった。木更津で20分近く待って、今度は君津で館山行きを25分も待つことになろうとは。千葉で15分、木更津で20分、君津で25分待ち。ちょうど1時間の遅れはこの、ホームでの待ち時間のことであったか。
 とにかく待つしかない。館山まで列車で行くのではなく、木更津あたりからレンタカーを借りて館山まで行って、翌日木更津に返すプランでもよかったかもしれぬ。金額はなんぼもかわらん。だが、今はとにかく列車を待つしかない。なんと館山行きの各駅停車は、特急の車両だそうな。つまり、千葉方面から君津までは特急として運用されるが、君津からは各駅停車になり、料金も普通乗車券だけでいいとのこと。こんな車両の使い方は聞いたことがない。さすがは館山。未知のことが多いわい。


 君津駅でその特急を25分間待ったわけだが、海から近いせいか風が強く、冷たかった。山一つ隔てた木更津の陽気とはうってかわって、身体が冷える。スーツを着込んだ美津濃氏でさえも寒いという。私も長袖の上着を着ていたが、それでも冷える。そこで無用かとも思っていたジャンバーをカバンから取り出して着込む。これはちょうどよい。暑ければ脱げばいいが、寒いときに服がないと体力を消耗し、カゼを引く。それを考えれば、多少の重装備は屁でもない。
 よく見たら、君津駅のホームにいる人々は、5月だというのにコートを着込んでいる人が少なからずいた。やはり現地の人は、気候をよくわかっていらっしゃる。天気予報では降水確率しか見ていなかったが、気温の欄も見ておいた方がよかったかも。



 そして電車はやってきた。私と美津濃氏は、今までの直角シートとはうってかわって、進行方向を向いた角度調整可能なシートに背を預ける。これでようやく館山まで一本で行ける。千葉から直通の館山行きを逃したため、随分と時間がかかったものである。

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