幸田旅館
2003年05月01日(木)夕方〜夜


 駅で特産品を見物してから(買うのは翌日)、幸田旅館に向かった。早めにレンタカーを返したことと、レンタカー屋の人が送ってくれたことで、1700時前にはチェックインできた。宿泊先は幸田旅館。蝦夷島共和国樹立を宣言し、明治期もロシアとの領土交渉に活躍した榎本武揚御用達という、歴史ある老舗旅館である。しかし料金は格安。一泊食事付きで5000円(税別)という値段。館山近辺でも、この金額では学生の合宿場のようなところしかない。幸田旅館も歴史あるだけあってあちこち古さがあるが、どことなく格式がある。価格対効果の高い宿と言える。




 我々が案内された部屋は「波音(なみね)」。なかなか萌えな名称である。まだ然るべき二次元作品では、固有名詞としては使われていまい。中は、3〜4人で泊まれるぐらいの広さがあった。便所、風呂はもちろん備え、洗面所だけでも3帖はあった。




 ただ、便所が難点と言えば難点。正方形の床の真ん中に洋式便器が設置されている。パイプなどの関係から、こういう設計しかできなかったのだろう。もちろん使えるが、座ってみるとヒザがつかえてなんとも圧迫感があるというか。障害がある人には不向きである。




 そして、室内で今日持ち込んだ二次元グッツを確認する。書籍はすべて美津濃氏が現地調達したもの。「ガンパレ」のアンソロジーはともかくとして、あとの二つは内容も知らないままテキトーに選んだらしい。なんともはや。
 畳の上でしばらくくつろいだ後、メシの前に風呂になど行く。別に温泉地でも何でもないが、やはり今日は少し疲れた。やはり風呂に入りたい。風呂は船形の(文字通り)湯船という面妖なものであった。配管の後付け方法やタイルなどを見るに、この浴場も相当に古い。まさか榎本武揚の時代からあるとは思わないが。しかし手入れはもちろん行き届いていた。
 風呂を上がって、美津濃氏は早速浴衣に着替えるが、私はそういう格好をあまりしない。新しいTシャツを着て、その上にジャンバーを羽織るというよくわからん格好をする。湯冷めが怖いもので、浴衣は寝る直前しか着ないわけである。



 1830時に、食堂へ下りる。メシは海産物と冷しゃぶ。旅館の食事というのは、とにかく腹一杯にして満足感というか贅沢な気分になったもらおうとする傾向があるが、この食事は一品ずつがそんなに大量なわけではなく、適量よりもやや多い程度であった。このぐらいがちょうどよい。そしてすばらしく高級というわけではないが、新鮮な産品を活用したメシはうまかった。ビールを注ぎながら、メシを食う。



 そして、食事を終えて部屋に戻ると、仲居さんが布団を敷きにやってきた。食事に下りる前に、あらかじめ私は部屋を片づけていた。しかしよく見ると、ここそこに美津濃氏の二次元的物品が放置されているではないか。有明で配られていた袋まで、着替え入れとして持ち込んでいたとは。
 美津濃氏は洗面所で歯を磨いていたため、私が仲居さんに話しかけられた。
「アニメ好きなんですか」
 別に二次元的趣味を隠そうなどという気は生活範囲外で持つ必要はないのだが、私は「いやあ、もう1人のがそういう人でして」などと自分がまったく関係ないような態度をとった。仲居さんは「うちのも好きなんですよ、いつも録画して」などと続ける。息子さんのことか娘さんのことかは知らないが、館山の地にもやはり二次元愛好家は存在したか。そして仲居さんは「アキハバラ電脳組」のCDを見て言う。
「これって最近のキャラじゃないですよね」
 確か5年くらい前だったかと、などとの私の返答に「そうですよね、最近のとは絵が違いますよね」などと。なんというか、美津濃氏の1人が二次元人であるかのような言ったのが、見抜かれている。いやはや。当然と言えば当然か。




 そして、布団はくっつけて敷きますかと聞くので、私は「思いっきり離してください」と要求。当然である。そうしたら、テーブルを真ん中に置いて左右に分けて布団を敷いてくれた。まあこの方が、寝る前にメガネや携帯、腕時計を置くのに便利。


 仲居さんが出ていったあと、館山の産品や今日の出来事なんぞを美津濃氏と雑多に話してなどいたが、前日の睡眠不足と5時間にも及ぶ移動とで疲れていたのだろう。11時には眠ってしまった。ビールをもう一本ぐらい飲んでもよかったのだが。

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