夜の高尾山へ
2004年10月23日(土)


 昼頃、大学時代の後輩・美津濃氏(仮名)よりメールが来た。「いい天気なのでどこかへ行きませんか」とのこと。ちょうど今日は栃木県で県内初のメイド喫茶が開店する日らしいが、すでに昼過ぎ。今から行っても遅すぎる。イベントやらで混雑しているのも避けたい。栃木はいずれ、落ち着いてからだ。私は久しぶりに高尾山へ登ることを提案した。
 高尾山は、我が中央大学近くに存在するため、在学中は「ウォーキングラリー(以下WR)」のコースともあり、私自身も個人的に何度も徘徊したものである。もっとも「登る」と言っても標高600mもない低山。しかも京王線で高尾山口駅を降りればすぐ登ることができる手軽な休日ハイキングコースだ。石畳の坂道を延々と上るだけなので、ほとんど何の装備も必要ない。せいぜい運動靴とタオル、500mlのペットボトルがあれば十分だろう。しかしそれでも、日常に於いては平らな街を歩き回る程度の運動しかしていないと、高尾山はそこそこいい運動になる。ま、たまには人を誘って行くのもいいだろう。




 待ち合わせは1630時に高尾山口駅。電話が昼過ぎだったので、この時間になった。これはすでに、高尾山を登る時間ではない。すでに山から下りて駅に向かう人々しかいない。
 私は2004年08月27日に夜の高尾山へと挑もうとしたけれども、まったく足下が見えなくて断念したことがある。まだこの時間は薄暗くなってきた程度だが、登っているうちに真っ暗になるだろう。ケーブルカー駅・リフト乗り場までは外灯ひとつない森の中を抜けるのは、危険だ。いくら整備された石畳と言っても町中の歩道に比べたら足場はわるく、勾配も急だ。道からそれて転落すると危険な箇所もある。だから私は、単1電池を5本使う大型のマグライトを2本持参してきた。まあまだ使わないけど。




 高尾山口にはすでに、人もまばらであった。麓の商店や飲食店はすでにすべてシャッターを下ろし、山を降りてくる人さえも少なくなっている。




 さて、ここからだ。樹齢の高い森の下なので、夕方になると日がほとんど当たらない。
 早速美津濃氏とアホな話などしながら登りはじめるが、さすがにブランクは小さくない。しゃべりながら登ってはいたが、少し肺に応えた。まあ大学時代によくやっていた、相模湖側から登るルートに比べれば、高尾山口からのコースなんて屁でもないのだが。




 この狭く、急な石畳の上を、たまに車が通る。上の商店には品物や燃料を運ばなければならないし、神社にも物資が必要だろう。設備点検や清掃などの業者も立ち入る。だから、高尾山を登っていて、車とすれ違わないことはまずない。




 軽自動車でさえヘアピンカーブを曲がりきれず、切り返して降りていく。




 途中で見つけた英語のメモ。外国人グループが、経路を後続に伝えるための紙だ。
 意外に分岐があるのでこうした目印が必要なのはわかるが、置く場所がよくない。罰当たりな。




 案の定、登っているうちに周囲はかなり暗くなってきた。まだ足下がおぼつかないほどではないが、本なんかは決して読めない暗さだ。そうしていると、左前方に文明の灯が!リフト乗り場の蛍光灯だ。ちなみのこのリフト、ちょうど1700時に営業時間がおわったところであった。




 ケーブルカー駅近くのベンチで、ちょっと一服。
 ペットボトルの茶や甘いものなんかを口に運ぶ。
 美津濃氏が持ってきたブドウ糖のカタマリは登山には最適だろう。
 それにしても、「気力根気ない方」にブドウ糖が効くのだろうか。




 そして境内に。境内近辺には懐中電灯に赤いセロハンを貼ったグループが何組も見られた。立ち止まって、光を殺した懐中電灯で木々を照らしている様子から鑑みるに、自然観察か何かのグループだろう。子供や大学生から、年輩の方まで見受けられた。まあ、ここまでは少し汗をかいたが、たいしたコースではない。




 境内の横を抜けて、山頂を目指す。境内とその近辺の商店のあたりには外灯が設置されているが、もちろん石畳さえなくなるこれからの道には、外灯などという気の利いたものはなくなる。私はリュックから今まで背負ってきたマグライトを2本取り出し、1本を美津濃氏に渡して、もう1本を私が持った。
 ここからは、まったく明かりがない。空はまだ完全に暗くなってはいなかったが、高い木々の下のこれからの道は、ライトなしにはまったく進めない。自分の靴さえ見えない。ライトのひとつもなくては、道がどこへ続くのか、どういった傾斜・勾配・凹凸になっているのかわからなく、危険である。こんな郊外のちょっとした山でも、ここいらで転んで足でもくじくと、かなり面倒なことになる。
 いつぞやに自分の鼻の頭さえ見えない真っ暗なトンネルを抜けたときは、小指ほどの大きさのLEDライトひとつで随分と助かった。本当に真っ暗なところでは、携帯電話の液晶のランプでさえ、あると足下を照らす有力な光源となろう。しかし今回私が持ってきたのは、単1電池5本のマグライト。殴れば人を殺すことぐらい容易い質量と長さを持ち、太さ野球のバッドのグリップよりはよほど太い。もちろん明るさは単3電池2本程度の、内科医が扁桃腺を見るのに使うようなミニマグライトの比ではない。十数メートル先までハッキリと道を確認でき、歩くのにはまったく困らなかった。


 ただし、2本のライトのうち1本は、電池が放電していて、かなり暗くなっていた。もし私が1人で夜の高尾山へやってきて、電池が消耗している方のライトを持ってきていたら。もちろんないよりはマシだが、かなり歩きにくくなっていたことであろう。
 もっとも、1人ではさすがに怖じ気づいて登らなかったかと。郊外の小さな山と言えども、野生生物と数多く住んでいる。下手をすれば野犬もいるだろう。昼間はばあさんでも1人で登れる山でも、夜はその限りではない。さらに言えば、郊外だからこその危険もある。夜の人気のない高尾山にヤンチキ連中が闊歩し、悪さしていることもあるらしい。相模湖側の山林では、私はラッカーの落書きを見たことがある。実際、深夜徘徊が好きな若い連中が、闊歩することはあるのだろう。正確な時期や状況を確認したことはないが、過去には山中で刑事事件があったとも聞く。そちらの方がよほとど怖い。まあ2人だからと言って、1人よりもどれだけ安全かわ不明だが、1人よりは心強い。
 とか言いつつも我々は、とてもここには書けないような物騒な欲望について話しながら登っていたのだが。人がいないところは、好きなことを話せるからよい。





 山頂付近。自販機はすでに電源が切られているのか?まあ手持ちの飲料水で足りないこともないが。と思ったら電灯がついていないだけで、動作はしていた。夜に客がいないことを見越して、消費電力を抑えるために蛍光灯を切っているのかもしれない。




 しかし山頂の商店前の自販機には蛍光灯がついていた。どういった差違があるのか。それはともかく、私は手持ちの飲料水を飲みきって、新たに500mlのペットボトルを補給しておいた。




 シャッタースピードを4秒まで開いてもほとんど写らなかったので、レタッチして限界近くまで明るくしてみたが、この写真。山頂から相模湖方面を見下ろすこの位置には、かつて茶店があったはずだ。




 これは1997年06月01日の写真だが、私の同期が特攻服と称する衣装を身に纏って、ここの茶店で一服していたのをよく覚えている。




 これは1998年05月31日の写真。このときにはまだ茶店が営業していたのかどうかは覚えていないが、少なくとも建物はあったし、自販機もあった。営業していたかどうかもすでに覚えていないとは。記憶力とはあいまいなものだ。というか、すでに大学2年次から何年も経ってしまったということか。






 2001年06月03日。このときもまだ、店の建物と自販機はあった。店は明らかにもう営業していない。
 だが、2002年の09月に大学時代の先輩Г氏と高尾山に登ったときに、ここがあったかどうかは記憶にない。写真にも写っていない。まあかわりゆくものですよ。




 それにしても、真っ暗である。自販機の明かりがあるから少しは足下が見えるが、我々はもう深夜のような気分になっていた。終電大丈夫かな、遅い電車で帰るのは面倒だな、深夜の街は物騒だから歩きたくないな・・・ということが、頭の片隅にあった。だが、時計を見ると、1750時。まだ18時にさえなっていねえ。ガキの時間だ。こんな早い時間ならば、例え山にヤンチキ共が跋扈することがあるとしても、まだまだやってくるはずもない。




 このとき2トントラックが我々がいる山頂までやってきて、商店に品物を運びはじめた。こんな時間に搬入しているのか。いやそれよりも、ここまで2トン車が来られるのか!まさか高尾山口からではあるまい。軽自動車でさえ切り返さないと登れない道だ。山頂にある石段のスロープは、車のためにあったとは。はじめて知ったよ。
 なんにせよここまで車で上れるということは、普段車やバイクに頼って歩くことを嫌い、まして山に登るような面倒を嫌うヤンチキ連中でも、ここまで車で侵入できるということだ。街でかっさらった人間を高尾山中へ連れてきて、女ならばレイプ、男ならばリンチにして捨て去る・・・という噂も、案外あることなのかもね。


 トラックの親父が商店のシャッターの開閉をしたと私は思った。だが美津濃氏は言った。
「地震だ」
 私には鳴り響いている音がシャッターが地震で震えている音なのか、親父がシャッターを開け閉めしている音なのかは判別つかなかった。それに1時間半歩き続けてきて、神経が落ち着いていなかった。それでも座っていれば揺れに気づいたのかもしれないが、立っていた。結局、地震だったのか否かは私にはわからなかった。まあ東京にもたまにある、震度1か2、あるいはせいぜい3程度のちょっとした地震だったのだろう。




 さて、まだ時間が1800時とわかったのならば、もう少し進みたくなってきた。このまま相模湖方面まで降りるか?とも思ったが、そのルートは3年間辿っていない。どうなっているのか不明な上、最近の台風の影響でまだ地盤がゆるんでいるかもしれない。美津濃氏は帰るのが面倒になると言う。もっともだ。素直に来た道を引き返すことに。




 立ち去る前に、記念撮影を。DinageXtのストロボだと1mしか届かず、AEも弱い。手ぶれのないセルフタイマーで、目一杯シャッタースピードを遅くして撮影。




 ちなみにここは明るいとこんな感じ。1998年05月31日の写真。




 帰り道、サル園前にプリクラ機を発見した。これ自体はそうとう前からあるだろう。誰もしないし、ちょっと撮るか・・・と思ったが。




 何にもねえ。
 まさか観音開きになっていて、この中に機械を保護しているのか・・・?




 ケーブルカー駅近辺まで降りてきて、八王子市街を見下ろす。
 ここでもまた地震があった。1830時頃である。今度は私は気づいたが、美津濃氏は気づかなかった。
 まあ震度1か2ぐらいのヘボい地震だろう。そう思っていた。だから、「この八王子市街では実は大地震で、眼下の景色から火の手が上がったりして」などと軽口を叩いたりもしていた。




 そしてケーブルカー駅近辺には外灯があるが、そこを通り過ぎればもう光源は何もない。我々が手に持つマグライトがないければ、道ではない崖から落ちても不思議ではない・・・かも。とにかく、明かりがないと、とても歩けたものではない。




 やっと高尾山口の外灯が遠くに見えた。




 上の写真をレタッチして最大限明るくすると、こんな感じ。肉眼でさえ、左側の木々など見えはしなかった。




 そして京王線高尾山口駅。これからただ解散するのも芸がない。どこか途中で晩メシでも・・・と思ったが、美津濃氏が私の部屋のブレジネフを見たいというので、我が家に招待することに。




 山から下りて携帯を見ると、着信とメールが数件入っていた。気がつかなかった。すべて実家からのもので、「地震があったが大丈夫か」「今どこか」といったものであった。「高尾山から帰るところだ。地震って震度はいくつぐらいか?」と返信する。が、なかなかメールが送信できない。数回送信してやっと送信完了した。で、実家から戻ってきたメールはこうだ。

「23区は最初震度4だった。その後も4や3の揺れが何回かあったらしいよ。新潟は6強や6弱が何度もあったみたい」

 なんと、震度6強と6弱!しかも東京でも震度4とは。高尾山ではそう大した揺れではなかったが。携帯のメール送受信がなかなかうまくいかないことから鑑みて、結構なことになっているのか。これは早くうちに帰ってテレビをつけねば。




 スーパーで値引きした惣菜を買い込んで、私と美津濃氏はアパートに到着した。そしてテレビをつけると・・・。新潟はなかなかの被害だ。私は釧路沖と北海道東方沖で2度震度6(旧基準)を経験した。そのときも死傷者は出たし、家屋の倒壊や道路の寸断もあった。けれども家が散らかって、ガラス戸が割れた程度の我が家としては、それほどの大災害だったという印象はない。しかし今回の新潟は、なかなかひどい様相だ。


 まあ具体的な被害がどうなのかは、時間が経てばわかってくるだろう。災害のニュースは、被災地に関係のない人間は24時間テレビにかじりつかなくても、時間をおいて見るだけで十分だ。というわけで、録画しておいた「ガンダムSEED DESTINY」を再生する。携帯メールで「震度6強」と知った段階で、緊急報道番組で潰れたかな、と予想はしていた。しかしOPに災害テロップが重なりつつも始まるではないか。この番組は話がどう転ぶかまったくわからない序盤だが、結構展開が1話1話ずつ気になっている。
 が、開始10分ぐらいで、再び地震が発生したことを受け、「SEED DESTINY」は中断された。まあやむを得ないことだ。しかし現地に親戚も友人もおらず、安全な暖かい部屋で食いきれない程の惣菜を食いつつビールなんぞを飲んでいた我々としては、10分放送されたのならば今週分を最後のまで観たかったのが本音だ。


 確かに、災害発生時にはテレビの情報が大きな威力を持つ。NHKだけでなく多くの局が情報収集して報道した方が、より多くの情報を得られるだろう。さらに複数の局が災害報道をした方が、受信アンテナや放送施設の破損によって特定局の受信状態がわるくなった場合のヘッジになるとも言える。しかしそれでも、テレビ東京以外のほとんどの局が地震報道に切り替えたのは、妥当性と合理性があることだったのか。
 もし「被災地で人が死んで、今まさに大勢苦しんでいるのに、娯楽番組なんて不謹慎だ」という奴がいるとしたら、そいつはただのバカだ。阪神淡路大震災のときは、「不謹慎」の名の下に花火大会からピアノコンテストまで、数多くの催しが中止された。だからどうした。被災地の人々が必要としているのは、水であり食糧であり人手であり医薬品であり、長期的には資金と行政措置であって、別の地域の人間が花火ではなく報道番組を観ることではない。催しを中止してそのかわりに資金をつぎ込んだり、参加者が現地へボランティアとして入るのならばともかく、ただ催しをやめればそれで「不謹慎」と非難されないという程度の認識だったら催しをやった方がいい。非常事態であろうと、日常の営みは続いているのだから。
 どんな娯楽的な催しにもカネはかかっているし、そのために努力してきた会社や人々はかならずいる。「ガンダムSEED-D」とてくだらない娯楽番組かもしれないが、バンダイグループが多大なる労力と資金を投じてきた1大事業だ。「不謹慎」とかいう実のない理由ならば、放送を中止する正当性にはならない。そして、TBSがNHK以上の、あるいはNHKとは違った報道を出来ないのならば、テロップや画面左右や底部に字幕で情報を提示し続けるだけでよかったのではなかろうか。


 国内報道各局が国内の地震だけにかくも反応を示すことに、私は欺瞞を禁じえない。もし人が死んでいる最中に娯楽番組を流すことが「不謹慎」ならば、なぜスーダン・ダルフールで今現在も進行中の、数万人規模の大虐殺を日本のメディアはほとんど報じなかったのか。9月にはNHKが19時のニュースで取り上げたりもしたが、遅すぎる。テレビにスーダンのことが報じられたことはそれまでほとんどなく、新聞も国際面の片隅にしか数行しか載っていなかった。欧米メディアが今年前半から危機感を持って大きく取り扱っていたのにも関わらず。
 日本は人口が多く、なんだかんだ言ってカネも影響力もある大国だ。「くだらない娯楽番組」なんぞ潰して、各局が特別報道番組を2時間ばかり流して国民の関心を喚起していたら、ほんの少しは何か出来たかも知れない。国民が大量虐殺の実態に関心を持てば、政府もより早く動きはじめたはずだ。ささいな募金でも、いくらかの人間を一時的にであれ助けられたかもしれない。住む家を追われ、仕事もなく、その日の水や食べ物にも事欠き、それどころか衣服さえ不足しているのが現状なんだ。10円でも100円でも、何かにはなるんだ。その程度の支援を国民に呼びかけることさえ、日本のメディアはろくにしなかった。
 そのメディアが同胞の危機に際してだけ、「緊急事態だ」「娯楽番組なんぞやっている場合ではない。不謹慎だ」と言ったところで、まったく説得力がない。しかもその地震報道番組が大した情報をもたらしたわけでも、NHK教育のように安否情報に特化したわけでもなく、だったらNHKを観た方がいい・・・という程度の番組しか流せないのならば、なおさらだ。


 一方美津濃氏は違った切り口から報道の在り方に疑問を呈した。彼は治水の専門家で、一連の台風被害を現地入りして調査している。道が破壊された地域を歩き回って、現地の人々から直接話を聞いてきた。下手なこと言ったら殴られるんじゃないか・・・と思えるほど徹底的に生活基盤を破壊された人々からだ。しかもメシまで食わせて貰ったり、困っているところをトラックに同乗させてくれたりと、地域に密着した調査をやってきた。だからこそ、今年の台風がいかに人的・物的に多大な被害をもたらしたかを、彼はよく知っている。
 その彼が言うには、「日本の広範な地域で100人近くもの人が亡くなり、多くの人が住居や日々の糧を失った。この激烈な災害に対しては、なぜ緊急特番をやらなかったんだ。台風の方が、人的・経済的にはこの地震よりも大きかったかもしれないのに。台風は地震と違ってゆっくり動くが、だったらなおのこと特別報道番組を組織して、各地の情報を収拾して報道し続けていてもよかったはずだ。
 地震の方が突然やってきて恐怖をかきたてる題材だから視聴者も注視する。関心を引くから番組を立てているのだろうけど・・・地震の報道を特別スケジュールで続けるのに、今まさに起きている台風災害に対してはたまに断片的な報道をするだけなのは、合理性に欠ける」とのこと。まったくもってその通りだ。


 とか言いつつも、我々は0200時過ぎまで各局の報道に注視していたのだが。


 翌朝、美津濃氏は来客の予定があるとのことで早々に我が家を後にした。
 寝不足の私は、そのまま布団に入り直した。
 そして再び昼頃に起きてきて目に入ったものは。




 「ファーストkiss物語」の歯磨きセット。
 急いで出たために、こんな大切なものを忘れおったな。
 まあ次の機会に届けてやるけれども。
 いやはや。


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