2 「アロニ」 |
セイが男に付いて倉庫に入ると、男と同じぐらいの年齢に見える女が立って待っていた。 「指示どおり、お金は持って来ました。ローリーと交換です」 セイが言う。 「本題に入るのが早過ぎやしません? でも、いいわ。あの男は返しましょう。わたしたち、お金なんか要りません。神子に来て頂きたかったのよ。こうでもしないと、神子が来てくれる訳無かったから」 女がそう言って、今まで眠るように閉じていた目を開いた。 青い瞳。ウィケッドによく見られる種族の目だ。 「お金なんか要らないって、どういう事ですか?」 「あなたとゆっくり話をしたかったから、男を一人さらったまでだわ。さ、座って」 女はセイに椅子を差し出して、自分も別の椅子に座った。 女が男に目配せする。男は黙ってその場を離れた。 「ローリーは確かに返してくれるんですね?」 セイが念を押す。 「ええ。今からの話が終わったら必ず。……お茶でも飲みません?」 女がそう言うと、どこかで聞いていたのか、男が茶を用意しに来た。 「わたしの名はタズ=エンファシスです」 「誘拐犯が自分の名を明かしますか? どうせ偽名でしょう」 「御察しのとおりですわ。流石コヒの神子。けれど、わたしに本当の名なんてないんですよ。親がわたしが生まれたときに国に登録しなかったのです」 男がセイの前のテーブルにカップを置き、茶を注ぐ。 「彼はカナカナ=スタティスティックス。とわたしたちは呼んでいるけれど、本当の名前かどうかは知りません」 「わたしたち? あなたたち二人の他にも仲間が居るのですか?」 「ええ、そうですよ。そうでなければ一体誰があの男を見張るのですか」 そうね。そのとおりだわ。 セイがカップに手を掛ける。 「飲んではいけません!」 後ろから声が掛けられた。ローリーだ。 「ちっ。ジャイギャン、黙らせろ」 女が小さく舌打って、ローリーの後から来た男に向かって言う。 その男も、エンファシスと名乗った女と同じように背が高く、目が青かった。 セイは、ジャイギャンとか呼ばれた男がローリーを殴るとかして黙らせるのかと思った。だがジャイギャンは低くつぶやいた。 「ゾザヌホホワ」 その呪文は、セイにまではよく聞こえなかったが、ローリーにはよく聞こえた。そして、ローリーの声を奪った。 「どうしました。お茶、飲まないんですか?」 エンファシスが顔に微笑みを浮かべて言う。その微笑みには不気味さが感じられた。 「いえ。でも、ローリーが飲むなと言いました」 「彼は勘違いしているのよ」 勘違い……。そうかもしれない。ローリーがこのお茶に何か毒でも入ってるんじゃない かと、勝手に思い込んでいるだけかもしれない。でも、まだこの人たちを善悪に分けることはできないわ。 セイは思い出したように言う。 「そうです。話があったんですよね。その話を聞かせて下さい」 エンファシスは一時考え込んでいるように見えた。 「……どうしても、飲んで下さらないようね」 エンファシスがそう言うと、スタティスティックスがセイの両手を掴んで後ろへねじ曲げた。 「痛っ――」 セイが小さく悲鳴を上げる。 「スタティ、神子が動けないようにしっかり押さえてなさい」 そう言って、セイの前にあったカップを手に取る。 「あなたに来て貰ったのは、これを飲んで貰うためだったのよ」 「ユメ、ト――!」 セイは叫んだ。トライの名を呼ぼうとして、スタティスティックスに殴られる。 「一人ではなかったのか。だからこんな手緩いやり方じゃ駄目だと言っただろう」 スタティスティックスがセイの腕を縄で縛りながら、エンファシスに向かって言う。 「うるさい。もうどうしようもないだろう」 言ったエンファシスは既に剣を持って戦える状態になっている。 「ジャイギャン! その男を殺せ。見せしめだ」 「ヌザ・テゴ!」 エンファシスが声を張り上げるのに、カムの声が重なる。 ジャイギャンはエンファシスの命令を聞く前に、カムの魔法で眠りについていた。 ジャイギャンだけではない。スタティスティックスもだ。おかげでセイは腕を完全に縛られずにすんだ。 もしこれで、セイにも魔法が効いていたら、エンファシスはセイを人質に逃げることができただろう。しかしセイは防具で守られていた。腕が自由になっている。 セイがエンファシスに向かって両手を突き出す。途端、エンファシスは見えない力によって打撃を受けた。 エンファシスは目標を、セイからローリーに変えた。ローリーなら、さっきの誰かの魔法ですっかり眠っているからだ。それに、最初のジャイギャンの『沈黙』もまだ効いていた。 エンファシスはローリーに向かって走った。しかし、二、三歩行ったところで、後ろから剣を首に近づけられる。 「お前の相手は俺だ」 エンファシスは振り向き様に、首筋に近づけられた相手の剣を払い落とそうとする。 ユメは剣を払われる前に、自ら剣を引き、構え直した。 「お前は何者だ」 エンファシスが言う。その声は今までよりも低く、暗かった。 「聞いても仕様がないぜ? どうせお前は今から殺されるんだ」 ユメはそう言うが早いか、エンファシスの腹に剣を突き刺した。 エンファシスの剣もユメを掠った。だがユメは鎧を身につけている。それくらいのことは何の意味も成さなかった。 ユメは剣を引き抜くと、床へ倒れたエンファシスの心臓へとその剣を振り下ろした。 血が流れる。鮮やかな赤ではない。いやに黒っぽい、不気味な色だった。 ユメは剣を盾に戻すと、エンファシスの持っていた剣を拾い上げた。そしてそれを、卓の上にあった鞘に戻し、ナティに投げた。その時ナティは、ローリーを『眠り』から解除したところだった。 ナティが、それまで自分が持っていた剣をローリーに返す。ローリーは『眠り』からは解除されたものの、『沈黙』がまだ続いていたので、何も言うことができなかった。ただ、有り難うというように、軽く頭を下げる。 誰も喋らない静かなその場に、セイの声が響いた。 「駄目だわ。もう手遅れよ」 セイはエンファシスを見ていた。 人を殺すことは罪になる。弁解はできない。ただ法の元に裁かれて死刑の日を待つしか。 「大丈夫よ、ユメ。この人、国に手続きがされてないから。だから……」 そう言って。ユメの方を振り返る。 その時、セイの後ろでさらさらと音がした。 「あの化け物と一緒だ」 カムが言う。 エンファシスの体は、指先や髪からどんどん砂に変わってゆく。床に落ちた血も、砂に変わる。 エンファシスの体の全てが砂に変わった時、シュラインの声が、皆に聞こえた。 『ナティ』 「シュライン、」 ナティが言う。 「どうして今まで何も連絡がなかったんだ?」 『私にもよく分かりません。いくら呼びかけても通じなかったのです。何か結界のようなもので遮られていたのでしょう」 「そうか。しかし、俺たちはこれからどうすればいい?」 カムが言う。 『一度帰って来て下さい』 「それは分かってるんだが、一体どうやって帰るんだ? 俺にはライトみたいな魔法は使えない」 「行くぞ。いつまでもここに居たら、あいつらが起きてしまう」 ユメがそう言って倉庫から出る。 「行くってどこへ?」 トライがユメの後に続きながら言う。 『今ライトを繋ぎます』 シュラインがそう言った。 ライトに声が代わる。 『みんな、すまない。俺には今日もう一度カンセントレイトを召喚できるほど、体力が残ってないんだ。明日になったらカンセントレイトをそっちに向かわせる。今日はどこかで泊まってくれ」 「その方が良さそうだな」 ナティが言う。 宮を出たのでさえ、夕食の後、つまりもう日は沈んでいたのだ。今は真夜中と言っても良かった。 「宿を探すか?」 ユメがナティに尋ねる。 「そうだな」 ナティが答えて、先を歩く。 「テントを張った方がいいんじゃないか? もうこんな時間だ。宿の方も泊めてはくれないだろう」 カムが言う。 「テントを張れる程の広けた場所があればな」 ナティが当たりを指さして言う。 周りは木で一杯だ。 「もう少し歩けば町がある。小さな町だったが、宿くらいはあるだろう」 「何で知ってる?」 「カンセントレイトから見えたんだ」 ナティはそう言って森の中を進んだ。 他の皆はその町を見ていなかったから、ナティに付いて行くしかなかった。 |