7,高尾山山頂〜高尾山口
2005年12月29日(木)
2005年12月29日、13:37:30
そして高尾山山頂。
最近はテントがよく張ってある。
2005年12月29日、13:38:32
2004年10月23日に高尾山口から登ったときの日記に書いたが、ここにはかつて飲食店があった。私の同期が特攻服を着て一服していたことをよく覚えている。しかしいつしか店は閉じ、店舗の前には自販機が並ぶようになり、しまいには店そのものが取り壊された。この写真のテントのあたりに店があったのだが。時代は変わるものである。
だが、営業している店舗は営業している。ここまではケーブルカーやリフトで比較的容易に来られる為、飲食店も土産物屋も複数ある。
なんと、ここでは箸が売られていたのか。20円也。山岳料金なのかちと高い。もちろんシャバとは違った相場で考えなければならない場所であるし、輸送にもコストがかかる。一応トラックで登れるが、その道の整備にもコストはかかる。こんな店舗の少ない場所に、燃料を使い、クラッチ板を磨り減らしながら登ることを大抵の運送業者は嫌がるので、運送代も嵩むことであろう。だが、もしここで昼食をとることになって箸がないと気付いたら、「安ければ不要なものでも買う」をモットーとする美津濃君は箸を20円で買っただろうか。さすがに買ったとは思うけれども・・・。
2005年12月29日、14:01:40
そして高尾山の神社である。
ここでは今後の研究生活でよい縁があるよう、5円玉を投じてお祈りを。
2005年12月29日、14:05:02
1997年06月01日、公式WRにて
ここの階段では、集団で白い道着を着て、編み笠、日の丸ハチマキ、日本手ぬぐいなどを身につけていた我々は、日本人観光客にも白人の観光客にも物珍しげに撮影されまくったことをよく覚えている。場所が場所だけに宗教的な修行をしている団体とでも思われたのであろう。ちなみに六尺棒、日本刀、アーミーナイフ、ベレッタM84Fなどで武装していた。今では逮捕されても不思議ではない。おおらかな時代だったのか。白人の集団には、「オレも空手をやっている。勝負しろ」とか言われたような。いやはや。
1997年06月01日、公式WRにて
ちなみにこんな格好である。
さらに言えば、上の写真の背景は小学校である。当時の公式WRでは、高尾山を降りてからの平坦な道(我々が現在行っている自主WRでは省略している後半)では、小学校の前を通ったのだ。今ではとてもこんな写真とれまいて。
2005年12月29日、14:08:18
そして現役大学院生である美津濃氏と来年度から大学院へ『入院』する私は、2人で祈願木を購入して納めたものであった。
修士論文通過祈願とのこと。
切実だ。
2005年12月29日、14:15:00
ここで道はさらに男道と女道に分かれる。右が男道で石段。左が女道で坂だ。一応先頭を切っておられるサクマ氏に伺いを立てたが、もちろん返事は女道であった。降りでは石段は膝への負担が大きいだけで、何の鍛錬にもならない。私もこれには賛成だ。
2005年12月29日、14:32:16
途中で美津濃氏が、リフトで降りると表明した。別に疲れたわけではなくて、試しに乗ってみたいとのことである。それならば止める理由はない。サクマ氏は、高所恐怖症でリフトは決して乗れないとのこと。ならば班を2つに分けるべきか。アルファ・チームとブラボー・チームに。しかし美津濃氏の他はリフトで降りるという者はいなかった。結局美津濃氏はひとりでリフト乗り場へ向かった。
ここで私が彼に付き合ってもよかったのだが、私としては徒歩で自主WRを成し遂げたかったし、割と接点の多い美津濃君と2人になるよりも、もっと会う機会が少ない人々と話す機会を共に行く道を選んだわけだ。
2005年12月29日、14:49:00
そして高尾山口である。ケーブルカー・リフトの駅前にある池は、薄い氷が張っていた。やはり冬なのか。
美津濃君はリフトならばとっくに降りているだろうと探すが、なかなか見付からない。携帯電話をかけようとしたら、彼が歩いてくるのが見えた。なんでも、リフトは年末で休みで、結局歩いてきたとのこと。なんと。それならば電話を一本くれれば、待って合流したのに。しかし彼は、追いついてみたかったとのことである。いやはや。
そして彼は、売店でアイスを購入して皆に振る舞った。寒い中でアイスを食わせるのがよいという。昔、ペデ下(中大多摩キャンパスの生協1階などの前の二層通路の下の層のこと)で、真冬にアイスの一気食いをして呻いたことがあったが、それが彷彿された。
それにしても、高尾山口にこんな洒落た店があっただろうか?
2005年12月29日、15:10:54
そして高尾山口駅へ。
2005年12月29日、15:11:06
駅にもほとんど人は居なかった。
やはりシーズンではないのである。
ここからはカラオケへ行き、そして我が家で宴会である。