出撃、抱き枕、カバン
2003年08月21日(木)早朝


 午前6時に起床して、身支度と後かたづけを開始する。この家は基本的には空き家なので、生ゴミや喰いカスを残すわけには行かない。昨夜は寝不足の中、日本ランドまで繰り出したので、片づけなども不十分・・・というよりも、個人の荷物などは(個人によっては)ここそこに散乱していた。あたかも、これから一ヶ月ぐらい逗留するかのようではないか。それらをまとめて、出発支度を整える。




 実はこの家、鍵はつっかえ棒である。
 棒を差し込んで、上から踏んでさらに押し込む。
 これはなかなか強固な鍵になるとのこと。昔の住居では、こうしていたのであろう。出掛けるときはどうするのかと思ったら、私と美津濃氏、П氏が荷物を持って出てからPGO氏が内側からつっかえ棒をかまし、勝手口から出てきた。勝手口には錠が掛かるのであろう。




 そして、車に次々と荷物を積載する。この鳩子様抱き枕、駐車中は外から見えないよう隠していた。ここら一帯はPGO氏の親戚が少なからず住んでいるとのことなので、うかつなものを見られたら社会的に抹殺されるとのこと。
 荷物をすべて積み込んでから、美津濃氏が声をあげる。カバンがない、と。車中ひっくり返して探すが出てこない。どうなカバンだったかというか旅行カバンではなくて、同人誌一式が入った書類カバンだという。そんなものはどこにも見あたらない。急いで、PGO氏と美津濃氏は、泊まった家に戻る。
 その間、私とП氏とで、鳩子様抱き枕を上に向けて、鑑賞しながらなにやら話などしていた。そうしていたら、背後からPGO氏と美津濃氏、そして大叔母様がやってきたではないか。慌てて私は、抱き枕をひっくり返した。いや危なかった。垂直に抱きかかえなどしていたら、隠すのが間に合わなかった。
 美津濃氏のカバンは、結局PGO氏祖母宅からは見つからなかった。忘れ物が見つかったら、PGO氏に連絡して送ると大叔母様。まあもしここに忘れていたら、そういうことになるだろう。あの、変態同人誌が詰まった書類カバンを送って下さる、と。我々は結局大叔母様に挨拶をして、そのまま出発した。


▼カバンの内容物(一部)。


 PGO氏祖母宅を出撃して、再び富士五湖道路を東京方面へと走る。朝のBGMは久川綾。ハンドルを握るPGO氏曰く、「朝の久川はいい」とのこと。そのほか、昨日ブックオフで購入した「豪血寺一族2」のサントラなどもかける。 などと、私は助手席で二次元曲の話などしていたのだが、後部座席のП氏・美津濃氏とは、完全に通信が隔絶されていた。真ん中の席を畳んで、最後部席に二人は座っていた。この物理的距離は、高速道路の騒音が川割ればかなり大きな隔たりとなる。ミニバンは積載量・居住性に優れるが、居住性がよすぎて空間が分断されるということも起きる。




 中央道に入って、談合坂SAで朝飯。このとき、7時半前。まだ、トラック運転手がまばらにいるだけであった。
 ここから再び東京に入り、八王子ICで一般道に降りて、PGO氏自宅に立ち寄る計画だ。私には東京・埼玉の一般道を走破する自信も土地勘もないため、今日は朝からしばらくはPGO氏が運転である。せめて、談合坂ぐらいまでは私が運転するべきかだったか。




 朝の東京は、ここそこでラッシュとなっていた。最後部座席で、居眠りなどこく二人。




 10時前にはPGO氏自宅に到着し、PGO氏はCDを補給。そして近所のスーパーにて、大量の麦茶とプラスティックコップなどを購入した。長旅になるので、個々人で500ml程度のペットボトルをいちいち買っていては、カネがかさむ。そのため、飲料水は一括購入することとしたのだ。
 ここで美津濃氏は、カバンを忘れた疑いが高い河口湖郵便局に電話をかけていた。郵便局など、番号案内ですぐにわかる。電話を終えた美津濃氏曰く、カバンは忘れ物として確保されており、着払いで自宅に送るようお願いしたとのこと。内容物については「本なんかが入っている」と答えたらしいが、はたして郵便局員は、どこまでカバンを空けてチェックしたのか・・・。




 飲料水などを確保し、美津濃氏は一安心したところで、車は外環道に入り、川口JCTから東北道へと進んだ。朝から運転してきたPGO氏は疲労困憊になってきたので、川口JCTを出て一番最初のPAで交替。一路、那須へと向かった。

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