一路東北へ
2003年08月22日(金)朝〜昼
朝起きて、宿のメシなど喰らう。焼きたて自家製パン食い放題は、なかなかよかった。1つ1つのパンが小さいから、1度2度おかわりに出てまた食えるというのは、ちょっとした満足感をもたらす。一気に大量のメシを出される圧迫感もないし、小食の人でも安心。食おうと思えば、食い放題。パン自体うまかったし。
8時に朝メシを食い終わって、9時半までまた寝る人々。
まあ今回は、車の整理と荷物の整理をしていたおかげで、出発には手間取らなかった。
10時にはチェックアウトを済ませて、もう車を出した。
今回私は、後部座席に乗って出発。
今日は長距離だから、運転しないときはゆっくり休んでいた方がよい。
今日はП氏実家へ世話になる。
というわけで、ご実家へとП氏が連絡しようとしたら、圏外。
仕方ないので、わざわざPAの公衆電話で連絡を。
ついでに昼飯もここで。
PAでメシを食って一息ついてから、私がハンドルを握る。PGO氏は後部座席で睡眠である。
盛岡ICまでの道は長い。
なにがしかの話をし、様々なものを見た筈なのだが、私自身がハンドルを握っていたため、ほとんど記録は残っていない。ただ覚えていることは、美津濃氏が俗悪雑誌を読み聞かせ続けて、私を覚醒させ続けようとしたことだ。彼は助手席に於ける役割というものを心得ている。後部ではPGO氏はもちろん、П氏まで寝入っていた。ここで美津濃氏まで眠っていたら・・・私の気分云々以前に、私の中枢神経が帝知覚状態に陥り、そのままどこかに突っ込んでいたかも。そういうときは、俗悪性情報しかのっていないクズ雑誌も役に立つものだ。
まあ何事もなく、盛岡ICを降りることが出来た。
そして、П氏実家へとそのまま車を走らせる。
П氏からのナビを受けつつ街を走り、田畑を抜けて、ついにП氏実家に到着したのは15時であった。