結界が消えて、さっきまでの焼け跡とは打って変わってのどかな風景が、三人の前に広がっていた。 「……ここ、どこよ?」 移動結界に入る前に、どこに出るのか聞いておくべきだった、と今更思っても仕方がない。 1本の道が続いているが、どっちへ行けばよいのか分からない。 「あ、もうすぐそこです」 高い声がひとつ、救いの声だった。 「何で知ってるの?」 メルグがアマルナに聞く。 「何度か来たことがるので。村へ行きましょう」 そう言うアマルナの後に、メルグとレジは続いた。 メルグの母親は、名をミアンといった。その名だけが頼りだった。 村の集落へ着くと、メルグは村の色々な所を回って聞いたが、結局分かったのは、『ミアンは三年前に死んだ』というだけだった。 「何も手がかりがないよりはマシだよ」 レジが言う。 確かにそうなのだが、これでは、なぜ自分を置いていったのか、という理由がわからないままになってしまう。 「あの、」 アマルナが控えめに、メルグに言った。 「なに?」 「ミアン様のことは、わたしも少し、知ってます」 「え」 メルグとレジが声を合わせた。 アマルナは自分が役立てることが嬉しいのか、笑顔で言った。 「ミアン様はこの村の神社で巫女の手伝いをしていて、私も何度かお会いしたことがあります」 「へぇ。どんな人だったの?」 「それはもう、とても素晴らしい人でした。母親のように優しく、また、よき妻でもあったときいております」 アマルナが瞳を輝かせている。 シーファの時と同じで、ミアンもアマルナの憧れの人らしい。 『母親のように優しい』その言葉で十分な気もする。自分が捨てられたのではないのだと、わかるから。 「アリュークさんは、幸せな方です」 唐突に、メルグやレジが初めて聞く名前が、アマルナの口から飛び出した。 「誰だ?」 レジが聞く。 「え、ミアンさまの旦那様ですよ?」 知っていて当然、とばかりに、アマルナは言った。 「アリュークさんなら、まだ生きてますけど?」 続けて、そう言う。 「えーっと、ちょっと聞いていい? ミアンは、わたしの母親の名前なの。それは、言ったわよね。で、アリュークってのが、ミアンの夫ってことは、わたしの父親ってこと?」 メルグが言う。 アマルナは、首を傾げた。 「アリュークさんには、お子さんはいなかったと思います。ミアン様は再婚だったと聞きますけど」 「あぁ、じゃあ、違うかもしれないのね」 少しホッとした。 父親が誰かなんて、考えたこともなかったのだ。 不思議なことに、母親に会えば、すべてわかると思っていたから。 初めて、自分がシーファと本当の姉妹ではないと聞いた日、養母はメルグに言ったのだ。 『わたしから言えることは、それだけなの。ごめんなさいね。もし、本当にもっと知りたければ、妹に直接聞いて欲しいの』と。 だから、母に会いさえすれば、知りたいことは全てわかるように思い込んでいたのかもしれない。 しかし、折角ミアンの夫がまだこの村に住んでいると聞いたのだ。いまさらそちらに向わない手はない。 アマルナの案内で、三人はアリュークという人の家へ向った。 「ごめんください」 レジが扉を叩いた。 「はい」 そう言って扉を開けたのは、三十代前半の男だった。 彼は真っ白い装束に身を包んでいた。適度な長さで切った髪には、少しだけ白髪が見られる。 「アリュークさん、ですか? わたしは、ネリグマから来たメルグという者です」 メルグは名乗った。 (この人は、わたしの父親ではない。でも、名乗れば何かわかってくれるかもしれない) ミアンの夫のアリュークは、メルグの父親であるには若すぎた。 「メルグ、とさっき言いましたか? では、あなたがミアンの……」 アリュークが言った。 「わたしのことを、母から聞いていたんですね?」 アリュークは頷いた。 「私は今神社に行こうとした所でした。仕事があるので。ですが、よろしければ神社までいらっしゃい。私に教えられることなら、何でも教えます」 アリュークは神官だったのだ。それでアマルナも知っていたのだろう。 玄関の扉を閉じて振り返ったアリュークは、やっとアマルナに気づいたようだった。 「風音」 声をかける。 「よく無事で……。よかった」 アリュークは優しい笑顔を浮かべた。 アマルナが嬉しそうに微笑んだ。 「風音?」 聞いたことの無い名前に、メルグとレジは声を合わせた。 「私の名前は、アマルナ=ルーアリン=モルゼトワネ。アリューク様は私の名前のモルゼトワネが、古モルス語で風の音という意味だとおっしゃって、私のことを風音とよびます」 アマルナが答えた。 メルグ達はアリュークについて神社へ行った。 神社で仕事だというから、お祈りでもあるのかと思っていたのだが、着いてみると、居るのは一般人ではなくて神社の関係者ばかりだった。何しろ会う人全てが白い衣装を着ているのだ。 「うわ。真っ白だな」 レジが眩しそうに目を細めて言う。 「今日はこの辺りの神社の代表者が皆集まる集会の日なんですよ。そんなに時間はかかりません。集会の間は一般の人は立ち入り禁止になりますから、どこか別のところで待っていて下さい」 アリュークはそう言ってから、アマルナを見た。 「アマルナ、一緒に行こうか」 アマルナが頷く。 一般の人は立ち入り禁止では? という疑問が湧いたが、アマルナは巫女の手伝いをしていたというから、自分達とは違うのかもしれない。 アリュークとアマルナは、他の白の中に混じって見えなくなった。 「アリュークさんって、メルグのお父さん?」 「バカ、さっきの話聞いてなかったの? 大体、齢を考えてみなさいよ。あの人がいま三十二歳だとしたら、わたしはあの人が十六歳のときの子供になっちゃうでしょ」 「別に無理ってわけでもないと思うけどな、そうだとしても」 レジが真面目くさって言った。 「十六でも子供生める……」 「そういう問題じゃ無いでしょ」 メルグは言った。メルグにはアリュークが父親だとはどうしても思えないのだ。 それは、最初に会ったとき彼が『あなたがミアンの』と言ったことからもはっきりしているからだろう。 「でも、いいよな。メルグにはちゃんと親が居るから。俺には居ないもんな」 レジが言った。 「何言ってんのよ。あんたはわたしたちの家族みたいなもんだわ」 その台詞は、幼い時からメルグが繰り返してきたものだった。両親の居ないレジは、自分の家族だと。 「だとしても、本当の家族にはなれない。あいつと俺のように」 そう言って、レジは天を仰いだ。 空の高い所をあの不死鳥が舞っていた。 「メルグ、」 レジがメルグを呼んだ。 「やっぱ、何でもない」 メルグがレジの方を見ると、レジはそう言った。 「何よ、あんたらしくないわね。大体この間から変よ。昔ならもっとはっきり何でも言ってたのに」 「え、ああ、違うんだ。今のはただ言いたかったことを忘れただけ」 「何それ」 メルグは笑った。 (やっぱりレジはレジか) さっきまでのしんみりした空気は嘘のように、もう乾いていた。 一時経つと、白い服を着た人たちがぞろぞろと出て来た。どうもみんな深刻な顔をしている。 アリュークも出て来た。一緒にアマルナも居る。アマルナは、二人の姿を見つけると、手を振った。 アリュークの家に向かいながら、メルグはアリュークにミアンのことを聞いた。 「ミアンが生まれたばかりのあなたを手放したのには、ちゃんと理由があります。それは、あなたが秘宝の継承者だということです。ミアンは秘宝を持っている間、ずっと何者かに狙われていました。ですから、今度はあなたが狙われることになるのはわかりきっています。ミアンと居るとすぐにあなたが秘宝を持っているとばれてしまう。そこでミアンはあなたを姉に預けたのです」 「でも、わたし秘宝なんて預かってないわ」 そう言いながら、メルグは少し心配になってきた。ヤベイ族が狙われたのも秘宝のせいだった。それほどに、秘宝は『危険な』物なのだ。 「預かっているはずです」 アリュークはそう言ってメルグを指さした。 「あなたの体の中に」 「体の、中?」 (まさか、あの痣が……?) メルグは思った。 そして、メルグの思いを裏付けるように、アリュークは言ったのだ。 「丁度、心臓のある辺りにあるはずです。ミアンがそう言ってましたから」 メルグが黙ってしまうと、アマルナが言った。 「やはり、秘宝はミアン様の子ども……メルグさんが、持っていらっしゃったのですね。」 メルグがアマルナを見た。 「実は、私も秘宝を持っているのです」 そう言って、アマルナは小さな袋を懐から取り出し、メルグに見せた。 中には小さな白い玉が入っていた。 「これが私が父から受け継いだ秘宝です」 アマルナはそう言った。 それからアマルナは秘宝を懐に戻すと、アリュークを見た。 「アリュークさま、今日のお話しはとても興味深いものでした。モルスよりの使いが来たら、すぐに神官にお伝えし、このことについて私どもの方でも話し合うよう、言ってみます」 「分かっているよ。風音、今日はすぐに帰るのかい?」 「いえ。わたしは、メルグさん達に付いて来ただけですから……」 そう言って、アマルナはメルグを見た。 メルグとしても、目的地に着いて、これから何をするというわけでもない。いや、母親のことも、自分を預けた理由も、もうわかったのだから、既に目的は達成した。 「別に、何も予定とか、ないです」 メルグが答える。 「うん。後は帰るだけ」 レジが続ける。 「あの、それでしたら、一泊していきませんか?」 言ったのは、アマルナだった。 「アリューク様の家の近くに、温泉があるんです。せっかくトラルファーガまで来たのですから、温泉に入っていきません?」 『温泉』という、珍しいものに、興味が湧いた。 「この村って温泉があったんですか?」 メルグはアリュークに尋ねた。 温泉のことなど、メルグたちは聞いていない。 「結構有名なんですよ。ご存じなかったんですか。今から行ってみてはどうですか」 「今から、ですか?」 メルグはまだ明るい空を見上げて言った。どうも、こんなに早い時刻からお風呂に入るというのはパッとしなかった。 「何か、不都合でも?」 アマルナが言った。 「いえ、ただ、ちょっと早過ぎないかしらと思って、」 「だったら別にいいじゃないですか。行きましょう」 結局、二人はアマルナとアリュークと一緒に温泉に行くことになった。アマルナは最初から行くと言っていたのだからいいのだが、なぜアリュークまで行くのか、メルグにもレジにもよくわからなかった。 「……国営の温泉、ですか」 メルグは言った。予想はしていたが、またか、という感じだった。 神官や巫女は、民間のサービスを利用することは少ない。理由は簡単で、国営のものを利用したほうが国の為になるからということと、職業上、安く使えるからということだった。 勿論、そのことはメルグとレジには関係が無いし、セルフサービスの多い国営の旅館は質素な雰囲気で、メルグはあまり好きではなかった。お金を払っているんだから、もうちょっとくらいサービスしてくれ、と思うのだ。 「どこでも温泉の質は一緒です。そうがっかりしないで下さい」 アリュークは言った。 女湯と男湯は一応別々だったが、少し高い垣を境に分かれているだけだった。 (ここはお風呂屋さんかい) メルグは思った。温泉特有の硫黄の臭いさえなければ、本当に町中のお風呂屋さん、という感じだった。 「メルグさん、これからどこに行くんですか?」 アマルナが聞いた。 「どこって、もう母のことはアリュークさんから聞きましたし、後は帰るだけじゃないかしら」 アマルナより先に服を脱いでしまうのは気が引けた。 そうやってメルグが恥ずかしがっている間に、アマルナは温泉の扉を開けていた。 「メルグさん、そんなに簡単に終われると思ってるの?」 「え?」 アマルナが入ったので、メルグも後を追うように扉をくぐった。 「今日私たちが聞いた話は、とても興味深いものでした、と私言いましたよね。私たちにとって本当に興味深い話でした」 中には誰も居なかった。アマルナの声が響いた。 (わたしたちにとって?) 「そんなに面白い話だったの?」 メルグは聞いた。 「いえ、面白いというより、怖い話でした。シグナ族が保管していた秘宝が盗まれたそうです」 髪を水につからないように上げながら、アマルナは言った。 シグナ族は話している言葉も違う種族だった。メルグはその名前のみ知っている。 「秘宝は、狙われているのです。ヤベイの村も、モルスも、……みんな」 アマルナが言った。 メルグは話しながら、褐色の肌のヤベイの人々を思い出していた。そして、秘宝を取り返しに行くと言っていた姉たちを。 「秘宝って、何なの? 村に火を放ってまで手に入れたいもの?」 「……秘宝は、私たちのお守りです。私たちにとってはそれだけの価値しかないと思います。けれど、村にとっては、これが無ければ村が破滅するという恐ろしいものなのです。これは、それだけの力を持っているということで、それゆえに五つある秘宝を一カ所に集めれば、何でも望みが叶うなどという噂が流れるのです」 アマルナは言った。 「噂、に過ぎないのでしょう? 秘宝が無くなれば村が滅びるっていうことだって……」 メルグの言うことを聞いて、アマルナは首を横に振った。 「わたしも、今日の話を聞くまでは、ただの伝説だと思っていました。けれど、シグナ族の村は滅びました。大体、秘宝が盗まれたという事がわかったのも、村が滅んでしまったからなのです」 アマルナは言いながら湯船につかった。 所変わってこちら男湯では。 「レジさん、何をしているのですか?」 見ればわかるのだが、女湯を覗こうとしているレジに向かってアリュークが聞いた。 「しっ、これが僕の楽しみなんです」 レジは小声で言った。 「あ、そうですか」 アリュークも、止めるのが普通だろうが、そう言っただけでレジの好きなようにさせた。 (すごい湯気だ) レジは思った。白い。ちょっと先はほとんど見えない。人影もあるが、本当に影だけしか見えなかった。 それでもレジはいいのだ。はっきり見たいと思っているのではなく、単なる悪戯心から覗いているのだから。 メルグが湯船をレジが居る方へ向かって泳いで来た。温泉では泳いではいけないのだが、客が自分たちしかいないと泳ぎたくなる気持ちは誰にでもあるだろう。 (あ、メルグだ) メルグはレジが見ていることなど気づきもせずに、立ち上がった。 レジは思いもしなかったことに、息を呑んだ。今まですぐ近くに住んでいたにも関わらず、女らしくなったメルグをこうも目の当たりにしたのは、初めてだったのだ。 レジは覗くのをやめて、湯船に戻った。 「おや、もう見ないんですか?」 アリュークがからかう調子で言った。 「顔が赤いですね。何を見ました?」 「ここが暑いからです」 レジは言い訳がましいとは思ったが、そう答えた。 胸の鼓動が速くなっていた。 (何を見たか、って? 何も見てないよ、そんな特別なものは。それなのに、何でこんなに……) そう考えて、あとは続かなかった。 (奇麗になったな、メルグ) 自分の気持ちはどこかに置いといて、メルグを褒めることでレジは自分の気持ちを落ち着かせようとした。 それから、アリュークには別の話題を振る。 「ところでアリュークさん、秘宝って何なのですか?」 「あれがある限り、メルグさんも風音も、一生命を危険にさらすことになるでしょう。それだけは私にも言えます」 さらりと答えられたが、物騒な話だった。望んで持っている訳でもないのに、命を危険にさらすなど。 「私は秘宝を守らなければなりません。それが、死んだミアンとの約束ですから」 「秘宝を守るというのは、メルグたちを守るということなのですか?」 「そうでもあり、そうでないこともあります。時と場合によっては、私は秘宝を守るために、あの子たちと争わなければならないかもしれません。ですから、レジさん、あなたはずっとあの子たちを守ってやって下さい」 アリュークは悲しそうだった。最後に、レジに二人を守ってくれと頼むなど、妙だとしか言いようがない。 レジは、秘宝が何なのか、余計にわからなくなった気がした。 温泉の代金はアリュークのおごりで、あまりお金を持っていないメルグたちは助かった。 「今日はまだ帰らないでしょう。私の家にお泊まりなさい」 アリュークがそう言ってくれて、二人は一晩彼の家に厄介になることにした。 「ありがとうございます」 「アマルナはどうするんだい?」 アリュークはアマルナに聞いた。 「お願いします」 アマルナが答えた。 アリュークの家へ向う。 アリュークはミアンと死に別れて、今は一人暮らしをしていた。 「メルグさんは、ミアンとよく似ていますよ」 アリュークはそう言ってメルグたちに話しかけた。 「あの、アリュークさん、秘宝のことをもう少し詳しく教えてくれませんか?」 メルグは言った。 アリュークが頷いたので、メルグは質問した。 「秘宝は五つあると聞きました。一つはわたしが、もう一つはアマルナが、そして一つヤベイ族が、それからシグナ族が。これで四つです。あとの一つはどこにあるのでしょうか」 「それはゼルム公国が保管しています」 アリュークが答える。 メルグたちはそんな国を初めて聞いた。二人が顔を見合わせていると、アリュークが説明してくれた。 「ゼルム公国とは名前だけで、実質は自治区のようなものです。ほとんどガズナターガの言いなりですから。ですがそれでも、国として認められるには相当の苦労もあったと思います。ゼルム公国はフィスィスという女性の方が治めていますが、我らの国王と関係を持ったのではないかなどと噂されて、いいものではありません」 「へえ、女性がですか。すごいですね」 メルグは素直に感心した。 王と言えば男性で、しかも、何代も前から続く血筋だけで王になっているような物だ。たまに新しい国ができても、大抵は男性が王になる。女王というだけで珍しく、また、凄いことに思えた。 「さあ、すごいのか……、私にはどうもよく分からないのですが。会ったこともありませんし」 アリュークはそう言って頭を掻いた。 そう言っているところをみると、どうもフィスィスという人は、あまり評判が良くないらしい。 「それじゃあ、別の質問ですけど、シグナ族が滅びたというのは本当ですか?」 メルグが言うと、アリュークはなぜそんなことを知っているのかとでも言わんばかりに、目を見開いて驚きを表現した。 「本当です。何日間も雨が降り続いて村が丸々流されてしまったそうです。……でも、どうしてシグナ族のことをメルグさんが知っているのですか?私でさえ今日知ったばかりなのに」 メルグが答えようとすると、その前にアリュークの方から、 「あ、わかりました。風音ですね。あれほど一般人には言うなと司教から言われていたのに。まあ、いいですかね。メルグさんは一般人というわけでもないですし」 「わたしが一般人ではないというのは、秘宝を持っているからですか?」 メルグが聞いた。 「そうなりますね。秘宝は決められた人にしか持つ資格が無いのです」 アリュークは答えると、台所に立って食事の用意を始めた。 どうも、彼に料理をする姿というのは似合わなかった。 (そうか、ミアンが生きていたら、今わたしたちに料理を用意してくれてるのは、彼女だったんだわ) メルグは思った。もし生きていたら、実母の手料理を初めて食べることができたかもしれないのだ。 「どうぞ。私が唯一得意だと言える料理です」 アリュークが鍋を持って三人の居るテーブルへ来た。 「おいしそう」 (思ってよりは) 言葉の後に心の中でメルグはそう付け足した。 少なくとも、見た目はグチャグチャだった。いや、まずそうなどとは言ってはいけない。メルグの見たことのない料理だから、本当にこういう物なのかもしれないのだ。それに味はおいしいかもしれないし。 「あの、これ何ていう料理なんですか?」 「野菜炒めです。……見えませんか?」 アリュークが心配そうに聞いた。得意などとは言っても、やはり大して自信はないようだった。 「ちょっと、見えないかな」 小声でメルグはそう答えた。 (料理名きかなけりゃ良かった。そしたらもうすこし食べやすかったのに) レジは思った。一口目に勇気が要るのだ。 アマルナは、手を合わせて一礼してから、黙々とその「野菜炒め」と言われる謎の料理を食べている。 二人も食べないわけにはいかないから、そろそろとその野菜炒めを口に運んだ。 「あ、おいしい」 食べてみて、メルグは言った。 「本当だ。でも、これ野菜炒めって言わないと思うよ」 レジが言った。 そう、アリュークは野菜炒めではない物を野菜炒めだと思い込んでいたのだ。 「へえ、そうだったんですか。私はずっと野菜炒めだと思ってました。どうりでこれを出した時に皆さんが変な顔をするわけですね」 アリュークは別に気にもしていないようだった。 四人はその料理を食べながら話をした。 翌朝、元々たいして量の多くない荷物をまとめ、帰り仕度を始めていると、アマルナが来た。 「途中まで一緒に帰りましょう」 アマルナは言った。 途中まで、という言葉に、特に疑問は抱かなかった。 多分、アマルナはモルスへ帰るのだろうから。 「アリュークさん、ありがとうございます」 「いえいえ、私もとても楽しかったですよ。またいつか近くに来ることがあれば寄って下さい」 メルグとレジはアリュークと握手をし、別れた。 メルグたち三人は道を歩いていた。(当然だが。) 「あの、あなたがたはどういう関係なの?」 アマルナが聞いた。 「家が隣で、幼なじみよ」 メルグは答えた。 「じゃあ、恋人っていうわけじゃないのね」 「当たり前です」 やけに力の入った答えだった。 (そんなに力入れなくても……) レジは思った。 レジはメルグが恋人だと嬉しいのだ。昨日一瞬だけ見たメルグの白い肌が目に焼き付いていた。アマルナが居て色々話をしてくれなければ、レジは混乱していただろう。 「じゃあ、レジさん、わたしがあなたたちと一緒に居るのはあと三日くらいだけど、その間恋人ごっこしない?」 アマルナがレジに言った。 「?」 「つまり、どこか店に寄った時にはレジさんがおごってくれる、とか、ピンチの時にはわたしを優先的に助けてくれる、とか」 「どっちかっていうと、親子?」 メルグが言った。 「おいおい、俺まだ十六歳だぞ?」 「わたしは十四歳です」 「え」 二人の声が重なる。 レジの年齢はもちろん知っていたが、アマルナが十四歳だとは思わなかった。二歳違いで親子などといったら、確かに失礼だが……。 見えない。 口には出さないが、レジもそう思っているだろう。 アマルナは背も低いし、やせている。見た目にはよくて十歳前後という所だろうか。 「レジさんはハーフ・エルフなんでしょ? ピンチの時の助けになりそうじゃないですか。メルグさんはそう考えたことはありません?」 今思えば、言うことはしっかりしている。話ている内容だけを聞いていると、十四歳でも若すぎるくらいだ。 「ああ、そんな期待ならしない方がいいと思う。俺魔法使えないし」 レジが自分から言った。 魔法が使えないハーフ・エルフなど、人の言葉を真似できない九官鳥のようなものだ。 「魔法が使えないの?」 「というより、覚えてないんだよ、呪文を」 「だから、わたしはレジにピンチの時に助けて貰おうなんて思ってないし」 メルグは言った。 「ああ、そうなんですか。今時、人間だって魔法くらい使えるのに」 「悪かったな」 明らかに不快な表情を見せて、レジが言った。 「怒らせるつもりで言ったんじゃないの。気を悪くしたのならごめんなさい。謝ります」 アマルナはそう言って軽く頭を下げた。 黒髪が肩を流れる。風が吹いて顔に髪がかかってしまった。それを手で払おうとして、アマルナは不意に振り向いた。 「風の声が聞こえる」 「え?」 「このままじゃあなたたちは帰れないって、風が言ってる」 振り返った道から、男が走って来た。 「メルグさんとレジさんですね。手紙です」 男は手紙をメルグに渡すと帰って行った。 手紙の封には、シーファの字で、『トラルファーガ ミアン様方 メルグ・レジ様』とだけ書かれてあった。よくこんなもので届いたなーと感心しつつ、メルグは封を切った。 ――メルグとレジへ。元気してますか? わたしたちは元気です、ってついさっき別れたんだけどね(^^)。わたしたちはゼルム公国に行くことにしました。クレヴァスの本で調べたら、秘宝はそこにあるって出たんですって。だから今からゼルム公国に行きますね。それじゃあ、また。 シーファ(とクレヴァス)より―― 手紙にはそう書かれていた。 (ゼルム公国に? どうして、そこは秘宝の一つを保管しているところじゃないの) 「どうしました?」 手紙を読んだはずなのに、レジに渡そうとしないメルグを見て、アマルナが聞いた。 「……ヤベイ族の秘宝が、ゼルム公国にあるって、お姉ちゃんからの、手紙で」 メルグはそう言いながら、レジに手紙を渡した。 「本当だ。でも、秘宝を持っている人達って、みんな仲間じゃないのか?」 「わたしにも見せて」 アマルナはレジが持っていた手紙を勝手に取って読んだ。 手紙を持つアマルナの手が震えた。 「……まさかとは思ってたけど、そんな!」 「どうしたの?」 「私もゼルム公国へ行きますわ。シーファ様が行くのでしたら」 いきなり言葉遣いを変えてアマルナが言った。 「メルグさん、レジさん、今からゼルム公国に行きましょう」 がしっとメルグの腕を掴んでアマルナは道を戻り始めた。 「ちょっと、わたしたちは家に帰ろうとしてるのよ?」 メルグは言った。 「そんなこと言っていてはいけません。シーファ様はあなたの姉なのでしょう。あの国は普通の国ではないのです。シーファ様が死んでも構わないのですか!」 「そんな大袈裟な」 「決して誇張しているわけではありません。本当に危険なんです。さあ、行きましょう!」 おとなしそうに見えたアマルナだったが、どうも強引なところがあったらしい。 アマルナに引っ張られるように、メルグたちはゼルム公国に行くことになった。 |