「なんだか人がいっぱい居るー」
エクシビシュンの港に着いてからのセイの第一声が、それだった。
トライが笑う。
「コヒの宮にはそんなに人が居なかったし、ウィケッドでもあんまり人に会ってないしね」
港町であるザッドデイには、コヒやウィケッドと違って沢山の人が居た。だが、活気に溢れているという雰囲気ではなく、皆が声を失ったかのように、道ですれ違っても、例えぶつかっても、声を掛け合う人は少なかった。
「今日中に、フライディーに着けるかな?」
トライが言う。
今はもう真昼だ。コヒの宮に行った時は半日掛けてフライディーからここまで来たが、日が沈むまでにはもう半日もない。
「そうだな、日が沈むまでと言う訳にはいかないだろうが、とりあえず今日中には着くな」
ユメが太陽を見上げて言った。
エクシビシュンは都市部にだけ人が住んでいる訳ではない。デイとは違って、道さえあれば、その両脇にポツポツと家が建っている。夕方になってから、どうやらフライディーには着いたようだった。ただ、城がある町の中心まではまだ距離がある。ユメ達は、道端にある一軒の店に入って軽い食事をした。
隣の食卓で食事をしていた四十歳を過ぎた感じの男が、席が一番近いセイに話し掛ける。
「今年の大会の優勝者を知ってるかい? あの女もそりゃ美人だったが、あんたの方がまだ美人だね」
かなり酔っているらしいその男を、セイは避けるように椅子ごと体を引いた。
「優勝者は今年も女だったの?」
店の女主人が男に向かって聞く。
男は頷いた。
「そうだよ。えーっと、名前は確か……エンファシスだったと思うが、……あれ、違ったかな」
エンファシス!
五人は顔を見合わせた。
「でもあの女、賞金は貰えなかったんだぜ」
他の食卓から声がする。
「何でだい?」
女主人が料理を運びながら、さも不思議そうに尋ねた。
「偽名だったんだと。エンなんとかっていう女、どこの国にも居ないと」
「間違いないわ。エンファシスよ」
セイが小声で言う。
「そのエンファシスに勝ったんなら、やっぱりユメが一番か」
カムが言った。
「そう言えば、前回優勝したのは誰だっけかな」
酔っ払いが、女主人の方を向いて尋ねる。が、しっかりセイの肩に手を掛けている。男がそう言った時には、ユメ達の食事は終わっていた。
「行くぞ、セイ」
ユメが言って席を立つ。
他の皆も席を立った。セイはやっと酔っ払いから離れられる理由ができて、男の手を払うと、皆の後を追いかけた。
女主人が男に酔った客に向かって言う。
「ユメルシェルだよ。ホイ=ユメルシェル」
「ああ、思い出した。あの赤毛だな。……?」
言ってから、男は不思議そうに首を傾げた。
「さっきの客の中に居なかったか? ……気のせいか?」
夜遅くに、宿を見つけて部屋に入ったユメ達は、荷を降ろした。
「ねえ、皆、明日出発する前に、ちょっとアブソンスに会って行かない?」
セイが提案する。
「そうだね。久しぶりに会ってみたいね。顔を見るだけでも」
トライが賛成する。
「迷わずに行けたらな」
カムが笑ってそう言った。
次の日の朝、アブソンスが住む家に向かった五人は、カムが言った通り、道に迷ってしまった。フライディーに詳しいカムが居るのだから完全に迷ったとは言えないが、目的地であるアブソンスの家をカムは知らないのだ。歩き回っているうちに、やっと見たことのある小道へと差し掛かった。
「あっ、この道だよ。この前、ハーリーと一緒に通ったのは」
トライがそう言って指差す。
その時、後ろから声を掛けられた。
「あなた達、スパアロウの家に行くつもり?」
声を掛けて来たのは、三十代後半のどこにでも居そうな女だ。
「はい、そうですけど」
五人の中で一番後ろに居たナティが答える。
「やっぱり。この道通って行くって事はスパアロウの家しかないものね。あなた達、旅行してるの?」
そう言われて、誰ともなく頷く。
「そう……。でも、あの家にはもう誰も住んでないわよ」
女はそう言って、悲しそうに道の先を見た。
「どうしてですか?」
カムが尋ねる。
「一家で心中したのよ。無理心中らしいわ。アブソンスが、スパアロウとハーリーを殺して、それから彼自身も自殺したわ」
女の答えは、信じがたい物だった。アブソンスと一緒に居た時間は、それほど長い物ではなかったが、その間に見たアブソンスは少なくとも、人を殺すような感じはなかった。
「アブソンスは、もう一ヶ月くらい前になるんだけど、キフリの宮で祝子として働くようになったの」
「はふりこ?」
その言葉を知らないセイが小声で呟く。
「神に仕える者の総称だ。サプライやスウィート達がそうだ」
ナティがセイに言う。
「宮で働く者の手当ては他の職業に比べて良いのよ。アブソンスはまだ子どもなのに、いつまでも世話になりたくないからって、行ってしまったわ。でも何日かして、アブソンスは帰ってきたの。スパアロウも彼女の娘のハーリーも、すごく喜んで出迎えたのに」
『心中』があったのはその日の夜だった。翌朝、スパアロウの友人が家の戸を叩くと、誰も出て来ない。聞こえなかったのかと思って裏へ回ると、窓から見たその部屋は血だらけで、アブソンスがその中に一人、死んでいたそうだ。スパアロウとハーリーの死体は見つからなかったが、部屋中に付いた血の量や血液型から、二人とも殺されていることが分かった。
「でも、それだけでどうしてアブソンスが二人を殺したことになるの?」
セイが女に一歩近付いて言う。
「そんな事、わたしには分からないわ。皆がそう言うんですもの。そうよ。そうしなくちゃ、今度はわたし達のうちの誰が疑われるのか分からないのよ。役人達は誰でも良いから死刑にすれば良いと思ってるんだから」
女がそう言って、『役人』が居る城を見る。そして言った。
「本当に酷い事よ。……まだ部屋はそのままになってるそうだから、見たければ見ると良いわ。明日には家ごと燃やされる事になっているから、今日が最後よ」
女は人ごみへと紛れた。
ユメ達はそのまま小道に入った。女が言ったことは、もしかすると嘘かもしれないのだ。いや、こんな余りにもわざとらしい嘘はつかないだろう。それでもセイは、嘘かもしれないからと言って、皆にアブソンスの家まで行くように言ったのだ。
表から見る限り、家には人の姿は無いようだった。女が言ったようにユメ達も裏へ回る。そこでユメ達が見たのは、あの女が言ったこと、そのままの風景だった。血で赤く染まった部屋に、アブソンスが一人。
「どうして? こんなの、酷過ぎるわ。どうして、アブソンスを一人にするの? どうして?」
セイが窓に駆け寄って呟く。
腐りかけたアブソンスの体。なぜ、この国の慣習に従って早く火葬にしてやらかなかったのか。家ごと燃やすなんて、昔の魔女狩りではないのだ。
「セイ、ちょっと良いか?」
ユメが、今にも泣き出しそうなセイを窓から遠ざけて、代わりに自分が中を覗く。
「ナティ」
ユメに呼ばれて、ナティも窓を覗く。
「見ろ。あの砂だ」
ユメが指差した先には、今までの戦いで必ずと言って良いほど見てきた、化け物達の成れの果て、あの黄色い砂が少しだけあった。
「ああ、おそらく間違いないだろう。王の時やエンファシスの時と同じ物だ」
ナティが注意深く砂を見ながら言う。
「本当だわ」
窓際に戻ってきたセイが言う。
「じゃあ、アブソンス達はあの蜘蛛に殺されたの?」
「おそらくな」
ナティが答える。
それにしては妙だ。なぜ砂が少しだけ残っている? ハーリーやスパアロウの死体が無いって事は、二人を喰った蜘蛛はまだ生きているはずだ。それなら、そいつはどこに行ったんだ?
「なあ、三人共、アブソンス見えるだろ。良く見てみろよ。二人を殺した蜘蛛ってのは、アブソンスに巣食ってたとは考えられないか?」
カムが言って、自分も部屋を覗く。
「確かに、そう考えるとアブソンス一人死体が残っているのも分かるな」
ナティが言う。
「どういう意味? それと二人の死体が無いのと、何か関係があるの?」
セイがカムを見て聞く。
「え? どういう意味って言われても、俺はそんなに良く知らねぇよ。なあ、ナティ、お前は俺より詳しいだろ」
「……つまり、あの蜘蛛は人に取り付いてその人間の体を内部から食べて成長する。だから取り付いた人間を食べ尽くせば、外に出て別の人間を食べなければ生きていられないんだ」
カムに代わってナティが答える。
「でも、だったらその蜘蛛はどこに?」
ずっと後ろで見ていたトライが口を開く。
「ああ。それは、分からない――」
「おそらく、もう何者かによって殺されているだろう」
ナティが言い終わるかどうかの時に、ユメが言った。
皆の視線がユメに集まる。
「俺達は何度か蜘蛛を倒したが、その時、例えば血が出る。しかしその血は砂にはならなかった。脚を一本飛ばしたとしても、その持ち主である蜘蛛が死ぬまでは砂にはならない。あの砂がアブソンスから出て来た蜘蛛の物だとしたら、既にその蜘蛛は死んでいる」
「そう言われてみると確かにそうだわ」
セイが驚いたように言う。説明するのがナティなら、別にこれほど驚く必要はなかった。皆同じように蜘蛛と戦っているのに、なぜそれが分からなかったのだろう。ユメの観察力、敵を知る為のその力は他の者より優れているのだ。
「もう行こう? アブソンスは可哀想だけど、わたし達じゃどうしようもないよ」
トライが言う。
「ここで見てるより、蜘蛛の大元を早く倒して、もうこれ以上こんな事が起こらないようにしようよ」
トライのその言葉に、セイも窓際を離れた。
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