強羅絶対防衛線
2004年03月15日(月)昼過ぎ〜夕方


 ロマンスカーでおよそ一時間半。弁当を食い、ビールを飲み干し、ペットボトルのお茶を注入し、便所と座席とを往復し、酔いが醒めかける頃に箱根湯本に着いた。
 さすがは平日。大学生の卒業旅行シーズンではあるが、箱根湯本駅には年寄り以外はあまり見られなかった。




 さて、箱根湯本駅に着いた。宿も箱根湯本駅近辺にあるが、チェックインは18時以降。夕飯はなし。さてどうしたものか。とりあえず、駅のコインロッカーに荷物などぶち込み、どこかへ行こう。美津濃氏と私とで、どこへ行くか事前に話し合いなどしたのだが、これぞという場所はなかった。が、一応の結論として強羅公園に行くことにはなっていた。何があるかは知らない。多分、大したものはないだろう。しかし強羅だからこそ行くのだ。特に反対もなく、というかオルタナティブもなかったため、強羅に向けて登山鉄道にて出発。




 箱根湯本駅で、箱根登山鉄道に乗り換える。いざ強羅へ。
 この登山鉄道はかなりの急勾配をスイッチバックで登る。つまり、この山の中に、直線やカーブでいっぺんに電車が登れる勾配の線路を引くのは不可能。山肌を横に突っ切りながら、前進とバックを繰り返すように少しずつ登る線路を引くしかない。途中で電車は停車して、前方の運転席から運転手が飛び降り、後部運転席に乗っていた車掌と走って入れ替わる。運転手が後部運転席に飛び乗ったら、今度は今までとは反対方向に進みだす。
 最初に進行方向が変わったときに、美津濃氏は言った。
「引き換えしてどうするんですか?」
 引き返しているのではない!ポイントを切り替えて、別の線路を登るのじゃて。




 そして、箱根登山鉄道強羅駅。
 とりたてて何があるというわけではない。
 しかし強羅だからこそいいのだ。




 駅から強羅公園までは徒歩で。結構な上り坂であった。




 さて、いよいよ強羅公園。何があるのかないのかはまったく知らない。
 大人料金を払って入園する。




 まず、公園内には植物園があった。
 しかし美津濃氏は、くわえタバコに火をつけつつ入ってくるではないか。
 私が美津濃氏の腕を掴んで、強引に外へと強制連行する。
 美津濃氏曰く、
「九州では、植物園でもどこでも、気にしないでタバコを吸うものです」
と・・・。いやまあ、彼の神経の図太さはともかく、私はさすがにそういうことはできんよ。誰が見ようと見まいとね。




 結局、休憩所のようなベンチ(灰皿併設)にて一服することに。
 美津濃氏は1人ブランコなどに乗っていた。そんな彼を見てPGO氏は「また、間違われますよ」と。
 何に間違われるのか。それは以前の山梨・静岡旅行の話。昇仙峡で美津濃氏とП氏がブランコに乗って、私とPGO氏がその横にいたところ、観光客に「お忙しいところ大変申し訳ないですが・・・」とバカ丁寧にシャッターを頼まれたことがあった。ただの学生旅行に何事かと思ったが、そのとき昇仙峡には知的障害者の一団が施設の引率で来ていた。そして美津濃氏とП氏が知的障害者で、私とPGO氏が彼らを見守っている職員と思われたらしかった。今回も美津濃氏が1人でブランコなど漕いでいると、再び知的障害者と監督者に間違われるのでは。PGO氏の言はそういう意味である。




 さて、美津濃氏は、
「連れてきていたのに忘れていた」
と、突然カバンの中からぬいぐるみをとりだす。「月姫」で彼がお気に入りの弓塚さつき−通称さっちん−である。
 さっちんをコートのポケットから覗かせて歩くその姿はまさに・・・。間違われても仕方があるまい。




 強羅公園には斎藤茂吉の碑があった。
 茂吉と言えばアララギ派ということぐらいしか知らん。
 強羅とどういう縁があったのか、そもそもいつ頃生まれていつ頃逝去したのかも知らん。
 全員法学部ということを抜きにしても、文学に対する教養がないもんで。
 まあ、文学・文人といった、日常の生産活動に直接の影響のない知識を瞬間的に吐き出すことができれば、この上なくcoolではあるのだがねえ。プーシキンやゴーゴリについてならば、多少は口に出来るのだが。




 強羅公園は冬が終えたばかりで、ほとんどの草花は枯れていた。
 枯れているだけではなく、根っ子から引き抜かれ、あるいは切り倒されている草木もあった。
 それどころか公園内は改装中で、あちこち掘り返していた。
 それでもカネをとって客を入れるとは、なかなかの根性である。
 いや、こういう殺風景な公園もオツではあるが。




 ちなみに、上の写真・右下で何かをやっている怪人物が撮影したのは、こういう写真である。




 公園を散策し、強羅を一回りしてから我々は、歩いて箱根湯本まで降りることにした。
 鉄道沿いに行けば間違いなかろう。




 それにしても。この風景はまさに強羅絶対防衛線!
 懐かしい。絶対防衛線と名付けられたものは必ず突破される。




 上の写真の撮影図。
 このとき、我々の背後を1人の旅行者が通り過ぎていったが、決してこちらを見ようとはしなかった。
 一方で、我々の背後の線路を通り過ぎた登山鉄道の乗客達は、こちらを凝視していた。






 箱根湯本まで歩こうとしたが、道がなくなってきたため、一駅歩いただけで電車に乗ることに。
 さてまだ時間はある。箱根湯本で何をしたものか・・・。

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