観光施設・熱海城
2005年10月01日(土)昼過ぎ
取りあえず、「熱海城」なる停留場で降りてみるが、バスガイドのご老人によると昭和30年代につくられた完全な観光施設とのこと。つまり戦国武将が戦略上の必要性の為に作った難攻不落の山城ではないわけだ。それでも何があるのか見てみることに。
ちなみにここまでの道のりはかなりの急勾配であり、バスはエンジンをメイっぱい吹かして、限界まで引っ張ってからギアチェンジしていた。そしてセンターラインのない道はすれ違いなど難しく、狭い道は内輪差にかなり気を使っているようであった。それでいて、勾配の途中で止まるとクラッチを滑らせ兼ねないので極力止まらないようにしていたのがわかった。レンタカーで回ろうかとの思いもあったが、バスに乗ってよかった。このような道では、私には運転が難しそうだ。
熱海城の中は、日本の古代から近世までの様々な武具が展示されていた。日本刀、マッチロック銃やフリントロック銃、鎧兜などなど。刀剣などの武具については私は詳しくはないが、希少なものもあり、展示点数は少ないものの見応えはあった。一方美津濃君は牛車などの模型に興味を惹かれていた模様。
そしてエレベーターで最上階へ。
さすがは風光明媚で知られる熱海だ。
ここからの海景色はすばらしいものがある。
ただ、記念写真にすると、天守閣の屋根が邪魔でスケールが小さくなるかも。
まあ来て、撮ることに意義がある。
ちなみにこの初島は静岡県唯一の有人島だとか。
電気・電話・水道のすべてが揃ったのは昭和50年代のことで、海底を水道・電線・電話線が通っているという。
離島も観光してみたい気はしたが、さすがに連絡船を待って往復するほどの時間的余力はなかった。
ちなみに霞を補正するとこのようになる。
いったいどんな暮らしがあるのか、気にはなる。
下を見下ろすと結構高い。
気になったのは駐車場の線の引き方。現代の自家用車用にしては、いささか狭いように思える。30年前のクラウンは今のカローラ程度の大きさしかないことを思えば、昔はこれで足りたのかもしれない。が、セダンは大型化し1BOXなども普及している今ならば、トラブルの原因になりかねない狭さかも。
展望台から降りると、日本全国の城に関する展示、日本画、世界遺産の写真など、あまり伊豆とは関係のない展示が。せめて、熱海の歴史とか伊豆の風景をモチーフにした絵の展示にして欲しかったような。土地と縁のある人物の紹介でもいい。文豪が湯治に来ていたり、現在活躍している作曲家が熱海の出身だったりと、探せば結構いそうなものだが。正直、刀剣の少数の展示と展望台だけでは、集客が見込めないような気がする。
だけれども我々としては、「昭和30年代に作られた観光名所」の今を知りたかったから、これはこれで満足である。
そして再びバスを待った。
バスがやってきたときに、美津濃君の1日乗車券が見付からないという問題が。
だけれどもそこは田舎。取りあえず乗ってからゆっくり探すことが出来た。
そして切符は熱海駅前で調達したパンフレットの束に挟まっていた。
以前美津濃君が行ったように、こうした出来事が旅の醍醐味である。